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愚者の此岸 世界の彼岸  作者: 栗槙ねも
第三章 『禁忌の祈り』
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三章 第16話 『アルカの狂気』


 ティファベルと暮らすことになった。

 しかし、それを実現するには様々な手順を踏む必要がある。

 とは言っても、書類関係以外は大したことなかった。


 辞める旨を上司に伝えたらあっさりと受理された。これが若くて綺麗な受付嬢だったら全力で引き止めていたんだろう、と卑屈な考えに囚われてしまう。

 だが、揉めることなく職場を去れるのは好都合だった。


 部屋の退去手続きも既に終えた。

 大家に退去理由を聞かれて正直に答えたら、「姪のためにそこまでする?」と不思議がられた。

 ノエル自身も不思議に感じている。が、ティファベルにはそこまでしてあげたいと思える魅力があるのだ。


 別れを言うほど親しい相手は居ない。積極的に作ってこなかったから。


 未練と呼べるものは皆無の状態で、ノエルはそれまでの生活を全て捨てて、アルカへと移り住むことになった。




×××



 アルカへ来てから数ヶ月の月日が経った。

 意外にもノエルはここの生活に不満はなかった。もちろん、アルカ特有の風習やしきたりを覚えることはそれなりに苦労したが大したことではない。

 住んでいる場所は以前の賃貸とは異なり、一軒家でかなり快適だ。


 何よりも、ティファベルと一緒に生活できている。

 その一点のみで、あらゆる厄介ごとは些細なことに変化する。


 しかし、問題というのはどうしても湧いてくる。

 それは他所からやって来た者の宿命というか、ある意味での通過儀礼でもある。

 

 例えば買い物をしている時などに顕著に現れる。


「いらっしゃ……ああ、どうも」


 快活な挨拶が有名な野菜売りのおばさん。名前はアガタ。

 気配りが細かく、話好きな事も相まって村の中での評判は良く、発言力もそこそこある。村の女性たちのまとめ役としての側面もある。


 彼女はノエルに良い印象を抱いていない。嫌悪されていると言っても過言ではない。

 それ故に、村の女性たちは露骨な嫌がらせなどはしてこないが、冷たく接したり、陰口を言ったり、根も葉もない噂を流している。


 今も店に居た主婦たちに白い目で見られ、コソコソと悪口を言われている。

 傷つく心を必死に隠しながらノエルは目当ての野菜を指差す。


「あの、それをいただいても?」

「はいはい」


 売ってくるのは決まって質の悪い野菜だ。

 そのことにノエルは苦言を呈さない。言ったところで状況が悪化するだけだ。自分が耐えればいいだけの話だから。

 感情を噛み殺して、野菜を受け取ろうとした時だった。


「待って叔母さま」


 天使のハープを奏でたような美しい声色が商い通りに響き渡った。

 その場に居た全員が声の方向に顔を向ける。

 

