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3.ごっこ遊び


 夢を見ていた気がする。


 それはあまりに漠然としていて寄る辺も無く、気のせいだと振り払うのが正しいように思える。


 なのに。


(どうしてだろう……)


 忘れてしまった事を、自分はきっと後悔する。


 そんな確証の無い確信に揺られ、フィーネはベッドの上でぼんやりと虚空を眺めていた。

 

 閉鎖的な低い天井の木目が少女を見つめ返す。その圧迫感と暗がりは、同時に安堵を(もたら)した。

 窓の外から聴いた事のない鳥の(さえず)りが聴こえる。りりり、と愛らしく鳴く声だ。鈴のような音色は、何故だか郷愁を感じさせる。


 目尻を擦ると、指先に僅かな灰がこびりつく。乾いた涙が主を遺して、先に終わりを迎えたらしい。別れの寂しさは感じなかった。


(……お祈りをしなきゃ)


 聖灰教会の信徒として、教わるでもなく身に付いた慣習。


 被っていた毛布を開き、立ち上がる。軋む床に片膝を付いて、胸の前で正円を描いた。両手を握り、頭を垂れる。閉じた(まぶた)に陽が差して、視界は灰色に染まった。


 始まりに「始祖よ」と詠う。


――始祖よ。偉大なる方々よ。


 灰より召されし御身の慈しみに感謝します。


 土は塵に、塵は灰に、灰は(とうと)く深き身許へ。


 未だ還らぬ不浄をお許しください。


 御業に縋る不遜をお許しください。


 愛と、信と、敬を以て。


 我が母の名に代え、賛美を詠う事をお許しください――


「……お母さん。どうか私を見守っていて」



――――――



 身支度を済ませ、魔女の(ねぐら)を出る。


 穏やかな朝日と澄んだ風。雲渡る空を見上げながら、大きく背伸びをすると、焦げ臭い匂いが鼻奥に染みた。

 緩んでいた口元を慌てて引き結び、両腕を下げて拳を握る。荒廃した景色に行き場を無くした視線は俯き、足元で揺れる自らの影を捉える。


 なんて頼りない影だろう。


 自嘲を胸に納めていると、思慮の外から、溶かすように暖かな声がした。


「朝から忙しそうですね」


 からかいのニュアンスを含んだそれは、少し離れた真横から掛けられた。はっとして振り向くと、すっかり親しみ深くなった少年が悪戯(いたずら)な微笑を浮かべている。

 せっかく結び直した頬が緩み、けれど言葉の意味を理解して、閉口する。フィーネはほんの少し頬を赤らめ、唇を尖らせた。


「ベニーっていじわるよね」


「フィーネは可愛いと僕は思います」


 言われ、一層恥ずかしくなって紅潮する。抱いた敗北感は初めての経験だった。


「お出かけですか?」


 差し向けられた救いに、少なからず不満を覚えつつ、気を取り直す。


「お腹が空いちゃって。ええと……」


「あの人なら、今朝早くに何処かへ出て行きましたよ」


 辺りを見回し、言われた事で、知らず魔女を捜していた自分に気付く。昨日を思い出して、嗚呼と深く息を吐いた。


 魔女の態度は、どれ一つを取っても拒絶に溢れていた。声で、瞳で、或いは背中で徹底的に示された嫌厭(けんえん)は一夜を過ぎても尚、フィーネの胸に重石を乗せている。

 「来なければよかった」という後悔が後に()ち、まるで押し返す波の様に頭の中を掻き乱す。その度に気を紛らわそうと試みていたが、そろそろ一人では限界を感じていた。


「捜しますか?」


 少年の気遣いを感じ、フィーネは首を横に振る。


「ううん、いいわ。これ以上、あの人の自由を邪魔しては悪いもの」


 ベニーが宿代を支払った……とはいえ。よくよく考えれば、魔女の主張した通りだ。見ず知らずの二人を泊めて、葬送まで引き受けてくれた事には感謝こそすれど、恨むなどお門違いに思える。

 特に葬送は、ただ単に死体を灰にするという物理的な干渉に留まらず、精神的な負担も大きいのだから。使命に殉じる覚悟に燃えた教会の葬儀士にあっても、拒む事は珍しくない。

 まして魔女は外法者。不遜な態度も、無遠慮な物言いも、致し方の無い事であろう。


 きっとあれが、魔女のやり方なのだ。であるならば、自分に出来る事は、可能な限り関わらない事……と。昨晩からフィーネは自分に言い聞かせていた。


「ところで、ベニーは何をしていたの?」


 延々と繰り返す思議を振り払い、彼に訊ねる。上は肌着に無地のワイシャツを一枚重ねただけの少年の装いは、何処かへ出掛ける……ないし出掛けてきたにしては少々薄く感じる。


