4.ごっこ遊び(2)
二人が外に出ると、盲目通りは活気を増していた。
霧は晴れて鮮やかに。差した光明に見下ろされた人々は皆、思い思いの行動をしている。
あちらの店を出る者があれば、こちらの店に入る者がいて。いつまでも看板を睨み続けている者もあれば、何に目をやる事無く、真っ直ぐに道を歩いている者もいる。
歩く、という行動一つを取っても多種多様だ。荷物を抱えて何処かへ向かう姿。それとすれ違いながら、並ぶ誰かと談笑している者達。道行く人に声を掛け、客引きをする者の姿もちらほらと見受けられる。
店の入口で佇み、それらを眺めるフィーネの前を、数人の子供達が走り抜けていった。はしゃぐ声は町角に響き、少女は目尻を下げた。黄金に色付いた髪を、埃立つ風がふわりと浮き上がらせる。その様子を、ベニーは隣から黙して見守っていた。
「あっ」
ふと、少女が目を見開き、小さく声を漏らす。するや否や、目線の先へと駆け出した。少年は少女を追う前に、遠目で行先を見つめる。そして納得といった様子で頷き、ゆっくりと背中を追いかける。
「おじさん!」
後ろから声を掛けられ、大荷物を背負った男が振り向く。昨日、二人が果実を買った露店商だ。男はフィーネを見留めると、笑みを溢しながら片手を挙げた。
「お嬢さんかい。こんな所で会うなんて奇遇だなぁ……おっとと」
男が腕を降ろした拍子に、荷物を支えていた肩のベルトがずり下がる。バランスを崩しかけた荷物を、フィーネは素早い身のこなしで横に回り込んで支える。
「ありがとうよ」
「いえ、急に話しかけてごめんなさい」
体勢が直ったのを確認し、手を離す。改めて向き合った少女に礼を述べつつ、男は訊ねた。
「私を見つけて、わざわざ話しかけてくれたのかい?」
「……ご迷惑でしたか?」
思う所もあり、遠慮がちに訊ね返すフィーネ。上目遣いで躊躇いを見せる少女に男は「まさか!」と答える。
「この街に来てから、お嬢さんの様に話しかけてくれたお客は初めてだよ! いやぁ、嬉しいね。コイツをその辺に放り投げて、走り出したいくらいさ!」
「ふふっ!」
背負った荷物を顎で差しながら、おどけた仕草を見せて……そんな様子にフィーネは思わず吹き出した。好意的な反応から男は胸を撫で下ろし、少女の背後を見る。追い付いた少年が軽く会釈をしていて、男は荷物に気を付けながら会釈を返した。それに気付き、振り向いたフィーネはパァと広がる様な笑顔で何かを言おうとするも、少年の手に遮られる。
「急に走り出さないでください。危ないじゃないですか」
「あ……そうね。ふふ、ごめんなさい」
笑みを滲ませながら、謝罪の言葉を口にする少女。それを見て「仕方ないですね」と、呆れ笑いで嘆息する少年。目を細め、男は二人のやり取りに聞き入る。そこでふと、思い出したようにフィーネへ問い掛けた。
「ところでお嬢さん。カレトと会えたのかい?」
フィーネの肩がびくり、と僅かに上下する。昨日を考えれば何気の無い、自然な話題だと言えるだろう。けれど、意識的に思考の埒外に置いていた事柄に触れられ、意気が萎れていく。「えぇ」と一転して少ない口数で返し、俯く少女の反応に男は呟いた。
「……そうか、会えちまったんだなぁ」
不味い事を訊いた、と男は困り顔でこめかみを掻いた。目線を交えた少年は苦味を増した表情で眉を歪める。
「貴方が悪いわけではありません。昨日はありがとうございました」
気遣いを口にする声色も又、決して明るくない。男は魔女を脳裏に浮かべてか、やれやれとため息を吐く。それから思い付いた様に手のひらを打って。
「そうだ、おふたりさん! よければ私がこの街を案内しようか!」
そう申し出た。突拍子無くも思える提案にフィーネは驚いた。顔を上げ、男を見ると、男はニッと笑窪を作ってフィーネの肩に手を置く。
「昨日はせっかく商品を買って貰ったってのに、あまり役に立てなかったからな」
「そんな! おじさんが気にする事なんて何も……」
「いいや! 気にする!!」
フィーネの弁護を男は声高に妨げ、握り拳を作る。声の拍子は先と同様におどけており……けれど、より大袈裟に道化染みたニュアンスを示している。
「是非ともそうさせてくれ。コイツは私の、商人としての意地の問題さ! 勿論、迷惑じゃなければなんだが……」
語尾に表れた男の厚意を感じ、フィーネの胸中に更なる驚きが浮かぶ。
