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人を許すということ

作者: 古本怜士

人を許すということ


あなたは、自分の身近な人や見知らぬ人からひどいことをされたとき、許してあげることができますか? 僕は基本的に人とのコミュニケーションは好きだけれども、同時にちょっと人嫌いな部分も併せ持っている。


 幼少期に親の愛情をちゃんと受けて育ってきたし、仲のいい友達も沢山いたから、もちろん二択で選べと言われたら速攻「人好きです」と答える。


 でも、実際人間関係はそんなに単純じゃない。


 人の性格や考え方はとてつもない変数で構成されている。

 どんな両親に育てられてきたのか、学校や職場で交流を持っていたのはどういう人達なのか、その国の文化はどういったものなのか、直近で起こった良いことや悪いことはどういったものだったのか……


気が遠くなりそうなほどの要素が組み合わされて今あなたの周りにいてくれている人達やあなた自身は生きている。僕だってそうだ。


両親からの子育ての影響や、幼い頃からの交友関係、自身の経験してきたものに影響を受けて、今の僕がある。


そして、どういうわけかこのエッセイ集を書いている。


何を言いたいのかというと、「何か人に嫌なことをされたとき、そのされたことについて考えるのではなくて、一旦落ち着いてその人の過去すべてについて考えてみてほしい」ということだ。


・もしかしたら、小さい頃から自分の自尊心を傷つけられるような経験を沢山してきて、人間嫌いになっているのかもしれない


・もしかしたら、直近で自分の大切な人を失って我を忘れているのかもしれない


・もしかしたら、たまたまこの人の趣味趣向と自分が合わなくてなんとなく毛嫌いされているだけかもしれない


という感じかな。

嫌なことをされたときは、自分のせいではなくてその人を取り巻く環境や人間関係、なんなら気候さえも影響してその出来事が起こっている可能性がある。


必要以上に気にしすぎたり、自分を責めすぎたりする必要はない。


もちろん自分が相手を不快にさせるようなことをしてしまった可能性は大いにあるし、日常的に起こる些細なことでいちいちここまで深く考えるのもおかしな話だとは思う。


それに、いちいちここまで考えていたら頭がおかしくなってしまいそうだ。


でも、特に自分にとって受け入れがたいことが起こったとき、この考え方が役に立ってくると思う。


例えば、仲が良かった人が急に自分に冷たくなったとか、道端ですれ違った人からなぜか睨まれたとか……


どういう出来事が自分にとってダメージがでかいかは人それぞれだと思うけど、受け入れがたいことが起こった時に、どうしてその出来事が起こったのか細かく分けて原因を考えてみると、冷静になれる。


自分の胸の中で暴れまわっているものを、体の中から取り出して、分解していくイメージかな。がん細胞を摘出していくイメージを持ってくれたらいいと思う。


どれだけ高性能なコンピューターやスマートフォンだったとしても、部品ごとに分解してみれば全く機能しなくなる。


それと同じように嫌なことも要素分解してみれば、意外と「ま、これはしょうがないか」とか腹落ちして納得できることが多い。相手を許す余裕が自分の中にできるのだ。


もちろん大前提自分が相手を不快にさせるようなことをしていないか疑うのが先だ。それは当たり前の話だと思う。


ただ、精一杯考えてみたけどどう考えても自分が悪いことをしていない場合は、相手の状況や考え方の癖が悪かったのだと考えるべきだ。


ここまで色々長く書いてきたけど、要するに今回僕が言いたいことは大きく分けて二つだ。


・嫌なことがあっても、それについてもじもじと悩むのではなくて、冷静にどうしてその出来事が起こってしまったのか細かく原因を分けて考えてみること


・大抵の場合、自分が反省するべきところが見つかって謝罪するか、相手の環境が原因で自分にはどうしようもなかったからと自分を落ち着かせて受け流すかの二つだから、次自分がどうするのかその原因を基に考えることこれら二つの行動が大事だと言いたい。


自分が普段から、自分に降りかかってくる悲しい出来事を優しく受け流す練習ができているのであれば、普通人が立ち直れなくなるような出来事が起こったとしても、人を許すことができる。


僕たちは、人を陥れるために生きているわけでも、生まれてきたことを悲観するために生きているわけでもない。冷静に自分が生きている意味を考えてみてほしい。


自分が楽しい、幸せだと思えるようなことに精一杯時間を使って、余った幸せを自分の大切な人達に分け与えるために生きているはずだ。


悲しみすぎないように、冷静になれる方法を持っておく必要がある。


こんなに偉そうなことを書いてはいるけど、実際正直なところ僕自身はそんなに強い人間ではなくて、割とすぐしょげる方だと思う。メンタルが強い、ということは絶対ない。


でも、僕の強みは落ち込みからの回復スピードの速さだと思う。


「なんでこれが起きたんだろう?」と細かく考えて、信頼できそうな人たちにすぐに相談をして次どうしようかなぁと考えるから比較的すぐに立ち直れる。短期的には結構凹むのだけれど。


本当にたまに相談させてもらっている人達には「いつもすいません」と言いたいけれど、その人達には自分ができる方法で何か困っていることがあれば絶対に何か協力できることがあれば他の事そっちのけでもやるつもりだ。


それに、自分自身がそんなに才能もないし、強い人間じゃないからこそ、人の痛みを自分ごとのように分かってあげられる。


凹むのが悪いのではなくて、立ち直りのスピードを上げることが大切なのだ。

変に引きずったりせずに相手を許す心の余裕が私達には必要だ。普段から自分を見失わない練習をしておいて、自分に力をつけることに集中しよう。


自分が誰にも依存せずに生きていけるようになれば、ちょっとやそっとのことじゃ動じなくなる。

最終的なゴールは何が起きても「しょうがないよね、笑って許そう」と思えることだ。


そう考えることができたなら、素敵な人生になりそうだよね。


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