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17.其等


 聖都郊外に根を張る大樹を中心として、慰霊の森は広がっている。

 その浅瀬で少女が一人、小枝を振り回して遊んでいた。領域の意味を知ってか知らずか、白蝶を引き連れ、あちらこちらと気の向くままに駆け回る。

 太い高枝に腰掛け、少女の様を見下ろす影は、やがて興味を枯らして目を閉じる。暫く後に己が、遊び疲れて眠る少女を背負って都まで連れ帰る事になるとは、夢にも思わずに。

 魂を抜かれたかの如く口を開いて唖然とする衛兵に、『何も言うな』と無言の睨みを利かせた影は少女の家路を辿る。遠巻きの観衆が、信じられないといった風に其を見守っていた。中には微笑んでいる輩も居る。心地良さそうな寝息と、時折呟く「お母さん」の声が影は恨めしかった。


 重い荷物を受け渡し、影は言う。「不届きだぞ」と。

 少女の母は愛おしげに小さな頬を撫でながら、特に悪びれた様子もなく笑った。「貴女が居るって分かってたもの」。


「ありがとう」

(うるさ)い」


 そんな記憶が蘇り、魔女は真白い月を見上げた。

 三日月は朧に、魔女の黒い瞳と、背負った黄金とを照らしている。


——————


 小部屋のベッドに娘を寝かせると、カレトは彼女の寝顔を観察した。

 十四の娘、ありのままの造形が其処にある。同じ年端の少女達と比べれば、少し幼い。けれど眉根に、両頬(りょうほほ)に、ほんの僅かな陰がある。

 注意深く視なければ誰も気付かない、されど確かに刻まれた皺の痕。この年頃には明らかに不相応な物だったが、葬送の魔女にとっては見慣れたものだった。つまり、死相にありがちなものとして。『少女』と『聖女』を行き来する必死の芝居が、そうさせたのだろう。環境は精神を育み、精神は表情を形作る。そして表情はゆっくりと、容貌を変化させていく。


「……」


 泣き腫らした少女の目元に残る灰をそっと拭い、部屋を出る。

 明かりの無い居間の中、本の山を力無く蹴飛ばし、空のボトルに躓きながら、なんとかソファまで辿り着いた。身を放るようにして倒れ込み、嗅ぎ慣れた(かび)の匂いに安息を覚える。姿勢を仰向けにすると、被りっぱなしの帽子がずれて床に落ちた。

 構わず、額に片腕を置いて天井を見上げると、八本足の小さな同居人が食事に勤しんでいた。その姿を観るでもなく眺めながら、重い頭で思案を巡らす。

 帰路の感覚、その名残が未だ身体中に張り付いている。首筋に寝息、背中に感触。肩に、腰に、手足に(ぬく)みと、その重み。


「随分と、重くなった」


 吐き出すように、ぽつりと呟く。何かを背負うのは久しぶりだった。

 人生を旅と喩える者がいる。曰く、人は旅路の中で数多に様々の物を背負うのだ。其は決して背負いきれる物ではなく、故に人は、新たに手に入れる度、何かを捨てる。そうしていつか終着に至るまで、旅を続けるのだと。

 背負えぬ業を捨てられず、抱き続ければ其等はやがて、その身を縛りつける(くさび)となるだろう。何処へも行けず、そうなれば必然として旅は終わりを告げる。自明の理だ。性質(たち)が悪い事に多くの場合、旅人はその事を悟って尚、然し捨てられぬという事である。それも必然と言える。でなければ、縛られてなどいない。でなければ、とうの昔に捨てているのだから。少女も、少年もその類だ。

 それ故に、あんなにも、重い。


「やってられない」


 その一言で吐き捨てられれば、どれほど楽だったろうか。

 酒が欲しい。思考を鈍らせ、感覚を惑わし鈍らせる酒気が欲しい。ちらりと床に目を落とせば、先に躓いたウィスキーボトルが捨て置かれた死体のように寝そべっている。買いに出掛ける気力は無かった。そもそもこんな夜更けでは、馴染みの店もとうに閉まっている。

