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図書館襲撃事件の幕引きと、残された謎








ラナはリッドの執務室で、1枚の書類を真剣な顔で睨み付けていた。

睨む……というのは少々表現違いかもしれない。書かれた文字の意図を一言一句間違えないように拾い上げ、丁寧に理解を深めていく。

まるで宝物の地図を前にしたかのような雰囲気で書類を向き合うラナを、リッドは少し遠くの場所から眺めていた。

あの後、執務室に帰ろうとしていたリッドは、走ってきたラナに呼び止められた。そして、見せてほしいものがあると頼まれ、それがリッドが用意出来る物だったため、ラナを連れて部屋に戻り、今に至っている。

本来であればそう易々と見せて良い書類ではない。だが、図書館襲撃の件で小さな手掛かり1つ掴めていない最悪な状況に少しでも切欠になればと考えたため、リッドの独断で了承したのだ。


「……何か分かったのか?」

「そうですね。うーんと……多分ですが、犯人はこれを悪用しようとした……そんな気がするんです」

「そんなことが出来るはずがない。魔書による契約は絶対に破れない」

「知っています。だから探しているんです。何かあるはずなんですよね。抜け穴という名の『矛盾』が」

「つまり、ラナ嬢は今回の事件が外部の犯行ではなく、内部犯だと考えている事になるが、その意味を分かっているのか?」

「まだ確証はありませんけど、そうなりますね」


ラナが見つめているのは、図書館の職員が国に忠誠を示すためにサインをした魔書だ。平均的な紙よりも分厚いそれには、魔力を込めて作り上げ、特別なインクが使われている。

魔書はとても強力な契約書だ。名前を書いた者は、魔書に書かれた誓いを破ることは決して出来ない。

だからこそ、図書館の職員は最初から犯人ではない前提で捜査が進んでいる。ラナの行為はその捜査に真っ向から喧嘩を売るだけでなく、同郷を……つまりは仲間を疑っている事になる。

あまり良い気分がしないのは当然だ。

リッドは難しい表情を浮かべながら立ったまま壁に凭れ、真剣な表情のラナを盗み見る。集中している時であれば彼女は自分が視界の端にいても平然としていると気づいたからだ。

だが、ここから1歩でも動けば肩を跳ね上げ、目元に影を落とすローブを両手でギュッと押し下げてしまうのだろう。

眼鏡と前髪とローブで隠れてしまっていて、あまり彼女の顔を見ることが出来ないが、その表情がとても豊かなことは、ヒートの目を通して見ていたから知っていた。


一見只の普通の少女だ。

ヒートの目を通して実際に現場を見ていなければ、こんな小柄な少女があの大爆発を起こした原因になったなど考えつかないだろう。いや、魔力があれば納得したかもしれない。ただ、ラナは魔力を持たないただの人間で、その姿からは脅威の欠片すら見当たらないのだ。

リッドは脳裏に焼き付いている光景を思い出し、静かに息を呑んだ。

あの場におらず、ヒートの目を通して見ていただけだ。それなのに、一瞬だが足が竦んでしまった。

あの威力の魔法が使えれば、魔力は間違いなく国最高峰だ。それを、魔力を持たない人間が引き起こした。これはあってはならない事だ。

この事が外に漏れれば大きな問題が起きるだろう。ラナも無事では済まされない厄介ごとに巻き込まれる可能性が高い。

ラナを危険人物とみなすかどうかを、リッドはまだ決めかねている。そのため、彼女の人となりを知る術として、今回のラナの対応を注意深く観察する必要があった。


「キルベルト様、質問いいですか?」

「リッドで良い。何だ?」

「魔書の内容に矛盾があった場合、契約者はどちらの契約を守らなければならないのでしょう?何か法則があれば教えてください」

「契約書は何人もの責任ある人間が目を通している。その契約書に矛盾は無い。だからそこにサインのある職員の犯行は不可能だ」

「そうでしょうか?ワーム・アームストロングは著書に書いていましたよ。人を縛る完璧な文言は作ることが出来ないと」

「ワーム・アームストロング?」

「今は亡き法律家です。言葉の魔術師と呼ばれた彼がそう言うんですがら間違いありません」


そう言い切ったラナは、魔書に書かれた文章を2つ読み上げる。

1つ、職員は館内の蔵書の持ち出しを禁止する

1つ、職員は災害や事故などが起きた場合、命の危険が無い範囲で本を保護しなければならない

いくつかある契約の中から抜き出された2つの文章は、一見だけだと特に何の不備もない、契約書によくある内容だ。

だが、この2つが重なると矛盾が生まれる。


「命の危険が無い範囲で、保護を目的とするのであれば、本を外部へ持ち出せる。そう取れてもおかしくはないですよね?」

「……」

「犯人はそこに気がついたんです。だから土ドラゴンを召還し、あえて危険な状況をつくりあげた。1階で土ドラゴンが暴れても、地下に被害が出るまで時間がかかりますよね?」

「……ラナ嬢の言うとおり、そういう解釈は出来るだろう。だが、実際に本は盗まれていない。そこはどう説明するんだ?提出された確認書類には全ての本が無事だと記入されている。もし盗んで無くなっていたとしたら、1つ、虚偽の報告をしてはならないの項目に引っかかるぞ」

