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愚者の此岸 世界の彼岸  作者: 栗槙ねも
第二章 『朧月夜の兎』
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二章 第4話 『安息の終わり』


 時間はあっという間に過ぎて、夕食を済ませ湯浴みから上がる頃には空は闇夜に包まれ煌々と輝く月だけが王都を照らしていた。

 ヒガナはあてがわれた客室で落ち着くなく歩き回っていた。かと思えば椅子やベッドに座り少しすると立ち上がってそわそわしだす。

 数十秒に一回は扉に何度も視線を合わせてしまう。


「来るのか? 本当に来るのか?」


 ヒガナが忙しない理由はココが原因だ。

 彼女の計らい、嫌がらせ、気まぐれで今夜ヒガナの元に使用人の誰かが来ることになっている。

 使用人ということは淫魔だ。

 夜に淫魔と二人きり、もう事が起こらない確率の方が低いのではないか。

 ヒガナとて健全な男子だ。ここまで場を整えられ相手は本能を直接刺激してくる美女、美少女の誰か。耐えろというのが酷な話だろう。

 ノックの音が聞こえ、心臓が跳ね上がる。


「は、はひっ」


 盛大に噛んだヒガナ。

 部屋に入ってきた白縹(しろはなだ)髪の美少女は鼻で笑う。


「たかだか美少女が部屋に来るだけでその緊張とは。哀れすぎて涙が出そうです」

「ココ」


 屋敷随一の問題児は持っていたお盆──ティーポットとティーカップ二つが乗っている──をテーブルに置き、手際良く紅茶を淹れ始める。

 ヒガナは棒立ちのまま、ココの姿をキョトンと見ていた。


「どうしました?」

「あ、いや……」


 言い淀むヒガナ。

 曖昧な反応を見て、ココは悪意混じりの暗い笑みを浮かべた。


「朝の威勢は嘘だったようですね。本当はしたくてしたくて堪らないって顔に書いてありますよ」

「そんなんじゃねぇよ。ココが来たことに驚いただけだ」


 驚きもしたが同時に安心もした。

 ココはどういう訳か、他の淫魔を見た時に感じる熱をあまり感じないのだ。

 彼女となら間違いは起きない、そんな確信がヒガナにはあった。


「別に隠さなくてもいいですよ。抱きたいなら抱きたいって素直に言った方が好感が持てますよ」

「だから違うって」

「いつまで立っているんですか?」


 紅茶が注がれたティーカップがココの座っている対面側に置かれた。

 ココは早く座れといった視線をヒガナに向けている。


「えっと」


 ヒガナのよそよそしい反応にココは首を傾げる。

 数秒後、思い当たる節を見つけて露骨に呆れた。


「まさか早朝の冗談を真に受けていたとは。滑稽過ぎて反吐が出そうですね」

「はぁ!? 冗談、冗談だって!? 俺だどれだけ悩んだと思ってんだよ!」

「お客様に使用人の夜の相手をさせるなんて常識的に考えて有り得ませんから。馬鹿なんですか?」

「でも、ウェールズさんは相手をしてくれないかって」

「話し相手、ですよ。まぁ、話し相手を頼むっていうのもおかしな話ですけどね」

「なんだ……そういうことか」


 ヒガナは胸を撫で下ろす。が、少しばかり残念な気持ちがないと言ったら嘘になる。

 早朝の会話から予想するとココはウェールズの話し相手らしい。上手というのは聞き上手という意味だろう。

 弱みを握られているかも、という意味も頷ける。

 結局はヒガナが一人で勝手に誤解し、そわそわしていただけだ。


「誤解も解けたようですし早く座ってください。私が手ずから淹れた紅茶が冷めてしまいます」


 椅子に腰掛けてティーカップを手に取る。

 揺らめく湯気から漂う香りが鼻腔をくすぐる。

 ひと口飲むと口いっぱいに美味みが広がり、紅茶を賞賛する言葉が自然と零れた。


「美味い」

「当たり前です。それ以外の言葉を発していたら舌を切り落としていましたよ」

「紅茶の感想で殺そうとするなよ!」


 苦言を完全無視したココはティーカップを口につける。動作の一つ一つが恐ろしく洗練されており、ついつい見惚れてしまうほどだ。


「さて、お客様は何を話してくれるんでしょうね」

「俺が話すのか?」

「えぇ、なぜお客様のような一般人が『始祖の吸血鬼姫』──ルーチェ・ファーデウス・ヘレルシャレル、『血染め兎』──アリス・フォルフォードと一緒にいるのかは気になるところですから。話して頂けますよね?」


