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愚者の此岸 世界の彼岸  作者: 栗槙ねも
第三章 『禁忌の祈り』
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三章 第22話 『この世界の片隅、二人きりの朝食』


「…………どこだ?」


 目を覚ましたヒガナを出迎えたのは全く知らない部屋だ。

 小さな棚と寝ていたベッド以外に目に入るものはない。寝るためだけに作られた場所、という認識で問題はない。

 手錠や足枷をされてないことを考慮すると拘束された訳ではないようだ。


 上体を起こし、まともに回っていない頭に手を添える。いつもの寝起きとは比べ物にならない身体の怠さに違和感を覚える。


「ココと話してて……それで……思い出せねぇ」


 ノックも無しに部屋に入ってきたココが間取りがどうとか、ホームシック弄りをしてきたところまでは記憶にある。

 だが、それより先は完全に欠落していて思い出せそうにない。


 かなり年季の入った木製のドア──下の隙間からは暖色の光が差し、向こう側からは鼻歌が聞こえる。

 声の正体を考えようとするが、すぐに放棄する。


 考える時間を削り、状況を把握するためにこの部屋から出ることを選択。

 ベッドから降りて立ち上がると床が軋んだ。今にも壊れそうで不安になる。


 身体が大きくよろめく。ヒガナは咄嗟に手をベッドに置いて転倒するのを防ぐ。


「身体重っ。なんでだ?」


 自分の身体ではないのかと思う虚脱感に困惑。数分間、その場で動かずにいると異常な重みは完全とは言えないがなくなった。


 再びよろめく可能性を考慮してゆっくりと立ち上がって、慎重に移動してドアノブを握りドアを開けた。


 寝室であろう部屋は居間に直接繋がっていた。

 ある程度の広さを確保した空間には必要最低限の家具が置かれているだけだった。

 ここの家主は生活に彩りや快適さを求めていないようだ。


「あ! おはよう、ヒガナさん!」


 溌剌な声と共に一人の少女がヒガナに近付いてきた。


「ベル?」


 予想していなかった人物の出迎えに少々面を喰らう。

 ここの内装はどう見てもアングレカム家ではない。そんな場所にティファベルが居るとは思っていなかった。


「あ、えっと……」

「お腹空いているでしょう? お座りになって」


 椅子を引いて、席に着くように促すティファベル。

 テーブルには二人分の朝食が既に配膳されていた。動かされていない椅子側の料理は少し焦げている。


 状況が飲み込めないヒガナは言われるがまま椅子に座る。

 料理から漂う香りを吸い込むと自然と腹の虫が鳴った。

 自覚すると一気に空腹感が襲ってきた。


 対面側の椅子に腰掛けたティファベルは食事を始める前に祈りを捧げる。

 ヒガナは手を合わせる。


 外から聞こえる鳥の(さえず)り、窓から差し込む柔らかな朝の陽。

 あまりにも穏やかな時間にヒガナは現実感を感じられなくなった。

 この空気に呑まれる訳にはいかない。知らなければならないことが山ほどあるのだから。


「あのさ……」

「質問は一つずつにしていただける? その代わり嘘偽りなく答えることを約束するわ」


 柔和な笑みを浮かべるティファベルに、ヒガナは違和感を覚える。


「ここは?」

「わたしの家よ」

「え? でも……」

「失礼、言葉足りずだったわ。前に暮らしていたわたしの家よ」


 奇妙なことを言っている。

 ティファベルの家は二階建てで広々としていた。今居る場所は比較するとかなり手狭だ。

 そもそも、前家は火事で全焼していると聞いた。存在しているはずがない。

 ヒガナの困惑が伝わったのか、ティファベルが補足説明を付け加える。


「虚飾の城を壊して、本来の形に戻したの」

「………………」

「辛く、苦しい、耐え難い、けれど微かな幸福が詰まっている……わたしにとって唯一の家」


 漠然とした違和感がヒガナを襲う。

 ナイフとフォークを皿に置こうとする。


「これはティファベルちゃんが作っ……」

「ふふっ」


 次の質問をする前に簡単な会話を挟もうとするヒガナ。

 朝食について話そうと口を開いた途端に、ティファベルは口元を押さえて小さく笑う。


「わたしはいつまでもおしゃべりしてもいいのだけど、ヒガナさんは違うでしょう?」

「え?」


 疑問符が口から溢れる。

 ナイフとフォークは皿には置かれず、空中で止まったままだ。


「本当に知りたいこと、あるでしょう?」


 首を傾げて、柔らかい笑みを浮かべるティファベル。

 ヒガナを見つめている碧い瞳。

 心の内を完全に見透かしているような視線の圧力に冷や汗が滲む。


「み、みんなは?」

「村の人たち? それともヒガナさんのお仲間のこと? どっちにしても答えは変わらない。──殺したわ」

「は?」


 あっさりと明かされる事実にヒガナは理解が追いつかない。ナイフとフォークが手から滑り、木製の床に鈍い音を立てて落ちる。

 拾わなければならないのに身体が動かない。


「クラリスさん、ヨハンさん、アルベールさん、そしてココさん。それから村の人たち。一人を残して全員殺したわ。だから、いまアルカに居るのはヒガナさんとわたしを含めて三人だけよ」


