第39話 家康、浜松城に帰還す
時に元亀元年(1570年)の夏。
遠江国・浜松の城門に、薄暮の風、寂び入りし頃なりけり。
徳川左京大夫家康公、姉川の合戦にて朝倉軍を撃ち破り、命より重き戦の果てに、疲労困憊の身を引きずりつつ、泥と血にまみれし鎧のまま、城門をくぐり給ひぬ。
その面に浮かぶは、疲労の影、鬢髪乱れ、鬚も剃らず、目の下に黒き陰落ち、まこと、鬼神をも避けし猛将とて、その身魂、すでに尽きんとす。
しかれども、休むいとまなし。
「武田信玄、いま駿河を治め、われが遠江を虎視眈々と狙ふ――」
との報、風に乗りて浜松に届く。
家康公、やおら鎧を脱がれ、床几に腰を据え、
重き息吐きつつ、重臣らに言ひ給ふ。
「この戦、姉川にて終わらず。
まことの試練は、信玄との一戦にこそあり――」
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その浜松の城こそは、遠江の守護として、昨年より築かれし堅城にして、籠城をも睨みし要害なり。
家康公、己が身を以て設計に関わり、
「ここに徳川の礎を築かん」と、誓ひを立て給ひしという。
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されば、時代は乱世の終盤に向かひける頃、大名は淘汰され、小なる者は滅び、大なる者は肥え太る。
されど家康公は、信長公を盟友として仰ぎつつ、独立の道もまた歩み給ふ。
旧今川の士、朝比奈泰能、関口氏純を召し抱へ、武田に従ふ国衆にひそかに文を通じ、「時を見て我に与せよ」と、静かに網を張り給ふ。
まこと、武を以て治めず、智をもって将たるの器なりけり。
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このとき、家康公の配下にありしは、若き猛将、老成の謀臣、いずれも時代を動かす器たちにて候。
本多忠勝(二十九)…槍を振れば鬼も逃ぐ、まさに一万石の槍将なり。
酒井忠次(四六)…三河の老臣、知謀に長けて将を支う。
石川数正(三十六)…政と軍を兼ねし謹厳の将。
榊原康政(二十五)…忠義の士、火急を討つこと雷のごとし。
大久保忠世(三十五)・忠佐(三十三)…兄弟して忠節厚く、主君を守りて死をも辞せず。
鳥居元忠(三十二)…のちに伏見にて討死す、今はまだ三河の良将なり。
渡辺守綱(三十四)・平岩親吉(四十)・本多正重(三十七)…いずれも三千石前後の勇者たち。
安藤直次、阿部正次、水野忠分、いずれも三千石前後を預かり、家康の右腕・左腕として世に鳴らしけり。
そのほか石川家成、本多忠真ら、二千から五千石を束ねし将ら、獅子奮迅の働きを為して、徳川家の柱石とぞなりける。
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かくして家康公、信長の力を借りつつ、己が国を守り、信玄の侵攻を迎え撃たんと、夜を日に継ぎて備えを怠らず。
されば人々曰く、
「三州に家康ありて、乱世の風、止む日も近し」とぞ。
あはれ、戦乱の果てに真の太平を築く者、このときすでに動き出していたなりけり。




