第21話 細川藤孝
時は天文十五年(1546年)――京の都、未だ戦の煙絶ゆることなき頃のことなり。
細川藤孝、齢わずか十二にて候ふ。
その名、いまだ世に知られず。細川京兆家の末流として生まれながら、戦乱の渦に巻かれ、己が名を掲ぐる術も持たず、ただ周囲の動きを見つめるのみなりき。
かつては畿内一円を制せし細川の家も、今は衰へて、三好長慶、松永久秀らの勢いに押され、ついに京を逐はれ、丹後の地へと落ち延びぬ。
「藤孝、貴様も細川の一門にして、剣も振るへぬとは、まこと恥の至りぞ」
かく言ふは、同じ一族の若き武者たち。
彼らは皆、剣術に秀で、戦に名を馳せんとする者どもなり。
されど、藤孝は違へり。
彼、剣を嫌ふにあらず、ただ文字の道に心を寄せ、和歌と書を友とせり。
その静かなる気質、周囲より「軟弱」と侮られけれども、
「剣のみが武士の道にあらず」
と、筆を執りて独り言ちける。
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天文二十二年(1553年)――
足利義輝公、齢十六にして元服を遂げ、正しく征夷大将軍の位に就かれける。
その御側近に召されしは、他ならぬ細川藤孝、十九歳の若き士なり。
世の人、皆驚きて囁ける。
「剣も軍も振るわぬ藤孝を、なにゆえ将軍は傍に置かれしや」と。
されど、義輝公は申されき。
「お前の眼は静かにして深し。されど、その瞳の奥に、剣よりも鋭き光を見たり」
その一言、藤孝の胸に深く届きぬ。
将軍の中にある二つの強さ――
帝に仕ふる威厳と、武士たる誇り。
藤孝、心に誓ひける。
「この御方のため、命を捧ぐるも惜しからず」
それこそ、彼が生涯を決すと定めし、運命の刻なりき。
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かくなる時世、天下の大名たちの力、以下のごとし――
今川義元約 45万石駿河・遠江・三河
織田信秀約 20万石尾張
松平広忠約 3万石 三河岡崎
武田信玄約 25万石甲斐・信濃
上杉謙信約 15万石越後
北条氏康約 35万石相模・伊豆・武蔵
毛利元就約 40万石安芸・周防・長門
三好長慶約 30万石摂津・阿波・讃岐
松永久秀約 8万石 大和・河内
斎藤道三約 16万石美濃
浅井久政約 6万石 北近江
朝倉孝景約 10万石越前
六角定頼約 12万石南近江
細川晴元約 10万石摂津・山城
かくのごとく、群雄割拠の乱世にありて、筆を以て道を切り拓かんとせし細川藤孝、その名、いまだ霞の中なれども――
やがて世を照らす光とならんこと、誰か予想せしや。




