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愚者の此岸 世界の彼岸  作者: 栗槙ねも
第二章 『朧月夜の兎』
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二章 第14話 『処刑当日』


 すっかり夜も更けた頃、ヒガナとウォルトは宿屋の屋根の上に座り、雲が遮り半分しか姿を見せない月を眺めていた。

 ウォルトはヒガナの隣で煙草を美味しそうに吸っていた。口から出された紫煙は風に乗って彼方へと溶けて消えていく。


「付き合わせて悪いな」

「そんなことないです。まぁ、ちょっと怖いですけど、明日の予行練習も兼ねて」


 屋根の上に登るのは初めての経験であるヒガナは、なるべく下を見ないように気をつけていた。少しでも下を向いたらそのまま落ちてしまうんじゃないか、という思いがあったからだ。


「一本どうだ?」


 煙草の箱がヒガナに向けられる。夕方頃に新しく開封した筈の箱には、すでに隙間ができていて数えるくらいしか煙草が入っていなかった。


「遠慮しておきます」


 未成年に加え、煙草の匂いが苦手なヒガナは丁重に断った。

 内ポケットに煙草の箱を引っ込めて、ウォルトは再度紫煙を吐き出し、ぽつりと呟いた。


「『ひとりぼっちの魔神』って話を知ってるか?」


 タイトルから察するに童話や昔話の類いだろう。

 この異世界の住人ではないヒガナは当然の如く知らないので首を横に振った。


「勉強不足なもので。どんな話なんですか?」

「そうだな──」



 あるところに、それはそれは素晴らしい魔術師がいました。魔術師の力量は宮廷魔術師ですら足元に及ばない、神の領域に達していると言われ、周りからは『魔神』と呼ばれていました。


 魔神はその力を人々のために使いました。

 世にも恐ろしい怪物を倒し、乾き切った大地を潤し、病に苦しむ人々を癒し──多くの人々を救いました。


 なぜ、魔神はそこまでしたのでしょう。

 それは、魔神が胸にずっと抱いていた願いのためでした。


 ──友達が欲しい。


 ただそれだけのことでした。

 それだけのために、多くの人を救ったのにもかかわらず、友達と呼べる人は一向にできませんでした。

 魔神は森の奥でひっそりとひとりぼっちに暮らしていました。


 そんなある日のことです。

 魔神は森の中で少年を見つけました。

 少年は怪我をしていて、魔神はすぐに治してあげました。


『もう大丈夫。もうすぐ暗くなるから早くお家に帰りな』

『帰る家なんてない』


 よくよく聞いてみると、少年は家族から逃げて来たというではありませんか。

 事情を理解した魔神は、少年に一緒に暮らさないかと持ちかけました。

 少年は頷きました。

 長い長い孤独から解放された瞬間でした。

 そして、二人は幸せに暮らしました。



「なんか良い話ですね」

「ここまで聞けばな。続きがあるんだ」

「続き、ですか」


 ウォルトは面白くなさそうに、物語の続きを掻い摘んで説明した。


「成長した少年は魔神の元を離れるんだ。騎士団に入り、眼を見張るような活躍をして多くの功績を残した。それから数年の月日が流れた後に、再び魔神の前に姿を見せる。その時の少年は何をしたと思う?」