 普段見せない険しい表情を浮かべながらティファベルはノエルの側に歩み寄る。

 アガタは満面の笑み、歓喜の輝きが灯る瞳でティファベルに話しかけた。


「あら〜、こんにちはティファちゃん」

「こんにちは、アガタさん」


 ティファベルは軽く挨拶をしてから、悪口を囁いていた主婦たち、それから近くに居た村人たちを見て、


「やっぱりだわ」

「やっぱりって、何がやっぱりなの? ティファちゃん」

「みんなで寄ってたかって叔母さまをいじめているんでしょ?」


 図星を突かれて、アガタを始めとした村人たちは動揺の色を見せる。

 そして、ノエルも動揺していた。隠しているつもりだったが見抜かれていたようだ。


「ティファちゃん、それは誤解よ。私たちはノエルさんととても仲良くしているし、今も楽しくお話していたの」


「アガタさん、嘘はいけないわ。特に己の罪を偽る嘘は赦されるものではないわ」


「────っ」


「でも、叔母さまのことがわたしの勘違いだったら、アガタさんに偽りの罪の汚名を被せた咎人としていかなる罰でも甘んじて受け入れるつもりよ」


 ティファベルの言葉には重みがあった。信仰心から来るのか、元々の性格なのかは不明だが、彼女は『罪』に対して過剰に反応する節がある。


 別店の店主や買い物中だった村人たちが集まってきてちょっとした騒ぎになりかけていると、先程まで悪口を言っていた主婦たちが今にも泣き出しそうな顔で吐露する。


「正直に言います……。私たちはノエルさんの陰口や本人の前で貶めるようなことを言ったり、わざと冷たい態度をとって拒絶していました」


「羨ましかったの! ティファちゃんと一緒に暮らせるノエルさんのことが堪らなく羨ましかったの! だからつい……」


「羨ましい?」


 ノエルは思わず聞き返してしまう。


 すると、野次馬の中から色黒の青年──エルドレッドが渦中へと入ってきた。

 彼は自警団に所属していることもあってか、揉め事が起こった時には率先して仲裁役をかったりしている。


「話はみんなから聞いたのと、さっきのやりとりで大体把握できたぜ。二人の気持ちも分からないこともないけどよ、だからってノエルちゃんを虐めるのは違うだろ。ノエルちゃんは今までの生活を捨ててアルカに来てくれたんだ。オレたちの頼みを聞いてくれだ。尊い選択をしたノエルちゃんに感謝するのが道理じゃねぇのか?」


「その通りです」


「はい」


 怒りのこもった意見に主婦たちはポロポロと涙を零しながら肯定する。

 大人が泣くのを久しぶりに見たノエルは何とも言えない気分になった。その原因が自分ということもバツが悪い。


「さて、問題はテメェだよ、アガタのオバちゃん」


 今までとは比べ物にならない怒りを露わにしたエルドレッド。威圧感を剥き出しにしてアガタを睨み付ける。

 エルドレッドだけではない。ノエル、ティファベル、主婦二人を除いた全員がアガタに鋭い視線を突き刺す。


「ティファは懺悔の機会を与えた。にも関わらず嘘をついたな。それがどういうことか分からない訳ないよな?」


「………………」


 何も言えず、アガタは大量の脂汗を流しながら震えている。


「ここ最近、ワザと質の悪い野菜をノエルちゃんに売ってたんだって? 嫌がらせしてさぞかし満足だろうな。けどよ、その野菜を使った料理を食べるのは誰だって話なんだよ! あぁ!?」


「あ、ああ……わ、私はそんなつもりじゃ。部外者がティファちゃんを独占しているのが許せなくて。そう! これはみんなのためにやったの! この女が消えれば元に戻れるから! だからこれは正しき行い! 私だけの聖戦なの!」


