春乃太夫の命をかけた恋 その五『逡巡の春』
相州屋の大旦那が会所にやって来て春乃太夫と銀次の間柄を話しにきました。
会所の判断はどうなるのでしょう?
一方で相州屋の大旦那が春乃太夫のけじめの為に千両の見請け話を受けた事を他の見世の主人達は面白く思っていない様子です…。
相州屋の大旦那が会所の奥座敷に入ってからしばらくして、銀次が中に入るよう呼ばれた。
その瞬間、銀次は自分と春乃太夫との仲が知られてしまったのだと悟った。
緊張した面持ちで銀次が座敷に入ると、会所の頭も相州屋の大旦那も渋い顔をしていた。
「銀次、そこへ座れ。」
「へい。」
「今相州屋の大旦那から事情を聞いた所だ。お前ぇ春乃太夫と本気の情の間柄だそうだな。」
「へい。」
「いつからか?お前からか?」
「へい。お幸の振袖新造の突き出しの道中の時においらが一目惚れして文を渡しやした。」
「しかし春乃太夫と二人で会う事も出来まいに、お前ぇも文の相交わしだけで本気の情になっちまう若造の歳でもないだろう。」
「それが…、先々代の会所頭の送別の夜に酔った勢いでみんなで相州屋になだれ込んだ時に、まだ振袖新造だったお幸と初めて二人で一つ床に入りやした…。」
「何だって?春乃は引込新造だったんだぞ。確か突き出しはしたが事情があって水揚げもまだだったはず…。なんてこった。」
「すまねぇ、相州屋の。今回の事は全面的に会所の不手際だ。春乃太夫の処置は寛大な目で見てやってくれ。」
「春乃にはもう今回のけじめを言い渡してありやす。」
「銀次、それでお前ぇは春乃太夫とどんな内容の文の遣り取りをしていたんだ?」
「…将来は夫婦になろうと…。」
「そりゃ、お前ぇ土台無理な話しだろう?」
「重々分かっていやす。でもあっしらは本気でやした。無理だと分かっていても…。相州屋の旦那、お幸に言い渡したけじめってのはどんなモンなんですかい?」
「添島様の御隠居の身請けを受けて貰う。」
「お幸が身請け…!」
「添島様の御隠居といやあ、どの遊女も嫌がる横柄なお人柄じゃないですかい。」
会所の頭は驚いて言った。
「仕方ない、御隠居は一刻も早く身請けの太夫を寄越せと近頃じゃあっしらに目くじら立てる始末なんでさぁ。こちとらも春乃をやるのは遠慮したい所なんでやんすが、ウチの女郎達が今回の事で春乃に納得出来ねぇと容赦ない様子なんでね。」
銀次はかねてから考えていた春乃太夫との夫婦約束に、思わぬ偶然が起き期せずして望みに近付いた、と内心驚いていた。
しかし銀次は春乃太夫の身請けの相手が粗暴な性格の添島様の御隠居であった事には不安を覚えた。
「そうですかい。分かりやした。そちらさんがそこまで手筈を打ってくれたんじゃこちらとしても何もせずこのままという訳にもいきやせん。銀次、お前ぇにも騒ぎを治める為に身の始末を付けてもらなきゃならねぇ。」
「へい、分かっていやす。あっしは今日限り会所を去らせて頂きやす。」
「ああ。」
「今まで世話になり、ありがとうございやした。」
こうして銀次は会所を辞め吉原を去る事になった。
その話は春乃太夫の耳にも届いた。
ふじ枝とかえではまた文遣いをするのではないかとお内儀に警戒され、春乃太夫の禿から外されてそれぞれ他の太夫の禿になっていた。
その為、春乃太夫は孤立無援の状態だった。
「あのお人がこんな形で会所を辞める事になるなんて…。あちきが太夫であったばっかりに。いいえ、あちきが遊女でなかったら…。」
春乃太夫は銀次に対してすまない気持ちで一杯になり涙に暮れた。
会所を辞めてからの銀次の行方は杳として知れないが、これから春乃太夫の身請け先でかねてからの夫婦約束を実行するのか?
横暴な添島様の御隠居の元でそんな事が出来るのか?
