タヅからかえでに
運命のいたずらから太夫付きの禿になれたタヅ。
名前も新しく雅な名前を付けてもらいます。
そしてあらたにふじ枝という太夫付き禿の友人が出来ます。
タヅは以前から疑問に思っていた事をふじ枝に聞いてみますが、笑われるばかり。
タヅの疑問とは一体?
やがてタヅは殊勝な努力が大旦那に認められて相州屋で一番の春乃太夫付きの禿となる事が出来た。
太夫付きの禿になる事はそう簡単な事ではなかった。
太夫は太客を相手にする見世の看板なので従える振袖新造も禿もそれなりの整った顔立ちと賢い頭脳が必要だった。
タヅが付く事になった春乃太夫には身の回りの世話をする禿が常時二人いた。
もう一人の禿はタヅより半年前に太夫付きの禿になったレンという少女だった。
しかしタヅの前に付いていた禿がある日突然熱病に罹って呆気なく死んでしまった。
なのでその空いた穴を埋める為、タヅが抜擢されたのだ。
禿はまだ子供であるが故に幼くして死んでしまう事が多く、その度に新しい禿が太夫に付いた。
お内儀さんはタヅに言い含めた。
「タヅ、よくお聞き。」
「あい。」
「禿になる娘はねぇ、みんな七つか八つ位で廓に売られて来るんだ。それで太夫付き禿に見込まれた娘は引込禿になって修練を始めて将来ものになる玉かどうか十になるまでに見極められる。だがお前は十の年でこの相州屋に来た。平三がどうしてもと連れて来たんだが見極めの年はとうに過ぎていた。お前も分かっているだろうけど十を過ぎた娘は下働きをしながら十六、七で留袖新造になって客を取る。」
「あい。」
「平三はお前の才を下働きとしてではなく、ましてや禿としてでもなく引込禿として見てやってくれと言ってきかなかった。あたしゃ半信半疑だったんだが平三の目はやっぱり確かだったんだねぇ。お前は一年足らずで殆んどの習い事を完璧に身に付けてしまった。これは凄い事だよ。本来だったら留袖新造になる所を同い年でも客を取らない振袖新造になれるんだ。そして、これからは春乃太夫に直接ついて客あしらいを習う事になる。」
「あい。」
「いいかい?春乃はこの相州屋の一番の稼ぎ頭の太夫だ。これからお前も春乃に付いて座敷に上がる事になる。お前の事だから上手くやるだろうけど、相州屋や春乃の名を汚すような真似は決してしないでおくれよ。その事を肝に命じてしっかり勤めておくれ。」
「分かりんした。お内儀さん。」
タヅとレンが仕えた春乃太夫は吉原でも当代一の太夫と名高い遊女だった。
春乃は優しい女で禿を本当の妹の様に可愛がった。
「おタヅにも新しい名前をつけてやっておくんなんし。お内儀さん、なんて名前が良いでありんしょう?」
相州屋では太夫付きの禿になると同時に新たな名前が付けられるのが習わしだった。
ちなみにレンはふじ枝という名前で呼ばれていた。
「そうだねぇ。前の禿はこゆきだったからお前の春の季に溶かされてあっという間におっ死んでしまったよ。」
「そりゃあひどい仰りようでありんすぇ。」
「おタヅは丈夫そうだから良いが、こゆきの様に早く死んでしまっては困る。お前には相当な金と手間隙がかかっているんだからねぇ。」
「あい、お内儀さん。良い名を付けておくんなんし。」
「そうだねぇ…。真っ赤な血の強い命、新緑の青葉から秋になると燃えるような赤い色に変わる不思議な力のある紅葉の葉。初夏は青葉でも秋になると真っ赤に染まる葉。…かえでなんてどうかね?」
「もったいない名でありんす。」
「かえで、良い名でありんすなぁ。もみじ狩りの上野の山で見る紅葉の綺麗さ。夏の始めには水の滴るような青葉が秋になるとお山が一斉に真っ赤に染まりやんす。それはほんに見惚れるほど綺麗でやんす。良い名をつけて貰いなんした。おまいは今日からかえででありんすえ。よくはげみなんし。」
「あい!」
タヅの「太夫付き禿かえで」としての日々がこうして始まった。
