三章 第4話 『アングレカム家』
ティファベルの家は村の中心部から離れた場所に建っていた。
外装から見ても十分な広さはあり、ティファベルの叔母がココの提案をすんなり受け入れたのも納得がいく。
因みに他は平屋なのだが、アングレカム家はアルカ唯一の二階建てである。
部屋はかなりの数余っており、五人は二階の空き部屋を使わせてもらうことに。
最低限の家具が置かれているだけのシンプルな内装だ。埃ひとつ見当たらず、ベッドのシーツも綺麗に敷かれている。机の上にはランタンが置いてあり、夜になったら光源として活躍してくれるだろう。
ヒガナは荷物をベッドの脇に置く。数日分の着替え、歯ブラシなど日用品以外持ってきていないので荷解きは後回しだ。
「間取りはどこも同じようですね」
ノックも無しに平然と部屋に入ってきたココにヒガナは特に苦言を呈することはしない。彼女が許可を得ずに部屋に訪問するのはよくあることだ。ノックするか、しないかはココのその日の気分次第なのだ。
「そうなのか?」
「えぇ、他の部屋も確認しましたので。家具も若干の差異がありますが必要なものはちゃんと揃っています」
ココは確認というが、実際のところは荷解きしているのを邪魔していただけだ。
クラリス、ヨハンは雑談に応じてくれた。
その後、アルベールの部屋には入らずにヒガナのところに来たわけである。
「ここだけ二階建てだし、ティファベルの家は地主だったりするんかな」
「そうかもしれませんね」
ヒガナの意見に一応の首肯をするが、何か腑に落ちないという表情でココは顎に白くて細い指を添える。
「何か気になるのか?」
「言葉にできるほどの確証はありません。ただ、漠然とした違和感があるだけです」
「違和感、か。俺は村全体に言いようのない違和感があるな」
「まぁ、歴史的に見てもこの土地は特殊ですからね」
「特殊?」
首を傾げると、ココが特殊と言った理由を簡単に説明してくれた。
「他の一族と共に世界の礎を作り、歴史から忽然と消えた一族。彼らが住んでいたのがここアルカです。大層なお人好しで故郷を追われた者や行く当てのない人々、亜人や魔族──誰であろうとも受け入れていたようです」
「優しい一族だな。どうして歴史から消えたんだ?」
ヒガナの問いにココは首を横に振る。彼女の動きに合わせて白縹色の髪がゆらゆらと揺れた。
「分かりません。どの歴史書を確認してもある時を境に記述が一切されなくなっています。しかし、歴史というのは権力者が都合の良いように改竄しますからね。権力者側にとって、その一族の存在は都合が悪かったから抹消したとかもありえますからね」
「でも、世界の礎を作ったんだろ。その一族こそ権力者なんじゃないか?」
「他一族との権力争いに敗北したから歴史から消えた、という歴史家もいます。個人的な意見を言わせてもらうなら、度を越したお人好し一族が権力を欲するのは違和感があります。まぁ、いくら推測しても真相は歴史の彼方ですが」
この世界……元の世界でもそうだが運命とは時に残酷だ。善性、悪性など無視して平等に訪れる。
それでも権力争いではない、もっと別の理由であることをヒガナは密かに願った。
「じゃあ、村の人たちの中にはその一族の子孫もいるってこと?」
「どうですかね。仮に権力争いが史実だとしたら、争いに破れた一族は皆殺し──血筋が断絶している可能性もあれば、辛うじて生き残った者の子孫がいる可能性もあります」
「俺は後者だと思いたいな」
そう呟くヒガナに向けてココはつまらなさそうに肩をすくめた。ついでに呆れたような溜め息も吐く。
「ヒガナ君って必要以上に感情移入しますよね。見ず知らずの一族が滅びていようが、存続していようがどうでもいいじゃないですか」
「冷たい言い方だな。子孫がいたら、そこには救われた命があったってことだから喜ばしいことじゃないか」
反論する口調は少しだけ強かった。
ココは剥き出しの白い背中をヒガナに向けて、若干の苛立ちを混じらせた声で言う。
「救われることは必ずしも喜ばしいとは限りません。救われた側は罪を背負い、罰を受け続けるんですから」
「じゃあ、救われなかった方が良いっていうのか?」
「そういう話ではありません。そもそも救いの定義が個人によって異なるので、この話は根本から破綻しているんですよ」
ドアノブに手をかけてココは続ける。
「どうでもいい、と言ったのは過去の話だからです。今を生きる私たちが知れるのは結果だけです」