「それも言葉の矛盾を使ったんです。ちゃんと限定しましたか?「今現在、図書館内にある本の在庫を確認しろ」と」


ラナの言葉にリッドは一瞬迷い、そして首を横に振った。

リッドが出した指示はこうだ。「盗まれている可能性があるため、急ぎ蔵書の有無を調べて報告しろ」。時と場所は限定していない。


「盗まれていたとしても、本が無事でさえあれば、存在の有無は変わらない。要は言葉の魔術に欺かれているんです」

「……つまり、犯人は?」

「支配人と副館長のどちらかだと思います」

「その推理を裏付ける証拠は?」

「ありません。でも、リッド様が魔法で思考を読めば、それが証拠になりますよね?」

「いや、倫理的にも魔法論的にもそれは出来ない。許可無く思考を読んで良い相手は限られているんだ」

「こっそりは出来ないんですか?」

「魔力干渉を起こすから、こちらが何らかの魔法を使っていると相手に悟られる。それに、証拠が俺の証言だけでは犯罪の立証になど出来るはずがない」

「う~ん、そうなると……なにかしら別の物的証拠が必要になりますね」


疑わしき人物を特定出来さえすれば事件は解決だと思っていたラナは、予定通りにいかない展開にうーんと首を捻る。

言われてみれば確かに勝手に他人に心を覗かれるのは不快だ。疑わしいくらいのレベルで覗いて良いものではない。

それに、思考を読めるからといって、リッドが事実を告げているかどうかもまた別の問題だ。彼はしないかもしれないが、故意に相手の不利になる発言をする者は少なからず存在するからだ。

犯人を立憲するためには、目に見える証拠が必要になる。


「支配人も副館長も立場ある人間だ。犯人が外部だという説が色濃いこの状況で、内部犯を、しかも貴族の人間に疑いを掛けるにはそれ相応の証拠と覚悟がいる」


魔法が使えるイコール貴族や王族、またはそれなりの家系の人間だと考えて間違いは無い。支配人も副館長もそのルールの通り、それなりの家の人間だ。

特に支配人は家名を継ぐ長男ということもあり、疑惑程度で疑いをかけてないけない相手でもある。

リッドはなるべく外部犯であってほしいと願っている。それは、図書館の関係者はほぼ全員がラナを含め、貴族の血族と言って過言ではないからだ。名誉を守るため、疑いを掛けられた家は一族総出で反発をしてくるだろう。事が事だけに家名剥奪もありえる。それを踏まえると、大変骨の折れる事態に陥ることは必須だ。

だからといって事件を曖昧に終わらせるつもりもない。

だからこそリッドはただの職員の1人でしかないラナの話にもしっかりと耳を傾けているのだ。


「副館長と支配人は、どんな人物なんだ?」

「副館長は優しい人です。孤立している私にも仕事を振ってくださいますし、周囲の反対意見を抑えて私に地下3階への入出許可も出してくださいました」

「支配人は?」

「あまり話したことはないので人間性についてはわかりません。ただ、私の地下3階への入出許可を早過ぎると最後まで反対されていたのが支配人だと聞いています」

「ラナ嬢は今回の事件の犯人はどちらだと?」

「そうですね。まだ確証は分かりませんが、副館長だと思います」


リッドは意外な意見に目を丸くする。

今の言い分からして、ラナは犯人として支配人を上げると思っていたからだ。

しかし、彼女の口から出たのは別の名前で、リッドはその理由をラナに問いかける。

ラナの表情はローブに隠れて見えないが、困った様子や悩む素振りは全く見せなかった。


「副館長は私に対して優しすぎるんです。私、自分の技術に自信はありますが、それでも早過ぎるんですよ」

「それは、地下3階への立入許可のことか?」

「そうです。心情的に副館長の判断は嬉しいですが、客観的に考えれば支配人の意見が正しいんです。そこがちょっと引っかかっていたんですよね」


ラナは過去を思い出すために視線を上へと向ける。

脳裏に浮かべるのはラナの技術を絶賛する副館長と、どこか冷めた目で自分を見下ろす支配人の顔だった。

ラナは世間知らずの令嬢だが、知らないのは世間だけで、人の怖さや汚さは嫌と言うほど知っている。ラナは自分に良くしてくれる副館長にずっと違和感を抱いていた。もしかしたら単純にラナという人間を案じてくれていただけかもしれない。だが、それを盲目的に信じられるほどラナはお人好しではないし、純粋でもなかった。