 ベニーとフィーネが転がり込んできた、ほんの僅かな数日で、一気に酒の量が増えていた。その事を今更になって自覚し、嘆息を溢す。

 ふと、ノックの音が響いた。


「……」


 違和感。無視を決め込もうとも思ったが、扉越しにも感じられる独特の匂いを嗅ぎ取り、渋々と身体を起こす。

 先ほどよりはマシな足取りで扉の前まで向かう。特に何を言う事もなく、扉を引く。


「やぁ、どうも。こんな夜更けにすまないね」


 立っていたのは壮年の男だった。

 その男は昨日、少年少女に都市(まち)を案内して回った者である。親し気な口調で、人当たりの良さそうな微笑を湛えている。カレトは不快感も露わに目を細め、そのまま踵を返した。

 背後で扉の閉まる音。ぐらぐらと上体を揺らしながら、再びソファにまで歩くカレトの後ろを、男は何も言わず付いていく。


「礼儀を語る性分じゃあないが」


 乱暴な素振りでソファに座り込む。背もたれに両腕を回し、脚を組む様は悪党の親玉か、女帝のようである。俯き加減で、しばらく男を睥睨(へいげい)する。

 やがて。


「上着くらい脱いだらどうだ」

「これは失敬」


 言われ、男は“溶けた”。

 青白い粘液となり、文字通り溶けて、ぼたぼたと剥がれ落ちていく。落ちた粘液は、床板の隙間に染み込んで霧散した。そうして、男が立っていたその場所に、灰色に蠢く影が現れる。影は徐々に姿を定める。幽かにほのめく青の光に縁取られた姿は、フィーネよりも更に幼い童子の形をしていた。

 雪の肌に纏う、目映(まばゆ)いまでの白衣(びゃくえ)。髪もまた白く、切り揃えられた前髪の下、凛とした銀の瞳が魔女を見据える。


「久しいね、ウタウス」

「その名で呼ぶな」


 中性的で愛らしい声色は、闇を払う光明の如き威圧と穏やかさを湛えた口調で以て、(かつ)ての友人に向けられる。其を暗中の魔女は煩わしげに一蹴した。


「つれないな。相変わらずのようで安心したよ」

「何の用だ、レガリア」


 感情を殺し、淡々とした口調で、端的に問う。

 対し白銀の童子……レガリアは馴れた調子で、気品に充ち満ちた態度を崩さず答えた。


「半分は私情さ。旧い友人の顔を見たかった」

「……それで?」

「もう半分は、お礼を言いにね」


 受けて、カレトは益々、形相を深く(しか)める。「お礼?」と聞き返す声にも明らかな嫌気を(まじ)えていた。そして、嘲笑しつつ顎を上げる。


「御苦労な事だ。いと(たか)き教皇サマ直々、斯様に卑しき魔女へ労いのお言葉を賜り下さるとは」

「そう虐めないでくれよ」


 その親しげな調子が癇に障る。だからカレトは「とんでもない!」と、わざと語気を派手にした。


「虐めるだなんて、そんな事は出来ません! それとも、天衣無縫の教皇サマにまさか、虐められるような心当たりがおありなのですか?」

「あるね。キミには苦労を掛けっ放しだ、今も昔も」


 吐き出すように呟いたレガリアは、カレトの正面に置かれた椅子に座ると、ゆっくり目を閉じた。


「教会の設立期から始まって、数多の戦いがあって。使徒達の事も、騎士団の事も、アンナの事も」

「……」

「そしてフィーネの事も。キミには感謝してもし切れない」


 「否」と。


「懺悔してもし足りない、と言った方が正しいか。どれを取っても、キミには嫌な役回りを押し付けてばかりだ」

「別にお前に言われたからやったんじゃあない」

「そうかもね。けれど事実、キミは惨く傷んでいる」

「そう思うなら、放っておいて欲しいものだがな」


 言葉を交わせば交わすほどに、カレトの嫌気は増していく。今や其は殆ど敵意だ。それでもこうしてやり取りが続いているのは、彼と彼女のコミュニケーションが昔から、最初からこうだったからに過ぎない。


「アンナの娘に、あの二人の息子。それにあんな手紙まで寄越しておいて、感謝だの懺悔だの、どの口がほざく」

「償いはするつもりだ」

「償い?」


 反芻し、額を押さえて大笑いをするカレト。


「私に、か?」

「そう、キミに。勿論、フィーネにもね」

「どうやって」

「書簡にも書いたけれど。彼女が死ぬまで、生活的な支援を続ける。望むなら必要なだけの物を用意しよう。その上で、教会はもう、キミ達の行動の一切に関わらない。解放する」


