夢の太夫道中
幼い禿達にとっては道中を練り歩く事は大きな夢でした。
一応、引込禿として出世コースに乗っていた幼女時代の松ノ尾も太夫道中を初めて見て心が強く惹き付けられます。
太夫の豪華な衣装、凛とした佇まい。
何もかもが幼い少女の松ノ尾には夢の様な世界だったのでした。
ところが見物の後、相州屋に戻ってきてから並の禿達に絡まれてしまいます。
そしてその後に女郎やお内儀から禿と引込禿の待遇の違いを初めて知らされます。
その日、タヅは相州屋に来てから初めて太夫道中を見た。
他の置屋の太夫の道中だったが、夜見世の金持ち客が酒宴をしながら待つ揚屋まで禿や振袖新造、太鼓新造、傘持ち、布団持ち等を引き連れて中之町を歩く姿は郷の祭りのお太鼓囃子さながらに迫力のあるものだった。
いやそれよりも豪華で華やかな行列にタヅは胸が踊るようだった。
特に三つ足の黒高下駄を履き緩やかに外八文字で歩きながらも、凛として正面を見据えて歩く太夫の清々しさにタヅは強い憧れを持った。
太夫の豪華絢爛な打掛には紅い芍薬の花が燃え盛る火の様に描かれている。
そして帯には今にも飛び立ちそうな鷹が金糸銀糸で刺繍されていた。
歩を進める度にしゅるしゅると囁く様に鳴る絹擦れの音。
高く結った髪には鼈甲の簪。
禿の振袖は太夫と同じ紅い芍薬の花が描かれていて、禿が太夫とお揃いの柄の振袖を着られる事にタヅは何だか嬉しくなってしまった。
そして振袖新造達の艶やかな大振袖は地に付きそうな程長くてまるで蝶々の様だった。
それらの光景が少女や幼女達の心を鷲掴みにしたのは言うまでもない。
「まんずしっごいなぁ。いぎなしきれいだべ。」
「まんずまんず。こごで働ぐならおらもいづかああなっでみてえなぁ。」
「んだ。」
タヅと一緒に太夫道中を見ていた幼女はコマと言った。
二人は引込禿として同じ相州屋の主の元で修練を積んでいたが、話をしたのはこの時が初めてだった。
二人が何より道中で注目したのは太夫の前で先頭を歩く二人の禿の姿だった。
「太夫の禿さなれだらああしで先頭を歩くんだなやぁ…。」
「んだなぁ。まんず立派なこづやなぁ…。おら、太夫の禿さなりたいべ。」
「おめ、引込禿だら?」
「おめもだら?」
「おらはタヅ。おらが生まれだ時、田んぼにめんこい鶴ばおってんおどがタヅと名づげだ。まだこごにさ来だばかりで年は十になる。」
「おらはコマ。米が満足に食えるぐらい豊作になんべえがとコマとおどがづげだ。おらも同じさ年だ。」
「おら達ながよぐなれそうだっぺなあ。」
「んだんだ。だどもおタヅちゃん、そん年で相州屋さ来で引込さなるのめずらしか。」
「んだけんども、おらにもなじょしてかよぐ分がらねんだ。」
「おら達は引込禿だげ、けっぱれば引込新造ばなってゆくゆくは太夫さなれるば?」
「しったらあげなしっごか道中もでけるようになるかも知れんなあ。」
「んだ。だがらしっごくけっぱらねばならんなあ。だどもおら郷の言葉どうしても抜けんでお登喜おばさんにいっつもごしゃがられとるだ。廓言葉がようけ身に付かん。」
「お登喜おばさん、おごっだらまんずおっかないべなあ。」
「んだなあ~。」
「しったげ難しいもんだもんなあ。」
「んだんだ。」
「んだども廓言葉ば喋れる様にならねばなんねべ。」
「んだなあ。」
吉原の道中の際には女子供問わず見物客も多かった。
他にも桜の季節にはわざわざ桜の木を移植して花見見物の為に大門を解放し、男客だけでなく普段は入れない女子供なども入れたりもしていた。
遊女の文化は江戸の女性文化の先駆けでもあり、吉原はさながら現代のアミューズメントパークの様でもあったのだ。
吉原の生業を保つ為には並々ならぬ知恵と労力が必要だった。
岡場所などのただ女の性を売る場所とは違い、高い文化と遊女の心意気、客と遊女との駆け引きの面白さ、それらを含めた幕府から認められた唯一の社交場。
それが吉原の誇りだった。
道中が終わりタヅとコマは相州屋に帰ってきた。
夜見世と昼見世の時間は禿は滅多に張り見世には姿を見せないので、二人は見世の裏手に回った。
戸口の所では数人の禿達が集まって遊んでいた。
二人の姿を見るとその内の一人がタヅに声をかけた。
「あんた、もう十過ぎてんのに引込禿になったんだってね。」
「んだ、だどもおらにもワゲわがんねだ。」
「やだ!こいつまだ郷の言葉喋ってんでありんす!」
「アハハ、田舎モン!」
「しがだないべ!おタヅちゃんばまだ吉原に来で間もないだげに!あんだだっで元は田舎モンだど!」
「おコマ、あんたこそ引込禿になってもう長いのにまだ郷言葉喋ってておかしいでありんす!お内儀さんに言ってやりんしょう!」