「散歩です。この辺りを少し歩き回っていたんですよ」


 ベニーの答えに、フィーネは感心して頷く。残り少ない余生とはいえ、日常生活を送るのだから早々に周囲を把握して損はあるまい。

 現に今、フィーネは外食に向かおうと考えているものの、明確な目的地が定まっている訳ではなかった。歩けばその内に行き着くだろうという暢気さで、短慮と責められれば頭を低くするしかない。


「何か見つけた?」


「取り立てるような物は特に」


 何か期待するでもなく、何気なしに訊ねるとベニーは小さく(かぶり)を振る。


「そう。朝食はもう食べたの?」


「これからです」


 返答を受け、顔を(ほころ)ばせるフィーネ。駆け足で近付き、少年の両手を取った。


「それじゃあ一緒に行きましょう!」


 あまりに無垢な少女の風に気圧され、ベニーは刹那に躊躇する。が、きょとんとした顔で「だめ?」と子犬の様に首を傾げられては仕方がない。


「分かりました。少し準備をしてきますから、待っていてください」


「うん!」


 握られた手を優しく押し戻し、ベニーは魔女の(ねぐら)に向かう。

 彼の姿が消えるまで見送り、フィーネはわざと大袈裟に深呼吸をした。朝の冷たい空気と、錆びた死臭が肺を満たす。いつまでも陰鬱な顔をしてはいられない。


(最期までちゃんと生きなきゃ。自分で決めたんだもの)


 見上げた空の果てに、遠く去った雲の尾が傷痕を残していた。



――――――



 朝霧がしめやかに膜を張った、早朝の大通り。


 貧民街の荒寥(こうりょう)と打って変わり、そよ風が清々しい空気を街並みに運んでいる。魔女と出会った北門の周辺に比べて、南の景観は厳かだ。

 露店は殆ど無く、建築は細かな差異こそあれど、落ち着いた色彩に統一されて並びも規則的である。そのどれもが何らかの商いをしている事を、店頭の掲示物や看板が証左する。

 反面、窓は何処を見ても閉め切られており、まばらに歩く人影が、皮肉を込めて『盲目(めくら)通り』と呼んでいた。


 一角に建つ食事処兼宿屋の戸を開くと、軽快なベルがまず二人を出迎える。次いで、カウンター越しの店奥に見える厨房から、恰幅の良い女店主が顔を出し「いらっしゃい!」と快活に声を掛けた。


「宿泊かい? あぁいや朝食だね、顔見りゃ分かるよ。注文は聞かないからね。値段はそこに貼ってある。それでいいなら、そこのテーブルに座って待っときな」


 カウンターの掲示板と、一席を指差しながらそう捲し立てた女店主は、呆気に取られる二人を置いてさっさと奥へ引っ込んでいく。

 二人は顔を見合わせ、言われた通りに入口近くの席へと着いた。古びた木製のテーブルは、けれどよく手入れをされていて光沢を放っている。


「もしかして、良くない時に来てしまったのかしら……」


「そんな事は無いと思いますよ。心配し過ぎです」


 そうやって彼に諭されると、フィーネは言い知れない心強さを感じた。昨日の件といい、彼は自分よりもずっと達観していて、大人びており……と。ほんの少し嫉妬に似た感情が芽生えてくる。だが、それ以上に彼が好ましい。


「ベニーは凄いわ」


 他愛の無い談笑を挟み、ふと切り出す。


「そうですか?」


「えぇ。気配りが出来て優しいし、大人みたいにしっかりしてるし」


「そんな事はありませんよ。僕は未熟な若輩者だ、背伸びをしているだけに過ぎません」


「ほら、そこも」


 言われ、今度はベニーが首を傾げる番だった。目を丸くする彼をじとりと見つめ、フィーネは嘆息混じりに両手で頬杖をつく。少女らしく、或いは芝居がかった動作に、ベニーはくすりと笑う。


