第10話 道三の死
世はまこと、無常の響きに満てり。栄えし者も、かならずは滅び、燃ゆる火もまた、風に消ゆるを免れず。
弘治二年四月、濃尾の地にて春の風、いと荒し。
その風、花を揺らさずして、世のざわめきを運び来たり。
美濃国にては、斎藤家の内乱、つひに表に顕はる。
父・道三入道、年六十二にて、長きにわたり不和を抱へし嫡男・義龍(二十九)とついに刃を交へるに至れり。
家中の多く、義龍に靡き、道三は僅かなる忠臣を率ゐて、長良川のほとりに追ひ詰められたり。
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かくある折、ある早朝のことなり。
清州の城門に、一頭の泥まみれの駿馬、疾風のごとく馳せ入りぬ。
馬上の者は、美濃よりの急使にて、信長公の御前に、一通の文を差し出したり。
その文こそ、斎藤道三より、織田信長(二十二)への手紙にてありける。
人々は、援軍の乞ひに違ひなしと囁きぬ。
されど、信長、文を開きて目を通したるに、其の中には、意外にして簡素、されど余りある重みを湛へたる言の葉ぞ記されてありける。
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信長へ。
道三、今より嫡子義龍に討たるる運命にて候。
然れど援軍、堅く無用に候。兵を割きてはならず。尾張の地、空けさせ給ふな。
我が死など、顧みらるべきに非ず。
ただ、そなたの“焔”、断じて絶やすまじ。
敗軍に学び給へ。火は風に消ゆとも、風の向きを読む者あらば、火はまた灯るものなり。
そなたが火ならば、我はその薪にてこそ候。
――蝮
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信長、文を畳み、しばし言葉もなければ、家中の士も皆、ただ沈黙の裡にありける。
やがて信長、眼を挙げて静かに曰ひける。
「援軍は出さぬ。道三様は、最期の時までも己を貫かれた」
その夜のこと。
信長、ひとりして天守の上に立ち、濃尾の空を仰ぎ見れば、月は雲に隠れ、風は烈しく吹きつけていたり。
されど、その風の音にまぎれ、信長、胸中にて静かに呟き給ふ。
(蝮よ……そなたの死は、我が焔に、一滴の油を注がれしものなり)
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【道三 辞世】
捨ててだに この世のほかは なきものを
いづくか終の 住み家なりけん
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かくて、ひとつの宿命果てて、火の中に薪となりし者あり。
その灰、風に舞ひて、次なる焔を呼ぶ種ともなりける。
火と風とが交はるとき、世はまた新たなる章を開くなり。




