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11.光芒(2)

 結局、少年少女の慈善活動は夕暮れまで続いた。

 予定ではもうとっくに都市を出ている筈であり、急ぎ足で出門の手続きを済ませた二人は、南西の岬を目指して歩いていた。尋ね人を求めて聞き込みをしていた際に知った秘境である。

外海交易においての中継地点を兼ねている商業都市は、大陸の端に位置している。南西の岬は海に面した断崖絶壁であり、途中にある森林の奥深さも相まって殆ど人が寄り付かない。そんな無用の領域を目指して、フィーネとベニーは歩き続けている。


「……」


 茜色を過ぎて暗く染まっていく森林の中、まばらな鳴き声が頭上から降り注ぐ。それは鳥のようであり、虫のようでもあった。侵入者を取り囲むかの如くざわめく樹々の擦過音が、得体の知れない不気味さを醸している。


「……」


 鬱蒼とした獣道を掻き分け、一際大きな樹木の根を乗り越えると、なだらかに登る傾斜が待ち構えていた。湿り気を帯びた枯葉の絨毯と、生えそびた朽ち木の枝が足を妨げる。道なき坂を登り終えた辺りで二人は息を()き、そして再び歩き始めた。

 暫くして、視界が開けると同時、二人の目にまず飛び込んできたのは夜空の黒。そして数多の星の煌めきだった。それは天蓋に吊るされた宝飾のようであり、月に寄り添って暖かく地表を見下ろしている。


「綺麗……」


 足元で揺れる草花。地面を覆う青紫の蕾達が、二人を出迎えるかの如く(こうべ)を垂れている。誰しもが息を呑むだろう幻想的な光景に、フィーネは飾り気のない感嘆を溢す。

 花園の中心へと歩みを進めるその背中を、黙して眺めていたベニーは、彼女が立ち止まったのを確かめて静かにその影を追いかけた――


――昨夜の続き。未だ定まらない意識の中で、ベニーは傍らの少女が呟く言葉にぼんやりと耳を傾ける。


「私ね、思ったのだけれど……」


 静かな、重苦しい声色で少女は語る。その後の言葉が何となく想像出来ていて、口を挟む事はしなかった。


「この都市(まち)を出ようって」


「……」


 商業都市を出てどうするのか、という疑問は無い。聖都を離れ、最期に辿り着いたこの地を離れるという事。その意味は決まり切っている。


「海がいいな。私、見た事が無いの」


 でも、きっと。そこなら。


「誰にも見つけられないんじゃないかって」


 聖女の遺灰には奇跡が宿る。

 ベニーの脳裏に浮かび上がった言葉が真実か否か、その答えを聖女は知っている。少年も又。


「“私”が、私には知る事の出来ない後になって、誰かを傷付ける物になるなんて、そんなの耐えられない」


 そうならない為に教会は力を尽くし、及ばず魔女の元へと聖女を遣わした。それも徒労と成り果てた今。


「僕も行くよ」


 絞り出された一言を受けて少女は立ち止まり、すぐ(そば)にあるベニーの顔を見た。脂汗の伝う頬をなけなしの力で吊り上げ、笑顔の体裁を取り繕う。そんな彼の目に映る少女の様相には、逡巡が張り詰めている。

 夜風の冷たさに打たれながら、互いの体温を確かめるようにして、二人は暗闇の奥深くへと爪先(つまさき)を向ける。雲間に顔を覗かせた一粒の光点が、行方(ゆくえ)彼方(かなた)に霞んでいる――


――そうして。


「なんだか勿体ないわよね」


 フィーネが呟いた。受けて、ベニーは彼女の相貌を見つめる。伏せられた睫毛の奥に灯る碧に、蕾の淡い紫が反射している。崖の端から潮騒が響く。海に面しているとは思えない温暖な風は、緩やかに色彩を揺らしている。


「勿体ない?」


 反芻するように疑問符を浮かべ、次の言葉を待つ。


「こんな素敵な場所なのに、ここには私達二人しかいない」


 屈み、蕾に手を添えて「贅沢過ぎるわ」と呟く。たおやかな笑みを湛える彼女の隣に屈み、少年は花弁の開きかけた一輪を摘み取った。それを見てフィーネが「あ、」と小さく声を上げる。手の平の上で力なく倒れた一輪へ哀しげな視線を向けるフィーネ。ベニーはそれを無視した。