 支離滅裂な言葉を口から垂れ流すアガタに、ティファベルは感情を失った無機質な声で呟く。



「──残念だわ。──えぇ、とても残念ね」



 言葉に意味などない。

 重要なのはティファベルの瞳に灯る感情だ。


 何も、ない。


 それが何を意味するかを理解したアガタは眼球が落ちそうなくらいに眼を見開き、異常なまでに脈打つ心臓を押さえ、浅い呼吸を絶え間なく繰り返す。


「ティ……ティファ、ちゃ……あ、ああ……あああ………」



 決して得られないモノに焦がれて嫉妬に身を委ねた結果、アガタの築き上げてきた信用や立場が音を立てて崩れていく。


「ああ、あぁ、あああああああああああ────っ!!!」


 そして、自らが抱いた浅ましい欲望がいかに愚かで醜いかという事を理解して、アガタは顔を掻き毟りながら膝から崩れ落ちて発狂する。


 ノエルが見ていたのは理性を失い発狂するアガタ……ではなく、彼女を無感情に見つめるティファベルの瞳。

 美しい碧色の瞳──それが一瞬、真紅に染まったように見えた気がしたのだ。



×××



 後に主婦二人は家族総出でノエルの元に謝罪に来た。家の前で号泣されたのは中々に困った。


 アガタの家族も謝罪に来て、毎日のように新鮮な野菜を届けてくるようになった。何度も断りを入れたが彼らが止めることはなかった。

 贖罪のつもりなのだろうが、顔を合わせるたびにノエルの心は曇ってしまう。


 あの一件から少し経った頃、アガタが首を吊って自殺した。


 奇妙な話だ。

 アガタが自殺する原因を実質的に作ったノエルに謝罪を続ける家族。葬式の日すら訪問してきた時は恐ろしさすら感じた。


 とにかく必死に許しを得ようとするのだ。

 強迫観念に囚われたかのように。


 アガタの一件をきっかけに、アルカへ来てから漠然と感じていた違和感が輪郭を帯び始めた。

 いや、違和感というには語弊がある。

 無意識に理解していたが、あえて思考の外に置いていた一つの事実が徐々に迫ってきたのだ。



×××



 ノエルがアルカに来てから一年経った頃、一つの変化が起こった。


 しきたりとなっている祈りをするために教会に来たノエルとティファベルを含めた村人たち。

 いつもなら神父がやってきてすぐに祈りの時間が始まるのだが、この日は様子が異なった。


「皆さん、朝の祈りを行う前にご報告があります」


 神父が合図を送ると修道服姿の女性が奥から現れた。長身で愛想があまりなく、どこか気怠げだ。


「彼女はシスター・ベリンダ。今日からこの教会に所属することになりました」

「至らない点とかあると思いますが、よろしくお願いします」


 ベリンダの挨拶の後はいつも通り、祈りを捧げる時間が粛々と始まる。


 祈りが終わり、教会を後にしようとした時にノエルとティファベルは呼び止められる。

 声の主はシスター・ベリンダだった。


「帰り際にごめん。神父様に二人にはちゃんと挨拶しとけって言われてたから」


 そうは言うが、神父はノエルのことは口にしていないだろう。

 彼を始めとした村人たちにとって絶対はティファベルであり、ノエルは付属品程度の認識しかない。

 だが、アガタの事もあって積極的に交流してくる者はいない。世間話を多少するくらい。

 腫れ物扱いというわけではないが、ティファベルの逆鱗という扱いだ。


「ご丁寧にありがとうございます。ノエルと言います」

「初めまして! わたしはティファベル・アングレカム! みんなからはティファって呼ばれているわ!」


 最低限の礼儀としてノエルは返答する。

 ティファベルは溌剌とした口調で自己紹介をする。

 探っているようにも、興味が無いようにも捉えられる絶妙な視線でシスター・ベリンダはノエルとティファベルを見つめていた。


「ノエルとティファベル……ティファね。分からないことがあったら頼らせてもらうわ」

「もちろん、たくさん頼ってくださいな」

「心強い限りね」


 二言、三言言葉を交わしてシスター・ベリンダはノエルたちから離れた。

 自分と同じく村の外から来た者ということもあり、ノエルはベリンダに親近感を覚えた。



×××



 その始まりとなったのは、シスター・ベリンダがアルカにやって来て数ヶ月後のことだった。


 いつものように朝食を並べていた時、ノエルはティファベルの変化に気付いた。


「どうしたの? 元気ないね」


 いつもなら楽しそうにパテルと戯れているのだが、今日のティファベルは大人しく椅子に座り、パテルを抱きしめていた。

