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動物王国

作者: 山谷麻也

 三足村今昔

 三足さんぞく村は、四国の寒村である。ちょうど四国のヘソの部分にあたるが、交通は不便だった。

 村の名前は、まだ街道が抜けていない時代、河港から村に行くのに山越えをして、三足の草鞋を履きつぶしたことに由来する。

 鎌倉期に戦いに敗れた武将が家来を二人伴って村に入植してきたと言い伝えられている。すでに村には何人かの先住者がいた。村の人口は長年たいして変化がなかったが、昭和期に入り徐々に増加、二四年には一五八人になった。この時、三足村には二一軒の家があった。

 この村には代々、大ボラを吹く家系があったのか、江戸時代のころ、徳島の城下町に用事で行ったおり、女性をハントした村民がいたらしい。サンゾク村というといかにも悪い人間が住んでいる、と思われかねない。そこで村人は「オラの住んどる千足せんぞく村で一緒に暮らそう」と連れ帰ることにした。

 遠い。しかも道は険しい。嫌がる娘を「千足村は徳島ほどにぎやかではないけんど、店もあるし、いっぱい人が住んどる」と、なだめすかした。三足村に着いた娘は、寂しくて毎日泣き暮らし、若くして亡くなった、ということだった。

 この種の話は『阿波の民話』(湯浅良幸編著 徳島新聞社刊)にも載っている。「千足へ来た奥女中」がそれだが、千足という地名はない。何かの間違いだろう。


 閑話休題。

 昭和三〇年代後半になると、村人は都会に出ていくようになった。働き盛りの若い夫婦を中心に人口は流出し、村に残るのは中髙年の夫婦だけとなった。まれに村に帰る者もあったが、多くは親を都会に呼び寄せた。特に、親のどちらかが亡くなると、子供たちは

「寂しい山奥に親を一人でおいておくに忍びない」

 と連れて帰った。

 令和X年、三足村から一人の老爺が出て行った。

 三足村最後の住民だった。一か月半ほど前、長年寄り添った老妻を亡くした。子供たちが集まって四九日を済ませ、長男がそのまま車で、愛知県まで連れて行ったのだった。


 三足村は周囲を山に囲まれている。ややひしゃげたすり鉢状で、奥には三足谷が流れている。豊かな水量は人間や動物、そして田畑を潤してきた。

 三足谷の水は祖谷野いやや川に注ぎ、途中で支流の松猪まっちょ川と出合う。さらに下って、「四国五郎」と称される大河・吉奈よしな川に合流し、太平洋へと長い旅をする。

 太平洋から川を遡って来たウナギが、よく三足村の田んぼに迷い込み、大捕り物になったものだった。

 村の中心部には神社、学校、集会場などの中枢施設があった。神社の森にはタヌキやムササビなどが棲息していた。娯楽の少ないタヌキたちにとって、お地蔵様に化けて子供たちをからかうのが楽しみのひとつだった。ムササビは空を飛んで子供たちを面食らわせたものだった。

 田畑は豊かな実りをもたらした。コメ、麦、粟、トウモロコシ、イモ、カボチャ、ナス、キャベツなど、ほぼ一年中、お腹を満たしてくれた。

 動物たちには

「こんないいところから、どうして人間は出ていくのか」

 永遠の謎だった。

 ただ、動物たちには、人間と共存できないことだけは分かっていた。

 とんでもないところにワナを仕掛ける。遠くにいても安心できない。物騒な鉄砲をぶっ放すからだ。ウシやウマをこき使って鞭で打つ。せっかく出産しても、人間の手に負えなくなると仔どもは平気で捨てられる、というのは、ペットとして送り込んだイヌとネコからの情報だった。

 


 動物王国の誕生

 最後の住民を乗せたクルマが三足村を去ると、道々に動物たちが出てきた。老若雄雌いり乱れ、ハイタッチをしたり、中にはグータッチをしているものもいる。

 最初、サル、イノシシ、シカ、カラス、イヌ、ネコ、タヌキなど、仲間うちで喜びあっていたが、歓喜の輪はやがて、しゅを越えた。

 騒ぎの収拾をつかなくしたのが、サルが差し入れた穀物酒だった。

 サルは人間から調達した穀物の保存中にアルコールができることを知っていた。人間がアルコールをつくるよりずっと以前のことだった。これはサルの世界の常識だった。酒の存在は長い間、ほかの動物には極秘扱いになっていた。

 したがって、サル以外のものは生まれて初めてアルコールを口にした。

 タヌキは、単なる装身具と言われてきた徳利に、こんなおいしいものが入っていた、と知って地団駄を踏んだ。

 イノシシは猛スピードで走り回る。シカは後ろ足で跳ねる。カラスは目を真っ赤にして乱舞する。

 この祝宴は、三日三晩つづいた。


 自動車道や農道、さらには動物たちの生活道路、けもの道にまでヘドを吐き、酔い潰れた動物たちが寝ていた。

「困ったことになった」

 サルの長老(サル爺)は苦々しげにつぶやいた。

「うちの若いものが、門外不出のアルコールなんか出すからだ。動物の理性をことごとく失わせてしまった」

 動物界に平穏な生活をもたらすにはどうすればよいかーーサル爺は思案を重ねた。

 悩みはイノシシも同様だった。イノシシの長老(イノ爺)は、息子が酔って足を捻挫してしまっただけに、悩みは深刻だった。足のケガは、人間が君臨していた時代なら、そく捕獲され、ボタン鍋ものである。

 息子に厳重注意したが

「もう、人間はいない。新しい時代が来たんだよ」

 と、全くのノーガード状態だった。

 イノ爺も、動物界の将来に危機感を抱いた一頭だった。


 サル爺とイノ爺を取り持ったのはシカの長老(シカ爺)だった。

 サル、イノシシ、シカはともに人間に「害獣」として指定され、積極的に駆除されてきた。

 運悪く捕獲された動物たちは両耳と尻尾を切り取って撮影、役所に提出し、イノシシとシカは一頭につき一万円以内、サルは一頭につき二万円以内が、報奨金として支払われた。イノシシとシカの場合、ジビエとして最期を飾ることも多かったが、サルはほぼ共食いになるから、と人間が嫌い、地中に埋められるのがオチだった。

 いずれにしても、害獣とされた動物にとっては長い暗黒時代が続いた。

 しかし、三足村に限って言えば、村民はいなくなり、畑や田んぼへの出入りは自由になった。もう、忌々しい電気柵(電柵)に神経をとがらせる必要もない。

 若い連中が浮かれたい気持ちは長老たちに痛いほど分かった。それでも、よその村から猟銃やワナを持って入って来る者は、依然としているだろう。

 シカ爺もサル爺、イノ爺と同じ考えだったのである。三頭は三足村の小学校跡で一堂に会した。

「どうも若い衆はハメを外し過ぎているようだが」

 と、シカ爺は切り出した。

「それよ。シカ爺。このままだと、昔の無秩序、無政府状態に戻ってしまう」

 と、サル爺は顔をしかめた。

「何か、いい手立てはないかのお」

 イノ爺も思案顔になった。

 



 初代村長サル爺

 後日、賢獣の誉れ高いシカ爺が提案を持ってきた。

 それによれば

 一、役所を開設し、動物村の世話をする役人を雇う。責任者として村長を選出する

 二、動物村議会を設け、必要な行政を行う

 三、動物村の規則全般を定めた法律を作成、公布する

 四、これらを実行するために必要な組織を設ける

 というものだった。


 動物村の重鎮たち、三頭は大筋で合意し、それぞれ持ち帰って仲間内で協議することになった。

 この動きに対して、激しい反対運動が起こった。主導するのはキツネとタヌキとカラスだった。

 イヌやネコ、ハクビシンなども反対集会に顔を出してはいたが、キツネとタヌキの顔を立てたものだった。

 キツネ爺が最初に演説に立った。

「密室で動物村の将来が決められようとしている。人間により長い間、迫害を受けてきたのはわれわれも同じだ。今こそ、動物の安全・自由・平等を実現しよう」

 タヌキ爺も応じた。

「これでは、単に支配者の首がすげかわっただけになる。われわれはサルの狡知、イノシシの暴力、シカの懐柔策の犠牲になってきた。欺瞞に満ちた新体制に断固反対する」

 カラス婆が壇上に登った。爺が五十肩で飛べないため、代理で出席したものだった。

「皆さんは地上を走り回っているものだけが動物と考えているのではないか。カラスだって、地上を走れ、と言われれば走ることができる。カラスなどの土着の鳥類はぜひ動物村の一員として権利を認めるべきである」