「以前、ある人に言われたんだ」


 「何を」と返事が飛んでくる前に、少年は語り始めていた。


「君と僕は似ている、と」


 フィーネは黙って彼の言葉を聴く。淡々とした口振りでありながら、そこには彼が抱えてきた幾年幾多の思いが秘められているように感じられた。


「その時はよく分からなかったけれど、今なら分かる」


 そこまで言って、息を()く。


「君は諦めるのが苦手なんだね」


 拳を握った少年の言葉は、フィーネへと向けられたものでありながら、どこか自分自身に言い聞かせるニュアンスを含んでいる。己の拳を見つめ、眉根に皺を寄せる。過去へと思いを馳せる少年の意識から僅かな間、少女の影が薄れる。


「どうにもならない事が沢山あって、だけど諦めきれなくて」


 誰にでも過去がある。それは当然の事であり、言うまでもない事だ。過去に秘密や嘘、罪を抱える事も又、当然の事である。純粋無垢な幼年期を過ぎて、理想と現実の狭間に揺れる少年期を境に人はそれらを背負い始める。誰も清廉に生き続ける事など出来はしない。まして、深い信仰の元に生きる人間であれば。教えに準じ、正しく生きる困難さを知らない訳がない。


「足掻いて、藻掻いて。ようやく決心が付いた頃には、こんな所にまで来てしまっている」


 こんな所にまで……と、繰り返し呟くベニー。言葉の重みが質量を持ったかの如く、少年の肩にのしかかっている。間近でその姿を見ていると、フィーネの胸中に言いようの無い喪失感が去来した。耐えられず、掛ける言葉を探すものの、返答は見つからない。


「ごめんなさい」


 結局、返せたのはそれだった。何を謝っているのか、自分でも分からない。きっと思考を深めれば、様々な理由が見つかるに違いない。が、謝罪を口にする事は変わらないだろう。

 顔を上げた少年は、反対に俯いたフィーネの様子を見て微笑む。柔らかく頬を緩めた後、首をもたげて視線を空へと移す。


「やっぱり、優しいな君は。いや、甘いというべきなんだろうね。それは決して唾棄すべきものではないけれど……そう」


 そして。再び開いた手の平の上には、花弁を散らし、皺よれた紫が横たわっていた。


「だからかな」


 と、呟く。指の隙間から花弁が滑り落ちる。「え?」と聞き返す少女の声は、一陣の風によって掻き消された。ゴォと鼓膜を震わせる突風が、幾つもの蕾を刈り取り(さら)っていく。


「だから、君は救えないんだ」


 風が(よぎ)最中(さなか)、少女の呼吸が止まる。全身から力が抜けていく。瞳孔が開く。心臓が大きく跳ね上がり、鼓動が恐ろしいほどの速さを得て内側から総身を震わせる。粟立つ肌にじっとりとした空気が纏わりつく。

 顔を上げて見やった先には、変わらずの微笑を浮かべた少年。けれど、その気配は明確に凍り付いて変質している。


「モエニアの聖女、フィーネ」


 厳格な口調だった。或いは殺人者の男に、或いは魔女に向けて示されていたソレが、自らに向かって発せられている事に、フィーネは言い知れない怖気を覚える。

 半歩、後退。その距離を即刻、無遠慮に詰め寄るベニー。そして、(おもむろ)にフィーネの前髪へと片手を伸ばした。額を撫で、ブローチに指を掛ける。次いで頬、顎先、首筋。


(かつ)て君は彼の地、モエニアに赴いた。戦争を止める為に、独断で」


 語り始めたのは過去。一年前の出来事。聖女フィーネの行動は大陸諸国に偉業として語られている。たった一人、戦地へと赴き、衝突する両軍の火勢を鎮めた奇跡の代行者……モエニアの聖女。