「それは……育ててくれたことへの感謝とか」


「殺したんだよ、魔神を」


 冷たく言い放たれた物語の結末にヒガナは言葉が出なかった。

 煙草を屋根に押し付けて消し、ウォルトは吐き捨てるように言った。


「俺はこの話が嫌いだ」

「後味が悪いから?」

「魔神がお人好しだからだ」


 言いたいことは分かる、が、よく分からない理由にヒガナは首を傾げた。補足説明はないかと待ってみるが、ウォルトはそれ以上のことを言う様子はなかった。

 しばらくの間が空いた頃、ウォルトがおもむろに口を開いた。


「どうしてアリスの奴隷霊装を解除しないんだ?」


 ヒガナとアリスの関係性を見たことある者なら誰でも一度は疑問に思うことだ。

 その質問にヒガナは少しだけ間を置いて苦笑混じりに答えた。


「取ろうとしたんです。でも、アリスが凄く嫌がって」

「なるほどな」


 納得したように何度か頷き、新たな煙草に火を付けるウォルト。煙草を吸う横顔はやけに様になっていて、男のヒガナも少し見惚れてしまう。


「ウォルトさんこそ、どうしてモニカを?」


 ウォルトとモニカの関係は主人と奴隷のようなものではなく、互いに信頼を置ける相棒のようだ。

 そう見えたからこそ、モニカを奴隷の地位に留めているウォルトが不思議だった。

 自ら発している不思議そうな視線は、きっとヒガナも浴びたことのある代物だ。

 彼は煙草を咥え、指を二本立てた。


「二つ理由がある。一つは仕事中に重宝する。奴隷霊装は二人の間にパスが通っている故に、相手がどこに居るか、どんな状況に陥っているかが感覚的に分かる。仕事中の俺とモニカは基本的に単独行動だ。片方に何かあればすぐに察知できるって訳さ」