「そうやって、大人みたいに謙遜するでしょう? 私なんか、褒められたらすぐ調子に乗っちゃって……よくそれで失敗しちゃうの」


「素直は美点じゃないですか」


「素直じゃないわ、単純なの。これはきっと天性ね。始祖様は私に思慮深さをお与えにはならなかったんだわ」


「不敬ですよ、フィーネ?」


 やんわりと(たしな)められ、フィーネは姿勢を正す。舌を出してウィンクをする少女に、ベニーも微笑み返した。

 知らない者が見れば、二人は仲の良い兄妹か、或いは幼い恋人同士のように映るだろう。

 いずれにせよ、彼と彼女が出会ったのは最近であり――そして、共に余命を幾許(いくばく)も残していない事など、露ほどにも思い当たるまい。

 フィーネもまた、少年の微笑を見ればその事を忘れられていた。


 新緑の芽吹きが、灰色の大地を覆い隠す様に。


 少女の心を甘く、しめやかに溶かしていく。


 だから、なのだろうか。


「……きっと」


「?」


「きっと、ベニーのご両親は素敵な方なんでしょうね」


「……」


 ふと押し黙り、困った様にする彼に、もどかしさを感じるのだ。


 少年と出会った時からずっと、フィーネは不思議に思っていた。


 時折に見せる彼の冷たい表情。それに含まれた冷厳と悲痛。


 そもそも彼は何故、自分と同じ、死を待つ身となったのか。どうして、教会の葬儀士達は彼の葬送を拒んだのか。

 彼の家族は? 友人は? 彼自身は? 何を思い、何を感じ、何をして生き、何故……(つい)を迎えるのか。


 彼はそれを話さない。笑顔の仮面でひた隠し、暴かれる事を恐れている。そして僅かに片鱗を垣間見せる事によって、他者がそれ以上に踏み込む事を躊躇わせ、拒んでいるのだ。


 勿論、フィーネにも話せない事や話したくない事はある。だが、少年はあまりにも徹底的だ。その姿勢は同じ境遇である筈の自分よりも……魔女に近い。


 彼を知りたい。彼の、ベニーという少年の心に近付きたい。


 もしも、そうする事が出来たなら――


――そう思うのは、私の我儘(わがまま)だろうか?


「はい、おまちどうさん!」


「!」


 斜め上から掛けられた無遠慮な大声。見れば、女店主が両手にそれぞれ大皿の料理を乗せて立っている。

 フィーネとベニーの前に一つずつを置き「勘定はテーブルに置いといておくれ」と一方的に言い放つ。

 雑に盛り付けられた、あまりの量に言葉を失う2人を残し、女店主はさっさと奥に引っ込んでいく。沸き立つ湯気が少女と少年の前に薄い壁を張った。


「……ごめんなさい。余計な事を言ってしまったわよね」


「いえ、フィーネが謝る必要はありません。とにかく、頂きましょう。折角の料理が冷めてしまっては勿体ない」


 はぐらかす少年の言葉に少女は頷き、二人は食事を始める。ナイフとフォークを手繰り、欠片を口に運ぶと、予想外に繊細で豊潤な旨味が口内に広がった。水を持ってきた女店主に感動を伝えると、彼女は「当然だろ!」と言い、歯を剥き出しにして笑う。


「ま、ゆっくりしていきな」


 頭を下げる二人に片手で応えると、女店主はカウンターの椅子に座り、新聞を広げた。

 他の都市ではあまり見掛けない、商人が牛耳る街ならではの代物にフィーネは物珍しさを感じた。が、深く詮索はしなかった。好奇心が強すぎるのは自分の短所だ。自粛して祈りを捧げ、食事に努める。


 いつの間にか平らげられた大皿を脇に寄せ、二人は談笑を再開する。その後は終始、フィーネの思い出話に花が咲いた。


 幼少期の悪戯に始まり、自分を育ててくれた乳母の事。聖都や他の街で出会った人々、景色、出来事。


 夢中になって語るフィーネの話を、ベニーは相槌を打ちながら聞き入る。そんな態度もまた、大人らしいと少女は胸中に抱く。


 会計の折、懐に手を伸ばすベニーをフィーネが制した。


「ここは私に払わせて」


「それは……」


「いいから」


 教会からの"支度金"を受け取っているであろうベニーに対し、それを断ったフィーネの懐は決して豊かでは無い。

 が、だからといって彼にばかり頼るのは気が引けた。それでは支度金を受け取らなかった意味が無いし、何より彼と対等な関係でありたいと思ったからだ。


 対等な関係、つまり友人として在るには、彼の厚意に甘え続けてはいけない。ベニーが魔女に支払った二人分の対価に比べれば、食事の料金は粒程の価格だったが……せめてそんな姿勢を示していきたいとフィーネは思っていた。


「……分かりました。ありがとう、フィーネ」


 強く出たフィーネに、ベニーが食い下がらなかったのも、そんな少女の意思を汲み取ったが故の事だろう。


「どういたしまして!」


「……いつか」


 わざとらしく返し、あどけない笑みを溢す少女に、ベニーは呟く様に伝える。


「いつか、誰かに僕の事を話したくなったら……」


「うん」


「その時は、フィーネが聞いてくれますか?」


 それはきっと、少女の厚意に対して、今の少年が出来る精一杯の返礼だった。


「もちろん!」


 故に少女は、その日を信じて待つ事にした。


 ぎこちなく、けれどそれがなんだか可笑しくて。


 笑んだやり取りをする二人は、少女がテーブルに置いた硬貨の数枚に、僅かな灰が付着している事に気付かなかった。


 店を出る少年と少女。


 後片付けをする女店主。そのポケットに硬貨が収まる頃には、灰は最初から何も無かったかの如く消え去っていた。




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