 ココは興味津々といった瞳で見つめてヒガナにお願いする。──断れる訳がない。

 ヒガナは咳払いをして気持ちを整えながらポツポツと語り出す。なるべく時系列に沿って話の筋が狂わないように。

 そうはいってもなかなか上手くはいかない。ヒガナの語りはお世辞にも上手いものではなかった。

 しかし、聞き手であるココの理解力の高さと絶妙な相槌のお陰で、ヒガナは落ち着いて話すことができた。


「──で、王都で君に出会ったんだ」


 全てを聞き終えたココは瞑目し、余韻に浸る。しばらくしてからゆっくりと目を開けて紅茶を飲んでから一言。


「信じられませんね。子供の戯言、妄想としか思えない話です」

「な、なあぁ!?」


 驚いてみるが、その反面ココの反応はもっともだと思ってしまう。

 ヒガナは重要な部分──時間遡行、ループのことは説明していない。説明したところで誰も分かってくれないのだから。それこそ戯言、妄想と鼻で笑われるのがオチだ。

 それに、あんな絶望に染まった世界を覚えているのはヒガナだけで十分だ。


「お客様の話は控えめにいって都合が良過ぎます。細かい点をあげるとキリがありません」

「それは……」

「ですが、ノノの手紙とルーチェ・ファーデウス・ヘレルシャレルの存在がお客様の話を事実だと証明していますからね。不本意ですが信じる他ありません」

「不本意なのかよ」


 言葉とは裏腹にココはヒガナの話に満足したようで、口の端が微かに緩んでいた。


「一つ、質問いいですか?」

「あぁ、答えられることなら」

「ノノはどんな様子でした」


 若干恥ずかしそうに聞いてくるココの表情は妹のことを想う姉のそれだった。

 ノノの話をするのは構わないが、そうすると些か疑問が湧いてきた。


「ノノちゃんからの手紙は読んでないのか?」


 ヒガナはノノから託された本と手紙をココに渡していた。手紙となれば己の近況報告でも書いていたのだろう、と思っていたのだが、ココの反応を見るとどうやらそうではないみたいだ。