 ツバメやヒヨドリなどの渡り鳥からブーイングが起きたが、カラス婆はチラッとにらみつけただけだった。


 結局、このままシカ爺の住処までデモ行進することになった。そして、サル爺、イノ爺も呼び、団交の場が持たれた。

 団交が進むにつれ、シカ爺たちの形勢は危うくなってきた。別室で話し合いの末、次のような提案を持ちかけることになった。

 一、一日のほとんどを地上で暮らすものを動物村の住民とする。鳥においては土着のものに限る。渡り鳥は除外する。

 二、動物議会の議員は公正な選挙で選ばれたものとし、それぞれの種の議員定数は個体数ならびに旧体制下の犠牲度などによって決定する。

 三、前項のことを実現するため、速やかに村政調査を行うものとする。また、村勢調査をはじめ住民サービスに必要な諸施作を担う場として役場を設置する。

 提案は概ね了承された。

 まず、村役場が小学校跡に設置され、臨時の村長にサル爺が選出された。次いで、役人を公募することになったが、多くが書類選考で落とされた。書類に不備があった、とされている。最終選考の面接と簡単な常識テストを受けた若者で四五個体全員が合格した。

 



 村の選挙

 村勢調査は首に調査員の証明書をかけたアルバイトによって行われた。

 シカ、イノシシ、サルへの調査は草の根を分けても行われたが、その他についてはおざなりだった。後に、鳥やハクビシンなどの調査票が、橋の下に大量に廃棄されているのが見つかった。

 村長は記者会見し

「事実関係を調査し、村民の皆様にていねいに報告した後、厳正に対処します」

 と、涙ながらに語った。それを信じるものは、ほとんどいなかった。

 村勢調査の結果と旧体制下の犠牲度から議員定数の配分が決まった。

 サル 一二  イノシシ 一二

 シカ 一二  イヌ   六

 トリ 八(カラス五 その他三)

 ネコ 六   タヌキ 五

 キツネ 四  ハクビシン 二


 村議会議員選挙を控え、選挙違反を検挙するための機関も設置された。トリ、タヌキ、キツネ、イヌ、ネコについては、家族間でも違反を積極的に告発することが推奨され。投票日前でも違反者は拘束された。

 最も多かった選挙違反は買収だった。仲間を招いて食事をし、そこで選挙の話をしたというだけでイヌ、ネコは引っ張られた。

 一方、サル、シカ、イノシシの選挙事務所へは本部から一・五年分もの食糧と酒が届けられた。絶対安定多数を狙う本部の指示により、ほかの動物たちの陣営の切り崩しにも血眼になった。昼間からほろ酔い気分のカラスやイヌ、ネコが増え、食糧集めにいそしむものはめっきり少なくなった。

 カラス、イニ、ネコの立候補者たちも手をこまねいていたわけではなかった。投票日前日、村の広場で総決起集会が企画された。個体数の上では圧倒的多数であることを誇示し、結束を固めようというものだった。

「下手に一致団結されると困る」

 と、サル爺たちは頭を抱えた。

「何かいい方法はないか」

 と、シカ爺。イノ爺が引き取って

「同じような集会を開いてはどうか」

 イノ爺によれば、谷城村の子泣き爺を知っているという。

「カラスたちの集会など烏合の衆。子泣き爺を呼んで講演会を開けば、村中の動物たちが集まること請け合い」

 と、イノ爺は胸を叩いた。


 谷城村は今は廃村寸前だが、かつてはこの地方随一の人口を誇った。子供たちも多かったが、危険な谷や淵、崖などが至る所にあり、事故が絶えなかった。そこで、子供たちがこれらの危険ゾーンに近づかないような方策が考えられた。

「おばけや妖怪がいるということにしたら、子供たちは近寄らない」

 と、いう妙案があり、さっそく全国的に募集がかけられた。そこで応募してきたのが、子泣き爺だった。演技には自信がなかったが、面接で

「難しく考えなくていいです。エキストラです。エキストラ。時々、歩き回っているだけでいい」

 ということだったので、住民登録し、多くの妖怪同様、谷城村に住み着いたのだった。

 イノ爺が連絡した時には子泣き爺は二つ返事だった。

「鬼太郎に声をかけておくし、ネコ娘もなんだったら連れて行く。ネコ票がごっそり流れてくる」

 と、太鼓判を押した。

 超有名妖怪が来るというので、整理券を発行するほどの前評判だった。ところが、当日あらわれたのは子泣き爺の秘書兼マネージャーだった。入り口でうろうろしていると

「ボーッとしてないで手伝って! 東京から偉い妖怪先生たちが来るのだから」

 と、イベントスタッフと間違えられてしまった。

 集会が幕を開けた。

 司会が秘書の紹介をした。聴衆は、サプライズがあるのだろう、と固唾を飲んだ。

「私も、時々はTVに出ているのですよ」

 と、言って秘書は会場の反応を確かめた。反応ゼロだった。秘書は気を取り直して

「今日、子泣き爺はよんどころなき事情で来村できません。また、鬼太郎とネコ娘も番組収録が重なりまして、断腸の思いで、本集会のご盛会を祈っております、とのことでした」

 これは出まかせだった。

 子泣き爺はメジャーデビューしてからというもの、TV局近くの八本木のタワマンに住み、番組収録を理由にドサ回りの仕事はほとんど断っていた。『墓場の鬼太郎』は放映されてはいるが、ここ二年ほどは番組の収録はなく、すべて再放送だった。鬼太郎も子泣き爺もネコ娘も遊園地にゲストで招かれ、着ぐるみたちと一緒に走り回っている日がほとんどなのである。

 秘書はつづけた。

「子泣き爺からメッセージを預かって来ておりますので、代読させていただきます」

 聴衆は一斉に帰りかけた。


 子泣き爺の一件があって以来、イノ爺の評価はガタ落ちだった。これまで

「有名人を知っている」

「中央と太いパイプがある」

 などと大口をたたく傾向があったが、みんな眉に唾を付けて聞くようになった。

 顔をつぶされたイノ爺はカンカンに怒り、子泣き爺に電話した。子泣き爺は前日の夜、体調を崩したため、秘書が代役で行くことを電話したが

「その電話は電源が入ってないか、電波の届かない範囲におられます」

 というばかりだったとのこと。基地局の不足を痛感させる事件ではあった。


 選挙結果はサル・イノシシ・シカが僅差で勝利した。子泣き爺さえ来ていれば、楽勝の選挙だった。

 


 憲法発布

 村議会が招集され、初代村長にサル爺を選出、議長職にはシカ爺が就いた。

 次いで、サル爺が準備した動物村憲法草案が読み上げられた。

 動物村憲法(草案)

 前文

 動物村住民は正当に選挙された村議会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの仔孫のために、諸国民と協和による成果と、わが村全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、人間の行為によって再び殺戮の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が動物に存することを宣言し、この憲法を確定する。


 ヤジが飛んだ。

「分かりにくいぞ!」

「英語の直訳じゃないのか!」

「簡潔な文章にしろ!」

 などと、好き勝手なことを言う。

 執行部は困り果てた。「基本的獣権の尊重」や「平和主義」など世界に類を見ない理念が貫かれていただけに、サル村長の苦労は報われなかった。

「どうも、崇高な文章は、この連中には理解不能らしいな。いっそ、村民の三大義務だけを定めては」

 ということになった。

 こうして

 教育

 勤労

 納税

 の三大義務が定められた。

 この場合の「教育の義務」は当面、乳幼児教育を指し、順次、初等教育・中等教育・高等教育へと拡大していくとされた。特に家庭教育が重視され、育児放棄ネグレクトは重罪とされた。

 勤労は、日々の食料を得るための労働のほか、広く子育てや高齢あるいは障害を持つ家族等の介護などが含まれる。動物の健康および福祉の向上に資するものに限る、とされた。人間のための労働の禁止である。

 納税はコメや麦などの食糧の物納を原則とし、使途は公務員・議員等の給料、公共工事等に対する報酬、飢饉にそなえての備蓄に回される、とされた。

 



