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「おい、大丈夫か」
群衆から離れ、元に戻ったわたしにカインはそう声をかけた。
「えぇ、もちろん」
「そ、ならいっか」
それからカインはこの話題に触れることはなかった。
パーティーは何もなかったのように続行していく。少し違いがあるとしたら、決闘でたがが外れたのか、パーティーの盛り上がりは品性のかけた宴会のようになり、カナリアが勝者として持ち上げられている。最初の優雅なパーティーが嘘のようであった。わたしは桜を眺め、「そろそろ帰りたいわ」と言った。
耳がつんざくような騒ぎも、カナリアの名前も今は何も聞きたくない気分であった。
「じゃ、俺も帰ろっかな。ノアも寂しがってるだろうし」
カインは冗談ぽく笑う。わたしはその笑みに安心した。今はカインの無干渉さに感謝していた。今は何も感じていないように毅然とした態度をとるので精一杯であった。
わたしたちはそのまま会場を後にし、寮へと帰っていった。アメリの待つ自室に帰ろうかとも思ったが、今はなんとなくそうしたくない気分であった。どこか、どこでも良い。一人でいたい気分であった。わたしは長いドレスを引きずり、外へと歩いて行った。
なぜ負けてしまったのだろう。その思いが自身の中で渦巻く。膨大な悔しさがわたしを包んでいた。訓練してきた8年間を無駄にはしていないと思いたい。しかし、結果にちゃんと反映されなきゃ、努力してきた意味はないのであろうか、とも思ってしまう。そんなことをごちゃごちゃ頭の中で考えてしまう自分を含めて、今は本当に悔しい気持ちで一杯であった。もし、わたしが勝っていたら……。せめて互角の戦いに持ち込んでいたら……。そしたらこんなにも屈辱的な気持ちにならなくて済んだのであろう。わたしはあふれ出る涙を手の甲で拭った。
いつのまにかわたしは、芝生の生えた広大な庭を突っ切り、木々が生い茂る森へと足を踏み入れていた。辺りは真っ暗で少し気味が悪い。せめてわたしの訓練所でめそめそすればよかった。我を忘れたせいで、学校の敷地内といえど、辺鄙なところまで来てしまった。
帰ろう。わたしはひとしきり涙を落とした後で、来た道を戻ろうとした。その時、パキッと小枝か何かが折れる音が背後から聞こえた。わたしは慌てて後ろを振り返る。真っ暗で何も見えない。しかし、雲が流れ、隠れていた満月が姿を現し、微かな月光が地に降り注ぐ。その時、木々の隙間からぎらりと光る双眸をわたしは見た。その双眸は絶対に人間のものではない。何か、獣の類いの瞳であった。わたしは急いで、魔法を出すための体勢を整える。しかし、手のひらから渦が表れることはなかった。
――なんで、こんな大切なときに!
飛びはねて近づいてくる、その瞳にわたしはなにもすることが出来なかった。
獣は月光の下、姿を現した。真っ黒なその身体は四肢はあれど、どの獣にも当てはまらないように見えた。獣が放つその腐敗臭のせいか、唯々異様におぞましい怪物そのものである。
まだ何も成し遂げていないというのに、わたしはこんなところで死んでしまうのか。わたしはすっかり腰を抜かしてしまい、そんな絶望が一瞬にして身を染めた。
その瞬間、突風が辺りを包んだ。さっと現れたひとつの人影。その人影は鋭い風の槍のようなものを放った。放った槍は怪物に命中する。しかし、怪物は倒れない。人影は負けじと、何発も風の槍を生成し、怪物に当てた。怪物の腐った肉を削る、その槍は見るからに痛々しいものであった。怪物はやがて動けなくなると判断したのか、来た道を戻っていった。
わたしはただ呆然とその一連を眺めていた。
「無事?」
そうわたしの顔を覗き込んだのは、誰でもない、あのルークであった。




