吉原の鬼畜な課金システム
タヅは相変わらず習い事と廓言葉の学習に明け暮れる日々を送っていました。
しかしコマが、ある日突然引込禿をやめると言い出します。
それまでタヅと一緒に相州屋の内証で引き込もって勉強をしてきたコマですが、大旦那に下働きと先輩遊女達の小間使いをする並みの禿に格下げされてしまったと言うのです。
これからは別々の道を歩む事になったタヅとコマ。
遊女や禿の中にも様々な地位と役割りがあり、その立場は本人達の素養や頑張りによって変わって行きます。
そんな中でも少女や遊女達を苛んだのがかさむ借金と毎日の食事の質でした。
特に借金はたとえ太夫になったとしても、彼女達の重荷として両肩にのし掛かっていたのです。
「おタヅちゃん、なじょしてそげに毎日楽しそうなげ?だどもわっちはもう稽古に付いていがれん。あんなにたげ覚えきれん。じゃからきつい…。」
タヅと共に引込禿の修練を積んでいたコマという少女は、タヅと同い年だったがタヅよりも二年早く相州屋に売られて来た。
先日タヅと一緒に太夫道中を見物した引込禿の友達だ。
コマは二年前に相州屋に売られて来たにも関わらず今でも廓言葉と田舎の訛りが混在した話し方から抜けきれていない。
コマの郷は何年も米の不作が続き年貢や毎日の食糧の枯渇に大人達は打つ手も無い状態だった。
更にコマの家は四人目の子供が生まれたばかりで満足に食わせる米もなく、両親は子供達にひもじい思いをさせている事が何より辛かった。
そこで親達は長女のコマを金持ちの家に奉公に出し一人でも食扶持を減らす事にしたが、八歳やそこらでは大した金額で売り渡す事は出来ない。
どうせなら花街に売って出世払いとして大金を借りた方が良いと両親は判断して女衒にコマを売ったのだ。
それは冬には雪に閉ざされる貧しい農家の苦渋の選択だった。
「大変だどもおら、色んな事覚えるの楽しば。」
「おタヅちゃん来だばがりなのにすごいなぁ。わっちなぁ、大旦那さんに明日がら普通の禿に格下げする言われてしもうた。」
寂しそうにコマは言った。
「普通の禿って、おコマちゃんこっから先ば引込禿の稽古ばせんとあども振袖新造にばなれんがこづだっぺ?」
「んだ。ばってん習い事はもう嫌じゃ。おらには分からん事ばかりじゃ。だがらこれがらは下働きでもなんでもするげに。このまま相州屋に置いて貰えるだけましじゃ。働いて稼がんと、田舎の親に渡した銭の分だけでも返しねばわがらんげに。」
二年経っても引込禿として芸事は元より廓言葉さえ身に付けられないコマに、相州屋の主は見切りをつけたのだ。
コマは黒目がちの大きな瞳にキリリとした太眉が印象的な愛らしい少女であった。
なのでお登喜おばさんが引込禿に、ゆくゆくは振袖新造にと望んだのだが残念ながらその望みは叶えられなかった。
「したっけ振袖新造にならんがこづは太夫になる夢ばあきらめて留袖新造になるげこづだっぺ?」
「んだ。」
「もう五、六年したらおあ姐さん達みたいに客を取るげこづ?」
「んだよ。もう大旦那さんの所で難儀な勉強せんでもようなる。代わりにおあ姐さんに付いてじかに女郎のしきたりば教えて貰うんじゃ。」
「おコマちゃんは今はもうその方が良いんじゃな?」
「んだよ。」
タヅはコマが引込禿になる夢をあきらめる事を止めなかった。
引込禿になる夢がどんなに難しい事であるかよく熟知していたからだ。
「おあ姐さんの中には意地悪な人もおるさ聞いたげ。気いづげでな。」
「おーぎね。んだばて、おタヅちゃんも廓言葉だげばすぐにでも覚えんとわがらんよ。郷の言葉はもうわがらん。でもおタヅちゃんなら振袖新造になっで立派な太夫になれる気がする。おら、応援するげに。」
「おーぎね。おコマちゃんもしったげめんこいずら、すぐに人気もんの留袖新造になるどおら思う。だがら三味線ぐらいば弾げるようならんとわがらんよ。」
「んだなぁ。」
コマは決して能力が低かった訳でもなく努力を怠った訳でもなかった。
二年経っても廓言葉さえ身に付かなかったのはただひとえに郷や家族への思いが絶ち切れなかったからなのだ。
まだ十才の少女である。
家族への愛着を捨てろと言う方が無理がある。
自分を女衒に売った親であるにも関わらず、郷での生活や自然との触れあいが懐かしく愛おしく思え、寂しさを忘れる事が出来なかったのだ。
