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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アッコ叔母さん

アッコ叔母さん



 「死は対岸の火事にあるものでなく、日常の一部に存在するものなのである」といった旨の、高校生の頃に読んだ小説の一節を、突如おもいだした。文学青年でもないのに、退屈で仕方がないので、文章を綴らなければ、ひたすら自身の肉棒を右手の親指、人差し指、中指を活用し摘んだまま、上下に動かすことで刺激を与えるぐらいしかやることがないので、とある女性の生きた証をどこかに残しておくぐらいはしておきたいと思い、ここに書き記すのである。つまり、どういう状況かといえば、人はこうやって死ぬのだろうという状況に、和久田未来わくたみらいは直面していた。

  それはいつも通り、都内のオフィス街に存在する勤務先へ向かう途中、電車乗り換えのために、長い階段を登っており、その階段の長さは、体力の無い人間であれば息切れしそうな長さではあるものの、体育会系出身の、病院の問診票でよくみられる、週に3日以上(4日以上かもしれない)運動をしていますか、という項目についていえば、「はい」に何の迷いもなく◯をつけるような闊達な男児であれば、何も感じないだろうというぐらいの長さだった。その程度な階段の踊り場まで到着したとき、和久田は突然、目の前が真っ白になった。呼吸が極端に苦しくなり、もしかして今日が命日かもしれない、というアイデアが浮かんだ。

 かつて、新型コロナウィルスのワクチンを接種しに、某理系大学のキャンパス内に入り、受付を済まそうとした折、受付の、学生アルバイトと思しき若い女性に「先生ですか?」と問い合わせを受けたことがあり、白衣を身に纏えば、どうやらボクは医者に見えなくもないらしいが、あいにく医学部は卒業しておらず、病気には明るくないため、心筋梗塞なのか、熱中症なのか、判断の難しいところだが、かつても罹った経験があることを鑑みれば、おそらくは、肺塞栓症だった。つまりは、何等かの原因により(おそらくは、持病である糖尿病が大きく関係してるとは思われるが)、血液がドロドロ状態となり、左脚もしくは右脚静脈に出来た、血の塊である意味合いをもつ血栓なる物質が血管を通り、肺のところまで辿り着き、血管を圧迫、呼吸困難になっているかと思われる。

 このとき和久田は、いよいよ死ぬことが出来るぞと、喜びの気持ち、つまり、従来の意思表示ができない優柔不断な性格により、所属している組織を辞めたくても辞めることができなかったり、日本国政府により提示された老後2000万円必要問題、いまではさらに膨れ上がり、4000万円を自助努力にて貯めよという、大きな政府による弱者救済についていえば匙を投げた宣告に対して従順であることができず、それはどういうことかと言うと、いわゆる、コンセプトカフェなる、女性が男性を喜ばせるサービスの新しい形の顧客となったことで、コンカフェとは正味、キャバクラやガールズバーと内容的には実質あまり変わらず、せいぜい、キャストがメイドカフェのメイドさんのような衣装を身に纏っている点ぐらいしか、サービス名を区別するにあたっての相違点が見当たらないが、とにかくそのサービスを享受することによって、手取り収入の大半をつぎ込むという、治らない浪費癖を持ってしては、老後に対しての準備が不能なことだったり、また、この和久田なる男、異性からは決して魅力的に映らず、容姿端麗で、かつ、とある箇所についていえば、感度が良好な大学に通う女学生の、その、とある箇所を、指で撫でたり、舌で舐めることにより、まるで、彼女が楽器を演奏するかのような音色を奏でる様子をうっとりと聴き、眺めるといった芸術鑑賞を楽しむこともできず、更には、生来の怠惰さにより、欲望が可能になるための、相応の努力もしない、などといった諸問題により、絶望的な状況に陥っていたものの、「死」によって、「とうとうこの窮地から解放されるときがきたぞ!」という気持ちに満たされたと同時に、ふと、とある女性の顔が浮かんだ。

 とある女性とは、高校生時代に恋をしていた天真爛漫な、部活動において1学年下の交換であったMのことではなかった。つまりその女性とは、母親の姉であるアッコ叔母さんのことである。アッコ叔母さんは天涯を母方の祖父母の実家内で過ごし、パートナーもおらず、就労もせぬまま、和久田が幼少時代に絶命した。そんなアッコ叔母さんと同様に、空虚な死を迎えてしまうのかと考えると、このまま我が人生を終えてしまうことに対して、抵抗したい感情が芽生え始め、時間が経つにつれ、むしろその感情は、死への喜びよりも、むしろ優勢となってきた。