 文化大革命

 執行部の頭を悩ませている問題がもう一つあった。それは古き、悪しき人間による支配の残滓である。

 例えば、ことわざ・慣用句の類がそうである。

 ▽イヌも歩けば棒に当たる

 ▽負け犬の遠吠え

 ▽牛の歩み

 ▽鶏口となるも牛後となるなかれ

 ▽生き馬の目を抜く

 ▽尻馬に乗る

 ▽サル芝居

 ▽サル知恵

 ▽サル真似

 ▽サルも木から落ちる

 ▽猪突猛進

 ▽今泣いたカラスがもう笑う

 ▽烏合の衆

 ▽ネコも杓子も

 ▽ネコに小判

 ▽タヌキ寝入り

 ▽取らぬタヌキの皮算用

 特定の動物に対して悪意に満ちた例えをしている例は、枚挙にいとまがなかった。

 当該動物が不快に思うことわざや慣用句はすべて言葉によるハラスメントとされ、窓口として、村役場にハラスメント委員会が設置された。

 また、同じ観点から、よく愛唱されてきた童謡についても検証された。

 その結果、次の童謡が放送禁止あるいは歌唱禁止とされた(第一回指定)。

 ▽ヤギさんゆうびん

 ▽イヌのおまわりさん

 ▽おウマはみんな

 ▽ネコ踏んじゃった

 ▽ウサギとカメ

 ▽あんたがたどこさ

 ▽たねまきごんべえ

 ▽山寺の和尚さん


 このほか、ゲームなどについても悪しき人間の影響を排除する観点からきびしくチェックされた。

 トランプは、キング・クイーン・ジャックが描かれていることから論外。

 花札は、いくつかの動物が登場するが、主役級の扱いなのでよし、とされた。三月(桜に幕)、五月(菖蒲に八橋)、九月(菊に盃)、一一月(柳に小野道風)については欠員となっているため、希望があれば図案と共に申込書を提出してもらう。

 麻雀は「雀」が使用されており、不公平で極めて不適切だが、浸透度を考慮し、「麻動」(マードウ)として、全動物的ゲームに育成する。

 カルタはイヌ棒カルタの類は廃棄処分とする。動物の健康・福祉の増進および動物村の発展に資するような創作カルタを考案し普及を図ること、とされた。

 ゴルフはバーディ、イーグル、アルバトロスと鳥の名前が多用されていて、多様な動物の住む動物村にふさわしくない、という意見が大勢を占めた。

 村の入り口にある名門ゴルフ場、三足カントリークラブを元の山林に戻そうということになったが、これには村長が反対した。

「あれは、わが動物村が外貨(円)をかせぐ唯一の手段。人間がプレーをしに来て、毎回、カネをわが村に落としてくれている」

 と、いうのが理由だった。もっとも、サル爺がよく人間からゴルフの接待を受けているのは有名な話。盆暮れには高級ゴルフクラブなども贈られていた。

「それに、フロントやレストラン、キャディ、グリーンキーパーなどを村民から雇ってもらえば、雇用創出にもなり一石二鳥、いや一挙両得にもなります」

 どうも、この話は最初から出来上がっていたらしい。

 サル村長が外貨獲得に血眼になるのには、ほかにも理由があった。

 ひとつは最近、サル婆が体毛とツメのケアをしたがっていること。一流サロンに行かないと納得しないのである。一回かかると、キャディ三か月分の給料が飛んでしまう。サル爺の頭痛のタネだったが、村長の妻としての身だしなみということで、村の必要経費に認めさせるつもりだった。

 もうひとつは、孫の進学問題である。数年前、同じ四国にできた獣医大学に孫を「村費留学」させるという野心があった。

 ただし、ゴルフ場の件については、村議会から、人間のために働くことを禁じた法律に違反するのでは、と疑義を呈する勢力があった。

 サル村長は

「これは動物村のために働くのであって、農耕馬や農耕牛の労働とは本質的に違う」

 と、自信満々だった。

 



 音声信号機の設置

 最後の村人が離村してからというもの、三足村に絶えて葬式がなかった。

 第一、飢えの不安から解放され、栄養状態が著しく改善した。高齢の動物たちはゴルフやグランドゴルフなどで適度に運動するため、健康で長生きするものが増えた。

 また、銃弾やワナにかかって不慮の死を遂げるものは激減した。その恐怖を忘れないよう、歴史資料館に猟銃やワナを展示することさえ村議会に提案された。

 ここに動物村を揺るがす一大事件が勃発した。

 シカの仔供たちが隣り村に遊びに行っている時、一匹が交通事故に遭ったのだった。即死だった。一緒にいた仔ジカに事故当時の状況を聞いても恐怖心だけが先行し、ラチがあかなかった。

 遺影に向かってシカ爺は誓った。

「このような痛ましい事故が二度と起こることがないよう、村議会あげて徹底して事故原因を究明する」

 人間の習性に詳しいイヌが現場検証に立ち合い、村議会の参考人として呼ばれた。

「いわゆる信号機のない横断歩道でした。あんな場所を横断するのは自殺行為です」

 イヌは申し立てた。

「あんたのいう信号機とはなんなんだ?」

 シカ爺は質問した。

「いや、人間がそう言っていただけです。あの機械に何かルールがあるみたいです。いくつか色が変わる目玉みたいなものが付いているようですが、何しろ私は色弱でして」

 イヌの話も要を得なかった。

 そのルールを調べることになった。アルバイト調査員にカウンターを持たせて、町の交差点まで出向き、停止するクルマと色の関係の統計を取った。

 結果は次のようなものだった(図1「信号機とクルマの通行」参照)。

 熟れた柿の色の時 停車 〇% 通行 一〇〇%

 熟れたミカンの色の時 停車 五〇% 通行 五〇%

 晴れた空の色の時 停車 八〇% 通行 二〇%


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 人間はこんなルールを作っていたのである。学ぶべきものもある。

 いわゆる信号機が、晴れた空の色の時に道路を横断すれば、あまり事故に遭わない、ということが判明した。

 次は、このルールをどう村民に徹底するか、である。

 スズメが挙手した。

「これは教育によってしか解決できないと思います。私たちの世界では昔から組織的な教育が発達しております。そのノウハウをオープンするのにやぶさかでありません。何しろ♫チーチーパッパ、チーパッパ、スズメの学校の先生は♫と、歌われてきたくらいですから」

 最後は怒号で聞き取れなかった。


 スズメの提案で交通安全教室が開かれた。週二日、一か月のコースだったが、ほとんどの村民が参加し、修了証を授与された。

 これで万事解決したわけではなかった。イヌは色弱だし、ほかの動物たちも高齢化が進み視力が落ちていた。

「私の行きつけのトリミングサロンの前に音が出る信号機がある」

 という、耳より情報を持たらしたのはイノ婆だった。

 案の定、もめた。

「一度都会に行った時に聞いたことがあるけれど、あんなものを家の近くで鳴らされたら、うるさくて仕方がない。それに、不眠症になってしまう」

「ピヨピヨとかカッコーとかごく一部の動物の鳴き声しか採用されていないではないか。不公平だ」

「目の悪いものは家族と一緒に外出すればいい。カッコーの鳴き声アレルギーの村民がいたらどう責任を取るのだ」

 などなど、至極ごもっともな意見ばかりだった。

 結局、全動物が一斉に行進する音を流す、押しボタン式にし、午後八時以降は音響を切るということで決着した。

 渡り初め式ではテープカットの後、全村民の見守る中、先ず村長のサル爺とサル婆夫妻が心持ち頬を赤らめながら、横断歩道を渡って行った。ただ、音響は、ひたすら、ダッダッダ、ダッダッダというだけの味気ないものだった。

 



 再びの食糧難

 動物たちがほぼ平等かつ幸福に暮らしているという話は周囲の廃村にも伝わった。

 周囲から三足村に入植あるいは逃亡してくる動物が激増し、三足村の個体数は一年あまりで三倍にふくれあがった(図2「三足村棲息個体数の推移」参照)。

挿絵(By みてみん)

 耕作地は不足し、休耕田や休耕畑に再び鍬が入れられた。しかし、長年、耕していない田んぼや畑は再び収穫できるまでに数年を要した。

 三足村に食糧難が訪れるのは時間の問題だった。村議会の重要なテーマとなり、連日、けんけんがくがくの議論が交わされた。

「ここはやはり、食糧の輸入しか道はないな」

 と村長は決断した。しかし、人間と取引するにはカネが必要である。

「ゴルフ場で働いて得た外貨があるはずだ」

 とイヌやタヌキが質した。

 人間界からの収入・支出は特別会計で処理しているため、特別会計の決算報告が要求された。

 村長はいつになく汗を拭き拭き決算報告をした。

「実は、昨年設置した音声信号機の費用に大半を使ってしまいまして」

 質問が相次いだ。

「トリミングサロンやネイルサロンへの支払いも特別会計からされているが、いかがなものか」

「ペットフードは具体的にどの動物のものか」

 村長は答弁した。

「サロンへの支払いにつきましては、村長婦人たるもの少しはオシャレをしなければ、という妻の強い要求があったもので。はい。ペットフードは今回のような食糧難に備えて、非常食になるかどうか、あくまでも研究用に購入したものです。おいしいし、栄養価も高く、村民の皆様に喜んでいただけるものと確信しております」


