第34話 信長包囲網
元亀元年(1570年)――京・二条御所のことなり。
御所の庭に薄霧たなびき、桜の葉はすでに紅を帯びぬ。
その奥の間に、若き将軍・足利義昭公、静かに硯を前に座し給ふ。
義昭、齢三十三。兄・義輝を失いし後、諸国を流転し、つひに織田信長の手を借りて将軍職に就き給ふ。
その威儀、確かに将軍にてはあれど――権はなし。命じて動く兵はなく、財もなければ、城もなき身なり。
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「我が上にて、都を支配するは信長なり……」
義昭、文机の端を握りて、低く呟き給ふ。
御前には、旧幕府の奉公人どもが控えり。
いづれも、嘗ての幕府の栄光を知る老臣にて、その口からは常に、こう漏れ出たり。
「殿、これなるは幕府の再興にはあらず。尾張の田舎者に、将軍家の御威光を奪はれたることにて候」
義昭、顔には笑みを湛えながらも、心のうちには火のごとき憤りあり。
「このまま信長の傀儡にて在り続けるは、足利の名に泥を塗るなり……!」
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その折より、義昭は密かに書状を諸国大名に送り始めたり。
「織田信長、近年日を追ひて専横を強め、将軍を蔑ろにし、諸侯の名誉を奪ふ。今こそ兵を挙げ、乱臣を討ち、天下に正義を示すべし」
この檄文、越前の朝倉義景、近江の浅井長政、さらに石山の本願寺顕如、甲斐の武田信玄らのもとへも届きぬ。
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ここに朝倉義景、浅井長政、本願寺顕如、三好三人衆、さらには甲斐の虎・武田信玄までが心を通わせ、信長の四囲を囲む大きなる火輪となりけり。
信玄は、嫡男・信忠との縁組を破棄し、かねてより温めし西上の策をここに動かし始めたり。
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この包囲網、いづれの者も表向きは「将軍義昭の要請による」と申し上げぬれど、実のところ、その多くは信長の台頭を忌む者どもの結集にてありけり。
義昭、その中央にて、「正義の再興」と唱ふれど、
やがては自らの檄が己を呑み込むとも知らず、
御所にて、ただ筆を取りて次なる文を書き綴りたり。
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こののち、世は信長包囲網の嵐に包まれ、京の地には再び血の川流るることとなりぬ。
将軍義昭の「正しき幕府」は、果たして理想の旗なりしか、それとも、乱世に抗ふひとつの幻なりしか――