 愛くるしい顔にも翳りが見えている。


 指摘されたティファベルはハッとしてから、首を横に振って笑みを作る。


「ううん、なんでもないわ」


 心配させないように取り繕っているのは誰が見ても明らかだ。

 ここで追求したところでティファベルは何も言わない。まるで自分の身に起きた問題に他者を巻き込まないように配慮しているかのようだ。

 ノエルはティファベルの性格を理解してきているので深くは追求せずに、


「もし、困ったことがあったら何でも言って。私にできることなら助けになるから」

「ありがとう、叔母さま。でも、本当に大丈夫よ」


 今のは大丈夫じゃない大丈夫。

 ティファベルが抱えている問題について、ノエルはある程度の予想は立っていた。



×××



 果たしてノエルの予想は的中した。

 今居るのは村の子供たちが遊び場として利用している空き地。


 アルカにはティファベルを含めて四人の子供が居る。

 二人は兄弟、もう一人は兄弟の従姉妹。

 そういう事情もあってティファベルは基本パテルと遊んでいるか、村の大人たちの話し相手になっている。


 厄介なのは三人がティファベルのことをよく思っていないということ。

 大人たちに無条件で可愛がられているのが面白くないのだろう。

 だからといって、子供たちが直接何かをしてくるということはなかった。なるべく関わらず、遠くから陰口を言う、その程度だった。

 しかし、最近になって彼らの行動は変化した。


 ノエルは雨風で崩れた壁の影に身を潜めて、ティファベルと三人の動向を観察していた。

 何をされているのか分からなければ対処することができない。

 もしかしたら本当にただ遊んでいるだけで、全く別の問題でティファベルが悩んでいる可能性も万に一つある。



 三人はティファベルを囲むように位置取っている。まるで逃げられなくしているようで、とても仲良しとは言えない雰囲気だ。

 ティファベルは不安そうにパテルを抱きしめて視線を三人に向ける。


「どうして目の敵にするの? わたしはあなたたちに何もしてないわ」

「気持ち悪いに決まってるからだろ」

「そーそー、にいちゃんの言うとおり。お前、気持ち悪いんだよ。気持ち悪いヤツは嫌い。当然のことだろ」


 少女がパテルを指差して顔を顰めながら、


「猫を自分のパパとか言っているの本当に気持ち悪い。みんなの気を引くためなら性格悪いし、冗談で言ってたら悪趣味だし、本気で言ってたら頭おかしいってわからない?」


「だって、この子はお父さまだから。お父さまをお父さまって呼ぶことのどこが気持ち悪いのか、わたしには分からないわ」


「うわぁ……あんた本当に頭おかしいんだ。そうよね、おかしくなきゃ呑気に村を歩けるわけないもの」


 棘のある言葉を吐く少女にティファベルは怪訝に呟く。


「どういうこと?」

「私たち知ってるんだから。アンタの正体が魔女ってことを」

「魔女……? 違う、違うわ! わたしは魔女じゃないわ!」


 ティファベルが声を大きくして否定すると、それよりも大きい怒号で少女が吠える。


「嘘吐き! 村の大人たちあんたが魔女だからご機嫌取りしているんでしょ! 少しでも機嫌損ねたら殺されちゃうもの! アガタのおばちゃんみたいに!」


「自分の父ちゃんも殺したんだってな。最低の魔女め!」


「父ちゃんと母ちゃんがそう言ってた! お前は魔女だ! 魔女! 魔女!」


 ティファベルは碧い瞳を潤ませて首を横に振る。


「わたしは誰も殺してない! それなのに魔女なんて酷いことを言うの!?」

「事実を言ってるだけよ! 黒猫を連れているところなんて魔女そのもの!」


 何を思ったのか少女がパテルを奪い取ろうとする。

 流石のティファベルも抵抗する。

 同調してパテルも威嚇し、毛を逆立てる。


「やめて! お願い!」

「アガタのおばちゃんを殺した罪に対する罰よ! 目の前でこの黒猫殺してやる!」

「罪深い魔女に正義の鉄槌だ!」

「うおおお、処刑だ! 処刑!」


 揉み合いになる四人。

 ノエルは我慢ならずに壁の影から飛び出す。

 だが、その判断はあまりにも遅過ぎた。

 止めに入るなら数分前でなければいけなかった。


 少女に突き飛ばされたティファベルは転倒し、瓦礫に頭をぶつける。


「ティファベル!」


 第三者の声に硬直する三人を無視して、ノエルは倒れたままのティファベルの様子を確認して絶句する。

 ティファベルの顔半分が鮮血で真っ赤に染まっていたのだ。

 

