また会えたら、その時は穏やかに過ごしましょう
「恋」の季節がいつか終わるものだとしたら、「愛」の季節は永遠に続くものだと思っていました。
ルシアス様への気持ちは「愛」であると。それゆえに、永遠に続くものであると。
――今しがた、ルシアス様が「アネットとの婚約を解消したい」と告げるまでは。
「……すみません。仰っている意味がよく分からないのですが。私達は夫婦となる誓いを交わしたでしょう」
「……申し訳ない。手切れ金はいくらでも好きな額を言ってくれ」
ルシアス様はいつもの、耳にすっと入ってくる落ち着いた声を崩さずに言いました。しかし、手切れ金がなんだと言うのです。あっさりと婚約を解消するには、ルシアス様とは長く過ごしすぎました。
「簡単には、受け入れかねます。再考の余地は、ありませんか」
「……残念ながら。ルナーリア公爵家との縁談など、父様にとっては願ってもない話だ。水面下で、全てが進められていたらしく……もう、後戻りができないところまで来てしまったのだ」
なるほど、公爵家ともなれば男爵家から男を略奪することなど造作もないようです。
許せませんね。ルナーリア公爵家もそうですが、ルシアス様――貴方もですよ。ガツンと、男らしく拒絶してくださればよかったのに。
「抵抗は、したのですか?」
「勿論、私が愛するのはアネットしかいないと言った。しかし、父様は聞く耳を持たなかったのだ」
なるほど、これは私の早とちりだったようです。
「申し訳ありません、ルシアス様。私は、ルシアス様を疑ってしまいました」
ルシアス様は困ったように金色の柔らかい髪を耳にかけました。私が、恋をした仕草です。
「気にするな、アネット。私の力が足りなかったのだ。意味がないなら、抵抗しないのと同じこと」
「いいえ。その行いが聞けただけでよいのです。では、最後に一言。他のお方と結婚しても――」
返答を聞くのが怖い質問です。しかし、聞かねば先に進めないのです。
「ルシアス様は、私のことを想い続けてくれますか?」
ルシアス様は、私を翡翠色の美しい目で真っ直ぐ射すくめました。私が、愛をした瞳です。
「――永遠に」
誠実で、真心のこもったふんわりと優しい声。私は、彼の言葉が真実であることを確信しました。
もう、未練はありません。
ルシアス様がルナーリア公爵家とともに幸せな家庭を築こうと、それで結構。
私が彼と過ごした日々は「恋」だった。そう割り切ればよいのです。
「ありがとうございます、ルシアス様。私は婚約解消を受け入れます」
そう言って、席を立とうとした時でした。
「……アネット」
ルシアス様は、不意に私の手をとりました。何度となく握った、優しい手の感触です。
「どうかしましたか?」
「その……待っていて、くれないか」
絞り出すような、しかし小さい声でした。翡翠色の瞳は何かを決心したようにはっきりとしています。
「待つ、とは?」
「……三年。その間に、自分のことは自分で決められるだけの男になる。貞淑は守る。そして、ルナーリア家との結婚を破棄する」
「……」
なんだか、話が物騒です。なぜ急に、心変わりになられたのでしょう?
「言葉に出して、気づいた。やはり、私が永遠に愛するのはアネットしかいない。だからその……また貴方に会いに来る時まで、待っていてほしい」
ルシアス様は、深々と頭を下げました。なんと……なんという、嬉しい申し出でしょう。まるで天に舞い上がりそうな心持ちです。
「お顔を上げてください、ルシアス様」
「……アネット」
「私は、ルシアス様と一緒になるためなら何年でも、何十年でも待ちます。それが、ルシアス様を愛しているということですから」
「……ありがとう、アネット。本当に強いな、貴方は」
ルシアス様は朗らかに笑いました。思わず、胸が初めて会った頃のようにときめきました。
本当に、罪なお方です。
◇◇◇
今日がルシアス様と過ごす最後の日。いつものように、湖畔を散歩したり、お菓子を作ったりして過ごしました。それはそれは、楽しいひとときでした。
出立の時はすぐに訪れました。夕焼けが遠い空を染め上げます。覚悟していたことですが、長い別れになるということが胸をちくりと刺しました。
凛々しく仕立てのいい服に身を包んだルシアス様は、胸に手を当てて言いました。
「それでは、アネット。必ず、また会おう。約束だ」
必ず、また会いましょう。そう言うのが正解なのかもしれません。しかし、ルシアス様が挑もうとしていることは難題です。
だから、未来への願いを伝えます。それが、今の精一杯なのです。
「……また会えたら、その時は穏やかに過ごしましょう」
婚約解消も略奪もない、穏やかなひととき。
それをルシアス様と分かち合うのが、今の私の願いです。
「……アネット」
ルシアス様は両腕を広げました。その行為の意味がわかって、彼の胸に顔をうずめます。
長い長い、温かい抱擁でした。
私は、改めて気づきました。
私はルシアス様を、愛しているのだと。
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