「良い人の仮面は被りやすいんです。副館長のことは優しくて好きですが、人間的に信頼できるのは支配人です」

「……君は、その年にしてかなり面倒くさい思考を持っているようだな」

「そうならざる得ない人生を歩んできたと言ってください。あ!」

「どうした?」

「今から地下への入室許可はとれますか?私の予想が正しければですが、もうちょっとだけ調べられる箇所があります」


ラナの提案にリッドは即答は出来なかった。

図書館襲撃事件はまだ未解決であり、ラナも容疑者の1人から出ていない。その人物を現場に連れて行けば、証拠の隠滅を謀られる可能性もある。

ただ、現在何の手掛かりもなく、解決の糸口は喉から手が出るほどに欲しい状況でもある。


リッドはたっぷり数十秒考える時間を取ると、この場で悩んでいても仕方が無いとでもいうかのように壁に凭れていた背を起こした。


「リッド様?」

「論より証拠だ。探しに行くぞ」

「はい!お供致します」


先に歩き出したリッドを追うために、ラナも足を踏み出すが、光の化身の隣を歩くことは難しいため、2人の間には10歩ほどの距離があった。

歩幅の違いで駆け足になるラナを気遣うようにリッドが時折足を止める。しかし、そのたびにラナも足を止めてしまうため、暫くして諦めたのか、リッドはそのまま歩き続けることにしたようだ。

大理石の廊下を抜け、いくつかの階段を降りると、ふわっと外の風が肌を撫でる。

ローブを少しだけあげて視界を広げると、久しぶりの日差しが眩しくて、ラナは目を細めた。何日も倉庫に閉じこもっていたラナにとって、久しぶりの外出だ。

薄暗く狭い場所を好むラナだが、人間という種族である以上は日光が必要だし、実はこの木漏れ日も嫌いではない。

背伸びをしながら大きく息を吸い込む。緑の匂いのする空気で肺を満たしながらたどり着いた図書館は、結界で包まれ、人の立入が出来ないようになっていた。

元の入口が合った付近に立つ兵士にリッドが声を掛ける。

兵士は姿勢を正して敬礼をすると、リッドのために人が1人通り抜けられるだけの穴を開けたのだった。


「わぁ……改めてみると、想像以上に壊れてますね」


ラナは思わず声を上げてしまった。

毎日足を運んでいたはずの見慣れた図書館は、形を保ってはいるものの、ほぼ半壊といっても過言ではない状態になってしまっている。

外から見た時は元通りに戻っているように見えたのは、国民の混乱を起こさないために、結界に壊れる前の図書館の姿を映し出しているからだろう。

だからこそ、結界の外と中とのギャップに驚いてしまったのだ。

焦げ臭い匂いが残る室内は、それでもある程度の片付けと復旧が済んでいる。壁が後回しにされているのは、土ドラゴンを倒したときに使用したパイプが破損し、修復の魔法が使えなかったせいだろう。

歩きやすくなっている床を進み、ラナは無意識に肩をなで下ろしていた。


「どうした?」

「いえ……少しだけ思い出しまして……」


脳裏に浮かぶのは土ドラゴンとの攻防だ。それはもう終わったことで、ラナは小さなかすり傷程度で済んでいるのだが、一度体験した恐怖というものは心に深い傷をつけるらしく、中々消えてはくれない。

ラナは自分が死んでもおかしくなかった事を今更ながら理解したのだ。

助けを求めることなく小さな手を強く握る姿は、1人で耐えることを当然と思ってしまっているかのようだ。

先ほどまでのお喋りなイメージと真逆の姿が馴染まなくて、リッドは僅かに眉根を潜める。

慰めるべきだろう。だがどうやって?

相手がラナでなければ肩を抱いたかもしれないが、彼女にその方法を試みようものなら、絶叫と共に逃げられる自信があった。

しかし、震える人を見て見ぬ振りをするほどリッドは薄情ではないのだ。どうしようと悩んでいると、豪快な足音が響き、奥からヒートが近づいてきた。

よっ!と気さくな声をかけられて、リッドは注意をラナからヒートへと移す。ヒートはリッドの後方10歩先にラナの姿を見つけると、面白そうに瞳を細めた。


「いつの間に仲良くなったんだ?」

「この距離感でそれを聞くか?」

「前より半歩分距離が縮まってるだろ。頑張ったなチビ助」

「い、痛いです隊長さん!」

「生きてる証拠だ。喜べ」

「喜べません。痛いです」


ヒートに背中を叩かれたラナが声を上げる。

痛そうな音が響かなかったので、ヒートは本当に力を入れていないはずだ。

肋骨の3本を折られる覚悟がありながら、挨拶程度の触れあいにピーピー泣き言を言うラナの虚弱さにリッドは口元を隠して笑ってしまった。

ガサツさが代名詞のヒートだが、この男はこれで察しが良い。ラナの恐怖を和らげるために敢えて背中を叩いたのだろう。狙い通りラナの震えは止まっていて、リッドには近づけない距離でヒートに文句を言っていた。