 サル村長が旧支配層と掛け合い、飼料二万トンの輸入が決定した。支払いは半額を現金で、残りは三足村カントリークラブの報酬から毎月、一定額支払っていくことになった。

 



 学校教育の普及

 食糧問題の次は、教育問題が待ち構えていた。

 もともと家庭に教育を丸投げしたものだから、しつけの中身やレベルはバラバラ。一般常識をもった成獣に育つのは一割に満たない、という調査報告もあった(図3「自分の世代には一般常識があると思うか」参照)。

挿絵(By みてみん)

 交通安全教室でも立証されたように、学校教育の成果には軽視しがたいものがあった。そこで、保育所と幼稚園の機能を併せ持つ施設が開設された。保育所はゼロ歳から預けられ、幼稚園に比べて設置も簡単であることから、待機児動問題を解決する切り札として期待された。

 保育所兼幼稚園が第一回卒業生を送り出した同じ年に小学校も開設された。

 小学校は、幼稚園に隣接する旧・二縄小学校三足村分校跡に建てられた。

 親たちの学校教育に対する理解は浸透した。最初は

「家で職業教育をしているから、保育所なんかにやらない」

 と、言っていた親も、やがて

「せめて義務教育である小学校くらいは出さなければ」

 と、言うまでになっていた。

 しかし、就学年齢に達したすべての児動を一か所に集めて教育する、という方式には問題点も多かった。

 フクロウやネコ、コウモリ、ムササビなど夜行性のものはよく遅刻してくるし、授業中は居眠りばかりしていた。イヌとサルは座席が近くなるのを嫌がった。ネズミはいまだにネコから警戒を解いていなかった。

 旧支配層の時代から、IQ(知能指数)が高いとされてきたカラスやイヌは初等教育に身が入らなかった。カラスは教科書に少しずつ変化させた絵を描き、パタパタやって遊んでいることが多くなった。

 いっそのこと、習熟度別学級はどうか、ということになり、三年生に試験的に導入された。

 習熟度別学級の試みは完全に失敗した。学動から笑顔が消えた。目の輝きが消えた。

「十分習熟が進んでいる」とされたクラスでは、競争がし烈になって教室は殺気立った。果ては、クラスメートが病欠すると喜ぶようにさえなった。

「おおむね習熟が進んでいる」とされたクラスでは、中流意識が定着し、努力を嫌う傾向が生まれた。がり勉は白眼視され、教科書が隠されるという被害も続出した。

「習熟が不十分」とされたクラスでは、授業中に教室の後ろで取っ組み合いをしたり、教室を抜け出して妹や弟のクラスに現れ、ちょっかいを出すこともたびたびだった。

 給食の時間もかつての喧騒は消え、まるでお通夜状態だった。

 習熟度別学級編成がいかに児動をむしばむかが白日の下にさらされた。こうして、動物村の小学校に、多様な個性を尊重することを建前とする教育が戻ったのだった。


 組織的な教育を行うとなると、教科書問題は避けて通れなかった。

 旧支配層の使った教科書があったが、精査してみると算数と理科はおおむね合格だった。しかし、国語と社会については、およそ不適切なものだった。

 国語と社会は旧支配層の価値観で固められていた。記述が人間中心なのである。そこで、不適切な部分を黒塗りにして使用することになった。国語などは

「■は山へ芝刈りに

 ■は川へ洗濯に行きました」

 などと黒塗りがあって、子供たちはそれぞれ、シカ爺、シカ婆、イノ爺、イノ婆など自分たちに身近な動物を当てはめて学習した。

 社会科の場合、全編が黒塗りになった。

 仕方がないので、教員たちが教科書を分担して執筆することになった。教科書編纂は歴史的な大事業だったが、幸い、視察に訪れたイノ村長が、この小説『動物王国』の冒頭部分に着目。歴史と現状を簡潔に記述していて、副教材として使えるほか、それ以外の箇所でも動物が共同して助け合う話は教育的価値があるとして、購入することが決定した。

 これには、鍼灸マッサージ師でもある山谷麻也氏が無料で村長の腰痛を治し、奥さんにも美顔術のサービスをしていたという風評があった。処罰を覚悟であえて禁句を使わせていただくが、燕雀安いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。

 


 接待攻勢ゆるむ規律

 筆者の場合は別として、サル村長たちが旧支配者層から接待を受ける機会が激増した。

 三足村カントリークラブの従業員は毎土曜・日曜に接待ゴルフに興じるサル村長やイノ助役の姿をよく見かけるようになった。村長も助役も下にも置かぬもてなしを受け、帰りには持ちきれないほどの土産をもらった。

 全国村長会などで上京する時は宿泊先まで迎えに来て、料亭に案内される。村長と助役が海鮮料理を食したのは、この時が初めてだった。また、ジビエなる禁断の料理の味も覚えてしまった。

 酒は村のサル酒と違ってコクがあり、つい度を過ごしてしまう。八本木のスナックでは、ドンなんとかという酒を一気に飲み干してしまい、意識を失ったこともあった。

 こんな具合だから

「もう一軒、行きましょうか」

 などと誘われると、浮足立ってしまう二頭だった。

 ある時、三足村カントリークラブを経営する総合レジャー産業「セツナ」の会長から接待を受けた。

 散々飲み食いさせた後で、会長は切り出した。

「どうでしょう。三足村に一大レジャーランドを作りたいのですが」

 会長の提案では、ゴルフ場のコースをさらに増やし、カジノ、テーマパーク、動物園、アスレティックなどを開設。黙っていても、外貨が稼げ、村民は過酷な労働から解放される。三〇頭規模の求獣が発生し、新規小学校卒業生の雇用は安定、総じて三足村の民度はあがり、好感度日本一になるのも夢ではない、というものだった。

「しかしですねえ。わが村では人間のために労働することは憲法違反なんですよ」

 村長は食い下がった。

「一応、村議会に諮ってはみますが」

 と、東京から帰村したのだった。

 村議会の反応は冷めたものだった。

 人間のために働くことは憲法違反であるし、レジャーランドに動物園をつくることには慎重派が多数を占めた。


 村議会が総合レジャーランド構想に気乗りしなかったのには、ほかにも理由があった。

 村の個体数の増加に比例して犯罪が激増していたのである。

 これまでは三足村は平和で安全な村だった。犯罪を取り締まるようなセクションは不要だった。わずかにイヌが二頭、交代で、迷子の子猫がいれば、その世話をする程度だったのである。

 ところが、よその村から入植してきたものは、ゴミ出しの日にちを守らない、ゴミの分別をしない、吸殻を道端や庭に捨てる、決められた場所でトイレをしない、交通違反はする、はては酒を飲んでケンカをするなど、傍若無人ぶりが目についた。

 この上、カジノなどを誘致しようものなら、治安の悪化は疑いようがなかった。

 

 三足村捕物帳

 犯罪が増えて、にわかに忙しくなったイヌの請願を受け、三足村に警察署が置かれることになった。

 初代署長と副署長に、迷子の子猫係だった村役場のイヌが任命された。一頭は柔道三段、もう一頭は剣道四段の猛者だった。

 警察署のオープンと軌を一にするかのように事件が起きた。

 その夜、当直だった副署長は、夜半に異変を知らせる「カンカンカンカン」という板木で目を覚ました。

 音は酒造工場からだった。酒は村の専売であり、権利は村長のサル爺が一手に握っていた。副署長が駆け付けると、酒造工場の若い衆が小動物を取り押さえていた。

 見ると、若いネコだった。かなり酔っていた。警察に連行するとネコはあっさり犯行を認めた。

 酒造工場に忍び込んだだけでも罪になる上、泥酔していたとなると、無期懲役も避けられなかった。

 翌日の夜、三足村の居酒屋で署長と副署長が捜査会議の続きをやっていた。

「どうもオレにはあのわけぇネコがやったとは思えねぇんだが」

 と署長。

「署長。その半七調はやめて下さいよ」

 副署長は冷静だった。

「いや。気になることがありましてね。あのネコは役場前でアッシが保護したことのあるネコでしてね」

「副署長も、その八五郎調はやめにしてくれねぇか。まぁ、ちょいと引っかかるな。ハチ、そのネコを保護した時の資料、あたってくれねぇか」

 署長は今度は銭形平次気分だった。

 翌日の副署長の報告によればーー

 保護した仔猫はタマといい、引き取りに来た母親はクマ。クマはその後、育児放棄の罪により超過疎地に流罪となった。その頃から酒癖が悪く、飲み歩いて三日三晩帰らなかったこともザラだったらしい。ところが最近、クマを見かけたという村民が現れた。三足村に舞い戻ったのである。