 解放。確かに事実を見れば、そうとも言える。けれど。


「無責任な話だ」


 金は好きなだけ恵んでやるから、後はそっちでなんとかやってくれ……そう言っているのと何ら変わらない。


「捉え方は自由だ」

「そうだな。どう捉えるかは私の自由、あの娘の自由。そして私がどうするのかも、あの娘がどう感じるかも、全て自由だ」


 そこに、レガリアの意思は介在しない。無垢な童子の顔をして、この男はいつも有難い言葉を下々に与えるだけで、自らは何もしない。


「そうして他者に全てを委ね、自分は遥か高見で傍観者を気取るんだ」


 それも又、レガリアという男の在り方を、一方から見た際の事実と言えた。

 教会を設立した事も、教皇の座に収まっている事も。そして今も。永い時を経て変わらない、“始祖の末裔”としての特質。或いは本性。


「怒っているんだね」

「怒る?」


 「まさか」とカレト。怒りなど感じていない。


「死にかけのガキが一人死んで、一人は生き残ったというだけの事、何も気に病んでなんかいやしないさ」


 救いを求める事も出来ず、故に救われる事の無かった者を、やはり救えなかっただけだ。何も問題は無い。


「お前にも会えたしな、私の人生は順風満帆。最高だ」


 問題は無い。


「そうは見えない」

「嘘だからな」


 あっさりと前言を翻し、カレトは身を乗り出した。両腕を前肢の如く扱い、鋭い睨みを利かせながら、時間を掛けてゆっくりと近付く姿は女豹の様だった。

 女性的な肉感に溢れた肢体、更に其を強調するような衣服を纏う女である。真正面から目にすれば、淫靡にも映るだろう。並の男であれば、そういった意図が無いと分かっていても、唾を飲んだかもしれない。


「だがお前がそれを言うのか?」


 然しレガリアはそうはならない。鼻先が触れるか否か、耳を澄まさずともお互いの吐息が聴こえる距離までカレトが近付く。己を見つめる黒い瞳を、ただ見つめ返すだけで、眉一つ動かさない。

 黒と銀。二つの眼差しは、互いの腹の底を見透かし合うように重なり、やがて黒から口を開く。


「何故だ」


 始まりは決まり文句だった。


「この都市(まち)で初めて会った時、娘は既に死にかけていた。だが、あの坊やはもっと惨かった。惨いなんてものじゃなかった」


 常ならば語らない、問いかけの意図を饒舌に語る。黙して耳を傾けるレガリア。


「いつ灰物になってもおかしくない、完全に手遅れだった。マトモな葬送など、望めるものではなかった。だから」


 だから、引き受けると同時に決めたのだ。“犠牲にするならこっちだ”と。

 ごく一般的な葬送と、聖女の葬送ではワケが違う。するべき事も、要する時間も、其等の必要性も何もかも異なるのだ。聖女の亡骸より噴き出す厄災と、一介の使徒が到る末路としての灰物とでは、脅威の質も規模も圧倒的な差がある。知識があれば、どちらを優先するべきかは分かり切っている。

 だから利用した。華奢な娘の秘密を暴き、自らの口でその業と罪とを吐き出させる為に。その為に、愚かで敬虔な少年の、悲しく哀れな死と消滅を(いざな)った。

 魔女からしてみれば造作もない、退屈で憂鬱な脚本。想定外の行動はあったものの、結果的に劇場は成功したといえる。決して涙は流さぬと、母の墓前に立てた聖女の誓いと戒めを、魔女は見事に唆し、破らせた。


「何故、私に託した」


 こうなる事は分かっていた筈なのに。


「……」


 口を噤んだままの教皇は、知っていた筈なのだ。それが灰歩きの魔女のやり口である事を。

 教会に属し、黒灰騎士団長“灰被りのクチル=ウタウス”と呼ばれていた頃からずっと、彼女にはそうする事しか出来なかったのだという事を。

 それを知っていた筈なのである。


魔女(わたし)に託すとはそういう事だと!!」


 教会も、魔女も、同じ判断をした。違っていたのは「ならばどうするか」の決断だ。教会は魔女に託し、魔女は託された。故に疑問は其処ではない。否、問いかけの真意は疑問ですらない。

 魔女(わたし)ならばそうすると分かっていて、何故託したのか。

 それが、死せる者への手向けとして最も凄惨な方法であると知っておきながら。その方法しか知らない私に何故託した?

