表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/20

12.継承

 少年は誤っていた。


 常に、いつまでも、どこまでも。どうしようもない程……呆れと嫌気の差す程に、誤っていた。


 誤りの元を正せば、そもそも生まれてきた事が間違いだったのだと、少年は結論付けている。物心付いて間もなく覚えた、自らの血の味を思い出す度、その思考は同時に巡った。

 全身に重くのしかかる鈍痛と、鼻先を潰す土の匂いを感じながら、(かす)かに感じる頭上の気配へと彼は意識を向ける。


『立て』


 と、気配は言った。低く、冷たい声だった。


『まだ終わりではないぞ』


 幼き日々に焼き付いたその声は、少年の自我を否定して強硬に命じる。命じられるがままに立ち上がろうとし、けれど指先一つも動かせない少年の無様を睥睨して、気配は何処かに去っていく。

 少年は打ち捨てられた死体の如く伏せて、時が過ぎるのを待った。そうして、やがて僅かに力を取り戻した四肢を這わせ、気配の消え去った方向へと進んでいく。


(僕は、また誤った)


 胸中にあるのはそれだけだ。


(立つべきなのに。立つべきだったのに)


 発令に応えられない己の未熟、己の無力。思い通りにならない事への苛立ちや悲嘆が、洪水のように押し寄せる。矮小な体躯に不釣り合いな呵責を背負い、圧し潰されそうになりながらも、這いつくばって帰路に着く。


 それが、少年の日常だった――


――声が語り聞かせて曰く、母は死に瀕していたのだという。


 魂を形作る白き灰と、器となりし肉体を築く黒き灰。それらを授けし偉大なる者達、始祖。


 その教えに殉じる誓いを立てながら、戒を破り教えに背く大罪人達に、死の誅罰を。


 自らの手をも禁忌に染め、破戒の裏切り者として裏切り者達に“救い”を齎さんとする絶対の粛清機関、白き灰の使徒――


――永くその使命と大義に身を浸し、母の器は限界を迎えていたのだ。


 差し迫る(つい)の期に際し、母は願い乞うた。己の生きた証を遺したい、と。声……父はその願いを聞き届けた。

 それ故に少年は産まれた。顔も知らぬ母の、冷たくなった胸元に抱かれる赤子の姿を思い浮かべて、少年は比喩した。まるで供物のようだと。さもなくば生贄だ。口にすることは無かったが、もしもその思案が父の知るところとなれば、たちまちに自分は命潰えていただろう。

 それだけ父は母を愛していたし、母の願いを叶えてやるべく必死だったのだ。でなければ、最愛の命と引き換えに生まれ出でた塵芥(ちりあくた)を育てようとは考えるまい。

 毎夜、書斎の扉の隙間から漏れ聞こえる嗚咽と母の名を聴けば、少年はつくづく思うのだった。


 自分は生まれてくるべきではなかった。されど、死ぬべきでもない。


 誤り()でで、正される事もままならないのなら。この身は母と、父と、始祖の為にある。


 誤りを以て、誤りを正す。少年は(まさ)しく、使徒になるべくして生まれてきた。藻掻き、足掻く少年に対して、父が笑いかける事は無かった。


 或る日の事だ。何という事もない或る日。

 成長し、父と打ち合うにも慣れて、時には勝利寸前まで肉薄する事も増えた或る日。

 常の暗闇に在って、父の気配が異常な殺気を放っているのを少年は感じ取った。それまで感じた事のない、圧倒的な恐怖を浴びながら、「そんなはずはない」と疑念を振り払う。だがその疑念は、すぐに真実へと姿を変えた。

 踏み込まれ、刃を交えて応える重さ。(およ)そ人間の技とは思えない、常軌を逸した速度と膂力。

 時に正面から、時に背後から、武骨に、狡猾に。確実に少年の息の根を止めんと振るわれる手練手管の数々は、総じて普段とは比べ物にならない苛烈さを以て襲い掛かる。

 闇夜に白く浮かび上がる仄かな灯火が、少年に悟らせた。それは使徒が行使する禁忌の一端、白き灰の秘術であると。

 使徒が悪戯に秘術を用いる事は無い。用いるならば、必ず殺すという事。そして、殺さなければならない相手だという事。

 書から知り、父から聞いた言葉が脳に反芻する。けれど、何故今更?

 散らばったピースを繋ぎ合わせようとしても、欠けた情報が埋まる事はない。眼前に迫る刃と灰が示す現実は矢継ぎ早に少年の身体を掠め、(ひるがえ)り、また襲い掛かる。その事実に刃を返し、喰らいつく事で精一杯で、少年の思考が整う隙間は無かった。宵の死闘が与える数多の要素が、少年の心身を蝕んでいく。


