第1話 カルダモンの実
少し暑い空気の乾燥した昼下がり。太陽が照る空の下に、少女と少年が二人。
海に浮かぶ離島。ここは、航空機の窓から見るとぽつりと1つの包み太鼓が浮かぶかのように見える。 左右ほぼ対照的な形をした小さな島。
夏季にはスコールのような雨が一気に降り注ぐこともあるけれど、それは一時的で一気に降った後はからっと乾いた青空が太陽とともに現れ、注ぐ雨をなかったことかのように乾かし、ぬかるんだ大地を再び荒地へと返す。
少女の名前はカッパー。オレンジがかった茶色い髪で細い腕に細い足。細いのは手足だけ。体型はというとよく見ると出るところは出ている。グラビアアイドルをミニチュアに縮小したような体型。子どもっぽさといえば、丸くて黒く潤んだ瞳。そしてその上をカーブで描くのは下がり気味の眉毛。よく変わる表情は、興味深いものがないかを常に探しているかのようで、少し危なっかしさを醸し出している。背丈は、となりにいる少年よりも少し高い。
少年の名前はチェシャ。すっと締まったやや逆三角形の輪郭。切れ長の涼しげな目元は、どちらかといえばマッチョな身体つきをスリムに見せかけている。
薄くてちょっと長めの髪。ちょっと茶色いのは元から色素が薄いからで、自然なもの。長くて細い、美しい指をした手。
柔らかい雰囲気の少女と、少し骨太な印象の少年。
二人が立つ場所には、乾いた大地が広がる。
少年は、走る一台のトラックを呼び止め、祭りが開催される場所と食事が出来る場所を尋ねた。
そのトラックを運転していたのは、この大地の土を輸送する仕事に従事する青年。
国境までは車で10分程度であるといい、地図を持っていくかと訊いた。
「車で10分程度」という青年の表現がよくわからなかったため、自分達で目的地まで標識だとか建物を頼りに歩いていく必要があると思いついたカッパーは「ありがとう。」と告げ、青年から地図を受け取った。
青年「過去の収穫祭の時期は雨が多かったけれど、今日は雨の心配はないみたいだ。だから、俺は、今夜は楽しいカーニバルになると思うよ。」
青年は少女と少年の表情が華やぐのを見届けて満足したかのような様子で、手を振りそのまま横を通過し立ち去る。
今年は珍しいお祭りがあるということで訪れた二人。この土地の民芸品でもあるオカリナの原料となる木の種子の収穫を祝う祭りだ。数年に一度しか咲かないというオカリナの花の実の収穫時期にはちょっとしたお祭りが開かれる。そして、それが今日の夕方なのだ。開催場所の広場がある国境付近を目指している。
少年は、リュックから取り出したオカリナを奏で始める。その音色に少女はそっとまぶたを伏せて耳をかたむけている。
そっと開いた少女の黒い瞳は、少年を映しては揺れて潤んでいる。そしてそのまつげの先を見つめる少年の瞳。優しい音色に感動した少女はすっと立ち上がり、少年の手をとり共に食事をとれそうな場所を目指して歩み出す。
二人のシャツの裾を揺らすほどの強さの風が吹いていて、窓にぶら下がっている多くの洗濯物たちをはたはたと揺らしている。
カッパー「ねえ、チェシャ。私、この町が好きになったよ。」少女が洗濯物を見つめながら呟く。
チェシャ「どうしたの?」
カッパー「洗濯物がたなびく様子を眺めていると、すごく心地いいの。なんだか懐かしい感覚といっしょに私自身の原風景が浮かぶような。」
少女が一人自分の記憶の世界に入ってしまいそうなのを見て、思いついたような瞳を一瞬見せてチェシャが言う。
チェシャ「カッパー、僕たち二人にとっての原風景は何だろうね。」
カッパー「私たちの?」
すっと暗くなりかけて、遠い目をしそうだった焦点はチェシャのほうに戻る。そして、ちょっと時間をおいて言う。
チェシャ「進行している時間かな。それは、きっと形にはならないことで、こうして私たちが実際に過ごしている立体的な空間。
1、2次元やそのほかの何次元でもない3次元。ぱくぱくと浸食されていくような素直に時計の針のとおりに流れていく時間。心にノートがあるとしたら、こうやって一緒に見ている景色のひとつひとつが、うっかり消えてしまったり誰かに消されてしまったりしないよう書きとめておきたいことばかり。」
些細な刺激にも反応しては、驚いたり笑ってしまいたくなったりする旅先。ふたのデザインや、ラベルに書かれた異国の文字、静物と化して、ポスターに写る風景画や動植物たち。そして、何よりも消えてほしくないと願うのはとなりで輝く笑顔。
チェシャは、薬味屋の店先に置かれたイスの前に立ち止まった。イスの背もたれに彫刻された九官鳥のような鳥。海辺にいるそれは片方の羽を小瓶を抱えるために折り曲げている。
カッパー「このビンの中身は何かな?たとえば、チェシャなら中に何を入れたことにして彫るのかな。」
チェシャ「サメかな。」
チェシャはカッパーの瞳の奥まで届くように、すっと見つめたものだからカッパーはちょっと戸惑う様子で少しだけ身をひいた。この答えは意外だったたようだ。しばらく動けないで次の言葉を探そうとするカッパーを気遣い、チェシャは口を開く。
チェシャ「びっくりした?」
カッパー「うん。チェシャ、私、時々サメに囲まれているように一人で恐怖を感じる瞬間があるの。だから、言い当てられたみたいでちょっとびっくりしたよ。」
チェシャ「そのサメっていうのは自分自身なんだよ。」
自分とは異なる視点からとらえたチェシャの台詞の真意が知りたくて、カッパーは訊ねる。
カッパー「サメってずっといるものなのかな?サメが心にいるとしたら消えてくれる日って来るの?」
チェシャ「カッパー。溺れさえしなければ大丈夫だよ。」
珍しい木の実が取れるという祭りを見るためにやってきた周りの人々の賑やかさは二人を現実的な世界へと連れ戻す。
薬味屋の店の棚には様々なスパイスが並んでいて、黒こしょうだとか唐辛子に隠れていた小瓶。その中身は、初めて出会ったような変わった形をした実。
カッパー「カルダモン。カレーライスを作るとき、ご飯と一緒に炊くと美味しく
なるってことを聞いたことがあるの。発見!」
少女はそう言って、髪をはずませ、嬉しそうな様子でそれを購入する。
そして、二人は薬味屋を後にする。