「え? ちょっ……」


「信仰対象の言うことは何でも信じてしまうのは信者の悪いところだと思うわ。でも、そのおかげで簡単に煽動することができたから複雑なところね」


 ティファベルは鑑賞した演劇の感想を語るかのように、グウィディオン家の人たちの死を話す。


「クラリスさん、どんな傷もすぐ治してしまうし、結界……でいいのかしら? 結界をたくさん重ねて展開していたの! 魔術のことはあまり分からないのだけれど、凄いことをしているというのだけは分かったわ! ……とても綺麗で魅力的だったわ。あの瞬間、最も輝いていたのは間違いなくクラリスさんだわ」


「………………」


「ヨハンさんはクラリスさんを守って真っ二つになってしまったわ。クラリスさんを大切に思っていることが伝わってきて……えぇ……そうね、うん」


「………………」


「アルベールさんはとても強い方だったわ。最初から殺す気で来られたら村の人たちはきっと全滅していたわ。でも、アルベールさんは無意識に手心を加えて、村の人たちを傷付けないようにしていたわ。一般市民には危害を与えない剣士としての矜持……ううん、まるで本気になることを、他者を傷付けることを怖がっているみたい」


「………………」


「ココさんはあの場においては脅威ではなかったわ。そうならないように手を尽くしたのだから。本来の力を発揮したココさんが相手だったら、わたし程度あっという間に絡め取られていたわ。アルカの地に感謝しないといけないわ」


「もういい……やめてくれ」


 ヒガナの絞り出した一言に、ティファベルは素直に従う。

 椅子から降りて落ちたナイフとフォークを拾い、ティファベルは碧い瞳にヒガナを写しながら、酷く冷たい口調で呟く。


「落ち着いているのは取り返しがつくと思っているからかしら?」


 ヒガナの表情が硬くなる。

 ティファベルの一言は潜在意識の奥深くに隠れていた死に対する馴れ、恐怖の鈍化を顕在させるには十分過ぎた。

 

「い、いや……急に言われて理解が追いついてない。家が違うとか、ティファベルちゃんがみんなを殺したとか……全然……」


「ティファベル、なんてよそよそしい呼び方しなくてよくてよ?」


 ずっと違和感があった。

 最初は漠然とした霞のような、少し時間が経てば消えてなくなる程度の取るに足らないものだった。

 だが、時間遡行を繰り返す度に輪郭を帯び始めていった。ヒガナの内側だけに湧き上がるそれは他の者には決して理解することのできない代物。


 実を言えば、違和感の正体を突き止めていた。

 しかし、有り得ない、とヒガナは導き出した答えを放棄したのだ。──その有り得ないを体現している本人が、だ。


 これまでの世界での違和感が脳内で再生される。


『ちゃんと自己紹介していなかったわ。わたしはティファベル・アングレカム。みんなからはティファって呼ばれているの。でも、ヒガナさんにはベルって呼んでもらいたいわ』


『出会ってから日が浅いというのに随分と仲が良いですね』


『本当は紹介したい方が居るの。でも、今から行ったら日が暮れてしまうから、今日はここまでにしておくわ。お二人がよければ明日また案内させてくださいな』


『カリギなんちゃらとかって言葉もティファに教えたらしいし、兄弟は色んな言葉を知ってんだな』


 ありとあらゆる事実が繋ぎ合わさり、やがて放棄したはずの結論が、明瞭な輪郭を浮かべながら目の前に現れたのだ。

 ヒガナは信じられない、といった表情でティファベルを見る。


「まさか……そんな……」


「そういえばまだ自己紹介をしていなかったわ」


 ティファベルはヒガナから少し離れて瞑目する。──再び開かれた瞳は真紅に輝いていた。


「わたしはティファベル・アングレカム。みんなからはティファって呼ばれているわ。でも、ヒガナさんにはベルって呼んで欲しいわ。──いつものように(・・・・・・・)



×××



 一度は考えたことはある。

 自分と同じように失われた世界の記憶を持っている者が居てくれたら、と。

 共有することが出来たなら、後悔、無力感、罪悪感なども吐露することができたかもしれない。


「本当に……覚えているのか?」


 決して現れないと思っていた存在の出現に、喜びよりも困惑、疑念の感情が強い。

 言われる立場になって初めて分かることもある。

 別世界の記憶を持っているなんて、簡単に信じられるものではない。


 拾ったナイフとフォークを流しに置き、新しいのを手に取り、椅子に座ってヒガナに差し出しながら、


「初めて会った時のことはとてもよく覚えているわ。ヒガナさんがわたしを見つけてくれて、かりぎゅら効果という言葉を教えてくれたこと。ココさんに村を案内したこと。アストンさんが診療所に運ばれてクラリスさんが治療したこと。シスター・ベリンダが襲われて、叔母さまが疑われたこと。誕生祭で起こった悲劇のこと。それ以降のありとあらゆる世界で起こったこと──わたしは全部覚えている……ううん、知っているわ」