 ココは胸から手紙を取り出して、ヒガナの方に放り投げた。


「読めば分かりますが、ノノのことは一切書かれていません」


 仄かに温い手紙を手に取り内容に目を通すが、すぐにヒガナはココに視線を戻す。


「俺、文字読めないんだけど」


 正直に告白すると、ココは呆れたように溜め息を吐いた。


「どうしようもないお客様ですね。話が進まないので、面倒臭いですが私が音読してあげます。ですから、耳の穴限界まで開いて一言一句漏らさずに」

「了解」


 小さく咳払いをしてからココが音読を始める。

 悪態ばかり吐いている時とは違って、心地良く聴き入ってしまう声色だ。普段からそうやって話せば良いのに。きっと手紙の質がノノのように優しいからだろう。

 しかし、途中から違和感を感じ始めた。

 ココが言う通り、ノノ自身のことは一回も話題に上がってこない。主人である天使の顔した死神みたいな美少女のことばかりだ。


「これは……」

「その内容でノノのことを知るとなると至難の業ですよ。仮に手紙に近況が書いてあったとしても同じ質問をしてましたけどね」

「それ質問する意味あるのか?」

「多方面の視点から見ないと物事は深く理解できません。本当は主観的視点と客観的視点で知りたかったんですが、今回はお客様の視点のみで我慢しましょう」

「さいですか。拙い語りですが精一杯話しますよ、お姉様」


 不遜な言い方だが、妹想いの姉に免じてヒガナはノノについて先程より詳しく話すことにした。

 聞き終えたココは今までに見せたことない柔らかな表情をしていた。


「そうですか。ノノ……元気そうで良かった」

「あぁ。エマちゃんと仲良くやってたよ」

「あの子は私たち姉妹の中ではまともな部類ですから平穏に暮らして欲しいものです。まぁ、慕っているのが『死神』なので望み薄ですが」

「確か五姉妹だったよな。他の姉妹はどんな感じか気になる」


 姉妹についての話を振られてココは上機嫌な様子だ。


「四女は典型的な淫魔ですね。最後に会った時は娼婦として八面六臂の活躍をしてましたね。風の噂ですと今はどこかの国の王族の愛人をしてるみたいです」

「おぉ……淫魔らしい」

「末っ子は姉妹の中で最も好戦的ですね。その性格も相まって帝国軍に所属しています。階級は少佐だった筈です」

「イメージできねぇ」


 末っ子ならココをもう少し幼くした容姿だろう。可愛い女の子が軍服に身を包み、戦場を駆ける姿は頑張っても想像できなかった。

 しかし、話を聞くだけでも中々に個性の強い姉妹だ。


「それじゃあ、長女は何をしているんだ?」


 長女という単語にココは僅かに頬を硬くした。


「すでにこの世には居ません」

「あ、ごめん……」


 抑揚のない冷たく重い口調に、ヒガナは無神経だったと反省する。


「別に構いません。姉が死んだのは随分前のことですから。変な気遣いされるのは不愉快なので自重して下さい、お客様」


 それは、ココなりの優しさだったのかもしれない。

 すっかり空になったティーカップに紅茶が注がれていく。揺らめく湯気が夜の座談会は始まったばかりと告げていた。



×××



 ヒガナとココが談話に花を咲かせている丁度その頃。

 お下げ髪の使用人見習い──ベティーは屋敷の見回りをしていた。

 消灯されており、頼りになるのは仄かな月明かりと手に持ったランタンのみ。


「ひぃぃ、怖い」


 おっかなびっくり歩くベティーは内心で本来一緒に見回りをしてくれるはずだった教育係の少女に助けを求める。

 しかし、現実は都合良くはできていない。内心で思ったところで件の少女は絶対に来ない。


 ベティーは耳に入ってきた僅かな音に悲鳴をあげそうになった。

 見ると、廊下の窓が一箇所だけ開けっ放しになり、カーテンが風に揺られていた。

 彼女は気持ちを落ち着かせてから窓をゆっくりと閉める。


「はぁ……びっくりした。なんでここだけ開いていたんだろう?」


 口にした疑問の解答は得られずに、ベティーはへっぴり腰で屋敷の見回りを再開した。



×××




 翌朝。

 昨夜のココとの談笑、目覚めの良さも相まってヒガナは軽やかな足取りで食堂へと続く廊下を歩いていた。ココが起こしに来なかったのも一因かもしれない。

 その途中で、お下げ髪の使用人見習いと出くわした。


「あっ、おはようございます、お客様」


 ベティーのカーテシーはまだ慣れていないのか若干ぎごちない。ココが居れば機関銃の如く駄目出しをされていただろう。

 ヒガナはその点についてはド素人なので、さして気にせずに挨拶を返した。


「おはよう、ベティー」


 すると、ベティーは何かに気付いたようにヒガナを覗き込んで、鼻をヒクつかせ匂いを嗅ぎ始めた。


「この匂いは……ココ先輩。間違いない、ココ先輩の匂いです」


 言われてヒガナは服を嗅いでみるが全く分からない。

 ベティーの嗅覚が特別敏感なのか、もっと別の何か──例えばフェロモンを嗅ぎ分けているのかは不明だ。


「お客様、昨夜はココ先輩と?」

「あぁ」


 肯定すると、ベティーはがっくりと肩を落として泣きそうになってしまう。


「わたしがあんなに怖い思いしてた時にココ先輩は……あんまりです」

「何があったか分からないけど元気出しな。俺でよければ話聞くから」

「ありがとうございます。ところで、その……ココ先輩とはどうでした?」


 僅かに頬を赤らめて伺うように聞いてくるベティーの姿は、昨日のヒガナとどこか重なる部分があった。

 ベティーの表情から見てあらぬ方向に想像を働かせているのは確実だ。

 少し悪戯心が湧いたヒガナはベティーをからかうことにした。


「凄かったよ。まさかココがあんな風になるなんて……」

「はわっ!?」


 顔を真っ赤にしてわなわなと震え出すベティー。反応が抜群に良い。リアクション芸人になれば大成しそうだ。