「昨日ぶりだなチビ助。ちょっと縮んだか?」

「縮んでいません。チビでもありません。隊長さんがでかいだけです」

「忙しいのに呼び出して悪いな」

「これも仕事の内だ。気にするな」

「隊長さんはリッド様に呼ばれて来たんですか?」

「お前の監視のためだよ。一応容疑し……重要参考人だからな。お前は」

「もうほぼ言っちゃってたので容疑者で構いませんよ。でも、これから私の疑惑を晴らします」

「お、自信満々だな。何か根拠はあるのか?」

「エドワード・オールド・コナンの推理小説に書いてあるんです。存在している限り、痕跡の全てを消すことは出来ないと」

「その小説は俺も読んだことがあるが、犯人は必ず現場に戻るとも書いてあったぞ」

「つまり、犯人はお前だなチビ助」

「違います!絶対に違います!」

「それを信じたいが、職員の中で1番疑わしきはお前だぞ。なんたって魔書での契約が交わされていないんだからな」


どうやらヒートはリッドに呼ばれて来たらしい。

ヒートの言うとおり、ラナは重要参考人であり、第1容疑者だ。その一挙一動を見張るために優秀な騎士が目を光らせる必要があるのだ。

気さくな様子を見せているが、ラナが少しでも不審な動きをすれば、慈悲無く腕を捻り上げられるのだろう。

騎士の忠誠心は物語にもよく描かれている。

ラナはヒート達にいらぬ誤解を与えないために、ローブの袖をまくって両腕の肘から下を露わにした。何も盗みませんよ-、こっそり触りませんよーという意思表示だ。


改めて図書館の中を見回すと、騎士ではない制服を着た人が数人混じっている。あれは魔法省の職員の制服だ。

壊れた壁に両手を向けて何かの呪文を唱えると、床に積もった瓦礫が意思を持ったかのようにふわっと浮かび、元々あった場所に戻る。典型的な修復魔法だ。

修復魔法は簡単に言えばパズルである。ピースが揃っていれば問題がないが、無くなったピースは同じ魔法で埋めることは出来ない。だから、全ての建物を修復するためには、壊れてしまったパイプの代用品が出来上がるのを待つ必要がある。

図書館の入場規制が解かれるのはそれからだろう。


ラナは修復されていく壁をキラキラとした瞳で見つめていた。

こんな近くで魔法を見られることは滅多に無いし、何よりラナにとって欲しくて堪らないタイプの魔法だからだ。

魔法では治せない本を修復するのがラナの仕事だが、手作業では不可能な完全なる修復を行えるのは魔法だけである。例えば破れたページだ。ラナが修復を行うのであれば、破れた隙間を補うために薄い紙を貼り付けるため、完全なオリジナルでは無くなる。だが魔法はオリジナルのまま何の手も加えずに元の形へ戻すごとが出来るのだ。

熱心に修復魔法を見つめていたラナは、首根っこを掴まれて無理矢理視線を外される。こんな強引な事をするのはこの場に1人しかいないので、ラナはグキッと痛めた首筋を擦りながら隣に立つヒートを不満げに見上げたのだった。


「本来の目的を忘れて、何熱心に見てるんだ?」

「忘れていません。ただ、魔法を見かける機会は滅多にないので、貴重なチャンスを無駄にしたくなかっただけです」

「そんなに珍しいか?ここの人間はほとんど魔法が使えるって聞いているぞ」

「記憶魔法を使う頻度は多くありませんし、図書館に籠もっていると他の魔法を見かけることも稀なんです」

「そんなに魔法が好きならオレのも見せてやろうか?」

「図書館内は火気厳禁なので遠慮します」


魔法に憧れる子供に対するかのように得意げな顔をしたヒートは、迷うこと無く断りを入れるラナの態度に分かりやすく落胆する。

そんなヒートにリッドは少しだけ同情し、偶然聞こえてしまっていたヒートの部下は一生懸命笑いを堪えたのであった。

恐怖心をすっかり忘れられたラナは、リッドから預けていた図書館の地下への鍵を受け取ると、重厚な扉を慣れた手つきで開く。途端に地下特有の冷たい空気があふれ出し、ラナのフードとリッドたちの髪をサラサラと揺らした。

ラナは懐かしさすら感じてしまう古い本に匂いを嗅ぐと、顔にかかるフードを下へと引っ張りながら後ろを振り返る。


「地下に入るには許可が必要ですが、この場合はどうなるのでしょう?」

「今回は特例で、事件について調査の必要がある場合の立入許可は下りている。俺とヒート、ヒートの部下が2人。合計4名でラナ嬢に付きそう。ラナ嬢の無実を証明するために、記録も残すが問題は無いな?」

「もちろんです。むしろ潔白を主張するので、しっかりと録画してください」


記録とは魔道具を使った録画のことだ。

魔石に映した光景を、ある程度の時間保管することが出来るため、事件の証拠の保管などのためだけでなく、お金に余裕のある貴族達は家族の成長記録を残すために使っていたりもする。

記録道具と、リッドが掲げた刻印入りの入館許可証は、どちらもめったに見ることの出来ないレアアイテムだ。じっくりと観察したい気持ちを抑えて地下へ続く階段へ足を踏み出す。

いつもはトウコウケイの入った篭を持って降りる薄暗い階段だが、今日は少々勝手が違う。魔力を持つリッドやヒート達が一緒にいるおかげで、壁に埋め込まれている魔石の照明が灯っていくからだ。

