第17話 足利義輝
時に、都の栄耀すでに過ぎ去りて、室町幕府、ただ名ばかりの威を保ちつつ、かろうじて息をつきける。
将軍・足利義輝公(26歳)。征夷大将軍の位にありながらも、三好長慶(38歳)・松永久秀(52歳)らの幕閣、強き者どもに囲まれて、檻に閉ざされた獅子のごときありさまなり。
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場所は、二条御所の一隅。警護の目を忍びて設けられし、ひそやかなる対面の席。
甲冑を脱ぎ、ただ一振りの太刀を膝に据えし義輝公、信長の来訪を迎へられける。
「信長殿――よくぞ、参られた」
「いえ、ただの道中にて候。熊野の帰り、都の風を感じとうござりまして」
信長、絢爛たる衣を避け、麻の旅衣にて現れけり。その簡素なる装い、意図してのものと、義輝すでに見て取りぬ。
「将軍家の御前にて申すのは畏れ多けれど――今の世を正すお覚悟、いかほどにござりますや」
義輝、公達の眼を細め、
「我は将軍たりとも、都の中すらままならず。三好が専横、幕府の中枢も虚ろなり。言わずとも、見て知るであろう」
信長、静かに頷きて、言上しける。
「この世を治めるには、“正しき旗”が必要にて候。その旗を、御所が掲ぐるとあらば、我が剣、御前に捧げ申す」
義輝、しばし目を伏せ、ふっと息をつきて曰く、
「正しき者に力なければ、天下は動かず。力ある者、義を失へば、国は亡ぶ。 信長殿、そなたの火に“義”を添える者、まこと要るなり」
信長、深く頭を垂れ、
「そのためにこそ、我、ここにまかり越しました」
この夜、何ら明文の勅命、盟約こそ交わされずとも、両者の間に一条の思念、確かに通ひぬ。
将軍は信長を“使える剣”と見定め、信長はまた“幕府”という古き秩序を、いかにして己が火に取り込むべきか、心に刻みける。
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その頃、時を同じうして、堺の地には、信長の麾下・木下藤吉郎、命懸けの取引に奔走せり。
目指すは、津田宗及(47歳)の屋敷なり。
この宗及、堺の富商にして、茶の道に通じ、鉄砲取引にも目利きの誉れ高し。
「お茶でも一服いかがにて候?」
「茶よりも、火薬の匂いを嗅ぎに参った」
藤吉郎の一言に、宗及の目、鋭く光りぬ。
「ほう……お若いにして、よくぞ申された」
宗及、手を打てば、南蛮人より届きし筒、布に包まれしまま持ち出される。
「これは最新の南蛮筒。遠きを狙ひ、火薬の無駄少なし」
藤吉郎、その銃を取りてじっと見据ふ。
その重さ、銃身の光、引き金の指触り――すべてを確かめるがごとく、沈黙のうちに観察す。
「これを、四百丁。揃へられるか」
宗及、驚愕の面持ち、しばし沈黙。
四百丁――並の大名すら捌けぬ数なり。
されど、やがて笑み浮かべて応へけり。
かくして、藤吉郎、堺の商人らとの間に大なる取引を成立せしめ、信長の臣下として一大の功を挙げたり。
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さればこの一夜、都にては火と義が結ばれ、堺にては鉄と才が交差せしこと――
いづれも後の乱世を照らす、一つの炬火なりけり。
風雲未だ定まらぬ中にて、信長の火、いよいよ強さを増しゆく。