春乃太夫は心の支えを失い胸の内は不安で押し潰されそうだった。
銀次とはもう文の遣り取りも出来ず、誰にも相談も出来ない。
それに見世の誰も春乃太夫の味方にはなってくれない。
しかも銀次は吉原を出た今、新しい仕事に就き心機一転良い女房を貰う気になってしまったのかも知れない。
(でもそれも仕方ないで事でありんす。あちきは添島様の御隠居の囲い者として生きて行くしかないんでありんすから。)
春乃太夫はたった一人で心許なく運命に流されて行くしかなかった。
春乃太夫の身請けの話しは他の見世の店主達にも影響を与えていた。
「相州屋はやる事があざといねぇ。添島様の御隠居の身請け話しを千両で請け負ったと。」
「それも会所の男と本気の情を交わした太夫の見せしめだと。見世へのけじめにもなるわ千両は手に入るわで、痛いところ無しでコトを治めようたぁ、相州屋は忘八の鏡みたいな奴だ。」
「まったくだ。」
「面白くねぇなぁ。こういう事は公平でないといけねぇよなぁ。」
「添島様の御隠居の身請けはどこの見世の太夫も嫌がって断っていたし、見世としても暴君みたいな輩に大切に育てた太夫をたった五百両で身請けなんざ、はいそうですかと快く受けられるモンでもねぇ。おいら達がみんな遠慮していたものをあの因業ジジイが千両に身請け金を上げた途端に今度の騒動さ。全く要領が良いたぁこういうコトだね。」
「ところで添島様の御隠居は春乃太夫の本気の情人の事を知っているのかい?」
「知るわきゃねぇだろう。知っていたらあの御隠居が尊厳を汚される様な身請け話しを納得するワケがねぇ。」
「知らしたらどうなるんだろうなぁ…。」
「何考えているんだ、お前ぇ。」
「いや、物事は公平でないといけねぇって事さ。」
この腹に一物持ったとある見世の店主はかねてから相州屋と張り合う間柄だった。
中見世ではあったが常に大見世に負けない勢いがあった。
遊女も品良く美しい者達を集めていた。
実は相州屋の留袖新造の中にこの中見世の店主と懇ろになっている遊女が居た。
その新造は待遇の面からも相州屋からそっちの見世に移りたいと常々思っていたのだ。
そして今回の春乃太夫の一件を利用する事が出来ないかと密かに考えていたのである。
中見世の店主はその遊女に言った。
「お前ぇ、春乃太夫を見張ってろ。添島様の御隠居の身請け話しをぶち壊してやる。何か尻尾を掴む事があれば直ぐさま俺に教えるんだ。」
「あいよ。その代わり、あちきが上手くやったらあんたの見世でうんと出世させてくれるんだろうね。」
「ああ、もちろんだ。約束通りにな。」
こんな風にしてこの留袖新造は密偵として相州屋で働いていたのである。
相州屋では留袖新造から上の地位に出世するのは非常に難しい。
それは相州屋の遊女達の水準が高い為だった。
だが中見世に移ればもっと簡単に出世出来るだろう。
遊女達もただ見世に置かれているだけでなく、自ら出世を考えくら替えを実行する者もいたのだ。
春乃太夫の身請け話が決まってから添島様の御隠居は相州屋に更に足しげく通うようになった。
身請けが決まったとなれば春乃太夫はもう御隠居の所有物になったようなものだ。
相州屋に来ても相変わらずの横柄さであったが、春乃太夫はしおらしく言うなりになるしかなかった。
添島様の御隠居は一日も早く春乃太夫を引き取って江戸の町の別宅に住まわせたいと思っていたが、当人がやはりどうにも気が進まず延び延びになっていた。
「まだ日取りを決められないのか!」
添島様の御隠居は苛立って春乃太夫を責め立てた。
「奥方様の手前、あちきが意気揚々とぬしの所にはよういきんせんものを…。」
「妻のことなど気にせんでも良い!別宅に住まわせるのだ!お前と顔を合わせる事もないだろう。」
「そういう事ではありんせん。奥方様のお気持ちを考えるとあちきは…。」
「お前の気持ちも妻の気持ちもどうでもよい!千両も出してわしがそうしろと言っているんだ!早く決めんか!」
御隠居はそう怒鳴って杯を春乃太夫に突き付けて酒を注ぐように指図した。
春乃太夫は押し黙って杯に酒を注いだ。
それからかえでとふじ枝がようやっと春乃太夫に会えたのは文遣いがバレてひと月も経ってからだった。
昼見世と夜見世の間の短い時間に二人は時間を合わせて春乃太夫の部屋に行った。
「春乃太夫!すんませんでした。」
「ほんに、すんませんでした!」
二人は畳の上に鼻を擦り付けるようにして頭を下げて謝った。
「お前達が謝る事はないんでありんすよ。あちきこそ、文遣いなど頼んで申し訳ない事をしたと思っていやんす。」
「春乃太夫!」
二人は涙を浮かべて春乃太夫を見た。
すると春乃太夫も目を涙で真っ赤に腫らしていた。
二人は銀次が吉原を去って行った事、春乃太夫が添島様の御隠居の身請け話を受けた事を廓の皆の噂話で聞いていた。
