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遊女が本気の恋をするという事

かえでは女と男の秘め事について知りたくて仕方がありません。

ふじ枝に教えて欲しいと食い下がりますが、それは先輩遊女達が教える事と断られてしまいます。

遊女は恋をしてはいけないのか?

恋などしない方が良いのか?

かえでとふじ枝にはまだまだ早い話題ですが二人は知りたくて仕方ありません。

「なんでふじ枝やん、教えてくれんの?」

「だってこれはあっちらが大人になって吉原で働くには一番大事な事だから、子供のあっちが教える事じゃないでやんす。かえでやんにはこれから春乃太夫が教えてくれるでやんしょ。」


ふじ枝はかえでの半年先輩なので何かと教えて貰う事が多い。

しかし男と女の間の事は敏感な事だけに先輩遊女でないと子供のふじ枝が教えるのは難しいだろう。

「でもかえでやん、今好きな男衆はいる?」

「好きな男衆って!いるわけないやん!周りの人みんな大人やし、吉原にはあっちらと同い年くらいの男衆は殆どおらん。それにまだ分からないでやんす、そういう事…。」

「確かに若い衆はみんな大人でやんすからね。でもこの人良い人やー、とか思う人もいないんでやんすか?」

「それは…、うちの若い衆の政さんは優しくて良い人やと思う。でもそれと好きとは違うやろ?」

「そうやねー、好きというのはその人の事を見たり考えたりすると心の臓がドキドキしたり、顔が赤くなったりその人とまともに話せなくなったりする事やって(ねえ)さんが言っとった。」

「ふじ枝やんにはそういう人がいるんでやんすか?」

「残念ながらかえでやんとおんなじでやんす。でも反対にいつかわっちの事をそんな風に思ってくれる人ができたら嬉しいなぁ。」

「そうやねー。でもわっちにはそういう人ができてもどうしたら良いかわからんなぁ。」

「迷うのはかえでやんらしいなぁ。」

「でもわっちらの商売で好きな人ができたら、遊女の仕事は出来るんでやんしょうか?」

「姐さん達はみんな間夫(まぶ)がいるって聞いたけど、どうなんやろ?わっちらにもいつかはできるだろうかねぇ。」

「わっちは自信がないでやんす。」

「大人になったらできるのかも知れないでやんすなぁ…。でもそうなったら色々大変な事になるでやんしょうなぁ。」

「大変な事になる?」

「遊女に間夫(まぶ)は厳禁や。大旦那さんやお内儀(かみ)さんに知られたら折檻されるでありんす。」

「ええー!怖い!」


「じゃからその辺のとこ(ねえ)さん達は上手くやってるらしいんやって。」

「ふうん…。そうなんや。」

「情を交わした人がおらんとこんな商売やってられんって、(ねえ)さん言っとった。」


「あっちらもいつか誰かと情を交わしてみたいでやんすなぁ…。」

「そうやねー。」

 かえでとふじ枝はまだ少女らしい純粋な恋の夢をみている年頃だった。

だが、情人への純粋な恋心と遊女としての仕事が“性”という部分で重なってしまう事に気付くにはまだ幼なすぎた。

そして将来その事に自分が堪えられるかどうかもまるで想像も出来ない年だった。


 恋も知らずに妓楼に売られて来た少女達。

彼女達が男に対して恋愛感情を持つ経験もせずに遊女になった場合、「身体を売る」という事はむしろ抵抗の少ない事だったのだろうか?


「情人を裏切らない」、或いはその方が幾分気持ちの上では楽な事だったのかも知れない。


 しかし、年端も行かない幼女を「吉原」という女の居住率の恐ろしく高い囲われた地で、男との恋愛を知らずにただ性を売る事だけを生業とする「人形」に育て上げる事は、人権侵害を通り越して神をも恐れぬ悪魔の所業としか言いようがない。


 忘八達が幼女を引込禿(ひきこみかむろ)として内証に閉じ込め、高級遊女としての英才教育を施すという名目で外界と隔離された生活を送らせたのはその意味もあったのではないかと想像すると、そら恐ろしくまさに「忘八」と言われても致し方あるまいと思うのである。


「性を売る事だけを生業とする『人形』」

それこそがあの幕末に撮られた張見世に座る無表情な遊女達の姿に通ずるものなのではなかろうか?


そう、彼女達は「性欲以外の『自意識を持つ事』」を禁じられたのだ。


「花魁道中を演じる女優」が「素晴らしい演技力」などと持て囃されるのは大いなる「誤解」であって、「これから性を売りに行く女」が素晴らしい訳がない。むしろ惨めな事であろう。


「これから性を売りに行く女の“覚悟”を表現している」、とするのであれば分からないでもないが、それでも決して素晴らしい物ではない。


 よくある設定が「本当に愛する男を『諦め、或いは守る』為に他の男に抱かれに行く女の覚悟」という花魁の姿だ。

─んなワケない。┐( ̄ヘ ̄)┌


「性欲以外の『自意識を持たない』人形」であるのならばいくら豪華な衣装を身に纏って三つ足の黒高下駄を履き、外八文字を描いて仲之仲町を練り歩いても、それは「本当の見世物の『人形』」であるに他ならないのだ。


 私には本物の花魁はそうであったとしか思えない。

見物人達には憐憫の情さえ湧いたであろう。

それを「豪奢な道中」として眩い程に飾り立て見世物にまで祭り上げた忘八達は悪徳プロデューサーとしか言いようがない。

しかもその費用は花魁が用立てていたのだ。

道中を歩む高級遊女は人形だったのか?

性欲が満ちていなければ道中など誇らしく歩めるわけもないのだとしたらそれは価値観の違いだけなのか?

例えば道中は婚礼を模しているのだとする説があったとすれば、それはいかにも土着な風俗的な匂いに満ちています。


ところで一昨日の某国営放送の大河ドラマで、主人公の男が想いを寄せる花魁が客との寝所での絡みを見世の主人達にわざと見せられる、というシーンがあったそうです。

同じ様に以前製作された某元子役の女優が花魁を演じた映画(?)の中でも、似たような客とのシーンを恋人の男に見せられる、という場面かありました。

その女優は後背位で客に攻められながらも「見ないでー!」と恋人に叫びます。


両者とも恋人の男は動揺します。

は?遊女を恋人にしていながら今更現場を見て動揺するなど有り得ないでしょう。

相手は遊女なんだよ?

男は惚け茄子なのでしょうか?

それとも童貞なのでしょうか?

それでその遊女の恋人との恋愛を諦めるのでしょうか?


何だろう?これ…。(ー_ー;)

観客としてそのシーンを見て興奮するのは男か女か?視聴率が稼げる、或いは映画の見せ場になると監督がわざと演じさせたのか?

遊女の商売がそういう商売だとしても、そういうシチュエーションを作品の中で無理矢理作るのはそれはもはやAV作品だとしか言いようがない。

女優は「一皮剥けた」と男性陣から評価される。

女優はそれで嬉しいのだろうか?

恥も外聞もないこのいびつな現象をどう捉えれば良いのだろうか?

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