 前の職場で血はそれなりに見慣れていたノエルだったが動揺が隠せない。頭が混乱してしまい十秒近く何もできずにいた。

 我に返ったノエルはティファベル、心配そうに彼女の側にいたパテルを抱きかかえて走り出す。

 怪我人を無闇に動かすのは良くないことだ。

 しかし、ティファベルの血塗れの姿を見たノエルに正常な判断を下せる思考は欠如していた。


 去っていくノエルを眺めていた兄弟はティファベルの安否など全く気にせず、自分たちの心配をする。


「どうしよう。おれたち、魔女を傷つけちゃった」

「呪われたりしないかな?」


 不安に苛まれている二人を小馬鹿にしたように少女が鼻を鳴らす。


「私は大人たちみたいに怖がらないわ。あんな魔女こてんぱんにしてやるから」


「でも、アガタのおばちゃんみたいになったら……」


「にいちゃん、まだ死にたくないよ。父ちゃんと母ちゃんに話す?」


「ばか! 魔女は恐怖で相手を支配するの! 怖がらなければ何てことないんだから!」


 断言する少女。

 額には嫌な汗がじんわりと滲んでいた。



×××



「そこまで深くないから傷跡も残らんよ」


 高齢医師にそう言われてノエルは安堵の息を零したと同時に全身の力が抜けて、廊下に設置されている椅子に座り込む。

 診療所に駆け込んでからずっと気を張っていた反動だろう。


「患部が頭だから、大事をとって一晩入院してもらおうかの」

「分かりました。ありがとうございます、先生」


 ノエルは深々と頭を下げる。


「ところであの傷はどこで作った?」

「実は──」


 ノエルは子供たちのことを話した。

 すると、医師の表情がみるみる険しくなっていく。最終的には凄まじい怒りに染まる。


「信じられん! よりにもよって魔女呼ばわりとは! それに飽き足らず傷まで負わせおって絶対に許されん! 許されんぞこれは!」


 医師は怒りの形相で待合室の方へ行き、数分もしない内に戻ってきた。

 彼の後ろには村長が居た。

 ティファベルが怪我したと聞きつけた村人たちが診療所に集まっているのだが、その中に村長も居たようだ。


 医師に促されて、ノエルは先程の話を繰り返す。

 村長は蓄えた白い髭を触りながら黙って話を聞く。医師とは異なり、露骨な怒りこそ見せなかったが窪んだ眼窩の奥に悍ましいくらいの怒りが渦巻いていた。


 話を聞き終えた村長は杖で軽く床を突き、


「事情は分かった。この件は儂らに任せてくれんかの」

「え? ですが」


 ノエルも大切な姪を傷付けられて腑が煮え繰り返っている。

 相手の親御さんに話を通して、子供たちに誠意のある謝罪をしてもらい、その後は二度と関わらない旨の契約書を突きつけてやりたい。


「お前さんの気持ちは分かる。じゃが、今回はティファの側に居てやってくれぬか。その方がティファも安心できるからの」


「……分かりました。この件はお任せします」


 性格というか根本というか、本質的なモノはアルカに来ても変わってはいなかった。

 ノエルという人間は受動的で確固たる自分がない。

 それでも良いと思っている。

 この人間性のおかげでティファベルという生き甲斐に出逢えたのだから。


 村長、医師と別れたノエルは看護師の案内でティファベルの病室へ。

 ベッドの上で寝ている麗しき少女の額には包帯が巻かれている。


 ノエルはベッドの傍らに置いてあった椅子に腰掛けてティファベルの寝顔を眺める。


 ──ああ、なるほど。


 主婦たちが羨ましいと言っていた理由が今更ながら理解できた。

 ノエルは、ノエルだけは村人たちが知ることのないティファベルをいくつも知っている。

 これを特権と言わずに何と言える。

 ノエルはティファベルに頬ずりしながら囁く。


「私の……私だけのティファベル。もう、誰にも傷つけさせないから」


 優越感に魂を焦がされるノエルは知る由もない。


 大きく見開かれ、虚空を見つめる碧い瞳。

 そこに灯るのはどうしようもない憐憫の情だったことを。



×××



 誰かに肩を叩かれて、ノエルの意識は睡眠という名の深層から急速に浮上する。

 ボヤける視界に映るのは普段とは異なる内装。数秒使ってここが病室だと理解する。


 突っ伏していたベッドではティファベルが静かな寝息を立てていた。