 そうならずに済むように、アンナは自らの生ある限り、教会と信徒に奇跡を奉じたのではないのか。その願いを、お前は聞き受けたのではなかったのか。ならばそうなる前に、手を打つ事がお前のするべき事ではなかったのか。


「そもそも」


 聖女と、大陸に生きる多くの人々の為ならば。

 その大義の為ならば、ベネディクトはどうでもよかったのか。

 己を殺し、他者へとその身を捧げ続けた少年を犠牲にする事は許されるのか。

 命は平等ではないのか。魂は同列ではないのか。教会の教えに真実はないのか。どうして——


——私ばかりが、こんな役目を負わなければならない?


「だから抜けたんだ。教会を」


 葬儀の秘術を行使するには適性が要る。資質が要る。知識、技術、経験が要る。故に誰でも名乗れる訳ではない。高度な術の行使を必要とするならば尚更、それだけの腕が要る。其は、多くの人間が有しているものではない。

 それくらいは分かっていて、だからこそ永い間、其を自らの為すべき事と定めてきた。けれど。


「なぁ、レガリア。私は疲れたんだよ」


 並の人間には生きる事さえ到底叶わない歳月を費やし、多くの生と死を観た。


「何故見せる? 私はもう、何も観たくはないんだよ」


 力無く俯いた魔女の呟きは、嘆願や命乞いに近い。その表情は、夜の帳と灰色の髪が覆い隠してしまっている。

 暫しの無言が続き、今度はレガリアが沈黙を裂いた。


「ならば何故、キミはこんな所にいる?」

「……」


 其は冷たい響きをしていた。


「キミは疲れたと言う。もう観たくないと。なら何故、未だ人の営みの中に根を張っている? 何故、未だに葬儀士だなんて名乗っているんだ」


 憤りと同情が合わさった、何とも言えない声音だった。

 焦りのようなものも垣間見えた。心を見せぬ事を習慣化した者が唯一、気を許す事が出来る相手に向けた、本心の言葉。


「キミが本当にそうだと言うのなら、今すぐ始祖(メアリ)(もと)に帰ってやればいい。彼女もそれを望むだろう。けれどキミはそうしない。キミの方こそ何故なんだ」


  嘘だからじゃないのか。本音を隠しているんじゃないか。

  人の心を曝し出しておきながら、自身は吐き出したくないと言うのか。そんなものは、単なる傲慢だ。


「キミの本心が聞きたい。これが僕の答えだ。キミは、僕にさえ偽りを騙り続けるのか……?」


 声はいつからか、主の外見相応の色に染まっていた。

 これが元々の彼なのだ。他者の為に威厳を保ち、他者の為に穏健を装う。何処までも他者の為にあらんとする人外の子供が抱いた、我儘で純粋な、友への願い。


「……はぁ」


 其をカレトは黙して受け入れ、やがて溜息を吐いた。

 レガリアから離れ、帽子を拾って被り直し、再びソファに寝転がる。


「私が死んだら」


 もはや激情は残っていない。友の言葉を受けて、面倒そうに呟くだけだ。

 

「誰がお前を看取るんだ」


 言われ、レガリアは目を見開く。茫然と口を開き、けれど、言葉を発する事は出来なかった。

 無視して、カレトは「だから」と言葉を続ける。


「やってられないというんだ」


 沈黙が訪れる。先よりは短い間を以て、カレトは再び呟いた。


「聖都へ帰れ、教皇レガリア。あの娘の面倒は見てやる」

「……その後は?」


 ようやく絞り出された問にも、カレトは淡々と答える。

 この都市(まち)に居る。何処へも行かない。どうせ、何処へも行けないのだから。


「この世の終わりまで、酒でも呑んで寝ている事にするさ」


 空虚な言葉が闇の中、埃と灰に覆われていく。今度こそ人外の教皇は言葉を失い、融けるようにして帳の裏へと消え去った。別れを済ませた魔女は、何度目かの溜息を一つ、思考の底に這いつくばった郷愁と慙愧(ざんき)から目を逸らし、微睡みに落ちていく。


「おやすみ」


 誰に向けられたかも分からない其が、今宵を締め括る最後の台詞だった。



   『灰歩きのカレト』第一部 了

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