第18話 清州同盟
永禄四年――春のことにて候。
熊野詣と称して都より尾張へ戻りし織田上総介信長、南蛮筒四百挺を得て、その勢ひ、ますます加はりぬ。
その頃、三河国・岡崎にありては、松平元康、国の内を静めしのち、ひとつの決断に至りけり。
「――尾張へ、赴かん」
家臣ら、皆驚愕せり。
背を押したるは、他ならぬ竹之内宗玄――霊狐リクなり。
「殿、火というもの、遠きより眺むるよりも、近くに寄りて風の流れを知るが肝要にて候。尾張の焔、果たしてただ燃ゆるのみか、光となりて照らすや否や――見極め給ふ器は、殿にありと存じ奉る」
されど、その時来るには、なお月日を要せり。
桶狭間にて義元討死の後、織田と松平の間、敵か味方か、見えざる幕のごとき距離ありて、元康、家中を説くに時を費やせり。
されど、大いなる決断とは、常に火のそばに立ちてこそ、真の形を得るものなり。
かくて元康、わずかばかりの供を伴ひ、尾張・清洲の城へと向かいぬ。
城門にては、信長の家臣・木下藤吉郎、笑みをもて迎へたり。
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清洲城・大広間。
障子越しに差し込む春の光、やわらかにして、二人の武士の影を照らせり。
ひとりは、炎のごとき武将――織田信長、齢二十八。 ひとりは、静けさに鋭さを秘めた剣――松平元康、齢十九。
家臣らは皆、遠巻きに控へ、広間の気配はまことに張り詰めたるものなり。
先に口を開きしは、信長なり。
「よくぞ参られた、元康。三河よりここまでの道、さぞや“覚悟”を要したであろう」
元康、かすかに笑みを浮かべて応ふ。
「殿ほどのことにてはござらぬ。桶狭間にて貴殿が義元公を討たれし時より、拙者もまた、世を測る覚悟を定め申した」
信長、その眼を細め、鋭く光らせて問ふ。
「今川の影、すでに消えし今、三河は自ら立つほかなし。して、これよりいづこを目指す」
元康、ひるむことなく答ふ。
「東は、この元康にお任せ下され。殿には、西を望まれ、この乱世を終わらせて下され」
信長、ふと口角を上げ、にこりと笑みて立ち上がりぬ。
そして、堂々と右の手を差し出して曰く、
「三河の松平、尾張の織田。今この時、“乱世を終わらせる”盟を結ばん」
元康、立ち上がりて、その手を迷ふことなく握りしめぬ。
かくて結ばれしは、後に「清洲同盟」と称せらるるものなり。
この握手こそは、後の本能寺の変、関ヶ原の戦、さらには江戸開府に至る道を切り拓く、“天下統一の骨格”となりしこと、誰しもその時は知る由なかりき。
さればこの時――
甲斐の武田信玄、齢四十一。
越後の上杉謙信、齢三十二。
相模の北条氏康、齢四十三。
まさに風雲、いまだ定まらぬ世にて、火と風と剣との交わり、いよいよ烈しき時代の幕を開けたり。