 彼女を眺めてても良いが、それよりも肩に感じた感触の正体を暴くのが先だ。


「おはよう、ノエルちゃん」


 ティファベルを起こさないための配慮なのか、声を限界まで小さくしているのは色黒の青年、エルドレッド。

 驚いて大きな声を出しそうになるノエルだが、咄嗟に口を手で覆って悲鳴を完全封鎖に成功する。

 その様子を見てエルドレッドは苦笑いをして、謝罪の意を手で伝える。


「ごめんごめん、びっくりしたよな」

「何で居るんですか?」


 顔見知り程度の男性に寝ている姿を見られたことに対する羞恥心、配慮の欠片もないエルドレッドへの怒りが込み上げてくる。

 質問の口調も自然と強くなる。


「村長がノエルちゃんを連れてきてくれって言うから来たんだ」

「村長さんが?」


 エルドレッドは首肯する。

 なぜか落ち着きがなく、呼吸も若干荒い。何よりも瞳が爛々と輝いているのが不気味だ。


「これはノエルちゃんの手柄だからな」

「何のことですか?」

「そりゃ……いや、口で説明するより見た方が早えか。とにかくついて来いよ」


 不信感を募らせながらノエルはエルドレッドに従う。


 外に出ると僅かな寒さが肌を撫でる。日が昇りかけているためか周囲は霧が立っていた。

 視界が悪い中でもエルドレッドはお構いなしに進んでいく。ノエルは見失わないように普段より歩幅を広くして後を付いていく。


 嫌な予感がノエルの背筋を這い回る。漠然とした恐怖に現実感が徐々に剥離していく。

 霧も相まって、これは夢なのではないか、とノエルは思う。

 そう、夢。

 とても長い夢。

 実はアルカなんて村は存在しておらず、兄も生きていて結婚生活を満喫していて、ノエル自身はやり甲斐もない仕事を淡々としている毎日。

 退屈な生活に刺激を求めた結果がアルカという舞台なんて落ち。

 そこにはティファベルは居ない。

 全てノエルが脳内で創り出した産物。


「おお、待っておったぞ」


 エルドレッドではない声が聞こえて、ノエルの意識は現実へ引き戻される。

 場所は霧ではっきりと断言はできないが広場のようだ。

 そこには村長をはじめとした大勢の村人たちが居た。


「あの、私に何か用でしょうか? それにこんな朝早く、こんな大勢で一体何を?」


 すると、神父が一歩前に出てノエルに深々と頭を下げた。


「ノエルさん、貴女の行いは素晴らしい。ティファのためにそれまでの生活を捨ててアルカに移住してきた。それだけでも素晴らしいというのに、まだ……まだ、アルカのために行動してくれるとは」


 神父は感極まって零れる涙をハンカチで拭く。

 彼の言葉に村人たちも大きく頷いたり、中には拍手をする者もいた。


 この場に居る人々の中でノエルだけが理解していない。自分のしたであろう行いが何であるかを。


「ほれ、ノエル。これがお前さんの偉大なる功績じゃ」


 村長の声に従ったかのように霧が晴れていく。





「…………ぇ」




 丸太に縛りつけられて身動きが取れない少女。

 手足の爪は雑に剥がされ、健康的な肌は生傷と内出血、打撲で見るも無惨だ。

 顔面からは大量の鮮血が滴り、片目は腫れで殆ど潰れている。流れているのは涙なのか血なのか分からない。

 喉も潰されているのか、呻き声しか発していない。



 手足を縛られて宙に浮く少年の姿。

 背中は大きく切り裂かれ、背骨から肋骨が離されている。そこから本来なら外気には触れてはいけない筈の肺が剥き出しにされ、強引に広げられていた。

 それはまるで巨大な鳥類の様に見える。


 

 先端が鋭利に加工された木製の杭。

 少年は串刺しにされ、小さな口から杭の先端が露出していた。

 指先を始めとした全身が小刻みに痙攣し、つぶらな瞳からは大量の涙が流れ続けている。



 四人の男女が首吊りにされていた。

 顔の皮膚を剥がされたり、両手の爪が全て剥がされていたり、全身に夥しい程の生傷が刻まれたり、手足が明らかにおかしな方向に曲がっていたり──状態はそれぞれ違うが息絶えているということだけは共通している。


 彼、彼女はティファベルを虐めていた子供たちだ。首吊りにされているのは子供たちの親に違いない。


 地獄が顕現したような光景にノエルは言葉一つ漏らすことも出来ずに一歩後退りする。

 転倒しかけたと勘違いしたのか、エルドレッドが肩を掴んで身体を支える。

 