「それはそうだけど」
「過去に思いを馳せるのは構いません。しかし、過去に感情を注ぐというのは現在、未来を疎かにするということ。反面教師がすぐ近くにいるでしょう?」
ヒガナは左右色違いの瞳を持った剣士を連想してしまった。
その流れで質問してしまう。
「なぁ、アルベールさんと何があったんだ?」
ココのことを完全に理解しているとは口が裂けても言えない。が、今のココが不調というのは流石に分かる。
不調というより不安定と表現した方が正しいだろう。言葉のキレが鈍く、不遜な態度がいつもより軟化している。
「何かできるって訳じゃないけど、話ならいくらでも聞くから。ほら、誰かに話すとすっきりするって言うだろ」
すると、ココはヒガナの方に顔を向けて嘲笑気味に言う。
「もしかして慰めようとしてます? ヒガナ君如きが? 使用人見習いの分際で随分と大きく出たものですね」
「心配してたのに……」
「淫魔を慰めたいのならベッドの上にしないと。この場合でしたら後ろから抱きしめて押し倒すのがいいかと」
「──っ!? すげぇ、デジャヴ感じたんだけど!?」
失われた世界でも似たような会話があったことを思い出すヒガナは、その時の同じように頬を紅潮させていた。冗談と分かっていても恥ずかしいものは仕方ない。
満足そうなココは部屋の扉を開けながら、
「彼との衝突は多々ありますから、そこまで深刻に考えないでください」
「でも、いつものココらしくない」
「らしい、ですか。それを知られるほど仲良くなった覚えはありませんね」
「……………」
「この話はこれで終わりです。ほら、一階から良い匂いがしてきました。夕食の時間です」
部屋を出て行ったココ。その後を釈然としない気持ちでヒガナは追った。
×××
「紹介が遅れました。ノエルと申します」
様々な料理が一堂に会すテーブル。囲むように椅子に座っていたヒガナたちに向けて、ティファベルの叔母は名を名乗った。便乗してティファベルはヒガナ以外に自己紹介をした。
その流れで五人も名を伝える。名前の開示が済んだところで夕食は緩やかに始まった。
ノエルの作った料理はどことなく懐かしい味がした。温かみのある、食べるだけで心が落ち着くような優しい味。
「お口に合えば良いのだけど」
「俺はこの味付け凄く好きです」
「どれもこれも美味しいっす!」
ヒガナは素直な感想を述べる。
続けてヨハンも全身を使って感想を表現した。
ココ、アルベール、クラリスの三人は明確な言葉こそ無かったが仕草を見る限り満足しているようだった。
客人の反応にノエルは安堵の息を零す。緊張が多少解れたところで質問をする。
「皆さんはどういった要件でアルカへ?」
「ここで連続発生している不審死の調査です」
「──っ。てっきり国は手を引いたのかと」
「それはどういう意味ですか?」
ノエルの発言に食事の手が止まるココ。白縹色の瞳にジッと見つめられたノエルは少し戸惑いながら話す。
「少し前に医師団が同じ理由で来たんです。でも、まともな調査もしないで数日も経たない内に結果すら教えてくれないまま帰ってしまいました。住んでる人間からしたら大問題だっていうのに」
「本当に帰ったんですか?」
「ええ」
ノエルの話は出発前にココが話した内容と食い違っていた。かたや帰ったと証言し、かたや行方知れずとの報告を受けている。
詳しく話を聞こうとするココだが──。
「楽しい夕食で暗い話は聞きたくない。それより、皆さんのお話が聞きたいわ!」
ティファベルが好奇心を宿した碧瞳でヒガナたちを見つめる。
身内以外で初めて出会った村外の人。興味を抑えろというのは子どもには酷な話だろう。
「今日はゆっくり休んで明日から頑張ろうぜ」
「まぁ、そうですね」
ティファベルの無邪気な好奇心、ヒガナの意見を聞き入れてココはこれ以上の追求はせずに用意された食事に再び意識を向けた。
すると、待っていましたと言わんばかりにヨハンが勢いよく立ち上がる。
「じゃあ、偉大なる師匠の話を聞かせてあげるっす!」
「どんなお方なの? ヨハンさん」
「それはここに居る史上最強の師匠っす!」
「まあ! そうなの!」
「そ、そんなんじゃ……」
それからヨハンの話が終わるまでクラリスは顔を真っ赤にして俯いていた。
彼の話を楽しそうに聞くティファベル。
つい数時間前に聞いたものと同じ内容だったが、ヒガナは再燃する感動に密かに心を震わせていた。