禿の仕事は太夫の身の回りの世話が殆どだったが、太夫がお座敷に出る際にはいつも同席した為、下働きなどをする年上の少女や普通の禿から留袖新造になった十四、五才の娘達よりも幼い年で遊女の仕事というものをその目で理解した。
市井の者達にはまだ少女だというのに夜遅くまで酒席の遊行を目の当たりにし、酒に乱れた男女の姿態を見なければならないのは不憫だと思う者もいた。
しかし実際には太夫が呼び出しを受け、置屋から客の待つ揚屋まで仲之町を練り歩く道中に付き従って揚屋まで着いても、太夫は客相手に酒を飲むどころか食事すらも採らなかった。
ましてや客と言葉を交わす事さえしなかったので、禿はお座敷に座って身に付けた三味線やお太鼓などを披露して客をもてなすのが役割りだった。
それこそが今まで修練を積んできた成果を表す機会だったので禿達は気張って芸を披露した。
またお付きの振袖新造は踊りや三味線を披露し太夫の代わりに客に酒を勧め遊興の相手をした。
しかし夜も更けた頃、まだ子供であるが為に禿が眠くなって寝てしまった時に、無理矢理起こされて叱られるのはやはり不憫な事であった。
新顔の客の通いが二日めになると太夫と話しが出来るようになる。
そして三日めにやっと客は置屋(見世)まで案内され太夫の部屋で寝所を共にする事が出来たのだ。
しかしこのしきたりも時代と客層の変化にともなって廃れて行く事になる。
「なあふじ枝どん、あっち、ここへきてからずっと不思議に思っていた事がありんす。」
恥ずかしそうにかえではふじ枝に聞いた。
「何でありんす?おタヅどん。」
「かえででありんす!」
「あ、勘弁しておくんなまし。それで?何が不思議なんでありんす?」
「あのな…、そのな…、おあ姐さん達がお客さんと大部屋や座敷でやってる事って…。なんなのやろか?」
ふじ枝は大声で笑いだした。
「なんで笑うんでやんす!」
「あんたそげな事も知らないで引込禿になったんでやんすか?」
「だって内証で毎日稽古事ばかりやらされてたんでやんす。他は何も教えられてこなかったんでありんす。おあ姐さん達は何しとんのやろ?ってあっちはずっと不思議に思っとった。」
「まぁ、あっちも真面目に稽古事だけしてたらおタヅどんみたいに何も知らなかったんでやんしょうね。」
「おあ姐さん達、何しとんの?ふじ枝どんは誰に教えてもらったの?」
「まぁ、本来なら振袖新造になってから教わるんだけど、わっちが最初に付いた太夫や振新(振袖新造)の姐さんが、あっちをからかいながら面白勝手に色々教えてくれたでやんす。」
「姐さん達は何をしとるんでやんす!?わっちにも教えておくんなまし!」
ふじ枝は含み笑いをしながらかえでを焦らして楽しんでいる。
「あっちが教えても良いんだろうか?おあ姐さん達が教えるもんじゃなかろうか?」
「誰でも良いから教えて欲しいでやんす。」
「あっちがヘンな風に教えた事でお登喜おばさんやお内儀さんに叱られたらかなわんから教えられんわ。」
ふじ枝は「ウフフフ…。」と笑ったまま結局は何も教えてくれなかった。
当時、遊里に売られてくる娘達は主東北地方の貧しい農家の出だったそうです。
冬は雪に覆われてしまう土地柄のため農地の活用に限度があり、どうしても作高が低くなってしまう生活苦があったのでしょう。
娘達は東北地方独特の方言で話していたため、江戸の客とは殆んど言葉が通じなかったそうです。
その為、吉原独特の「ありんす言葉」が生まれたのだと言われています。
しかしまだ七歳程の子供達にとって「ありんす言葉」は外国語を習うのと同じ位の難しさだったと思います。
加えて遊女以外は江戸弁を話す人々達だったので、言葉についての難易度は更に高かったと思います。
郷の言葉と江戸弁、そして廓言葉とさしずめ現代のマルチリンガルとでもいいましょうか。(#^.^#)