吉原の少女達
本編の主人公、松ノ尾は相州屋を代表する看板太夫です。
相州屋は大見世なので大勢の遊女達がいます。
ではその大勢の遊女達の中からどのようにして太夫は選ばれるのでしょう?
遊女達が吉原で働くようになった理由はそれぞれです。
しかしその多くは東北の貧しい農村から売られてきた幼い少女達でした。
松ノ尾もその中の一人です。
女衒と呼ばれる口利き屋は農家などの生活に困窮した家々を回っては、娘を花街に「奉公」に出してはどうか?と親を口説くのです。
「奉公」とは名ばかり。
金銭と引き換えの人身売買に他なりませんでした。
それでも少女達は懸命に吉原で生きて行ったのです。
では今回は松ノ尾の吉原での出発点から始めとうございます。
松ノ尾は今年で十九になる。
太夫となってまだ日も浅い。
この相州屋に売られて来て九年、始めは自分は十を過ぎたばかりの子供だから客を取れる様になるまで下働きなどをさせられるのだろうと思っていたが、意外にも店の主に命じられたのは音曲や踊りの稽古だった。
その頃の幼名は親のつけたタヅといった。
タヅの生まれた家は貧しい農家だった。
しかしタヅは元より利発なたちで唄を歌ったり人前で物申すのを厭わぬ度胸がある娘だった。
生来健康な身体を持ち正直で明るく、親の言いつけを良く守り畑仕事や家の手伝いも嫌がらず自ら進んで行うような娘だった。
そして何よりまだ幼いながらも色白の肌にどこか品の好さを感じさせる整った顔立ちをしていた。
相手を真っ直ぐに見つめる瞳に裏表のない真っ正直な好ましい性質がかい間見えた。
そんなタヅが女衒に連れられて初めて相州屋に来た時の事である。
その絢爛豪華な廓のきらびやかさに今までひなびた貧しい田舎しか知らなかったタヅは言葉を失い手足が小刻みに震えたのをよく覚えている。
世の中にこんなに豪勢な美しい場所があったのか。
今まで自分が住んでいた田舎のあばら家とは雲泥の差だ。
「年頃になったら客を取る」という言葉を理解していてもその具体的な意味を身体験として理解していなかったタヅは、貧しく埃にまみれた小汚い田舎の郷には帰りたくないとその時子供心に思った。
しかしその絢爛豪華さとは裏腹に、妓楼で生活をする遊女達の表情にも目を奪われた。
その無表情な生気のない顔をタヅは忘れる事が出来なかった。
そしてこれから先、その無表情な顔を自らもするようになるとはその時は夢にも思っていなかったのだった。
次の日からタヅは廓言葉の練習から始まり、音曲の稽古、唄や踊りに加えて華道、茶道、書道、古史や漢史、詩歌や墨絵などの習い事をこなさなければならなかった。
毎日通いで相州屋にやって来るそれぞれの師に様々な知識や技能を教え込まれ、それは目が回るほどに忙しかった。
「おら、当分は下働ぎさする為に売られでぎだんではながったんだっぺが?なんでこげに毎日せわしなぐしなわがんのげ?」
タヅは素朴にそう思っていた。
妓楼で生活する少女達はやや年長の下働きをする者と禿と呼ばれる七つ程の年少者がいた。
禿の仕事は主に遊女達の身の回りの世話だった。
しかし禿の中でも下働きや遊女達の世話はせず、タヅの様に習い事を仕込まれる禿は引込禿と呼ばれていた。
引込禿とは将来の太夫候補に見込まれた少女の事である。
引込と呼ばれるのは習い事をさせる為に主の部屋に引き込んで生活をさせていた為であった。
女衒が親との話し合いで七つかそこいらの幼女を買って来るのは、遊女の小間使いをさせる為に、まだ幼くとも既に妓楼のしきたりを覚えさせるのに適した年齢に達していたからだった。
しかし他の大きな目的は引込禿として教育する価値があるかどうか、つまり将来の高級遊女としての見込みがあるかを見定める為には、幼い頃からのある程度の期間が必要だったからだ。
なので引込禿候補と見込まれた少女達はまだ七つか八つから習い事を始めるが、タヅが売られて来た相州屋でも引込禿として修練を積む幼女は、皆七つか八つばかりだった。
その中で十を過ぎていたのはタヅだけだった。
ある時、下働きとして売られてきた十二、三才の少女達を指しながら、引込禿達を前に老たけた遣手婆は言った。
「あの娘達はね、あと数年もしたら客を取るんだよ。だけどあんた達はね、これからまだまだ修行を積んでやがては振袖新造※1になって、行く末は立派な太夫になりこの相州屋を益々栄えさせておくれ。」
「あい、お登喜おばさん。」
妓楼に売られて来た少女達は遊女や禿達を管理する遣手婆の言いつけを母親の言う事の様に素直に聞いた。
遣手婆とは遊女達のマネージャー的な役割りをする年増の女の事である。
年季が終わっても行くあてのない遊女が見世に留まって、今度は遊女達の管理をする側の番頭新造となる場合があった。
もちろんそれはそういった能力がある者に限られていたが、その番頭新造が年をとってやがては遣手婆と呼ばれるようになるのである。
遣手婆は遊女達からは『おばさん』と呼ばれて煙たがられていたが、相州屋ではお登喜おばさんと呼ばれていた。
登喜というのは遊女として相州屋で働いていた時に名乗っていた名である。
タヅは不思議でならなかった。