「エェ、言ってやりんしょう!おコマやおタヅが引込禿になるのはおかしいでありんすって!」
「そげなこづ言われでもおら達にも分がんねえだ!」
「あっち達は納得できないでありんす!」
禿達が戸口で騒いでいるのに気付いた女郎が声をかけた。
「お前達、見世の時間に騒いだら駄目だってお内儀さんにいつも言われているだろう!何をケンカしているんだい?」
「だって姐さん、おコマもおタヅも引込禿だなんてあっち達納得できないでありんす!」
「そんな事、大旦那さんとお内儀さんが決めんさったんだから、お前達がナンか言った所でどうなる事でもあるまいよ。」
「でもおかしいでありんす!」
「いい加減におしよ!」
禿達はシュンとして大人しくなってしまった。
「二人ともこっちへおいで。」
女郎はタヅとコマを呼び寄せた。
そして小声で言った。
「あの子らを許してやっておくれ。お前達は知らないだろうけど、引込禿と普通の禿じゃ毎日の食いモンも違うんだよ。お前達は白いおまんまや旨そうなオカズをたんまり食べているだろうけどあの子らはそんなモン食えやしない。白いおまんまは食えるが腹七分食えりゃ良い方だ。オカズも惨めな添え物程度が僅かばかりさ。汁はあっても野菜くずが浮いてる程度のモンだ。育ち盛りなのに可哀相なこった。最もあっちらもそうして育って来たんだけどね。」
タヅとコマは部屋に戻ってからすっかり気落ちしてしまった。
タヅは華やかな道中を見た帰りに吉原の裏の現実を知らされて複雑な気分だった。
「おら、吉原に行げば上手いモンも食えで郷の家族も満足に食えるようになるって言われで来ただ。今はその通りになったけんども、あの禿達はそうでね。きっど郷に居だ時とたいして変わらないんでねえか?」
「んだ。」
「おら達は恵まれでる方だ。」
「んだ。」
「だどもおら達がこごへ来だ時と同じ事をあの禿達も言われで連れでごられたんだったら約束が違うんでね?」
「そだな。」
「そんで引込禿さなれんのはほんのひと握りだ。だがら他のみんなは粗末な飯食ってるって事になるべ。」
「そだな。」
「だどもそげなこづで良いんだべか?」
「おらにはわがんね。おタヅちゃんに言われるまでそげなこづ考えもつがながったべや。」
その時部屋の襖がスッと開いてお内儀が入って来た。
「お前達、話は聞いていたよ。」
「お内儀さん!おら…、」
「良くお聞き、タヅ。」
「…あい。」
「おコマもお聞き。いいかい?吉原じゃみんなが同じ扱いってワケにはいかないんだよ。客からどれだけお銭を引き出せるか、それによって遊女の待遇も変わってくる。そういう世界なんだよ。お前達は将来上客を馴染みに出来るような才を見込まれているから、今から金をかけて育ててるんだ。飯も、習い事も。順当に行けばお前達は太客を付けて相州屋をもり立ててくれるようになるだろう。」
「だどん、あの禿達も郷を出る時…。」
「約束が違うって言ってたね。」
「んだ!」
「確かに、吉原で奉公すれば満足に飯が食えるって口入れ屋は言っただろうさ。だけどそれはすぐじゃない。稼げるようになってからの話さ。考えてもみな。働いて見世に利益をもたらしてこそのおまんまだ。子供にどれだけの働きが出来るかね?せいぜい女郎の小間使い程度だ。だから太らせるほどの飯なんか食わせられねえ。そういうこった。」
「んだども腹が減っだら病気になってしまう。丈夫に働くこづもまんず出来ねえだ。」
「タヅ。これだけ言い聞かしてもまだ分からないかね?お前は小賢しくて敵わないねえ。」
「おタヅちゃん、もう止めとき。」
おコマはタヅが食い下がるのを止めた。
「タヅ。この世界は這い上がってこその華なんだ。お前達の様に引込禿から始めたんじゃなくとも、たとえ腹を空かしてても立派な一人前の遊女になってやがては太夫になる娘も居るんだ。大事なのは気張る事さ。女郎の魂はそこにかかってるんだ。」
「あの禿達にも気張ればいづか腹一杯飯が食える時が来るってこづだっぺ?」
「そうそう、やっと分かったかい。お前達だって今相当気張って習い事や稽古をしてるだろう、同じ事だよ。さ、もうそろそろ太夫の夜具を整える刻限だよ。部屋に上がって準備をしておくれ。」
「あい。」
タヅは何か腑に落ちない思いがしたが、この頃のタヅにはそこまでしか考えられなかった。
タヅもコマも東北出身でこの頃にはベタベタの東北弁を話していました。
なので東北弁を少し調べてみたのですが、各地方によって微細に違いがあるようで…。
にわかなので不正確だと思います。
すみません。σ(^_^;)?
でも「いぎなし」とか「ごしょがられる」とか独特な言葉遣いが可愛らしいですね。
特に幼い少女が話していると可愛らしいです。