「ああ……そうか。そうなのか」


 彼女が並べた出来事は、最初の世界で起こった出来事と合致していた。

 ヒガナの記憶が証人だ。

 ヒガナは事実を受けて呆然と天井を見上げる。


「なぁ、ずっと村人たちを煽動してたのか?」


 過ぎるのは二周目の世界、記者のテレンスと教会裏にあった遺跡を調べに行った時のことだ。

 死の一撃を喰らう前、ヒガナの瞳に写ったのは複数人の村人たちを引き連れてやって来たティファベルの姿。

 見間違え、幻覚かとも思ったがどうやら現実だったようだ。

 あまりにも受け入れづらい。

 現実でなければ良かったのに。


「いいえ、必要があった時だけ。でも、因果に逆らうのは至難の業ね。どうしても確定した結末に収束してしまうんですもの」


 真紅の瞳に偽りの色は無かった。

 彼女の真摯さが余計に精神を傷付ける。


 ヒガナは俯き、手で顔を覆いながら、震える唇を必死に動かしながら問いかける。


「どうして、皆を、村の人たちを殺したんだ?」


 ココ、アルベール、クラリス、ヨハン。

 出会ってからの時間は長くはないが、食卓を囲み、色んな話をしていた。繋がりは確かにできていたはずだ。


 村人たちは理由はどうあれ、心の底から慕い、愛情を注いでいただろう。

 共に過ごした時間は絆を築くのには十分なはずだ。


 だから、だからこそ理解ができなかった。

 彼女の口から理由を聞きたかった。


 ティファベルは首にかけてある十字架に指を添えながら、澱みのない声色で答えた。


「──世界を救うためよ」


「結局それかよ。……あぁ、そうだよな。救済の巫女様だから世界を救うのは当然か」


「……ヒガナさんのいじわる」


 問答をする必要はない。

 失われた世界で互いの気持ちは伝えてある。

 その結果、お互いの主張は決して交わらないということは既に理解している。

 こうなってしまってはどちらかを叩き潰すしかない。──己が主張を貫くために。


 ヒガナは立ち上がり、食器を片付けてからドアの前へ向かう。

 ドアノブに手をかける前にティファベルに想いを告げる。


「ベルの力がとんでもないのは分かってる。俺が挑めば一瞬で消し炭だ。でも、全力で止める。俺はベルにあんなことをして欲しくない」


 ティファベルは口元を緩める。


「兄妹けんかってこんな感じなのかしら」


 ヒガナは苦笑いをしながら、肩をすくめる。

 彼女の子どもらしい言葉と絶望的な現状の高低差が激しすぎて可笑しくなってしまう。


「世界規模ってところに目を瞑ればな。……料理ごちそうさま。美味しかったよ」


「お粗末さまでした」


 ヒガナが部屋を出ようとした時、ティファベルが呼び止めた。


「一人だけ生かしたのはエステルさん。ちゃんと言えば、エステルさんの体を使ってこちらに干渉している方」


「何でエステルさんだけを?」


「彼女は救済の巫女のことを誰より詳しく知っているわ。それに、わたしのことも。わたし、自分のことをお話するの苦手なの」


「それは……俺が聞いていいものか?」


 ティファベルは小さく頷く。

 天使の零した泪のように儚く、美しい、どこか諦念が混じった碧い瞳がヒガナを見つめる。


「ヒガナさんには全て知って欲しいの」


 ヒガナは何も言わずに部屋を出た。

 無言の肯定。

 あんな眼をされたら拒絶することなどできない。


 それに、ティファベルを止めるためには彼女のことを、救済の巫女のことをあまりにも知らなすぎるのも事実だ。


 対立し、敵として向き合うのならば知る必要がある。

 知らなければならない。

 知る手段があるのに知ろうとしないのは愚の骨頂、慢心でしかない。



×××



 外に出たヒガナはティファベルの家を眺める。

 さして大きくない木造の平屋。

 快適さ、収納の多さ、部屋の数──諸々比較したら二階建ての家の方が断然良い。

 しかし、この場に建っている家としては、この朽ちかけの平屋の方がしっくり来る。


 敷地内には小さな花壇があった。

 風に揺られる花々の中心、そこだけ土が盛られており、木の枝で作った手製の十字架が添えられている。


 そういえば、ティファベルといつも一緒に居た黒猫のパテルを目が覚めてから一度も見ていない。


「………………」


 ヒガナは花壇を一瞥してから足を踏み出す。

 無数の十字架が刺さった地を踏みしめる足取りに迷いはなかった。

 勇むことなく、尻込むことなく、ただ淡々と現実を受け入れるように、微睡みに沈んでいた自分を罰するかのように歩き続けた。

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