ラナの後に続いて階段を降りながら、リッドは後ろ側であればラナとの距離を縮めても問題ない事に気がついた。ラナが逃げるのはリッドがラナの視界に入った時に限定される。

フードで雪だるまのようになっているラナの後ろを進み、地下1階へとたどり着くと、そこには地下とは思えない広々とした空間が広がっていた。


「思っていたより広いな」


リッドが呟く。

古い書籍を守るために窓が1つもない室内は、広々とはしているがどこか閉鎖的な圧迫感もあり、独特な雰囲気が漂っている。

内部は想像よりも片付いていた。逃げるときに床に転がっていた本は仮置き用の木箱に詰められたり、棚の上に積み上げられたり、壊れずに済んだ本棚に整頓して並べられていた。

天井の穴もすでに塞がっているようだ。壁の修繕が地上より遅いのは、ここが許可がなければ入れない重要箇所だからだろう。

いくら建物の修繕をするからといっても、簡単に入場の許可を出す訳にはいかない。部屋の隅に残ったままの瓦礫が残されたままなのは、修復魔法で使うからだ。通路の奥に積まれた土嚢袋の中も、小さな壁の破片が納められているのだろう。


「さてチビ助。今から何を調べるんだ?」

「地下3階へ行きます。私の考えが正しければ、そこにある物があれば、犯人への疑惑が強まるはずです」

「確証ではなく、疑惑なのか?」

「リッド様、私は探偵ではありませんよ。見つけた疑惑を重ねて犯人を特定するのは、隊長さん率いる騎士様のお仕事です」

「間違いないな」

「では行きましょう。いざ、私のオアシスへ!」


大好きな職場に一時的であれど戻ってこられたため、ラナはご機嫌だ。

鼻歌を奏でそうな勢いでまっすぐに地下へ降りる階段へと進んでいく。

ヒートは事件後、犯人の痕跡を追うために何度もこの場所へと足を運んでいた。それは後ろに控える騎士2人も同じだ。

魔法の痕跡を探すためには探知魔法が不可欠だ。優秀な騎士達が、それこそ魔力が尽きるまで調べ上げた場所を、魔法も使えない素人が再び調べるなど、本来であれば許容出来る事では無い。

だが、犯人への糸口が掴めない状況を踏まえ、更にあのでたらめな土ドラゴンの退治方法を思いついた実績が、今回の特例へと繋がったのだ。

騎士達の厳しい視線を背中に感じながら、ラナは階段を進む。地下1階、地下2階と下に降りる度に足音の反響が大きくなり、洞窟に迷いこんでしまったかのような錯覚を覚える。

地上や地下1階と比べ、地下2階は被害はほとんどないようだ。目的の地下3階は、頑丈な岩盤のおかげで、事件後の処理は埃の掃除くらいで済んでいるはずだ。

普段のトウコウケイだけの灯りだけとは違い、魔石の灯りは遠くまで良く見える。いつもとは違う雰囲気に、ラナは興味深そうに周囲を見回した。


「それで?これからどこを調べるんだ?」

「もう少し奥の作業台です。リッド様、先ほどの本のチェックリストはお持ちですか?」

「あぁ、持っている」

「ではご静聴ください。あの日、私は地下3階の作業台でとある本の修復を行っていました。ご存じですよね?」

「勿論だ。ラナ嬢の調書を書いたのは俺だからな」


歩きながらラナはリッドたちに問いかける。

そしてたどり着いた作業台の前に立ち止まると、道具が残されたままの机の上を指でなぞった。上から落ちた埃が薄らと積もっているせいで、指先にザラザラとした感触が残る。


「ではリッド様。私のあの日の行動を覚えている範囲で詳しく教えて下さい」

「詳しくと言われても、ヒートと会うまでのラナ嬢の行動は、本の修復に熱中していたが大半だったが……」

「修復していた本の名前と、天井が揺れてからの行動だけで大丈夫です」

「リブリア植物日記だ。あの日、リブリア植物日記を修復していたラナ嬢は、天井の揺れから異常を察知し、急いで本を机にしまうと、トウコウケイの入った虫籠を手に取り、地上へと走った。間違いはないか?」

「ありません。そうなんです、私。リブリア日記を鍵付きの机の中にしまったんですよ」


ラナはそう言うと、すでに意図に気がついているリッド達の目の前で、鍵の束から1本を取り出した。事件が起きたすぐ後から今までずっと、リッドが預かっていた鍵だ。

机の錠は差し込まれた鍵でガチャリと解錠の音を鳴らす。


「リストには無くなった本は1冊もないとされていました。では、もしこの中にリブリア植物日記が入っていたとしたらどうなりますか?」

「内部犯で確定だな。それも、リストを作った人間だ」

「それはつまり、外部の者の犯行では無いと?」

「ラナ嬢はそう予想しているようだ」


まだ名前も知らない騎士の1人が声を上げる。

内部犯説はリッドとヒートしか知らないようで、思わず会話に参加してしまったようだ。

なるべくなら外部犯であってほしいリッドとヒートの厳しい視線を一身に浴びた引き出しを、ラナはゆっくりと引き出した。

するとそこには間違うことなきリブリア植物日記が残されていて、ヒートは表情を歪めると、面倒な事になったとでも表現するかのように、頭の裏をガリガリとかいた。

気持ちはリッドも同じだろう。

彼は気を落ち着かせるために、懐にしまっていたリストを取り出すと、確認の担当者の名前を睨んだ。

副館長のカイン・セナ・リバースと、支配人のルカリオ・バクディー。どちらも厄介な家の人間である。

今後の手続きを想像してリッドは眉間に皺を寄せた。リストをのぞき込んだヒートも、あまりいい顔をしない。

せっかく事件の犯人の手掛かりを見つけたのに、想像していた盛り上がりと違うと、ラナはこっそり不満を感じた。


(おかしい……小説ではもっと驚きの声があがったり、賛美が飛び交っていたのに…)