楼閣に売られたのも弟や妹を飢えさせない為。
まだ十才であるにも関わらずコマは年少の弟妹を想い、長女としての責任感と自己犠牲をも厭わぬ健気な娘であった。
コマは引込禿から並の禿に地位が落ちる事になったが、そんな事はよくある話だった。
引込禿が将来の高級遊女になる為の修行は生易しいものではなく多くの幼女達が並の禿に脱落していった。
更に遊郭の生業自体に馴染めず下働きにもなれなかった禿はいつの間にか見世から姿を消し、田舎にも戻らず行く方知れずとなり親元には借金だけが残った。
引込禿から並の禿に格下げされた少女は十六、七になると留袖新造となり水揚げを済ませて客を取る遊女として楼閣で働いた。
また幼い時に楼閣に売られてきたのではなく十四、五才で売られて来た少女達は下働きの末すぐに客を取ったが、同時に先輩遊女達に妓楼のしきたりを教えて貰いながら客を取った。
そうして女衒が親に渡した金の分を自らの身体を犠牲にして返したのだ。
しかし返さなければならない金はそれだけではない。
遊女は身を飾る着物や簪、鏡や白粉の類いなど身の回りのものを揃える充分な金を持っていない。
なぜなら日々の揚代は親元の借金返済分と置屋の儲けとなり、遊女の手元には僅かばかりの金しか残らないからだ。
その為張見世に出る為の身支度を調えるには置屋から更に借金をして揃えるしかなかった。
置屋がそういった物を用意してくれるわけではなかったのだ。
加えて太夫ともなると自分に付き従う振袖新造や禿の身支度、道中に従う男衆達の賃金等も自費で用意した。
だが太夫の場合は相手が金持ちの客ばかりだったので、直接頂いた床花と呼ばれる祝儀をその分にあててしのぐ事が出来た。※1
そうして遊女達はがんじがらめになって年季が明けるまで楼閣で働くしかなかった。
全く良く出来た鬼畜なシステムだと言わざるを得ない。
年季が明けるのは客を取って稼げるようになってから十年程だが、殆どの遊女はそれを待たずに病気などで楼閣の中で短い生涯を閉じる。
いくら大枚の金が一夜で動く吉原といえど、そこで働く底辺の女子供達には毎日の飯のたねさえままならず、利潤は行き渡らない。
なので幼い子供の禿などは栄養不足の為、軽い病でも大人になるのを待たずに死んでしまうのだ。
しかし命が短いのは子供だけではない。
遊女達も短い花の命を散らして行く。
その死因の多くは客から感染した梅毒であった。
或いは誤って子を孕んでしまい堕胎に失敗して命を落とす事もざらにあった。
運悪く堕胎が成功しなかった場合は、ひっそりと寺院などで子を産み再び遊里に戻って来て元の生業を始めるのである。
しかし遊女が産んだ子供に会う事は生涯なかった。
だが太夫などの高級遊女が子を宿した場合は堕胎などはさせずに産ませ、置屋で育てた。
生まれた子が女児なら御の字で、将来の高級遊女として大切に育てられた。
太夫の美貌と才覚を娘として受け継いでいる可能性があったからである。
男児は楼閣の中で育ち、適性に合せて廓で必要な生業で身を立てたが、母親の美貌を受け継いだ場合、遊女と恋愛沙汰をおこして騒動になったりと厄介な事も多かった。
もう一つ遊女の死因に多かったのは白粉による鉛中毒だった。
遊女達は商売の時は顔や首筋、肩口まで白粉を塗った。
その白粉に含まれた鉛の成分は体内に入りやがて臓を病み病気で亡くなる事も多かった。
しかしこの当時それを知る者は居らず、白粉は遊女の欠かせない商売道具でもあったので日常的に使われていたのだった。
※1床花とはチップの事で揚代の何十倍にもなったと言われています。
揚屋(所属している見世)の鬼畜な課金制度を作り上げた楼主達はまさに忘八と言わざるを得ません。
遊女達を借金でがんじがらめにして縛り付けておくシステムは彼女達の心をどれだけ苦しめた事でしょう。
さて、せっかく友達になったコマと違う道を歩まざるを得なくなったタヅは、一人ぼっちになってしまいました。
郷の言葉で話せる友人が離れてしまう事は寂しい事ですが、それでも前を向いて歩くタヅなのでした。
少女達が可愛らしい東北弁を話すエピソードはこれで終わってしまいますが、タヅにはまだまだたくさんの出来事が待っています。