第27話 武田信玄と上杉謙信
永禄十年(1567年)――
甲斐国・躑躅ヶ崎館において、武田信玄公、厚き襖を背に、静かに信濃の地図を見つめ給ふ。
その眼差し、燃ゆるがごとく、美濃・稲葉山に注がれたり。
「織田信長……ついに岐阜を得たりしか」
と、低く呟かれける。
傍らに控ふるは、赤備の名将・山県三郎兵衛尉昌景、恐る恐る申し上げける。
「信長公、今川義元を討たれ、斎藤龍興を追い、美濃の稲葉山を改めて岐阜と名付け、今や天下布武の旗を掲げられ候。尾張・美濃の二国、ことごとくその掌にありて候」
信玄、瞼を閉じてしばし黙し、やがて重き溜息をもらし給ふ。
「信長が如き、尾張の土豪の倅にて、いかにしてここまでの勢ひを得たるや……」
昌景さらに申しける。
「ここは北信濃に目を向けさせぬよう、縁組を結ぶのが上策と存じまする」
かくして、信長嫡男・信忠と、信玄の姫・松姫との婚約、ここに決まりぬ。
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されどその頃――
越後の春日山城にもまた、一人、空を仰ぐ男あり。
その名をば、上杉謙信。
齢三十八、毘沙門天を心に宿し、剣と義とをもって世に臨む希代の武人なり。
武田信玄と織田信長の縁組の報せが、春日山城に届きしは、雪解け間近き越後の早春なり。
信玄の娘・松姫、織田信忠の許へ嫁がるるとの由、越中を越えて、上杉家中にも伝はりぬ。
老臣・直江実綱、ひそかに書状を持ちて、謙信公の御前に進み出で、
「織田信長と武田信玄、婚姻にて縁を結び候由、信濃の里人より伝へ聞き候」
と、慎みて申せば、謙信、座中にて筆を止め、しばし沈思黙考せり。
やがて、低き声にて呟かれける。
「信玄……やはり、心の奥底では信じられぬ男よ。己が利のため、敵とも手を結ぶか」
ときに、謙信は目を閉じ、ややあって曰く、
「織田もまた、同じく利の者なり。義に非ず。力に従ひ、風に乗るのみの輩ぞ」
そしてひと呼吸おきて、
「なれど、我は義に生きん。信玄が風を読み、信長が火を灯すならば――
我は水のごとく、静かにその炎を消す覚悟あり」
その言葉、雪の残る城中にて深く響き、直江ら、身の引き締まるを覚えけり。
されば、上杉謙信にとり、武田と織田の縁組は、己が義を貫くための試金石なり。
力の連なりにて世を支配せんとする者どもに、
謙信は、ただ一人、義の旗を掲げて立たんとせり。
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その年、天下の大名、その勢力以下のごとし――
織田信長 33歳 約55万石
徳川家康 26歳 約30万石
武田信玄 46歳 約70万石 甲斐・信濃・駿河
北条氏康 56歳 約55万石 相模・伊豆・武蔵
上杉謙信 38歳 約60万石 越後・関東
毛利元就 69歳 約120万石 中国地方
長宗我部元親 28歳 約10万 石土佐
三好三家 41歳 約50万石 畿内
松永久秀 59歳 約20万石 大和
浅井長政 25歳 約18万石
伊達輝宗 22歳 約20万石 奥州
細川藤孝 35歳 約5万石
本願寺顕如 39歳 約30万石 石山本願寺
今川氏真 24歳 約10万石
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かくて、信長は西を、信玄は中原を、謙信は東と北を見据えたり。
されど、三つの炎はやがて交わり、雲を巻き、雷を呼ぶ運命にあり。
この年をもって、天下分け目の布石は、つひに盤上に並びたり。
風は吹き、火は燃え、義は静かに脈打てり。