そんなラナの気持ちを置き去りにするように、リッドとヒートと騎士達は音量を落として言葉を交わす。

どうやら犯人がどちらかを、どうやって断定しようと悩んでいるようだ。

先にも言ったとおり、2人はやんごとなき家の関係者であり、えん罪などかけようものなら誰かの首を飛ばさなければならなくなる。かといって、断定できない容疑の段階ではリッドの魔法は使えない。

彼らがここまで犯人を断定出来ずにいるのは、犯人に繋がる証拠がほとんどないからだ。

移動魔法の痕跡は土ドラゴンの破壊でかき消され、盗まれた本も無く、襲撃が続くわけでもない。

手掛かりの欠片を見つけられなかったのは、外部犯であると無意識に決めつけていたからだ。魔書で縛られた職員が犯罪に手を染めるはずがない。その決めつけが捜査の混乱を招いた。リッドはため息をひとつ零すと、ラナを振り変える。ラナは慌てて俯くと、フードの端を手で引っ張った。


「でも解せない。内部犯は1人だとするのなら、どうしてもう1人の確認の目をかいくぐったんだ?共犯なら道理は通るが……」

「私の勝手な想像ですが、犯人が欲しかったのは本ではなかったんじゃないですかね」

「つまり?」

「知識です。職員は「図書館の中で得た知識を外では使えない」のなら、外で知識を得れば良いんです。一度本を外へ出して、再び元の場所へ戻した。だからもう1人が調べた時に本は存在した」

「オレ達を甘く見るなよチビ助。あの事件後、この場所は結界を張って出入りを制限していたんだぞ。勿論リストを作る時も騎士を付けた。本を転送させるために魔法を使えば絶対に見逃さない」

「それも簡単なトリックです。犯人は魔法を使わなかった。使用したのは魔法道具です」


そう、何も全てに魔法を使う必要は無い。

転移魔法で持ち出した書籍をどこかで記憶し、騎士団に本の確認の要請が来たタイミングで堂々と持ち込んだ。

立場上、事件後そう間もなく現場に呼ばれることは想像に容易い。犯人は堂々と証拠を中へと持ち込めた。

魔法道具には見た目よりも何倍も大きな荷物をしまえる魔法鞄というものが存在する。それさえあれば、魔法も発動せずに証拠の隠滅が出来てしまっただろう。

土ドラゴンを召還するという大それた事件を起こした犯人が、まさか魔法を使わない手を使っているなど考えづらい。そんな先入観が優秀な騎士を惑わしてしまったのだ。


「ラナ嬢。もう一度聞きたい。犯人について何か思い当たる事はないか?」

「事件とは関係ないので言っていませんが、リベリア植物日記の修復を私に指示したのはカイン副館長です」

「つまりチビ助は副館長が怪しいと?」


ヒートの問いかけにラナは頷いて答えた。

副館長にはラナが地下3階に入れるようにしてくれた恩があるが、人の優しさには必ず裏がある事をラナは知っている。

図書館で働く職員の中で魔法が使えないのはラナだけだ。魔書での誓約を受けていないラナは何か不測の事態に真っ先に疑われるのである。

現に今日までラナの容疑が晴れないのは、やはり魔書の影響が大きい。反対に考えれば、魔書で縛られた他の職員に疑惑の目は向けられ辛い。その証拠に、軟禁されている職員はラナだけだからだ。

カイン副館長はとても良い人だった。

温和で知的でいつも笑顔なのが印象的で、ラナに対しても他の職員とは違い、友好的に接してくれていた。時には働き過ぎを叱られたこともある。

でもそれも全て、騎士たちの目を自分から逸らすための隠れ蓑にラナを利用するためだった。事件の日にリブリア植物日記を修復するように言い渡したのがその証拠だ。もしラナがすぐに騎士に拘束されていなければ、本は元の場所に返されなかったかもしれない。

だってそうだろう。本が無い。それは犯人ラナが盗んだからだ。で事が済むのだから。副館長にとっての誤算は、ラナがすぐさま騎士に確保されてしまったことだろう。ラナには盗んだ本を隠す時間がなかったと、騎士がアリバイを成立してくれるから、返さざるを得なかった。


(あ、そうか……)


