第31話 信長、入京す
永禄十一年(1568年) 霜月――
観音寺落ちて後、信長が軍は近江を抜け、京を目指して南下せり。
兵、三万を越え、馬蹄の響きは野を震わせ、旗風は空を切り、その勢ひ、まさに風巻き雷走るがごとし。
このとき、信長、足利義昭公を輿に乗せ、「将軍擁立」の旗を掲げて進み給ふ。
それ、ただの武力進軍にあらず。
「正義」の名のもと、京の乱を鎮めんとする、天下の大義にして候
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されど、京には未だ抵抗の炎絶えず。
三好三人衆――三好長逸、三好政康、岩成友通――
ならびに松永久秀、摂津・山城に兵を集め、信長の入京を阻まんとしける。
中でも芥川山城に拠りては、要害堅固にして、敵方の勇士、奮い立つ。
信長、これを打ち破るべく、先鋒に柴田勝家、佐久間信盛、明智光秀を差し向け、自らも軍の後より進まれける。
光秀、義昭の近侍として進軍を導き、羽柴秀吉は補給と築城の任に奔走せり。
このとき、京の民の間にも噂立ちぬ。
「信長なる者、義昭公を奉じて来るとな……これは、世直しの兆しか」
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かくて、芥川山城、織田軍の猛攻に耐え切れず、三好ら、京を退きて阿波に逃れたり。
信長、義昭を擁し、つひに十月十八日、洛中に入城せり。
町々には紅葉散り、法住寺殿の鐘の音、秋風に交じりて響くなか、義昭の乗輿、静かに御所の門をくぐられける。
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かくて、同月中旬、朝廷より勅命下り、義昭、征夷大将軍に任ぜられしは、十月二十日なりき。
その儀式、内裏にて厳かに行はれ、諸大名列席のもと、信長は義昭の背後にて一歩退き、礼を尽くされける。
されば、室町幕府、亡き義輝公の仇を継ぎて再び起こされ、京の町に二十余年ぶりの秩序戻りしとぞ。
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義昭公、涙を拭ひつつ、光秀に問う。
「この座、果たして我が望みしものなりや」
光秀、深く拝して申す。
「将軍にあらせられるこそ、天下を治むる要にございます。世を安んじ、乱を鎮め、道を正すための柱にて候」
義昭、小さくうなづきて、遠く信長の背を見る。
されどこの日より、将軍と信長の間に芽吹きし微かな影、やがて世を焼く焔とならんとは、いまだ誰も知らざりけり。