商業都市に来て、過ごした時間は僅かな物だ。その多くない時間の中で、或いは魔女に関係した一連の出来事が、自分の中で強い印象を根付かせていた事に気付く。
偏見が必要以上に気を暗くさせていたのかもしれない、と。そんな風に思う。もしもそれが事実なのであれば、嬉しくもあった。
「どうだい?」
咄嗟に開こうとした口元を結び、フィーネは少年の方を見た。まるで母親に許しを乞うかのような幼い動作に、ベニーは頷きで応える。そうして今度こそ、少女は満面に花を咲かせたのだった。
――――――
少年と少女は巡り歩く。
滞在先の宿に荷物を置いてきた男と待ち合わせ、肩を並べる。男は道中で馬鹿話をしつつ、指を差して順路を示す。二人は促されるままに石畳の上を進んだ。
盲目通りから北上して都市中央。通商連盟の密集した建築群、その周囲を無数の人が忙しなく行き交っている。街の中心に聳え立った一際高い三角屋根を見上げれば、頂点で揺れる風見鶏が銀に反射を拡げていた。風は東から西に向かって吹き抜けている。
「西は酒場やなんかが並んでるのさ。昼時はやってる店も少ないし、お嬢さん方にはまだ早いわな」
言いつつ、聞きつつ。男の案内に従う。道程で目に付いた物を訊ね、その度に足を止める。
「おじさん、あの行列は何?」
「連盟の認可を待ってる商人連中だな。認可があれば、イザって時に自警団に守って貰えるんだよ」
「あの大きな建物はなんでしょうか?」
「セクィトル家のお屋敷だ。連盟の権力者で……この街の支配者みたいなもんだね」
「見て、二人共!」
フィーネが視線で示した方向。煉瓦の壁伝い、開かれた鉄の門扉に向かい行列を成す人々の傍ら。仮面を付けた大道芸人がジャグリングを披露していた。三人はそれを、列を妨げない様にやや離れた位置から見物する。
何振りかの曲刀を、宙に我が手にと自在に操る。その鮮やかな手捌きに少女は目を輝かせた。一段落が付き、曲刀を爪の様にして持った大道芸人が恭しくお辞儀をする。まばらな称賛と白けた視線の中、少女の惜しみない拍手が小さく響く。受けて、三日月を3つ貼り付けたような仮面の笑顔が、ぱたぱたと両手を振って感謝を示した。
「さ、そろそろ行こうか」
「どこへ行くの?」
「着いてからのお楽しみ。きっと、お嬢さん達は気に入る筈だよ」
含んだ言葉で濁し、不思議そうに首を傾げる少女へと笑いかけながら、男は案内を再開する。
東方へ、大通りを往く。歩を進ませるほど賑わいは静寂へとすり替わった。冷たい壁と人混みに遮られていた視界は次第に広がり、道の両袖に青草と木々が増していく。石畳は途切れ、木陰の内に乾いた土が露わになる。ざわざわと騒ぐ枝葉の囁きが耳を擽る――
――やがて、少女は木漏れ日の中で息を呑んだ。
広い通り道から左右に分かれ、ゆったりと間隔を空けて建ち並ぶ家々。意匠の施された低い鉄柵によって区切られたそれぞれの庭先を、よく手入れされた雑木と花壇が飾っている。これまで見てきたどの建物にも見受けられた、商店である事を示す看板の類は、いずれの戸口を様子見ても存在しない。
「この辺りはね。連盟のお偉いさん達の家族が住んでるんだ」
商業都市で唯一、商売が行われない区画なのだと。そんな男の説明にも上の空。フィーネの意識は長閑な町並みと、道の果てに望む灰色の建物に奪われていた。高い木に囲まれ、日陰の中に建つ、屋根上と軒下に正円のシンボルを掲げた小さな礼拝堂。
わぁ、と感銘の吐息を零す少女を見つめ、ベニーが呟く。
「よかったです」
「……何が?」
「また駆け出したりしないかと心配していたものですから」
言われ、フィーネは眉を顰めた。
「ベニー? あまり子供扱いし過ぎよ?」
「私も駆け出すだろうって思っていた」
「もう、おじさんまで!」
少年の悪戯、男の不意打ち。少女をからかう二人は実に息が合っていて、フィーネは抗議の声を上げる。けれど内情は懸念の通りで、もしも声を掛けられなければ、一も二もなく駆けていただろう。自分自身、その事は推測出来ていて、故にそれ以上の文句は思いつかなかった。
ひとしきり笑い、そのままの表情で謝罪を宣う二人に些か以上、不満を感じつつ。斯様なまで弄ばれるに到った原因……先の己の有様を恥じた。
瞼を閉じて、深呼吸を1つ半。逸る心を抑え、並ぶ二人と歩調を合わせた。決して急がず、慌てず。けれどその胸中は、喜びや期待の念で今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。