「そんなに気になるなら、今日はベティーが部屋に来なよ。きっと楽しいぜ」

「あ、あの……その……か、か、かかか考えさせて下さい!」


 ベティーは凄まじい勢いで走り去ってしまった。

 ネタバレが済んでないが、あとで会った時に説明すればいいだろう、とヒガナは思った直後、背後に不穏な空気を感じて慌てて振り返る。


「……ヒガナ」

「お、おはようアリスちゃん」


 後ろに立っていたのは亜麻色の髪が寝癖でとんでもないことになっている少女だ。頭部から生えた兎耳は寝起きだからなのか力なく垂れている。いや、いつもこうだ。

 じっとりとした瑠璃色の瞳がヒガナを見つめる。


「……死ねばいいのに」

「ストレート過ぎる!」

「……ヒガナの女にだらしないところ大嫌い」

「シンプルに傷付くやつだ! さっきのは冗談だよ。別に何もしてないって」

「……分かってる」


 そう呟いてぼんやりと外を眺めるアリス。どうやらヒガナをからかっていただけのようだ。声のトーンが普段と全く変わらないから、本気かそうでないのかの区別が付きにくい。

 ヒガナはアリスの左右後ろを確認して、若干沈んだ声を出した。


「ルーチェは起きなかったか」


 ルーチェの起床時間には規則性はなく、完全なランダムだ。

 なので、ヒガナやアリスが寝ている時に起きるということもある。夜中に起きた時のルーチェは何をしているのか気になるところだ。


「……ヒガナは今日外に出るの?」

「あぁ、必要なものを買い揃えないといけないからな」

「……そう、私はお留守番」


 アリスは自分が王都を歩く危険性を理解していた。

 貴族殺しの容疑者。

 それはあくまでも噂の域で真実は不明のままだ。

 けれども、アリスが外出するのを拒否するということは。


 ──そんな訳がない。


 ヒガナは首を振って浮かんだ考えを思考の外に追い出そうとする。

 ここでアリスに聞くことができればどんなに楽か。

 答えが出ない問題に対して、ヒガナはアリスの無罪を信じることしかできない。



×××



 早々に朝食を済ませ、ヒガナはソフィアと共に王都の商業区に来ていた。

 案内役は屋敷内限定のことだったが、ソフィアは面倒見が良いのか、王都の案内役まで買って出てくれた。

 王都に詳しくないヒガナとしては、ありがたい申し出だったのでお言葉に甘えることに。

 ずらりと並んでいる店は、どれもこれもヒガナの好奇心を刺激するものばかりだ。

 例えば、武器が描かれた看板をぶら下げている店──武器屋だ。


「すげぇ! 本当に武器が売られてる!」


 壁に飾ってる名のある鍜治屋が打ったであろう上等な剣。立て掛けてある槍や斧、それから弓。フルプレートの鎧。空き樽の中に無造作に入れられた武器は、コンビニ前の傘立てを連想させた。

 子供のように目を輝かせて店内を見渡すヒガナに、ソフィアは苦笑する。


「やっぱり武器ってカッコいいよな。店員さん、ここに曰く付きの武器とか置いてありますか?」


 ファンタジーといえば不可思議な力を持った武器だろう。エクスカリバー、デュランダル、ロンギヌス、村正など数え上げたらキリがない。


「ちょ、そんなこと聞くのはお店に失礼じゃ……」


 ソフィアの心配は杞憂だった。モノクルを付けた紳士風の店員はヒガナの質問に嬉々として答えた。


「武器ではございませんが、曰く付きの代物ならありますよ。ご覧になりますか?」

「いいんですか?」

「もちろん」


 ウィンクして、店員はカウンターの下からある代物を取り出しヒガナたちの前に置いた。

 それを目の当たりにしてヒガナは目を剥き、ソフィアに至っては悲鳴を上げてヒガナの腕に抱きついた。


「く、首……」


 ソフィアが震える指で指し示したのは高級そうな箱に入った女性の生首だ。長い金髪、整った顔立ちは病的な美しさがあり、見ているだけで精神が汚染されていきそうだ。

 絶句していたヒガナだが、あることに気が付き生首を凝視する。


「これ作り物だ」


 店員は生首の正体を看破したヒガナに賞賛の言葉を述べた。


「ご慧眼の持ち主ですね。見ただけで看破したのはお客様が初めてですよ」

「作り物ってことはお人形さんなの? どう見ても本物にしか見えないわ。何でヒガナは分かったの?」

「いや、なんとなく」


 はぐらかしたが、ヒガナが生首を作り物と瞬時に理解したのは本物の生首を見たことがあるからだ。その時は身体の芯から凍りつくような恐怖に襲われたが、目の前のそれには何も感じない。

 理屈抜きの直感で判断を下したのだ。


「よろしければ触ってみて下さい。質感は人間のそれですから」

「触ったら呪われたりとか」

「お客様を危険に晒す行為は致しませんよ」


 柔かな表情で店員は、生首を触るように促す。

 ソフィアが恐る恐る人差し指で頬を突く。


「これがお人形さんなんて信じられない」


 続けてヒガナも触ってみる。ほんのりと冷たい点を除けば質感は人間と遜色ない。不気味なくらい人間だ。


「すげぇ……。でも、どこか曰く付き何ですか?」


 店員は優しく人形を撫でながら微かな興奮に口を緩めて、ヒガナの問いに答えた。


「これを作った人形技師は、これまでに七十二体の人間を作りました。どれも本物の人間かと思う程に精巧に作られており、大枚をはたいて購入する者が後を絶ちませんでした」


 購入する人間の大半は富が有り余っている貴族なんだろうな、とヒガナは思いつつ、店員の話の続きに耳を傾けた。


「ですが、その購入者が半年以内に死亡してしまったのです。死因は各々異なるのですが、時期だけは全員ぴったり合うんですよ」

「………………」

「そのような悲劇を起こしてたのにも関わらず購入しようとする者は後を絶たず、人形は持ち主に死を招きました。しかし、不思議なことに、どこか一部が欠損したりしていると持ち主は死ぬことがないのです」