ひと月の間、いてもたってもいられず早く春乃太夫に会いたいと思っていたが、お内儀から止められていたのだ。
それは春乃太夫の気持ちが固まるまでは、内情を知りすぎた二人と会わせない方が良いという判断の元だった。
しかし二人は身請け後の駆け落ちの秘密を知っている。
それは見世の人間は誰も知らない。
「春乃太夫、あの事…。」
かえでが言葉に詰まった。
「あの話の事でやんす!」
ふじ枝が思いきって言った。
春乃太夫は泣き腫らした目で言った。
「あの事…。あちきはね…、思い通りに上手く行くとは思えないんでありんす…。」
障子の外では他の遊女達が聞き耳を立てて三人の話を盗み聞きしている。
「しっ!姐さん、廊下で人が聞いていやんす。」
かえでがすぐに気が付いて春乃太夫の言葉を遮った。
春乃太夫はゆっくり頷いて言った。
「大恩ある相州屋を出て大門をくぐっても、あちきの運命はもうここから離れる事はないのでありんしょう。」
「あっちらは姐さんに幸せになって欲しいんでやんす。」
二人は言った。
「あちきが居なくなったら相州屋をよろしく頼むよ。お前達が将来立派な太夫になって相州屋を盛り立てておくれ。」
「おあ姐さぁん!」
その言葉に二人は涙と鼻水をごっちゃにして春乃太夫にしがみついて泣いた。
「あっちらはいつまでも姐さんの幸せを願っておりやんす!」
「ありがとう、二人供。」
そんなある日、春乃太夫は太夫に仕えていた振袖新造から思いがけない物を受け取った。
それは吉原を去った銀次からの長い文だった。
その文は『江戸の町である程度の金を稼いだ。助けになってくれる人もいる。かねてからの約束通り身請けが済んだら迎えに行くから待っていて欲しい。』という内容だった。
春乃太夫は銀次との事はすっかり諦めていただけに喜びと共に恐怖心も覚えた。
添島様の御隠居はかなり嫉妬深い性格である事も分かって来たので、もし駆け落ちが発覚したらどんな目に遭うかも分からない。
それに相手は元は武家である。
力も権力もあり、刀も持っている。
吉原では番所で刀は預かるが、江戸の町ではそのような事はない。
もし二人で逃げ出す所を見つかったらその場で殺されても不思議はないのだ。
駆け落ちなど上手く行くのだろうか?
銀次からの嬉しい文だったが春乃太夫は不安を感じずにはいられなかった。
「どうしたんだい?やけにふさいでるじゃないか。」
「番新さん。」
「お前も色々あったけど、昔の事は忘れてこれからは御隠居様の所でのんびり暮らすがいいよ。もう他の男に体を売らなくても良くなるんだ。この地獄のような吉原で一生を終わる遊女がほとんどなんだから、恵まれていると思わなきゃバチが当たるよ。」
「そうではありんすが…。」
「気が進まないのかい?確かに添島様の御隠居は短慮なお方で本妻も居なさるけど、お前はあくまでも囲い者になるんだから四六時中一緒にいるワケじゃなし、別宅に来た時にだけ軽くいなしておけば良いのさ。…お前それともまさかまだあの男が忘れられないのかい?」
「いえ、それは…。」
「いいかい、前の男の事は御隠居様には絶対に勘づかれないようにするんだよ。先様は何もご存知ないんだから。こっちはそれのみかじめと引き換えの身請けなんだからね。しかも千両もの大金だ。ウチの見世にも良い話なんだから。恩を返すと思って、いいね。」
「…分かりんした。」
春乃太夫は銀次から届いた文を絶対に誰にも知られてはならないと思った。
春乃太夫と銀次との本気の情が公になって、銀次は吉原を去ってしまいました。
一人孤立してしまった春乃太夫はただ流されて行くばかり…。
反対にこの混乱を利用してのし上がろうとする遊女もいます。
千々朦朧とする女と虎視眈々とする女…。
それぞれの想いが交錯して事態が進んで行きます。
そんな中、銀次からの文が春乃太夫に届いて…。
二人の行く方は…?
ところで某国営放送の「大河ドラマが高視聴率!」なんてデマをマスゴミが吹聴しているようです。
AIによると
「べらぼう」の視聴率が低迷した要因として、次のようなことが考えられています。
・タイトルに魅力がない
・脚本が視聴者に媚びすぎている
・「悲惨なシーン」や「女性の裸や男女のシーン」が多い
・ファンタジーな時代解釈
・また、子育て世代から「女郎の意味を聞かれても答えられない」といった苦言も漏れています。
…だそうです。小芝楓花さんが魅力的だとしても「嘘の情報」をマスゴミが流してはいけないと思います…。(ー_ー;)
男女の絡みを放送すれば男性の視聴率が稼げる、といった男性目線の目論見は単純過ぎます。
近頃、視聴率の数字を発表しないのも、そういった事実を覆い隠そうとする意図の現れなのでしょうか…?
…それにしてもワタシ、バリバリ意識していますね…。(^_^;)))