「このまま可愛い女子大生とセックスの一つも出来ずに死んでいくかとおもうと全てが無意味に感じる」

 大学生時代に友人が一人もいなかった和久田はよく、インターネット上の匿名掲示板にこの文言を狂ったように、頻繁に書き込んでいた。それがこのままでは現実のものとなってしまう。それはちょっと、避けたいのであった。

 アッコ叔母さんとの、子どもの頃から記憶が走馬灯のように蘇ってきた。

 ・・・幼い頃、横浜市南部、廃藩置県以前では旧鎌倉郡と呼ばれていた地域で、急勾配な坂の多いエリア、つまり、一般的にいって横浜市といえば港町、中華街を連想される読者諸氏も多いかと推察されるが、そうでなく、真の横浜市民が思い浮かべることのできるような、横浜市内の閑静な住宅街に居を構えていた実家は、母方の祖父母が所有している土地に存在する貸物件の一室にあり、その土地の内部には、祖父母の屋敷や、野菜畑、お墓、竹藪、駐車場、貸家、アパート(ここに我が一家は住まわせてもらっていたようであったし、そもそも現在も、その土地内の畑であった箇所を利用させていただき、一軒家を構えているといった塩梅である)、謎の祠(かつて防空壕として機能していたのだろうか、最奥部には、謎の文字が刻まれていたような記憶がある)、稲荷神社、そして、その稲荷神社を守るようにして地中から生えている桜の巨木(高さは体感で20~30メートルほどだったろうか)などが存在し、敷地内だけでもテーマパークのように感じられたのであった。

 和久田の一家は最初、貸家に住んでおり、祖父母家の屋敷へは目と鼻の先であり、そのあと、同じく敷地内の部屋が3部屋にリビングルーム、キッチンと存在するアパートに住んでいた。貸家に住んでいたのは幼稚園児ぐらいまでと記憶しており、そして頻繁に和久田は、祖父母の屋敷に遊びにいっていた。古風な造りの二階建で、一階には洋室や和室、それに住民で団欒をおこなるスペースも存在していた。洋室にはおそらく本物ではないのだろうが、モナリザの絵画が飾ってあり、また、和室の奥には、立派に見える鷲の剥製が置いてあった。離れの小屋も存在し、そこは食堂として機能しており、たまに、母方の祖母が料理を振る舞ってくれた。祖母や料理を振る舞う折には、「バァちゃんの料理はおいしいよぉ!!」などと、自信満々に宣言してから、料理を開始し、カレーなどを振る舞ってくれていた記憶がある。カレーの色は、茶色というよりは黄土色という表現の方が近く、辛さは全くなく、味はおいしかった。

 とにかくそんな屋敷を訪問すると、大抵は、アッコ叔母さんが出迎えてくれていた。彼女は平日であろうと、休日であろうと、必ず家にいた。

 まず、入口のドアを開けると、ボクは開口一番、「アッコ!きたよ!!」とまるで召使いのように彼女を呼び出し、ほぼ必ず、「はぁい」といってアッコ叔母さんが姿を見せてくれていた。そして、お邪魔をしたところで何を行っていたのであるかといえば、この和久田未来は。幼少期の記憶を遡ったところ、先述の、鷲の剥製が置いてある目の前の畳に居座っていた。そうすると、アッコ叔母さんは、どこからとも無く、50体ほどのウルトラマン怪獣ソフビ人形や、積み木を運んで、目の前に差し出してくれた(割とこの頃から、ボクが自分では何もしない、できない人間になる未来は約束されてしまっていたのではないかなどと振り返る)。次に行うことといえば、なぜかこのボクは、積み木をひたすら組み立て続けるか、ウルトラマン怪獣をまるでキャンプファイヤーのように、輪っかに整列させたかとおもうと、バラバラに倒し、また、輪っかに並べるのを、延々と自宅に戻るまでの間、繰り返していた、端的にいって、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の幼少時代の特徴、繰り返し儀式的な動作を好むを実践していたというわけであった。その間、アッコ叔母さんは、近くにいてくれており、なにかコメントを入れてくれていたのか、静かに見守ってくれていたのだとおもうが、実をいうと、記憶があまり定かでない。およそ会話と呼べるような言葉のやりとりは何一つしていなかったと思える。たしか当時、年齢は30台中盤で、2024年時点のボクよりも年下であったが、腰が曲っており、脚が悪いのか、歩き方がどことなくぎこちなく、ロボットのようで、歩くたびに腰がかくんかくんと曲っていた、