「お登喜おばさん、おら十もとっぐに過ぎでっがらてっぎり下働ぎさする為にこごさ連れでこられたんだと思っとったんだけんども、違っとったのげなぁ?」
「タヅ!郷の言葉がまだ抜けてないね。早くお直しよ!」
「あい。すんません。」
「お前、平三から何も聞かされてないんだね。」
平三とはタヅを田舎から連れて来た女衒の事である。
「お前はね、並の女郎にする為に買われてきた娘じゃないんだよ。女郎にする為に娘が必要ならすぐにでも客が取れる年の娘じゃなきゃ駄目さ。お前の親にもそれだけの金を払ってるんだからね。それをお前の様な子供に下働きをさせる為に大金を積んだと思うかい?」
「あい。」
「平三はああ見えて将来ものになる玉かどうか見極める目は確かなんだ。その平三がお前を見込んでここへ連れて来たんだよ。だからお前は精進して振袖新造になってゆくゆくはこの相州屋を背負って立つ太夫になって貰わないと困るんだ。分かったかい?」
「あい。」
タヅは大人しく頷いた。
しかしある時、長唄を教える師匠の後に従って三味線を弾いている時だった。
廊下を濡れ雑巾で懸命に磨いているタヅより二つ三つ年上の下働きの少女がいた。
タヅはその少女が気になって稽古に集中する事が出来なかった。
その少女は寒い冬のさなかにも関わらず薄い綿の古びた小袖一枚しか着ておらずしかも裸足だった。
たすき掛けをし着物の裾を帯にたくし上げているので両手両足を寒風にさらしている。
更に汚れた雑巾を冷たい水の入った桶に入れて何度も洗うので、手が霜焼けになり指先が血が滲み出ているかの様に真っ赤だった。
その少女に対して年下の自分は畳敷の部屋に居り温かい綿入れを着て足袋を履きおまけに厚い座布団まで敷いている。
部屋には火鉢があり手先が冷えたら暖を取る事も出来る。
何という境遇の差だろう!
「お待ち!」
師匠がタヅの弾く三味線を止めた。
「どうもお前さんはあの下働きが気になって仕方がないようだね。」
「あい、えらいすんません。」
「障子を閉めておしまい。」
タヅは立ち上がって障子を閉めた。
少女の姿は見えなくなった。
師匠は煙管を火鉢の火につけて話し始めた。
「あの下働きが気の毒なんだろう?あんたは優しい娘だねぇ。あんたの三味と長唄にもそれが表れているよ。でもねぇ、人には与えられた分というものがあるんだよ。あんたは今は戸惑う事が多いかも知れない。でも行く末はあんたがこの相州屋を背負って立つ様になるやも知れん。ましてやあんたの両肩にこの相州屋の命運がかかる事が起きるかも知れないんだよ。そん時ゃあんたを哀れに思う者も居るだろうさ。だからねあんたもあの娘も同じなのさ。この苦界に堕ちた者にゃ安楽なんてもんはだぁれにも訪れやしない。どんな境遇でもいずれはみんな命懸けさ。」
煙管を燻らせながら最後は呟くように話す師匠もかつてはこの吉原で遊女だった女だ。
若い命を落とす事もなく年季が明けるまで勤めあげた数少ない遊女の一人だった。
しかしようやく吉原大門をくぐって外に出る事が出来たにも関わらず、一旦田舎に帰った時には体裁を気にした郷の肉親から家に入る事を拒まれ、縁まで切られてしまった哀しい過去を持っていた。
遊女をしていた頃、客の児を孕んでしまい、児下ろしの薬を飲まされたせいで子供が産めない身体にもなってしまった。
白粉の影響で臓の腑も痛めたが何とか一命を取りとめやっと年季を終える事が出来た生命力の強い女である。
遊女達は年季が明けても他に身を立てる術を持たなかったが為に、より下層の女郎に身を堕として暮らす者も多かった。
しかしこの師匠は、長唄を得意とし三味線の腕も確かだったので再び江戸に戻って来てからは、こうして吉原で若い遊女達に三味線を教えたり、町の裕福なお内儀さん達にも長唄や三味線を教え、それを生業にして下町の長屋で暮らす事ができた。
今では廓言葉もすっかり消えて落ち着いた生活を送っている。
吉原で年季を終えた遊女の中でも幸せな余生を送れた数少ない女の一例かも知れない。
※1 振袖新造とは引込禿の期間を終えた十三~十五才位の少女達の事を呼びます。先輩太夫に付き本格的に太夫としての遊女の仕事を習います。遊女達に付き添い客の酒宴の場にも同席します。基本的にはまだ客は取りません。
今回はここまでにしたいと思いやんす。
郷から売られてきた幼い少女達の妓楼での生活の始まり方を解って貰えたでありんすか?
幼い内からそれはもう大変な有り様でありんした。
次回へつづく
ではまた来ておくんなまし。
松ノ尾が東北出身である事から、にわかですが東北弁を少し勉強しました。σ(^_^;)?
しかし東北弁にも各地方、色々な言い回しがあるようで、そこまでは追及出来ませんでした。
でも東北弁の響きは何だか可愛らしいですね。
吉原に売られてきた幼い少女達はまだ物の道理も理解しない内に選別され、労働や教育を強いられました。
ただひとえに田舎の家族の為にと…。
そう思うと健気で切ないですね。
きっと幼女達には「身体を売る」という意味がどういう事なのか全く解っていなかったでしょう。
怖い「おあ姐さん」達に厳しくも為になる指導を受けながら、やがて遊女となって行ったのです。