「副署長。クマをちょいとしょっ引いて締め上げてみねぇか」

「がってんです」

 と副署長は村に飛び出して行った。

 真相が明らかになった。

 クマはあの夜、酒造工場に忍び込み、酒を飲んでいた。タマはお稽古ごとの帰り、酒造工場でネコの気配がするので覗いてみると、三年前に強制的に引き離された母親のクマがいたのだった。今度こそ死罪になるかも。タマはクマを守りたい一心で、板木を叩いてクマに逃走するよう合図し、自らは身代わりになり、酒を浴びるように飲んで泥酔したのだという。

「クマが悔い改めて、禁酒を誓うなら、お上にもお慈悲はあろう。それにしても悲しい話よのう。どうだい、ウサギ、もう一杯ぺえ

「あ。かたじけねぇです。長谷川様」

 


 底をつく外貨

 ここで、動物以外の読者のために、村の労働について述べておかなければならない。

 動物村では成獣になるとすべて村民は勤労の義務を負う。現業部門とサービス部門に分かれ、現業部門は主に食糧の生産にかかわるすべての労務が含まれる。種蒔きや草取り、害虫駆除、肥料やり、収穫、保管などである。農地、山林はすべて村有で、個体には庭としてわずかな土地を私的に利用することは認められている。したがって、農産物があればどこの田畑でも入って行って自由に食べるといったことは、野蛮な行為として禁じられている。

 サービス部門は主に学校教育、税の収納、治安、その他の村民サービスに区分され、それぞれ学校、租税事務所、警察署、村役場が当たることになっている。

 最近、現業部門を嫌う傾向があり、新卒者はサービス部門に就職したがる。

「末は役人か先生か」

 というのが仔育ての合言葉となった。厳しい競争を勝ち抜き、目標達成したとたんに、腑抜けてしまうものも珍しくなかった。

 いきおい農業は廃れ始める。職業教育は軽視され、新規に就農したものが、草と苗の区別がつかず、苗をすべて引き抜いてしまうという事案も発生した。また、稲とニラを間違えて刈り取ってしまったり、サルやカラスのなかには甘柿を熟さないうちに収穫したケースも発覚した。

 村議会ではさすがに危機感を抱いた。三足村の伝統農法、いわゆる傾斜地農法を世界農業遺産に認定してもらおうということになり、積極的にロビー活動を展開した。功成って世界農業遺産に認定はされたが、村では

「いくら国連の認定と言っても、インパクトが弱い」

 というのが実感だった。

 事実、三足村の農業生産髙は減少を続けた。代わりに飼料やペットフードの輸入量が増え、外貨準備高は底をつきかけていた。

 


 魔法水事業

 三足谷の水量が豊かであることは前に触れたが、水のおいしさは例を見なかった。谷の水はもとより湧き水は大自然の恵みそのものだった。

 もっとも、これは三足村に、かつてクルマに乗って水を汲みに来ていた人間から聞いた話だった。

「この水で料理を作れば最高」

「三足の水で淹れたコーヒーは格別」

 などと称賛し、ペットボトル何十本もの水を軽トラックに積んで持ち帰った。

 村人も、村の動物たちも、三足村にそんな魔法の水が湧いている、とは信じられなかった。

 三足村の水に目をつけたのが、総合レジャー産業「セツナ」の会長だった。

 ある日、村長やゴルフ場の支配人への予告もなく、三足村に現れた。

「これは確かにうまい!」

 会長はのどを鳴らした。

 怒られたのは支配人だった。

「お前は、どこに目をつけとるんじゃ。ワレ!」

 会長は村長に面会した。

「いや。ちょっとそこまで来たものですからね」

 秘書が、都会からの来客だから、と気を利かせて、缶コーヒーを出した。「村のお茶など失礼」とは村長の持論だったからだ。

 実際、東京で缶コーヒーを出された時

「こんなにうまいものが世の中にあったのか!」

 と、村長は涙さえ流しそうだった。会議の場で缶を一八〇度に立て、ゴクゴクと音を立てて飲んだこともあった。

 ところが、会長はむせて、噴き出してしまった。

 騒ぎが収まった後で会長は切り出した。

「村長。今日はほかでもないのですが、三足村の水をペットボトルに詰めて『三足の魔法水』として売り出しませんか。タダのものに値段をつけて売るのですから、こんなボロい商売はないですよ」

 会長はデザイナーに作らせたペットボトルの商品見本を出した。用意周到だった。

 缶コーヒーで会長のブランド物のネクタイを汚してしまった手前、村長は真摯に対応するしかなかった。

 村議会で強行採決し、魔法水事業は始まった。魔法水の売り上げは時別会計に入れられ、実態がつかめなかったが、一五頭の雇用が創出されたことは確かだった。


 サル村長は、全国村長会でもやり手として評判になった。次期村長会の会長候補と目されるようになった。

 サル婆がスタイリストとなり、身だしなみにも細心の注意を払った。さりげなく出したブレスレットやネックレス。パンツがずり落ちそうになるのでサスペンダーで引き上げた。下着もブランドものでないと満足できなくなった。銀座のデパートではシャネルの何番かを買わされて、村を歩く時でも香りを振りまいた。

 バランスを大事にするスタイリストは、自分のファッションにも十分すぎるほど気を使った。東京に買い物に行かない時はインターネットの通販で買い物をし、宅急便が家の前で止まっていない日はないほどだった。

 魔法水事業で稼いだ外貨はほとんど村長夫妻の交際費や衣装代に消えた。

 

 イジメ

 三足村小学校三年、カラスのK仔が村から消えた。

 書き置きがあった。

「おとぅカア、おかぁカア。私の後を追わないでください。こんな村では生きていけません。遠い村で私は幸せになります」

 学校でイジメのアンケート調査を実施したが、結果は

「イジメがあったか確認できていない」

 というものだった。

 K仔の両親は納得できず、第三者委員会による調査を求めた。

 筆者は外部の有識者として、調査委に参加することになった。学校で実施したアンケート用紙を見せてもらったが、イジメを受けたことがあるとかないとか、イジメを見たことがあるとかないとか、およそ本気度を疑うものだった。

 三回目の調査委にK仔の母親が呼ばれた。

「全然、思い当たることがありません。ただ、最近、元気がなく『どうして私をB型に産んだの』と、よく私に突っかかっていました」

 B型、K仔の失踪・・・・・・調査委も暗礁に乗りあげた。

「これは、やっぱりイジメはなかったということでしょうかね」

 シカ委員長が幕引きをしようとしたとき、筆者は発言を求めた。

「そのB型というのが引っかかるのですよ。それはもしかして、血液型のことではないですか。仔どもたちの間で血液型占いが流行ってないか調べてください」

 次回委員会で調査結果が報告されたが、それは私の予想を少しだけ裏切った。

 K仔の母親にK仔が最も親しくしていた友達のことを聞き出し、筆者は会ってみた。

 P仔という普通のカラスだった。

「もう一回だけ、聞きたいのだけど。K仔ちゃんとは最近うまくいってたの。ごめんよ。おじさん、しつこい性格でね。なにしろB型だから」

 筆者はカマをかけた。P仔はキッと筆者を見た。

「なぜ、B型にこだわるのか、詳しく話してくれないかな」

 P仔はワッと泣き出した。

 P仔の話はこうだった。

 彼女は体が弱く、毎年、母親がお稲荷さんに祈祷に通っている。今年のお告げは

「お嬢さんのまわりにB型がいるはずだ。その仔を遠ざけなければ、お嬢さんは健康になれない」

 というものだったらしい。

 思い当たるのはK仔しかいなかった。それで、親友だったK仔に冷たく当たるようになった、という。

「こんなことになるとは……」

 P仔は羽で涙をぬぐった。

 筆者は、血液型と性格、人格には何の関連もないこと、歴史的にみて、そんなことを大真面目に研究したのは、戦前のドイツと日本くらいだと話した。聡明な仔らしく、すぐ理解してくれた。

「本人は気付いていないが、イジメは心の叫び、SOSなんだよ。誰でも、まわりに冷たくしたり、当たり散らしたくなることはあるもんだよ。でも、それをストレートに出していたら、社会生活は成り立たなくなる。特に、弱い立場のものに矛先を向けるのは動物として最低だよ。それが分かったら、K仔ちゃんに向けて、今の気持ちをSNSソーシャルネットワーキングサービスに投稿し、シェア、拡散してもらえばいい。今はメールが着信拒否になっていても、きっとK仔ちゃんはどこかで目にするはずだよ」