 やがて辿り着いた結末は、呆気のない代物だった。


 決死の覚悟と残り僅かな力、意気を溜めて踏み込んだ先、父の懐に少年の刃が深々と沈む。それまでの熾烈立った殺気が嘘のように消えていき、沈黙が闇を覆い隠す。


『強く在れ』


 霞む声が言った。


『正しく在れ』


 弱々しくも、気高い響きを失わず、少年の頭を抱き寄せる。


『生きよ、ベネディクト』


 声は、初めて少年の名を呼んだ。


『我が魂は始祖の御許に還ろうとも、遺志はお前と共にある』


 少年が握る刃と父の肉体の隙間から、白き灰が零れ、逆巻く。

 それは継承を意味していた。父が触れし禁忌を、少年が引き継ぐ。逆巻く灰は少年へと降り注ぎ、光を帯びて彼と、父の亡骸を包み込んでいく。

 全てが終わり、使徒となった彼はまず屋敷に戻り、父の遺品を整理して身支度を整えた。同胞が彼を迎えに来たのは明朝の事である。


 それから。


 少年は使徒として、父母の遺志を継ぎ、強く正しく在ろうとし続けた。


 強く生きる。他の誰よりも、父よりも優れた使徒になるべく己を研ぎ澄まし、刃を振るう。そんな彼の生き様を見て誰かが言った。お前は誤っている、と。


 正しく生きる。教えに従い、教えに殉じる。その為に受け継いだ秘術を、自らという器の限界を無視し、際限なく行使する。ひび割れた彼の有様を見て誰かが言った。お前はまるで死のうとしているようだ、と。


 生きて、生きる。最期の時が来ようとも。僕は足掻く。誰かが、言う。お前は、きっと独りで死ぬんだろう、と。


 たぶん、その通りだ。

 生きて、生きて。他の誰を蹴落とす事になろうとも、父母の遺志を受け継いだものとして、僕には生きる使命と大義がある。

 僕はきっと独りで死ぬ。それでいい。そう在るべきだ。そうである事が、僕の望みなのだ。


『本当に、わざとらしいヤツだ』


 と、誰かが言った。振り返ると、影が立っていた。辺りはいつかと同じように真っ暗で、けれど彼岸に立つ影は、はっきりと人の輪郭を現している。


「わざとらしい……?」


 確かめる言葉に影は「そうさ」と返す。


『わざとらしいんだ。何もかも』


 呆れ、嫌気、不快感、憎悪。声が含むニュアンスをこちらも又、影に対して抱く。反射的に抱いたその感覚が、胸に疑問を抱かせる。


「君は、誰だ?」


『お前が一番よく知ってるさ……けど、どうでもいいだろう。そんな事』


佇む影は、言ってこちらを見下した。瞳があるかも分からないのに、そうしているのだと分かる。姿同様に不明瞭な言葉を突き付けられ、腹の中で何かがざわめき立ち、背筋をなぞる。


『この嘘吐(うそつ)きめ。この期に及んでまだ偽り続けるのか』


 嘘? 偽り? 何の事か分からない。


『ほら、またそうやって嘘を吐く。本当は分かってる癖に』


 繰り返す影。


『父の為、母の為、始祖の為……使徒の大義と(うそぶ)くけれど、結局は他人の所為にしたいだけ。自分の意思なんて何処にもない』


 言われ、唾を飲む。締め上げられるような痛みを頭部に覚え、こめかみに手をやる。


『誤りを以て誤りを正す? 馬鹿を言うなよ。お前に出来るわけがないじゃないか』


『正しく在る事も、強く在る事も、偽る事すら満足に出来ない。哀れみを求めているのか? 同情してくれる誰かでも待っているのか』


 その糾弾を即座に否定する事は出来なかった。胸の内に眠り、自分自身気付いていなかった本音を言い当てられたような。


『どうせ受け取る事も出来ない癖に』


「それは、分かってるさ」


 なんとか返す。まるで思考にも影が落ちたようだ。上手く働かない頭を必死に巡らせて、言い訳を探す。


「分かっているからこそ、やめる訳にはいかないんだ」


『何故?』


「何故って」


 素朴過ぎる疑問を打たれ、俯いて口ごもる。


「じゃなきゃ、ここまで続けてきた意味がない……」


「意味? あはは!」


 影は心底おかしいと言わんばかり、腹を抱えて嗤う。嘲りが永く暗闇を騒ぎ立てる。

 小さな二点の光が(とも)った。半月状に歪んだ青い瞳孔の、奥深くに揺れているのは殺意だ。影は心底、僕が憎いのだ。


『意味なんて最初から無いだろ』


 分かり切った事を言うようにして、吐き出す。引き裂かれたかの如く浮かび上がった口元が憎悪を増した。人は果てしなく愉快な時、どこまでも不愉快な時、きっと同じ表情をする。