話をもっと聞きたいというティファベルのリクエストに応え、ココは王都のことや貴族社会、屋敷で共に働く使用人の話を語り聞かせた。
やはり彼女は話が上手い。言葉遣い、声の抑揚が絶妙で聞き手を惹きつける魅力がある。
ティファベルは食事の手が止まるほどココの話に聞き入っていた。
それはノエルも同様だった。
×××
濡れた黒髪をタオルで拭きながらヒガナは部屋へと戻った。ランタンに灯りを点してから、ベッドに腰掛けて息を吐く。
「まさかお風呂があるなんて思わなんだ」
この家には浴室があったのだ。
他の家にはそのような設備はなく、大半が村に一つだけある小さな公衆浴場を利用しているとのことだ。
どうしてこの家だけが。
浮かんだ疑問に対しての答えは、風呂上がりにたまたま顔を合わせたノエルが教えてくれた。
『三年ほど前に火事で全焼してしまったんです。その時にティファの父親も亡くなったと。突然の悲劇に襲われたティファを少しでも支えるために村の人々がお金を出し合ってこの家を建てたようです。……愛されている? まぁ、そうですね。子どもは…………ティファだけなので、村の人たちがそれぞれ自分の子ども、孫のように可愛がってくれていると思います。火事の原因は……すいません。私がこの村に来たのはその一件の後なので詳しいことは分かりません』
ノエルの話を反芻しながら、ヒガナは立ち上がって窓の外を眺める。
月明かりも雲に隠れてしまっているので灯りなどは一切なく、静まり返った暗闇だけが広がっているだけだ。まるで深淵を覗き込んでいるような不安さが足元から這い寄ってくる。
「こういうのが村特有の強い繋がりっていうのか?」
そんな簡単なものではない、とヒガナは直感的に感じていた。
具体的なことは何も言えない。
だが、胸が騒つくというか、どうしようもない違和感が燻っている。
それが不審死と繋がるかは分からない。
全く関係ないかもしれない。
そうだとしたら村の事情に部外者であるヒガナが首を突っ込むのはお門違いだ。
「────え?」
偶然、雲の切れ間から月明かりが差し込んだ。
ぼんやりと外を見ていたヒガナは暗闇のベールが剥がれた先に見えた光景に喉が凍りついた。
人、だ。
人が居る。
それも一人、二人ではない。
数十人規模の村人たちが一切の身動きをせずにこちらを凝視していたのだ。
何かをしているわけでもない。
話をしているわけでもない。
ただ、沈黙を貫き、瞬き一つせずにアングレカム家を見つめているのだ。
ヒガナは反射的にカーテンの影に隠れた。
風呂上がりで火照っていた身体は急速に冷え、心臓の鼓動が騒がしいほど早くなる。
死の恐怖とはまた違った恐怖に身体が震えている。
急いでランタンの灯りを消して、ベッドに潜り込んで毛布を頭から被って今見たものを記憶から排除、それか勘違いだったと思い込もうとする。
なんで。なんでこっち見ていたんだ。なんだあの無感情。やめろ。なんで。理由は。考えるな。俺たちが村の外から来たから。なんで。意味がわからない。怖い。気のせいだ。何かまずいんじゃ。なんで。見間違いだ。考えるな。なんで。敵だと思われている。なんで。考えるな。考えるな。考える────。
答えの出ない問題に対して、堂々巡りをしている内にヒガナの意識は徐々に微睡みの中に沈んでいった。
意識が途切れる瞬間、恐怖すら飲み込んでくれる睡眠欲求にヒガナは感謝した。
×××
光すら抜け出すことのできない漆黒の世界。
いくら足掻いても虚無からは逃れることはできず、果てのない深淵にその身を委ねるしかない。
⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎はただ存在しているだけ。
自らの意思で干渉することは決して叶わない。
観測者として世界の変化を傍観すること以上の役割はない。
刹那、淡い輝きを放つ蝶が無数に羽ばたいた。
闇に覆われた世界を照らす光。
しかし、蝶は凄まじい速度で消滅していく。
羽ばたきの余韻すら残さずに、仄かな輝きを闇に溶かして。
直後、漆黒のベールで顔を隠した女性らしき影が現れた。
いや、もしかしたら始めから居たのかもしれない。
何せ世界は闇に染められているのだから。
彼女はゆっくりと閉じていた両手を開いた。
その手の中に居たのは、とても小さく儚げな光を放つ蝶だった。