 つまり、アッコ叔母さんは、現代風に言えば、15~34歳の非労働力(仕事をしていない、また失業者としての求職活動をしていない者)のうち、主に通学でも、主に家事でもない独身者、端的に表現すれば間違いなくニートなのだが、そのような言葉が、社会学者なのか別の研究を行っている学者から発明された以前から、はたらかない存在であり、物心付く前から接していたこともあり、特に、はたらいておらず、パートナーもおらず、祖父母の実家で暮らしており、たまに、祖母に頼まれて近所のスーパーに買い出しにいき、ネコに餌をやる暮らしをしていたことに関して、ボクが疑問を抱いたことはなかった。いつの日か、和久田未来のママンからこんなことを聞いた記憶がある。「アッコ叔母さんはね、働きすぎて、頭がクルクルパーになってしまったのよ。だから、いまあんな状態だけど、それは仕方の無いことなの」

 そんな幼少期の、平穏な生活が続いていたある日のことである。またしても祖父母実家の鷲の剥製が置いてある畳の前に、アッコ叔母さんと座していたボクであったが、この日、目の前にあったのは、ブロック積み木や、ウルトラマン怪獣のソフビ人形でなかった。ちなみにボクはウルトラマンよりも怪獣の方が好きで、このときから、あたかも人類の敵であるかのように扱われる未来は決まっていたのかと振り返ることができるが、当日目の前にアッコ叔母さんが持ってきてくれたのは、木箱の中に折りたたまれた、鯉のぼりの鯉だった。生地は非常になめらかで、シルクのようにも思えたが、5~6匹分、木箱にしまってあり、祖父母家の庭内に吊るす準備に、数日後取り掛かろうとしているようで、準備前の鯉を、事前に、お披露目してくれたのだった。ボクは、いてもたってもいられず、アッコ叔母さんに許可もとらず、それに対してたしなめられることもなく、1匹の鯉を畳一面に広げ、そうして、口のところを広げ、中に潜った。とにかくこの頃から、幼稚園内の土管に潜ったり、某テレビゲームの主人公のように、狭いところに潜るのが好きだった和久田は、鯉の口腔内を行ったり来たりして、また口から飛び出、次に、アッコ叔母さんも潜ってみるように、要求を行った。彼女はなぜだか嬉しそうに、体をうつ伏せにし、匍匐前進をするかのように、頭から、鯉のぼりの口腔内へ入り込むと、そのまま静止してしまった。「アッコ!どうしたの!!」和久田の問いかけにも応じず、静止を続ける彼女の様子におかしさを覚え、離れにいる祖母を呼びにいった。

「あら、ミーちゃん、なにがあったのかね」

「バアちゃん、アッコがね、動かなくなってしまったの。こっちにきて!!」

「アッコ?放っておけばいいのだよ」

 などと祖母は吐き捨てるように独りごちたあと、二人で離れから畳部屋に移動すると、やはり動かないままであった。その後の展開について、記憶が曖昧であったが、アッコ叔母さんは、死んでいたのである。

 ・・・当時のことを思い出しつつ、呼吸が乱れた和久田は、階段の踊り場の、次の階段が始まる手前、左側に自販機が設置しており、その、コインを入れるあたりに左手を置き、しばらく静止していると、眼の前が真っ白な状態は回復し、次の階段を上りさえしなければ、まだ生存はできそうだった。つまり和久田は、踊り場の上り階段反対側、改札口の左手スペースに腰掛けている駅員さんに、救急車を呼んでもらうことにし、大病院に入院をしたが、その晩に様態が急変し、アッコ叔母さんと同様に、天に召されてしまった。いや、天に召されて「しまった」、という表現よりも、天に召されて嬉しかったという方が正確なのだろうか。病院近くの公園では、子どもたちが元気そうに遊んでいた。

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