「言われてみれば、そういう利点もありますね」


 フレットとの戦闘後、魔獣に囲まれていたところをアリスがやって来て助けてくれたことを思い出した。

 あの時も霊装による繋がりのおかげで、アリスはヒガナの居場所を特定することができたのだろう。


「二つ目は、モニカが嫌がるんだ。そちらさんと同じくな」

「モニカも?」


 あぁ、と呟きウォルトは落ち着いた、いや、落ち込んだような口調で語る。


「アイツもさっきの魔神のように、ずっと孤独だったんだ。いくら気丈に振る舞っていても、内心には孤独という恐怖が深く根付いている。それを払ってくれているのが……」

「霊装ってことですか」


 ウォルトは鷹揚に首肯する。


「繋がりを感じられる、モニカからすれば救いなんだろうな。けどな、俺から言わせればそれは呪いだ。いつまでも縋っていていい代物じゃない」


 呪い、という言葉がヒガナに重くのしかかった。

 ウォルトの言う通り、奴隷霊装による偽りの繋がりは呪いに等しい。

 だが、アリス救出にはこの呪いが役に立つ。役に立ってしまう。切り札と言ってもいいほどだ。


 ウォルトの提示した計画は至ってシンプルなものだった。

 処刑の瞬間に、騎士団や集まってくるだろう野次馬を撹乱。混乱に陥ったのを見計らってウォルトがアリスを救出。その後は各自あらかじめ決めておいた合流地点に向かう。


 ここで最大の壁となるのが撹乱だ。

 野次馬はどうとでもなるが、騎士団は簡単には動じないだろう。問題が起こればすぐさまアリスを最優先に行動する筈。

 騎士団すらも混乱させなければならない。

 そこでウォルトが思いついた案、それは。


 ──アリスが問題を起こせばいい。


 受刑者であるアリスが突然暴れ出したら、騎士団も多少なりとも混乱するだろう。

 野次馬は凄まじいパニックになるだろう。

 恐らく処刑の舞台である広場は収拾のつかない状態になる筈。

 そうなってしまえば、アリスを救出するなどウォルトには朝飯前だ。


 では、アリスをどう暴れさせるか。

 そこでヒガナの出番だ。彼が持っている『命令権』を行使し、アリスを強制的に暴れさせる。

 この計画を聞いたヒガナは正直悩んだ。絶対に使わないと決めた命令権。しかし、使えばアリスを救うことができるかもしれない。


 自分の誓いとアリスの命。天秤にかけて傾くのは紛れもなく後者だ。

 ヒガナはこの計画に乗った。決して完璧とは言えないが、それでも可能性はある。僅かでもアリスを死の運命から救えるなら迷う必要はない。


「………………」


 腰に差した銃に触れる。複雑な想いがヒガナの中で延々と回り続くうちも、計画決行の時は刻一刻と迫っていた。



×××



 アリス処刑の日。

 少しでも衝撃を与えれば、たちまち激しく雨粒を降り落としそうな、重く暗い曇天が王都を見下ろしていた。


 舞台となる広場にはすでに大勢の市民──冒険者や商人、娼婦や教師、主婦や子ども、そして老人など老若男女──が、爛々と目を輝かせ大罪人の登場を今か今かと待ち望んでいる。


 彼らの視線の先にあるのは処刑台。騎士たちによって警備がされているそれは木製の作りで、罪人を縛り付ける丸太が伸び、台の下には薪が置かれていた。


 建物の屋根の上からその光景を眺めていたヒガナは、元の世界においてワールドカップやオリンピックで盛り上がる人たちのことを連想した。これが彼らにとってのワールドカップ、オリンピックなのだ。

 日頃の鬱憤を晴らすイベント。最大の見世物。

 処刑を娯楽として捉えている民衆にヒガナは怒りを禁じ得ない。


「なんで笑える? なんで楽しんでいられる? アリスを殺すのはお前たちが生み出した民意(かいぶつ)でもあるんだぞ」


 冷静さを失いかけていたヒガナの肩に小さな手が置かれた。フードを深く被った、紫紺の瞳を持つ少女──モニカのものだ。

 彼女はヒガナとウォルトの連携を円滑に進めるための中継役としてヒガナと行動を共にしていた。


「落ち着いてください。残念ですが、世間一般ではアリスさんは心優しい貴族を殺した恩知らずの奴隷という認識です」


「ぐっ……」


「いくら私たちが、アリスさんは無実だと叫んでも誰も耳をかたむけてはくれないでしょう。彼ら彼女らからすればアリスさんは紛れもない悪、断罪されて当然の存在なんです」


 根本的な価値観が違う、とモニカは言いたかったのだろう。現状ではヒガナと民衆の考えが交わることは決してない。永遠に平行線のまま。今抱いているのは不毛な怒りでしかない。

 ヒガナは深呼吸を繰り返し、怒りを鎮める。


「悪りぃ、もう大丈夫だ。ありがとな、モニカ」

「どういたしまして。もっと感謝してもいいんですよ?」


 モニカの軽口にヒガナの心に多少の余裕が生まれた。


 ──いつも助けられているな。


 いずれ、ちゃんとした形でモニカにお礼をしようとヒガナは思った。


 広場に集まる民衆のボルテージは上がり続けるが、アリスはまだ現れない。


「一つ聞いていいか?」


「答えられることなら、いいですよ」


「モニカたちの依頼人はアリスとはどういう関係なんだ? 何のためにアリスを連れて来させようとしているんだ?」


 モニカはクスリと笑った。


「それ、二つ聞いてますよ。後者の質問だけお答えしましょう。依頼主さんは、アリスさんに謝りたいらしいです」


 無意識に二つ質問したことに恥ずかしさを感じていたヒガナだが、片方の答えを聞いて首を傾げた。


「謝りたいだって?」


「はい。『彼女に重い十字架を背負わせてしまった』って言ってました。本当は自ら出向いて謝罪しかったらしいですが、アリスさんの居場所は分からず、本人も諸事情で遠出ができない、公に身元をさらしたくないということで、私たちに依頼してきたんです」