『分かってる筈さ。分かってるんだろう? だって、お前はずっと自分で言ってきたじゃないか』


『自分は、誤っているのだと』


「それは」


 そうだけれど、だけど。


『だけど、何だ? お前は最初から誤った存在なのさ。そんなお前に何かを成し遂げられる道理はない』


 そうかもしれない、でも。


『その証拠に、お前は今まで何も出来なかったじゃないか』


 でも、でも。


『まだ上塗りが足りないのか、恥知らずめ』


 でも。


『でも、何だって言うんだ?』


 ……。


『お前は誤ってきた。お前は誤っている。お前は誤りだ、間違った存在なんだ』


『生きる意味なんて無い、生きる価値なんて無い』


『資格も、権利も、何も! お前の生存が許される理由なんて、この世のどこにも在りはしないんだよ!』


「そういうお前はどうなんだ」


 と、僕は言った。


『……』


 勢いが失せて、押し黙る影。


「知った風な口振りで……悟ったような事を言う、そういうお前はどうなんだ」


 目が、口元が、(いびつ)な形で止まる。そこにある澱んだ怖気の色を、僕は見逃さない。


「他人の罪を暴き」


 他人の罪を咎め、断罪を宣い。


「浄化を謳うお前はどうなんだ」


 影は一歩、後退る。僕は一歩を踏みしめた。半月状の眼差しはいつの間にか反転し、怯えを(あら)わにしている。


「お前にその資格があるのか。権利があるのか」


『僕には』


 否、否だ。そんな資格はお前にはない。


『どうしてそんな事が言い切れるんだ』


 言い切れるともさ。だって、僕は知っている。お前がしてきた事を知っている。お前が思い、考えている事なんてお見通しなのだから。


「お前が言ったんだ」


 お前の事は、僕が誰よりも知っている。


「お前は、僕だ」


『僕は』


 思えば影は、最初から誤っていた。「分かっているはずだ」などと。嘲りを口にしていても、影として現れたのは暴かれる事を恐れたからだ。そうして紡いだ言葉の数々は、全て呵責と自嘲に見せかけた虚飾に過ぎない。

 怖いから、否定する。自分が自分を咎める前に、認めた風を装ってしまえば、どこか他人事のように思っていられる。


「お前は僕だ」


 お前の名はベネディクト。親殺しの大罪人にして、虚飾に塗れた過ちの存在。それがお前だ。


『それは』


 お前は誤っている。いつもだ、常にだ。お前を肯定してくれる者など何処にもいない。お前自身、お前の事を認めていないのだから。


『そうかもしれない、けど』


 咎人め、恥を知れ。


『……』


 押し黙る。嗚呼、本当に。わざとらしい奴だ。

 誤っている。間違っている。臆病で、弱くて、何も出来ず、何も成し得ない無価値な存在。生きる理由も、死ぬ(よし)も他人の意思に委ね、自らの意思から目を逸らしている。

 きっと影は今、自らの姿が白日の下に曝され、単なる子供に成り下がっている事にも気付いていないのだろう。


『本当は生きたかった癖に』


 だから、父を殺した。


「死にたかった癖に」


 だから使徒になった。死に場所を求める為に。


『でも死ねなかった』


 迫り来る最期を受け入れられなかった。


『生きようとした』


 だから。


『だから』


 彼女の力に、救いを求めた。


 彼女の、聖女(フィーネ)の遺灰に宿る不死の力に――


――不思議な子だった。


 どこにでもいる、普通の女の子のようでありながら、どこか違う。

 聖女の力を感じ取ったから……ではない。彼女の、フィーネ自身の在り方がそう感じさせた。

 無邪気な振る舞いや、厳格な所作。時におどけ、時に大人びた影を落とす口調。全身まで使って一杯に広がる表情。

 聞き伝えの過去と、目の前にある今の姿。

 どれが、とは言えない。一つ一つは些細なものでも、積み重なって織り上げられた人間性が、言い表せないものとなって表れている。


『こんにちは、私はフィーネ。貴方は?』


 それは出会いの時。聖都の門前で馬車の横に立ち、大聖堂の鐘を見上げている彼女の、その姿に見惚れ立ち尽くした時から変わらない印象だった。


「あの時」


 彼女と出会った時。


「何かを言えば、変わったのかな」


 例えば、そう。自分は使徒だと明かしていれば。何かが今と違ったのだろうか。


「あの時」


 彼女がこの心に踏み込もうとした時。


「全てを打ち明けていれば」


 変わったのだろうか、何かが。


「あの時」


 魔女と対峙した何度かの時の中で。僕は何度、誤ったのだろうか。言う機会(チャンス)は、沢山あったのに。

 でも言わなかった。言えなかった。それが僕の誤りだ、お前の罪だ。

 お前の心の片隅に、ほんの少しでも正しきを求める意思が残っているというのなら、お前がすべき事は唯一つだ。


『何を、僕は、どうすれば』


 まだ嘘を吐くのか。まだ偽るつもりか。無駄だ、僕はお前の全てを知っている。分かっているんだろう。どうすべきか、何をすべきだったのか。

 知っていて尚、何もしてこなかったお前に出来る、唯一の事が何なのか。知っているだろう、分かっているだろう。


『でも、僕は、だって、ぼくは』


 まだ言い逃れをするつもりか――ベネディクト。


「……」


 ぼくは。


『……』


 ぼくは、ずっと。


 …………。


 あやまり続けてきた。


「ごめんなさい」


 ごめんなさい。

 産まれてきて、ごめんなさい。

 生きようとして、ごめんなさい。

 死のうとして、ごめんなさい。

 生きたくて、死にたくなくて。


「ごめんなさい」


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 どうか、どうか。


 ぼくを、ゆるして(ゆるさないで)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