ラナはある事に気がつき顔を上げた。


「あの、1つ試したいことがあるんですが、協力してくださいますか?」

「また何か思いついたのか?」

「たいしたことじゃ無いですよ。ただ、犯人にとって私が隊長さんに捕まったことが予想外の事態だとしたら、本を返却するのも予定外だったと思うんですよね」

「本当は盗むつもりだったという推論は俺も同感だ。一度外に出した本を元に戻すのは、利点よりも危険性の方が高い」

「確かに。魔書の誓約で盗みが出来ないとされている職員を疑うことは無いだろうし、オレ達は居もしない外部犯を永遠と探し続けていただろうな」

「予定外の行動は思わぬ落とし穴を生む。エドワード・オールド・コナンの推理小説にもそう書いてあったな」

「その通りです。さすがリッド様。察しが良い」


エドワード・オールド・コナン著の推理小説の多くは、犯人が僅かに隠しきれなかった痕跡から謎を解いていく。その過程は妙に現実味が有り、読む側の心をわくわくハラハラさせる。ラナとリッドが活用しているのは、登場人物たちの名言だ。

物語の登場人物のように全ての謎をキレイに解くことは難しい。だが、進まぬ捜査の進展に繋がる物を見つけるだけでも、大きな仕事をした気持ちに浸れる。

ラナは冷たい空気をスッと吸うと、机上の空論でしかない絵空事を発言するために口を開いた。


「あの日の犯人の行動を想像してみたんです。もし私が犯人なら、本を盗むところを人に見られたくはないじゃないですか」

「それはそうだ。目撃証言は重要な証拠になるからな」

「そうなると、土ドラゴンの襲撃を受けてすぐ、地下にいる職員を避難させますよね?」


地下3階から地上へと向かうために走った記憶の中から、ラナはとある光景を頭に思い浮かべる。

それは地下1階で見た、恐ろしくも美しいものだ。

軋む天井、地の底まで響く轟音、倒れた棚、散らばる本、そして、虫籠から解き放たれたトウコウケイだ。


「土ドラゴンは人の命令通りには動かない。目的の本を確保するために、犯人は職員を迅速に避難させる必要があった。立場上そうしなければなりませんし、確実に全員を外に出したことを確認することも出来ますから」


犯人はどうにかして土ドラゴンを館内の1階へ召還した。そして、混乱した土ドラゴンが暴れ出した頃合いで、すぐに職員を避難させた。

どのレベルまで避難を誘導したかは分からないが、犯人が館内に人が残っていないか確認するという理由で地下へ戻っても、誰も疑問には思わないだろう。

地下へ戻った犯人は、目的の本を魔法鞄へとしまった。土ドラゴンの奇襲を目にしているわけだから、「盗み」では無く「本を守る」ため持ち出すという大義名分が適用される。

ラナが地下3階で残っていた事が犯人にとって誤算だったのか、想定内だったのかは知らないが、ラナが事件に気がついた時にはすでに逃げていたはずだ。宙に放たれたトウコウケイの鱗粉をたっぷり体に浴びて………

トウコウケイの虫籠がいつ壊れたのかは大した問題じゃ無い。盗む前であれば好都合だが、盗んだ後でも記憶するために本を触りさえすれば良い。

職員は館内にいる間もだが、本を扱う時に必ず手袋を使う。本の稀少さを知っている犯人も、必ず手袋を付けていたはずだ。

皮膚と違い、布製の手袋はトウコウケイの鱗粉が絡みやすく、そして取れにくい。

犯人も騎士達も魔力を持っていたせいで見えなかったのだ。犯人に繋がるであろう痕跡が、すぐそこに残っていることを。


「これは……」


ラナの提案に従い、魔石の灯りを消したリッド達は、暫くしてラナの言葉の意味を理解する。灯りが消え、暗闇に包まれた地下は、数歩先も見えない暗闇だ。だが、その暗闇が犯人の痕跡を浮かび上がらせる。

漆黒の闇の中にポウッと淡い光が輝く。それは本の背表紙についたトウコウケイの鱗粉だ。本来であれば虫籠に囚われたトウコウケイの鱗粉がこんなにべったりと本に付くはずが無い。付いたとするのであれば、あの時、地下1階に居た人物が関わったと決めつけて間違いはないだろう。