 一週間後、K仔は三足村の上空に姿を現した。決まり悪そうに二、三回旋回しているところをP仔が見つけたのだった。

 外部委員会の報告書は、ごく簡単にまとめられた。

 K仔がB型の性格を悩んでいたこと、血液型による性格判断は根拠のないこと、K仔は二、三日、三足村を離れるつもりだったが騒ぎが大きくなり、戻るに戻れなかったことが記されていた。なお、騒ぎの発端となった、お稲荷さんのお告げの件は、触れられていなかった。

 

 パワハラ

 小学校でイジメが起こるとは、動物の社会も堕落したものである。どうも、最近、動物社会の人間化が進んでいるような気がする。

 そんなことを考えていると、筆者の治療院の電話が鳴った。

「あのぅ。そちらでは、動物でも診てもらえるのですか」

 若いメスの声だった。声の調子からしてシカか。

 筆者は、診ないことはないが、ヘビやトカゲのほか、哺乳類でも獰猛、乱暴なものはお断りしている旨を告げた。

 翌日、若いシカが姿を見せた。

「最近、眠れなくて。眠ってもすぐ目がさめてしまうのです。肩も凝るし。顔の筋肉もピクピク動いて」

 顔半分が少し歪んでいる。問診票を見ると、職業欄は公務員、とある。仮にS代としておこう。

「ええ。村役場に勤めているのですが、ここ何か月か休職しています」

 脈をみると、異常に緊張していた。不整脈もある。腹診するとお腹も硬かった。

「何か、大変なことでもあるのですか」

 鍼をしながら、S代の訴えを聴いた。

 村役場には今年の四月に就職した。同期のシカ二頭と共にある課に配属された。キツイ先輩がいて

 ▽同じミスをしても、ほかの二頭には寛大であるのにS代には厳しく当たる

 ▽ほかの二頭にはていねいに指導するが、S代にはおざなりな指導。二言目には「あんたは向いてないのよ」という

 ▽課の仕事の遅れをS代のせいにし、「あんたのせいでみんなが迷惑している」と責める

 ▽何かといえば反省文を書かせる

 ▽服装や化粧のことを口うるさく注意する

 ということだった。

 こうした職場環境のため、朝起きるのがつらくなり、出勤しようとすると、めまい、吐き気を催し、役場前で引き返すのが常になった。

「係長や課長はどうしているのですか」

「見て見ぬふりですよ。ほかの課も同じ。同期で入ったサルとカラスはもう転職しています」

 深刻な問題だった。

 S代のケースでは八回の鍼治療でほぼ治癒した。職場復帰の話になったが、筆者は慎重にならざるを得なかった。

「職場環境が変わらない限り、S代さんが再び以前のような状態にならないという保証はない。それに、これはS代さんだけの問題ではない。いま現在、必死に耐えている同僚もいるだろう。来年は希望をもって就職してくる後輩たちもいる。どうだろう。役場にハラスメント委員会というのがあるはずだから、そこに相談して、組織改革するしか解決策はないと思うのだが」


 S代は翌月から職場に復帰した。ハラスメント委員会に参考人として出席して、報告し意見を述べる機会も与えられるという。

 筆者は次の点だけ注意しておいた。

 ▽決して、つらく当たった先輩を責めないこと

 ▽そういう先輩が輩出される環境をこそ問題視し、改善して行かなければならない

 ▽したがって、その課だけの問題でなくなり、役場全体に波及することもありうる


 筆者は再び暗い気持ちになった。学校だけでなく、どうやら役場まで、人間社会のようにむしばまれていたのである。

 

 動物病院の開設

 サル村長の孫は、三足村の小学校を卒業後、都会の中髙一貫校に進学していた。

 サル村長の夢は、三足村に動物病院をつくり、孫を院長にすることだった。幸い、となりの県に最近、日本中の注目を集めた獣医学部が新設された。

「孫があそこの獣医学部に入れればなあ。村で一番の成績だったとは言っても、それは狭い動物の世界でのことですから」

 と、酒の席で漏らしたのを「セツナ」の会長は聞き逃さなかった。

「あの大学の理事長、よく知ってますよ。大丈夫、大丈夫。心配しなくていいですよ。頼んでみましょう」

 会長は顔が広い。大学理事長と著名政治家の三人が、満面の笑みで収まっている写真を見せた。


 サル孫の大学生活がスタートして間もないある日、会長が村長室を訪れた。一人の紳士を伴っていた。

「この先生は、全国に動物病院を展開しているハッピー・アニマルグループの浜口理事長です」

 と、紹介した。

「いやあ。わが業界ではこちらの村のことは大変な話題になっています。ぜひお目にかかりたいと思っていました。光栄です。村長は先見の明をお持ちですよ。動物も高齢化社会を迎えますので、これからは動物病院の時代ですよ。それに、お孫さんがやがて獣医師になって帰られる。一族の永遠の繁栄が、ここに約束されたようなものですな。そこで」

 と、アニマルの浜口理事長は切り出した。

 その話によれば、村で動物病院を建設し、その運営をハッピー・アニマルグループに委託する。村には研究協力費としてグループから外貨が落ちるので、村の医療費が無料でもやっていける、という。

「それでは、アニマルさんは赤字になるのでは……」

 と、昔気質なサル村長は心配した。

「いや、人件費なんて知れてますよ。それにうちには無給医がいっぱいいますから。まあ、後は治研(注:臨床研究)にご協力いただくだけです」

 難しい話は分からなかったが、サル村長は医療の発展に貢献できる、ということで胸が高鳴った。


 翌年の春、三足村動物病院は完成した。

 若い獣医師が一人、看護師が一人、着任し、受付とリネン関係は村民から採用した。雇用の創出だった。

 タダで治療が受けられるとあって、初日から受付には列ができた。

 受付を済ませると簡単な問診があった。その後、難しそうな書類にサインをし、注射や投薬の治療を受ける。

「タダだから、治れば儲けもの」

 くらいの気持ちで受診するので、症状が改善しなくてもあまり不満はなかった。また、待合室で幼なじみや親戚などと久々に会えるのは、何よりの楽しみだった。

 どういう仕組みか、村長には分からなかったが、村の特別会計にハッピー・アニマルからの入金が毎月あった。また、超有名製薬会社や初めて聞くような製薬会社からも入金が絶えなかった。

「住民サービスの向上に加え、新たな外貨獲得の手段になる」

 と、サル村長みずから健康な家庭へも、営業に回った。

 村には高齢動物たちがシルバーカーを引いて行き交った。

 シルバーカーがカラの場合は

「これから病院ですか?」

 シルバーカーに大きなレジ袋が積まれている場合は

「もう、お帰りですか? 混んでたでしょう」

 などというのがあいさつ代わりになった。

 

 エリート獣医師

 動物村の財政は安定してきた。個人消費は増え、エンゲル係数は人間社会並みになった。歴史上はじめて、動物が飢えの恐怖から解放された瞬間だった。

 繁栄を謳歌していた動物村に、サル孫が獣医師となって帰って来た。

 孫は実は優秀だった。大学の入学式で「誓いの言葉」を述べたくらいだから、入学試験の成績はトップクラス。村長が「セツナ」の会長に大枚を渡す必要はまったくなかったのだろう。

 大学在学中、授業だけでなく、動物病院のアルバイトに行って、実地の勉強を積んだ。このため、専門に進むと、教授のアシスタントとなって学友を教えることも多くなった。

 ある時、近くの動物病院から

「無資格の学生が動物病院でアルバイトをして注射を打っている」

 と大学にクレームが入った。

 すべての学生が集められ、学生課から厳しいお咎めがあった。

「法に触れることは絶対にやってはいけません。国家試験が受けられなくなるかもしれませんよ」

 サル孫は立ち上がった。

「ちょっと発言させてください。うちの大学に限って、無資格で診療している学生はいないと確信しています。しかし、最近の獣医学部卒業生が業界でなんと言われているかご存じですか。現場で、まったく役に立たない、と言われているのですよ。これは、獣医学部の教育が国家試験対策に偏り過ぎているからではないですか」

