第30話 六角の没落と蒲生の帰順
永禄十一年(1568年)――
近江国・観音寺城に、秋の風すさまじく吹き抜けて、山々の木の葉を揺らしける。
このとき、城の天守に立ち給ふは、六角承禎入道義賢。齢四十七にて、なおも古き名門の矜持を保ち、遠く岐阜の空を睨み給ふ。
その眼下には、織田信長の兵、黒き波のごとく押し寄せ、大地を踏みしめ、鬨の声高らかに迫りける。
義賢、忿怒の声を洩らして曰く、
「信長め……田舎侍の分際にて、義昭を担ぎ、京を狙わんとは――身の程を知れぬか!」
その傍らには、嫡男・義治、齢二十、面色青ざめつつ、
「父上……このままでは、観音寺も持ちませぬ」
と、声を震わせて申せば、義賢、拳を握りしめ、叫びぬ。
「我ら六角家は、将軍家の守護代として幾代も京を護りし者なり。織田ごとき新興の者に、膝を屈するわけにはいかぬ!」
されど、その言葉の空しさよ。
家中の諸士は日を追うごとに織田に降り、城の守りは風前の灯。
やがて、城門に火の手上がり、兵乱の声渦巻き、観音寺城はまさに落城の瀬戸際に至りぬ。
義治、義賢の袖を握りて叫ぶ。
「父上、もはや御城は持ちませぬ!」
義賢、悔しさに歯を食ひしばり、
「六角の名を守り得ざるこの無念……!」
と、声高く嘆かれける。
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同じころ――
同じ近江の南部、日野の城にて、蒲生賢秀、織田信長よりの書状を手に取り、静かに見つめておりける。
その御前には、嫡子・氏郷、いまだ十二にてありながら、すでに聡明の誉れ高し。
賢秀、静かに口を開きて曰く。
「氏郷よ。我ら蒲生家は俵藤太の末にて、代々六角に忠を尽くせし家柄なり。この手紙を受け取りて、織田に下るは先祖に背く所業……」
されど、氏郷、しばし天井を見つめ、深く息を吐きて申す。
「父上。信長はもはや田舎侍にあらず。六角に従ひ続ければ、蒲生家も共に朽ち果てましょう。生き延びてこそ、我らが名、後の世に伝わりましょうぞ」
賢秀、目を閉じて長く黙したのち、静かに一言。
「……わかった。織田に降る」
氏郷、拳を強く握りしめたり。
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ほどなくして、観音寺落城の報、岐阜に届く。
信長、天守の窓より遠くを望みつつ、冷ややかに笑みて曰く。
「六角も落ちたり。これにて、京の門は開かれたり」
ここに羽柴藤吉郎、進み出でて申す。
「蒲生賢秀、降伏の旨を伝へ、氏郷様を伴ひて御前に参上仕り候」
信長、蒲生父子を対面に迎え、その稚き氏郷の眼に宿る光を見て、深くうなづきぬ。
「面白き童なり。織田の家に迎へ、育ててみるとしよう」
かくして、蒲生氏郷、信長の元に迎へられ、後に大名として世に名を轟かす者と成りぬ。
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ああ、盛者必衰の理、六角の威も、観音寺の石垣と共に崩れけり。
されど、蒲生が氏、機を見て命脈を保ち、信長が軍は、ついに京の道を駆け上らんとす。
風、近江を抜けて吹きすさび、その音は、乱世の夜を裂く鬨の響きとなりける――