「身元を晒したくない?」


「何かと事情がある方なんです。私たちは報酬金さえ積んで貰えれば誰だろうと、どんな依頼でも受けますから」


 報酬金さえ積めば……。そのニュアンスからは後ろ暗いものを感じてならない。裏社会の人間御用達の宿屋に泊まっているのも、今なら文句なしに頷ける。


 それからしばらくして事態は動き出した。

 岩のような大男を筆頭に、騎士団数名に囲まれながら、兎耳の少女が亜麻色の髪を揺らしながら民衆の前に姿を現したのだ。


「──アリス」


 首に巻かれた包帯と手枷を除けば普段となんら変わらない。いつも通りに足取りはフラフラして、瑠璃色の瞳でボンヤリとどこかを見つめている。

 現実では数日、体感では一日振りに黒瞳に映るアリスは、どこまでもヒガナの知っているアリスだった。


 アリスの登場により民衆のボルテージは最高潮に達した。あちこちから「殺せ!」「地獄に落ちろ!」「血染め兎に鉄槌を!」「死に晒せ外道が!」と罵詈雑言が飛び交う。

 今にも怒鳴り声を上げそうになるヒガナをモニカは必死になって抑えた。


 そうこうしているうちにアリスは処刑台に立たされて、鎖で丸太に拘束される。

 抵抗しようと思えばいくらでもできる。鎖を破壊し、逃げることだってできるだろう。だが、アリスは抵抗は一切せずにされるがままだった。


 処刑台に立つアリスの前に一人の司教が立った。彼はアリスに向けて説教を述べ始めた。

 だが、当のアリスは全く関心が無さそうに周りをキョロキョロと見ている。


「──っ。ヒガナさん、作戦開始です」


 奴隷霊装を通じて流れ込んで来たウォルトの感情を正確に読み取ったモニカが、ヒガナに合図する。

 司教が説教をしている、この瞬間が絶好のチャンス。


 ヒガナの心臓が激しく鳴り出した。

 一言だ。たった一言で形成は大きく変わる。

 アリスが暴れ出せば、後はウォルトがなんとかしてくれる。


「…………はっ、は……」

「どうしたんですか? ヒガナさん」


 声が出ない。極度の緊張で声の出し方を忘れてしまったかのようだ。

 それだけではない。恐怖が、心の奥底に封じ込めていた絶望が声帯を締め付ける。


 ──嘲笑が、聞こえる。


 奴隷に堕とされ、命令された時の拭いきれない恐怖と絶望が、ヒガナを躊躇わせてしまったのだ。

 命令すれば、アリスは救えるかもしれない。


 ──その後は今まで通りでいられるのか。


 ──仲間としてアリスを見ることができるか。


 ──ずっとアリスに負い目を感じてしまうのではないか。


 救った先にある不安に駆られ、ヒガナは言葉を紡ぐことが出来なくなってしまった。

 一度揺らいでしまった覚悟を再度構築するにはどうしても時間が必要になる。

 この状況での時間は、一秒ですら命取りになる。

 事実、一秒は命取りになった。


「きゃっ!」


 小さな悲鳴が聞こえた。

 弾かれたように振り返ると、彼女の後ろには女がいた。その女はモニカの首筋に刃を添えて、動きを封じていた。

 突然の出来事に驚くヒガナだが、それよりも驚愕したのは女の正体だ。


「なんで……」


 ヒガナはこの女を知っている。

 ベーシックなメイド服を完璧に着こなし、落ち着いた雰囲気は印象にしっかりと残っている。決して深い仲ではないが朝と夜には必ず顔を合わせていた。

 そう、グウィディオン邸の当主の後ろでいつも礼儀正しく起立し、瞑目していた──


「なんで、給仕長がここに……モニカを……」


 予想の範囲外からの伏兵に脳処理が追いつかない。

 それでも、ヒガナはある種の確信を持ち悪寒が全身を貫いた。

 給仕長がこの場に現れたということは、あの少女も確実に居る。

 居ないはずがない。

 確信は艶やかな声色に奏でられ、現実となって現れた。


「だから、言いましたよね。──お気をつけて、と」


 給仕長の背後から出てきた小柄な人影。

 メイド服を妖艶に着こなした、白縹(しろはなだ)髪の淫魔は悪辣に嗤った。

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