「それは、どうしてなの?」

「はっきりとした理由は不明ですが、恐らく完全ではなくなったからでしょう。人間とは逆ですね」


 ヒガナは人形を見て、これを作った人形技師に想いを馳せる。

 人間を殺す人形の生みの親は一体どんな人物なのだろう。



×××



 武器屋から出た後もヒガナの好奇心を満たすために、いくつかの店に入った。

 中でもヒガナのテンションが上がったのは、魔術関連の商品を販売している店だった。瓶に入ったポーション、魔獣除けを始めとした様々な種類の結晶石、召喚術に使いそうな触媒、それっぽい巻物、使い方が不明な小道具などが陳列されていた。


 その全てに目を輝かせ、最終的にはポーションを購入し、現在──瑞穂ノ国へと向かうための必要品の購入を済ませて、商い通りを散策している最中だ。


「モノホンのポーション。どんな味するんだろうな」


 ポーションを太陽に向けて、中身の予想できない味に期待するヒガナ。その隣を歩いていたソフィアは手のひらに乗ったハリネズミを触りながら、


「そんなに嬉しそうにポーション眺める人、初めて見たわ。ヒガナはポーション大好きなの?」

「俺の住んでた所には無かったから珍しくてさ。つか、そのハリネズミどっから出てきた?」


 さりげなく出現し、ソフィアと戯れていたハリネズミ。気のせいか全身が仄かに光っていて、どこかぬいぐるみ的な姿をしている。


「この子はリネ。私の守護精霊の一匹なの」

「守護精霊。このハリネズミが……見えねぇ」


 ファンタジーでも良く出てくる精霊。言葉の雰囲気で言えば守護精霊は精霊の上位互換というイメージだ。

 守護精霊は見ただけで畏怖の念を抱くような圧倒的存在感を放つ化け物みたいなヤツ、とヒガナは想像していたが、急に出てきた守護精霊は圧倒的愛らしさだけのペットにしか見えないことに内心で少しだけガッカリした。


 付け加えるなら登場の仕方があっさりし過ぎだ。急にひょっこり出てきて、守護精霊と言われてもありがたみや凄さが皆無だ。


「うん、この子たちには正式な名称がないから便宜上そう呼んでるの。本当の守護精霊はきっと、こう……そこはかとなく凄い筈よ」

「曖昧過ぎる!」

「だって、本物は見たことないもん」


 頬を膨らませるソフィア。拗ねてる様子は幼く、見た目とのギャップに愛らしさを感じつつ、ヒガナは先の台詞に疑問を覚えた。


「この子たち? 他にもいるんだ」


 頷いて十字架のペンダントに指を添えながら、ソフィアは困ったように言った。


「他の子は呼ばないと出てこないけど、この子だけは勝手に出てきちゃうの」


 当のハリネズミ──リネはソフィアの胸の上、肩の上、髪の毛の中をアスレチック感覚で動き回っている。どこまでもフリーダムな守護精霊だ。


「にしても守護精霊か。ってことはソフィアは精霊術師なのか」


 ソフィアが精霊を使役する姿はやけにしっくり来る。


「……そう、かもしれないわ」


 曖昧な返答にヒガナは首をひねるが、ソフィアはそれ以上この件については語ろうとはしなかった。


 その時だった。

 お下げ髪の使用人見習いが、ヒガナたちの元へ走ってやって来た。


「ベティー? どうしたの?」


 ベティーは肩で息をしながら、呼吸が整う時間すら惜しいといった態度で、焦った視線をヒガナに向けた。


「お客様! 早くお屋敷にお戻り下さい! お、お連れ様が」

「──っ! まさか、アリス……」


 ベティーの一言で全てを察したヒガナは屋敷に向かって走り出した。

 脳裏に浮かぶのは、失われた世界で無惨に殺されたアリスの姿。

 冷や汗が止まらない。


 また、『アレ』が始まるかもしれないという恐怖が心をゆっくりと蝕んでいく。


 怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い────。


 異世界の悪意がヒガナを、ヒガナに関わる者たちを舌舐めずりをして待ち構えているような気がした。

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