 だがそれは、対外的な話である。


「教会の意向を無視し、周囲の制止も聞かず、聖女の権威を利用して」


 真実を知る教会内部、上層の見解とは異なる。教会は他国の政治に関わらない。まして、戦争への介入など。


「そうまでして君が為した事はなんだろうか? たった三度の衝突で戦争を止めた? 違う」


 語尾に勢いを増して、ベニーは犬歯を剥いて少女へと鋭い視線を向ける。


「君は三度も衝突を許してしまったんだ。一度目は間に合わず、二度目は失敗し、三度目にしてようやく。それも多くの犠牲を支払って」


 それは憎悪よりも、嫌悪に近い。少年の細い指に僅かな力が込められ、フィーネの首筋に食い込む。


「君がした事は教会の威光を悪戯に貶める行為だ。過ちだよ、奇跡なんかじゃない」


 「あまつさえ」と続ける彼の言葉を聞きながら、フィーネは微動だに出来ず、目の前の恐怖から目を逸らす事も出来ずにいた。白い灰が、浮き上がる。


「君は再び罪を犯そうとしている」


 そうして――


「自ら命を絶つ事など、決して許されない」


――少年は、フィーネの首を締め上げた。


「ぁ……ぅぐ……っ!」


 思わず嗚咽を漏らし、両手を使って少年の腕を引き剝がそうと藻掻く。が、少年はそれを物ともしない。抗う少女の首に更なる力を加えながら、その身体を持ち上げていく。


「けど、いいんだ。フィーネ、決して許されない罪であるならば僕が」


 一転して穏やかに、手向けの如く優しげな声音が、次の瞬間には厳格で、冷たい代物へと一変する。


「白き灰の使徒が絶ち浄めよう。だから」


 少年の細腕に青筋が立つ。(およ)そ人間離れした膂力を以て締め上げられた首筋が軋み、声を奪われる。


(ベ、ニィ……)


 遠く、意識が霞んでいく。歪む視界。歪む少年の顔。どんな表情をしているのかは、もう分からない。

 ただ、声だけははっきりと鼓膜に響いた。


「君の、命を」


(……そっか)


 “だから、なのだろうか”。


「僕に寄越せ」


「……」


 言われ、フィーネは腕を下ろした。力無くだらりと落ちた腕を見て、ベニーは眉を顰める。

 まだ意識はある筈だ。まだ首の骨は折れていない。であるならば、これは少女の意思による動きだ。先程まで自ら命を絶つ事を考えていた……とはいえ、本能に抗う動作であるのは間違いない。何か企みがあるのか、それとも。

 「終わりだ」と告げながら、訝しむベニーは、それでも彼女の首を締める力を緩めない。


「 」


 フィーネの口が動く。掠れ、音の無い唇が小刻みに震えながら形を変える。


「 」


 ベニーはそれを注意深く観察する。


「 」


 それは――いいよ――と笑っていた。


「!!」


 少年が目を見開いたその刹那。


「ぇ?」


 遠く、遠く向こうから。乾いた破裂音が花畑に鳴り響いた。

 少年の腕から力が抜け、フィーネの身体が地面に落ちる。急激に解放された喉へ一気に冷たい空気が流れ込む。その勢いに(むせ)て、咳き込むのを堪えながら、何が起きたのかを確かめるべく少年へと顔を向ける。

 宙に虚ろな視線を向けた少年の胸に、赤黒い点が浮かび上がっていた。その点にフィーネは見覚えがある。


「なんで……?」


 それは銃創。火薬の炸裂によって押し放たれた鉛玉が、少年の肉を焼き、引き裂いて風穴を空けたのだ。

 それと認識した途端、次いでフィーネの脳裏を支配するのは渦巻く疑問。

 何故? どうして? 誰が? 何処から? どうやって? 何故? 何故? 何故?


「!」

 

 よろけて膝を付いた少年の肩の向こう、森林の切れ間から姿を現したルクルム=シレークスが、侍従の女と数人の自警団員を従えて立っていた。不遜な笑みを浮かべながら、片手を挙げている。自警団の一人が構えた長銃から硝煙が昇っている。残りの者達も一様に長銃を構え、一点に狙いを定めていた。少年の背中へと。


 ふ、と。声がした。


「嗚呼」


 それは弱弱しく、今にも消え入りそうな。


「ぼくは」


 寂しげな声音はどこか諦めと、悟りのニュアンスを含んでいて。


「さいごまで、あやまっていた」


 その言葉を皮切りにして。少年の胸の風穴から、白き灰が吹き荒れた。


「     」


 誰かが叫んだ。一人ではない。幾人もの誰かの声と、砲声。けれど、そのどれ一つとして音になる事は無かった。それらは嵐と化した白き灰によって覆われ、掻き消える。逆巻く豪風が少年の身体を中心にして、周囲一帯を席捲し、踏み躙る。

 中心点より最も近い場所。立ち上がる事も出来ず、目を開いている事すらままならない位置にあって少女は少年の名前を呼ぶ。喉が張り裂けんばかりに上げた絶叫紛いの呼び声は、されど有象無象と同じようにして掻き消された。

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