 学生課長はタジタジだった。


 ほかの学生はともかく、サル孫にとって獣医師国家試験は、もちろん楽勝だった。大学では恒例の直前対策講座を開いたが、受験生を指導して回るサル孫の姿があった。

 国家試験と言うので、サル爺は心配で眠れない日も多くなった。合格したと聞いた時には、サル婆と抱き合い、涙を流して喜んだ。

 ちゃんとした身なりをしていないと村の衆に恥ずかしいから、とサル婆はローレックスの時計を卒業祝いに贈った。サル爺はベンツを合格祝いとして買ってやった。

 村長夫妻は孫の凱旋の日を待った。エンジン音がしたので出迎えると、国産の中古車に安っぽい腕時計をした孫が乗っていた。

 村長夫妻は恥ずかしさで穴があったら入りたいくらいだった。

「やっぱり、息子夫婦が甘やかして育てたのが間違いだった」

 と、今更のように悔やまれた。

 聞くと、ベンツは動物愛護団体に寄付したとか。ローレックスにしても、孫はネット通販で価格の安いもの順にソートするのが常。オークションに出し、売れたお金はボランティアの動物保護団体へ。自分は百均で腕時計を買ったのだった。


 孫にはいくつかの動物病院から就職の誘いがあった。また、大学からは、大学院に残って研究者・教育者の道を歩まないか、と強力に勧められた。

 しかし、サル孫は

「私は村費留学させてもらった身です。卒業後は帰って、村の動物たちのために貢献するのが務めです」

 と、頑なに断ったのだった。

 

 ああ最新医療

 サル孫は三足村動物病院の副院長として、社会生活をスタートした。三か月ほどは、とにかく現場から学ぶことを心掛け、院長や看護師、リネン係、受付などから話を聞き、教えを乞うた。

 最初から気になっていたことがあった。動物たちがサインしている書類のことだった。

 細かい字でビッシリ書かれている。よく見ると「治験参加被験者同意書」とある。

 院長に聞いてみた。

「文書の内容の説明は、いっさいしていないようですが」

「いや。この病院は主に治験のための病院なんです。村のほうでもそういう理解だと思います。副院長は村長からお聞きになっていなかったのですか」

 院長の話によれば、モルモットではどうしても得られないデータがある。かと言って、イヌやネコのペットで実験すると飼い主への補償問題が発生しかねない。その点、動物村は複雑な手続きが省略できるのに加え、何より多種多様な動物からデータが集められる、ということだった。

 道理で、院長の担当して来たウサギの旧患をたまたま副院長が診た後で、院長が血相を変えて飛んできたわけだ。

「なんで勝手にクスリを変えたのですか!」


 クスリと言えば、その種類の多さも、新米獣医師には驚きだった。

 血液検査のデータが基準値より少し外れているとクスリを出す。いきおい処方した薬が一〇種類を超えることもザラだった。

 もっとも、受診する側にもクスリに対する信仰があった。

「クスリを多く出す先生ほどいい先生」

 などといっぱしの評価をし、副院長などは

「今度来た副院長。あれはダメだ。クスリもくれない」

 と散々だった。

 大学の薬理学の講義で、教授はことあるごとに強調していた。

「クスリにはリスクがつきものなんですよ」

 リスク、つまり副作用である。

「副院長。それが標準治療なんですよ。専門医学会で定めている。それに従うだけ。ほかに我々獣医師に何ができるのですか?」


 副院長は祖父に掛け合った。

「動物は何が行われているか知らないまま、喜んで受診している。三足村動物病院で行われていることは新薬開発のための動物実験なんですよ。こんなことは許されない。犯罪です」

「しかし、アニマルグループや製薬会社から入る協力金は大きい」

 村長も進退窮まった。


 新型コロナワクチン開発

 自然界には数えきれないほどのウィルスがいる。ほとんどは固有の生体に宿り、他の種に宿主を変えることはない。

 人間はかつてコロナウィルスによる感染症に悩まされてきた。しかし、ワクチンが開発され、198✕年、WHO(世界保健機関)が撲滅宣言をするに至った。歴史的勝利だった。今ではこのウィルスは、ある研究所に研究用に保管され、厳重に管理されてきた。

 ところが、研究所員に最近、奇妙な風邪様の症状が流行し始めた。研究の結果、それは撲滅したはずのコロナウィルスが引き起こした症状であり、しかもウィルスが変異していることも明らかになった。

 人間を固有宿主とするコロナウィルスがまさか動物に感染することは考えられなかった。それでもいちおう警戒態勢は敷かれた。


 三足村動物病院の看護師が顔を赤くして出勤してきた。

「熱でもあるのじゃないか」

 院長が気づかって、看護師の額に手を当てた。

「ええ。37・8度ありました。咳も出て、体もだるいから、風邪だと思いますよ。解熱剤と咳止めを飲んできたから、大丈夫です」

 と、看護師。

「がんばり屋だねえ。やっぱり、人間は責任感が違うねえ」

 と、院長は最近、文句が多くなった副院長を横目でみながら言った。

 院長室に院長が入ったのを確認して、副院長は看護師に言った。濃厚接触しないように距離をとりながら。

「熱がある時は自宅で安静にしているのがいちばんですよ。感染症の疑いがあるときはなおさらです。発熱は生体の防衛反応であり、炎症があれば発熱します。看護学校で習ったでしょう。それを解熱剤で下げては、せっかく免疫システムが働いてウィルスと戦ってくれているのに、その足を引っ張ることになりますよ。何よりも症状を隠蔽し、感染を広げてしまいますよ」

 看護師はまじめに聞いている様子ではなかった。

 翌日、看護師は、新型コロナウィルス患者の濃厚接触者としてPCR検査を受け、陽性が判明、隔離入院となった。院長も念のためPCR検査を受けたが、陰性だった。


 新型コロナは対岸の火事ではなかった。ペット界では数か月前から呼吸器症状に苦しむイヌやネコが増えていた。

 三足村動物病院でもリネン係が体調不良で休んだ。三足村カントリークラブのスタッフにも何頭か欠勤が出た。

 PCR検査の結果は陽性だった。

 動物界はコロナをめぐって大揺れに揺れた。そもそも誰がウィルスを媒介したのか。感染者の血を吸ったコウモリ説、蚊・あぶ説など諸説あったが、いずれも推定の域を出なかった。

 動物たちは新規感染の発表に神経質になった。よその村に嫁入りしたり、働きに出ている動物が戻ると、とたんに近所は寄り付かなくなった。

 三足村では、外出時に「三足村在住です」と書いたカードを首にぶら下げることにしては、という案が役場に出された。

「それは、全国に三足村の恥をさらすようなものだ」

 と、不採用になった。


「セツナ」の会長とアニマルの浜口理事長から、リモートで会議を開きたい、と連絡があった。

「今こそ、三足村動物病院、いやサル副院長のお力をお借りしたい。都会では一日に何百頭もの感染が確認されています。ぜひ、ワクチン開発にご協力ください」

 理事長は今にも泣きださんばかりだった。

「副院長。私からもお願いします。地球上の生物にとって存続の危機なんです」

 と会長。観光業を支援しようと国がスタートさせた「ゴッツ・トラベル」事業は休止となり、もうレジャーどころの話ではなくなってきた。

「分かりました。できる限り協力はします。しかし、治験はこちらの出す条件でやってください」


 製薬会社の社員が注射液を持って三足村動物病院にやって来た。

 専門的になるので、ごく大雑把に言えば、個体数に応じて、無作為に被験動物を選ぶ。二つのグループに分けて別々に注射をし、経過を観察する。こうしたステップが三回繰り返される。体調の変化は逐一報告してもらい、院長がもっぱら診察、異常があればグループ本部の動物病院で治療を受ける。

 これらのことが集まった動物を前に説明された。副院長が治験に関して出した要望のいくつかが無視されていた。


 アニマルの理事長から電話が入った。

「いや。先生。ありがとうございました。製薬会社も大喜びですよ。九〇%以上の有効性が認められました」

「そんなに短期間で臨床試験が終了したのですか? ともあれ、よかったですね。私も勉強したいので、そのデータと解析結果を製薬会社から提供していただきたいのですが」

 副院長がお願いすると、理事長の歯切れは悪くなった。

「はぁ。それは、どうですかなあ」

 副院長は製薬会社の研究員に、メールした。

「データは出さない。解析結果も開示しない。あるのは簡単なプレス発表だけ。人間界ではモラルに反することでも、動物対象だから許されるとでも思っているのですか」

 返事は無しのつぶてだった。


 製薬会社の株価は急騰した。理事長や会長はともかく、祖父の村長が株を買っていなかったか、と副院長は心配したが、さすがにそれは取り越し苦労だった。

 祖父も祖母も、変わり始めていた。不仲だったサル孫の両親と和解し、同居するようになっていた。その服装は、サル孫が知る昔の祖父母に戻っていた。

 

 コロナの猛威

 動物にもコロナを甘く見ていた側面があった。

 感染が一回目のピークを迎えた時には、外出を控え、大人数での集まりや会食をがまんした。三足村小学校も、全国のほかの小学校にならい、休校措置を取った。村を行き交う動物たちはマスクをし、中には畑や田んぼで単身労働している時でもマスク姿を見かけることがあった。