「大丈夫、ノエルちゃん?」


 全身が総毛立ち、ノエルは反射的にエルドレッドを払いのける。

 異常なほど冷たい汗が頬に流れるのを感じながら、エルドレッドに、村長に、神父に、村人たちに向かって叫ぶ。


「これは一体何なの!? なんで!? どうして!?」


 エルドレッドは困った表情を浮かべながら頬を掻く。


「落ち着けよ。綺麗な顔が台無しだぜ?」

「茶化さないで! こんな酷い……子どもを……あの人なんて妊婦よ!」


 取り乱すノエルとは対照的にエルドレッドは感情を全く揺らさずに淡々とした口調で言う。


「コイツらは異端者だ。異端者は粛清するのが当然だろ」

「異端者?」

「おいおい、この家族が異端者ってことを教えてくれたのはノエルちゃんなんだろ」

「は?」


 ノエルの思考はかつてない困惑を極めていた。

 エルドレッドの言っている意味が何一つとして理解できない。

 硬直しているノエルを見て、エルドレッドは一つの答えを導き出し苦笑いを浮かべる。


「あー、そっか。考えてみればノエルちゃんに話してなかったな。そりゃ、オレたちが変なヤツに見えてもしょうがねぇ」


「………………」


「アルカの民が救済の巫女様を信仰してんのは言わなくても分かってるよな。でもよ、本人様はいずれ天に召されちまう。先祖たちは巫女様の形をした造り物にずっと祈りを捧げるのは嫌だったんだろうよ。だから巫女様の代理を立てたんだ」


「巫女の代理……?」


「ああそうだ。つっても巫女の代理になったヤツが特別何かするってわけじゃねぇよ。村の連中の心の支えって役目が大半だからな」


 ここまで説明されれば、エルドレッドが言わんとしていることは予想できる。


「ティファベルが今の代理ってこと。だから侮辱し、傷付けた子供たちを、育てた親たちを殺した」


「いいや。違う」


 次の瞬間、ノエルは最大級の恐怖に襲われて身動きが取れなくなり、ありとあらゆる音や色が世界から奪われた。


 エルドレッドが袖をまくり上げて見せてきたタトゥー。

 今、初めて全体像を捉えることができた。

 それはノエルの知る少女──ティファベルが祈りを捧げている横顔に他ならない。


 エルドレッドは純粋な信仰を表現する様にティファベルのタトゥーを撫でる。




「──ティファベル・アングレカムは救済の巫女の正統なる後継者だ」




「…………………………………」


「ノエルちゃんの反応も分かる。けどよ、オレたちはティファが後継者だって確信している。なんでかって? 見たんだよ! アレを見たら誰だって確信する! オレはさ、あの光景を目にした時、初めて感動で涙を流したんだ。オレは、オレたちは幸福そのものだ! 長年紡がれてきた祈りの成就! その当事者になれるなんて幸福以外の言葉がねぇ! ティファは紛れもない本物だ。それなのに魔女……よりにもよって魔女とかほざいたんだろ? それがどれほどの侮辱かなんてこの世の誰もが知ってる。んなこと平気で吹きやがったヤツは誰であろうと慈悲はねぇ。異端者に与えるのは罰のみだ」


 狂おしい信仰心を宿した瞳を大きく見開き、喜びと怒りを身振り手振りで表現しながら早口でまくし立てるエルドレッド。


 その言葉の殆どを理解していない。

 理解することを放棄した。



×××



 エルドレッドは松明を持っていた村人に視線を向ける。

 頷いた村人は躊躇いもなく縛りつけられている少女、串刺しにされた少年、宙吊りの少年に火を放つ。

 耳を塞ぎたくなるような絶叫。本能的に絶え難い異臭が鼻を蹂躙する。


 断末魔が聞こえなくなっても燃え続ける少女たちを、少女たちだった何かをノエルは呆然と眺め続ける。


「私は、望んでいない……こんなこと望んでいない」


 ただ、子供たちにティファベルを虐めて傷付けたことを謝罪、反省して欲しかっただけなのに。

 それがどうして、八人も惨殺される結果になるのだ。


 絶望に呑まれているのはノエルともう一人。

 地面にへたり込み、燃える少年少女を恐怖に引き攣った顔でただ見ているシスター・ベリンダ。

 自分の身に降りかかった絶望があまりにも大きく、彼女がその場に居たことをこの瞬間まで把握できていなかった。

 

 他の人間は異端者を抹殺できた、と充実感に満ちた表情をしている。

 異常な光景に恐怖と嫌悪で脳が掻き乱される。


 今まで無意識に理解し、逃避していた事実が最悪の形になって襲いかかったのだ。

 現実という凶悪な顎は心を噛み砕く。

 この瞬間、ノエルは真の意味でこの村を理解する。

 


 ティファベル・アングレカムが森羅万象の根幹として存在し、数百年の祈りに汚染された狂信者のみで形成された超閉鎖的世界──それがアルカの正体だ。

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