トウコウケイの鱗粉は本にとって害では無い。防虫と防腐の効果があるからだ。

魔力を持たないラナは灯り代わりに利用しているが、本来の目的は本の保護のためで、図書館内で飼われている。


リッドが暗闇の中で淡い光を放つ本に近寄り、本棚から指をかけて抜き出す。

そのままではタイトルが読めないため、リッドは指先に魔力を集めて光らせると、古びた本のタイトルを照らした。


「……魔法の禁書だな」

「人の記憶を書き換える魔法か。最悪な趣味だな。犯罪の匂いしかしない」

「この魔法が使えるようになれば色々と便利だろうな。自分の立場を有利にするためにも使えるし、他人に施せば高額な報酬が得られる」

「よし、でかしたチビ助。リッド、オレ達は今から鱗粉の付いた他の本を確認してくる」

「確認が済んだら早急に報告を上げてくれ。それと、犯人に繋がる手掛かりもだ」

「了解。後は任せろ」


自分のやるべき事をすぐさま理解したヒートが、暗がりの中に足を踏み出した。部下達も指示を待つことなく自分のすべき行動を悟ったようだ。

さすがは優秀な騎士団だ。

前例の無い事態のせいで初動は惑わされてしまったが、後は全て任せてしまって大丈夫だろう。

暗闇に浮かび上がるトウコウケイの鱗粉は、事件解決へと続くパンくずのようにも見えたのだった。


それから数日。事件は無事に解決したようだ。

ラナが閉じこもる物置へと足を運んだリッドは、相変わらずローブのフードを引っ張り下げるラナに犯人の名前を告げる。

ラナはその名前を聞き、え?と声を上げた。


「犯人が捕まった。犯人は支配人のルカリオ・バクディー氏だ」

「え?副館長では無かったんですか?だって、事件当日にリブリア植物日記を修復するように指示をしたのはカイン副館長ですよ」

「カイン氏が犯人では無いと確信したのは、そのリブリア植物日記なんだ」

「えっと…どういうことでしょうか…?」


困惑を隠せないラナに、リッドは事の経過を説明する。

確かにカイン副館長は怪しい行動がいくつかあった。しかし、ラナの推理は完璧では無かったのだ。その1つがリブリア植物日記だ。

リッドは倉庫の壁に凭れると、気を緩めているのか両腕を組む。

明るさが苦手なラナのために薄暗さを保たれた灯りの下で、リッドは薄い唇を開いた。


「ラナ嬢の推理では、カイン副館長が本を盗み、それを返した後で支配人のルカリオ氏がリストを作ったことになる。そうだな?」

「そうです。本が元に戻された後だから、支配人が確認したときには本が全て揃っていた。そう推理しました」

「そこがおかしいんだ。考えてみてくれ。リブリア植物日記は鍵のかかった机の中に入っていた。カイン副館長が犯人で、盗んだ本を全て返していたとしても、リブリア植物日記だけは本棚から消えていることになる」

「……確かに……ですが、それは立場が逆でもおかしなことになりませんか?」


そう。リブリア植物日記は副館長と支配人がリストを作った時点で本棚から消えていた。つまり、リストに有りとチェックが打たれてはおかしいのだ。

犯人が盗んだ証拠を本棚に戻していたとしても、リブリア植物日記だけは本棚に戻ることは無い。

では、無いはずのリブリア植物日記は、何故2人が確認したときに有る物とされたのか……その理由は副館長と支配人の話から納得のいく理由が聞けていた。


「ルカリオ氏は盗んだ本を戻すところを騎士に見られない事に気を張りすぎて、魔法で照合をしていなかったんだ」

「集中出来なかったということですか?」

「魔法にはある程度の集中が必須だからな。犯罪とは無縁の彼が、騎士を前に平常心を保つのは難しかったのだろう」

「では……副館長はどうしてリブリア植物日記を有ると報告したのでしょう?」

「それは、ラナ嬢。君を信じていたからだ」

「??」


ラナは意味が分からないと首を横に捻った。

その様子はリッドの想像したとおりで、リッドはカイン副館長の顔を思い浮かべると、少々気の毒そうに小さな笑みを浮かべる。


「カイン副館長はこう言ったんだ。「ラナが持っているから、守っているから無事だ」と」

「……副館長がそんな事を……」

「ラナ嬢、君はカイン副館長が優しい事に違和感を感じているようだが、悪意はないようだぞ。それは俺が保証しよう」

「そう言われましても……私に優位な発言をしてくださるのには理由があるはずなんです」

「彼は君の修復士としての技術を買っていた。だから便宜を図ったんだ。不正や企みはそこには無い」

「ですが……でしたらどうして私にあんなに優しくしてくれるのでしょうか?」

「それは……そうだな。俺の口から言うべきことじゃ無いだろう」


リッドは対面したカイン副館長の顔を思い浮かべる。

ラナと同様に日焼けしていない白い肌のせいで、赤く染まる頬がよく分かった。

彼はラナを信用し、信頼し、そして別の感情も抱いているのだろう。

フードで隠れてしまっているせいでラナの表情は分からないが、それでも答えが分からず悩んでいるように見えた。


「それにしても、カイン副館長の見た目が想像以上に若くて驚いた。確かエルフの血が混じった家系だと聞いていたが、実際の年齢が全く分からないな」

「家族の中でエルフの特徴を濃く受け継いでいるのは副館長だけらしいです。今、60歳くらいでしょうか?」

「ラナ嬢の弟だと言われても納得しそうだ」


リッドの言うとおり、カイン副館長の見た目は少年だ。実際はラナの何倍も生きているのだが、何世代前に混じったエルフの血が先祖返りを起こしたのだろう。

エルフの成長は人間と比べてはるかに遅い。そして寿命も大きく違う。

ラナは今度副館長に会ったら、とりあえず謝ろうと心に決めた。そして、どうして自分に優しくしてくれるかを聞いてみようとも考えたのだった。




こうして図書館襲撃事件は幕を下ろした。

ラナの監視も解かれ、また再びおだやかな毎日が繰り返される事になる。

だが、この事件は解けていない謎がまだ残されていた。そして、その謎は簡単には解けなくなってしまったのだ。



犯人であるルカリオ・バクディー支配人の獄中死によって……













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