 人間界でも同様の感染防止策がとられ、全国の感染者数は三桁に下がった。「ゴッツ・トラベル」事業は再開され、「セツナ」の会長に笑顔が戻った。

 ここで再び感染者数は上昇に転じた。指定病院は満床となり、自宅待機中に亡くなる人や動物も出てきた。

 三足村ではそこまでひどくなかったが、都市部に近い動物村では救急車がやっと来たものの何十もの動物病院をたらいまわしされ、救急隊員に看取られながら死んでいったネズミもいた。

 それでも町や村には人があふれた(図4「徳島県内動物のコロナ感染者数」参照)。

挿絵(By みてみん)

 もはやノーマスクはめずらしくなくなった。飲み屋は営業時間を短縮したり、休業要請に従う店もあって、公園や路上で酒を飲むことが日常的になった。

 これを酒飲みのせいだけにすることは酷であり、多くの人間たちは

「国や県のトップ連中が大勢で会食しているのだから、われわれだけ自粛する必要はない」

 と思っていた。

 動物界も事情は同じだった。自粛疲れで家庭内暴力が増えたり、アルコール依存症が目立ってきた。模範的な動物村とされる三足村でも、昼間から畑で車座になって飲酒する姿が散見された。


 しかし、悪いことばかりではなかった。朗報が世界を駆け巡った。新型コロナウィルスワクチンの接種が始まる、という知らせだった。

 まず、重症化リスクの高いとされる高齢者や特定疾患を持つ者、医療従事者の接種が先行した。これは動物界でも同様だった。

 待ちに待ったワクチン接種。しかし、筋肉注射なので痛いと恐れられた。三足村でも痛さに驚いたムササビが腕に注射針を刺したまま飛んでいくというハプニングがあった。

 だが、問題はそんなことではなかった。体調不良を訴えたり、死亡するケースが続出したのである。

 国は、副作用があれば補償すると言明したが、副作用と認めたがらないことは、過去の薬害補償でも明らかだった。

 副院長は製薬会社にメールを入れた。

「なんで、あんなに副作用が出ていることを報告してくれなかったのか」

 製薬会社からは、やはり回答がなかった。


 奇妙なことも起きた。

 二回のワクチン接種を受けた場合でも感染が確認されたのだった。

 ブレイクスルーとかブースター接種とか、事態を既成事実化するような言葉が氾濫し、副院長をはじめとする市井の治療スタッフには納得のいく説明はなかった。

「二回の接種という話が、実は三回接種すると、感染リスクを下げるとか、より重症化しにくくなる、とか。とんでもない商売をするなあ」

 サル村長は孫にしみじみと語った。

「じゃ。お爺ちゃんならどうしますか?」

 孫が聞いた。

「そうだなあ。未知の領域だったとは言え、ビジネスで節操を失えば終わりだな。爺ちゃんが製薬会社なら、三回目はタダか格安で提供するよ」

 そろそろ、三足村動物病院のありようを根本的に変える時期が来ていた。

 


 永遠なれ 三足村

「こちら、三足村動物病院ですけれども、山谷先生に折り入ってご相談したいことがありまして」

 副院長から携帯に電話が入った。

 妻の運転で、筆者は三足村を訪れた。

 賢明な読者はうすうすお気づきだろうが、筆者は三足村出身である。一五歳まで三足村で育った。生家は廃墟になっている(「三足村ガイドマップ」参照)

 動物病院に着くと、副院長と祖父の村長が出迎えてくれた。

「ほかでもないのですが、うちの役場の新入職員が以前、先生の治療院でお世話になったと聞いたものですから」

 村長が切り出した。

「東洋医学は動物の治療にどれだけの可能性があるのですか」

 と、副院長。

「生体の気と血液、それに水分のバランスを保ち、健康を回復するお手伝いをしますので、基本的にすべての疾患が対象になります。よく肩こり・腰痛などでこちらの村からも来られますが、うちの治療院では、いわゆる整形外科系以外の受診が多いですよ」

 筆者は答えた。

「それは素晴らしい。実は、来春から、三足村動物病院を機構改革し、運営は村で行います。アニマルグループとは完全に手を切ります。また、三足村カントリークラブとも契約解除し、外貨を完全に排します。もう貨幣経済はこりごりです。新体制でも医療費無償は変わりません。それに、現在の動物総合科のほかに東洋医学科を開設しては、と思っているのですが」

 副院長の考えに筆者も賛成した。

「そこで、山谷先生にぜひ東洋医学科に着任願えれば、と」

 村長は続けた。

「お礼と言ってはなんですが、週三日勤務いただくとして、先生ご一家の主食と野菜類はすべて村のほうで面倒を見させていただきます。酒もサル酒でよろしければ、いくらでもどうぞ。もちろん、お供の盲導犬のフードは動物病院で使っているものではありますが、提供させていただきます」

 ありがたい提案だった。

「しかし、うちは女房と長女、二女、それに孫が一人います。大所帯ですよ」

 妻は一も二もなく賛成したが、根がまじめな筆者は心配した。

「いや。三足村は六頭増えたくらいではびくともしませんよ」

 と、村長は高笑いした。

 ともあれ、こんな形で故郷に奉公できるとは、夢にも思っていなかった。


 村長の訃報を聞いたのは、二か月後だった。

「セツナ」の会長、アニマルグループの浜口理事長を呼んで、組織改革の説明をしていて、口論になったらしい。二人は

「生きとし生けるものの風上にも置けん。寝食を忘れて、動物村のために働いて来たのに」

 と、村長を責めた。

「動物を食い物にしてきた輩に、そんなこと言われる筋合いはない」

 と、こぶしを振り上げたとたん、村長は胸を押さえて倒れた。心筋梗塞だった。享年二八歳。人間でいえば八〇過ぎか。

 サル村長の葬儀はコロナ禍の中、家族葬で行われた。役場では死を悼んで半旗を掲げた。三足村の家々でも半旗を掲げ、自主的に喪に服する家庭も多かった。

 サル村長と長年、苦楽を共にしたサル婆は、後を追うように二か月後に亡くなった。サル爺とは幼なじみ。相思相愛の仲だった、と聞いた。


 四月。三足村動物病院長に故サル爺の孫が就任した。

 筆者は月・水・金の週三日、三足村に出勤することになっている。

 ある日、三足村動物病院に来客があった。

「山谷先生。ご家族の方がお見えです」

 受付から連絡をもらって行ってみると、息子とそのヨメ、三女が来ていた。

 息子夫婦は埼玉県内に住んでいて、息子は鍼灸師の免許を持つ。東洋医学科の治療を見学したいという。三女は神奈川県在住。この小説『動物王国』に掲載する予定のイラストマップの取材が目的とか。ヨメも聞きたいことがあるという。

 たまたま、故サル村長の後を継いで二代目村長となったイノ爺が来ていたので、紹介した。

「遠いところをようこそ。長男さんも三女さんも、ゆっくり見学して行ってください。おヨメさんはどんなことが聞きたいですか」

 と村長はいつになく上機嫌だった。

「動物が仔どもをたくさん出産して、人口爆発のようなことは起きませんか」

 とヨメ。ヨメはイヌ好きだ。

「去勢はされていますか」

 長男が助け舟を出した。

「去勢? 変換ミスじゃないですか。ここでは、保育所・幼稚園の段階から性教育をしています。したがって、節度ある異性交遊が行われ、計画的に出産していますよ。人間のように本能のままに生きてるものは少ないですよ。それに、捨て仔はこの村では懲役刑なんです」


 長男たちは三日間、滞在して帰った。

 動物病院の屋上からは、筆者の生家跡が見える。

「山谷先生。なつかしいですか」

 院長だった。

「ええ。私はベビーブームの最後のころに生まれたんですよ。どの家に行っても、子供が五、六人いました。それに親、さらにお爺さん・お婆さんがいる家庭も多かった。四月になると、山々には新芽が吹き、三足谷には水がぬるむのを待ちかねた小魚たちが群れていました。ほら、サラサラという水の音が聞こえませんか?」

「あ、確かに。で、山谷先生もずいぶん長い旅をされたのですねぇ」

「その話はまた今度しましょう。まぁ、サケが生まれ故郷に帰るのと同じですよ」

 筆者も院長も、三足村の全盛期に思いを馳せていた。

   (完)







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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい作品ですね! ☆5個つけさせて頂きました。 これからも頑張って下さい! 応援してます。
2021/11/14 20:40 退会済み
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