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ラナの覚醒








リッドの執務室には、窓を背にして置かれた事務作業用の大きな机の他に、応接用のソファーとテーブルが置かれている。

少し硬めの革張りのソファーは、来客時はもちろん、多忙な勤務の間の仮眠にも重宝する品物だ。

リッドが奥の席へと座り、ラナとヒートへも着席を促す。

何度もこの部屋に足を運んだことのあるヒートは慣れた様子で斜め向かいの席へと座り、ラナ流れるような動作でヒートの座る背もたれの後ろに身を隠したのであった。

2人から見えない位置ではあるが、立場をしっかりと弁えているため正座をして背筋を伸ばす。

想像外の行動を起こすラナに対し、リッドは思わずと言った感じで黙り込み、ヒートは背もたれに腕をかけると、上半身を捻り背後のラナを見下ろした。


「おいチビ、お前のための特等席が空いてるぞ」

「私はここで大丈夫です。しがない図書館職員が同じ席に座るなどおこがましいと自覚しておりますので、ここでお二人の話を聞いております」

「……喋りにくいので、出来たら座って貰いたいのだが」

「光の化身様がそう言ってるぞ」

「ここでも十分聞こえます。大きな声で返事をするので、私のことなどお気になさらず、どうぞお話しください」

「……ロープでも使うか?」

「いや、誰かに見られたら誤解を招きかねない事態は避けたい」

「チビ助。お前に与えられた選択肢は2つだ。リッドの隣に座るか、俺の横に座る。それ以外を希望しやがったらどうなるかは、最悪の展開で想像しろ」


あきれ顔を隠さないヒートは、ラナを見下ろしながらそう言う。

ラナはビクッと大きく肩を震わせて、恐る恐るヒートを見上げた。

ヒートは絶望の言葉がよく似合う表情をするラナに、そんなに無理難題を言ったか?と思いながらも、同情して「分かった分かった、そこで良い」と意見を曲げると、別の意味の同情の瞳をリッドへと向ける。

リッドはなんとも言えない表情をしていたが、ゴホッと咳をすると、本来の目的の話をするために気を取り直した。


「ヒートの目を通して見ていたから、状況は同じくらい把握していると思ってくれて良い。だが、取りこぼしをしないために詳しく話を聞きたい」

「知りたいのは今回の事件の全貌か?それともチビが起こした奇妙な現象についてか?」

「両方だ。図書館を襲ったのは土ドラゴンだと発覚したが、本来土ドラゴンは国土にはいないはずだ。しかも、王都の中央にある図書館が襲撃されるまで、誰にも目撃されていないと報告が上がっている」

「送り込まれたか?」

「恐らく」

「犯人の目星や目的は?」


リッドは首を横に振る。

今日は朝からいつも通りの長閑な1日が始まり、そのまま終わると誰もが思っていた。

しかし、何の前触れもなく突然上がった悲鳴が、平和な1日を壊したのだ。


「空を飛べない土ドラゴンが、誰にも目撃されないまま市街を抜けて図書館へたどり着くことなどあり得ない。確実なのは、誰かが何かの目的で人的に送り込んだという事だ」

「何か手がかりになりそうな証拠があれば騎士団から報告させるが、土ドラゴンだけ送り込んだとなると、何の手掛かりも掴めないだろうな」

「図書館が狙われたとなると、中の蔵書が狙われた可能性が高い」

「つまり、誰かしらが土ドラゴンと一緒に紛れ込んだ事になるな」

「すでに衛兵に図書館を閉鎖するように指示を出した。移動魔法無効の結界も張らせはしたが、もう時遅しだろう」

「帰還魔法の痕跡は、土ドラゴンがあれだけ暴れていれば跡形もなくなっているな」


魔法は匂いのようにその場に形跡を残すが、時間と供に消えてしまう特性を持つ。

今回のことが人的に仕組まれたものなら、土ドラゴンの役目は混乱を起こすことと、証拠を消すことだろう。

ラナのことはひとまず置いておくことに決めたヒートは、騎士団長として真面目な顔をリッドへ向ける。

リッドも難しそうな表情を浮かべ、眉根に深い皺を寄せた。


「図書館の地下に貯蔵された書物の中には禁書も多い。狙われるとしたらその辺りだろうというのが俺の推論だ」

「禁書ねぇ……一体どんな恐ろしいことが書かれていることやら」

「禁書は封印された魔法や魔道具だけが書かれている訳じゃ無い。破棄が出来ない理由で地下に送られた、国の裏の歴史にも触れてしまうものも存在する」

「あんまり興味が沸かない話だ」

「お前にとっては興味がなくても、あの場所はある意味で宝物庫よりも高価な本が収められているんだ。あんな場所で火魔法を使っていたら、個人の責任問題では済まされなかったんだぞ」

「あぁ、それであんなに慌てて精神干渉してきたのか。悪かったな。それと、助かった」


リッドの説明にヒートが素直に謝った。

ラナは背凭れのせいで聞きづらくなっているリッドの声を聞き逃さないように、全神経を耳に集中させ、急にヒートが協力的になった理由を知る。

変な女のおかしな主張を、あんなにあっさり名誉ある騎士団長が受け入れることに違和感があったのだ。

精神干渉を行えるリッドが、炎使いのヒートが図書館の騒ぎに駆けつけたと聞いて、急ぎテレパスを送ったのだろう。

図書館で炎が使われずに済んだ功績は、8割ぐらいリッドのおかげだ。


(そう思うとお礼を言いたいんだけど……)


ラナは背凭れからコソッと顔を覗かせる。

その気配を察したヒートが視線だけを動かして見守るが、やっぱり無理だと判断してすぐさま引っ込む姿を見て、やれやれと肩を竦めた。


「ここまでが騎士団長に伝えなければならない報告事項で、ここからが個人的には本題になる」

「チビの言う「現象」って奴だろ?」

「何なんだアレは。下手をしたら建物が半壊する威力だった。あれだけの破壊力を持つ人間を放置する事は出来ないと思って急ぎ連行を頼んだのだが……」

「本人は魔力を持っていない。それは確かだ」

「確認しても?」

「どうぞ」


ラナに確認をせず勝手に了承したヒートは、リッドが動く前にラナの腕を掴んでソファーの背凭れから出した。

無許可の行動にラナは慌ててヒートを見上げるが、すぐに光属性の接近を察知して、上げた時と同様の早さで下を向く。

暫くすると、手の平を握られる感触がして、ラナは無意識にローブの端を握りしめていた。

手首を掴む無骨な手とは違い、少しだけ冷たい。


「……うん、確かに魔力が感じられない」

「だろ?」

「もっと強く干渉しても?」

「どうするチビ。受け入れた方が早く終わるぞ」

「ど、どどどどどうぞ、どうぞ!ご遠慮なく!」

「では遠慮無く」


軽く触れられていただけの手が、指と指を絡める形で深く握り込まれる。

魔力持ち同士が強い干渉を行うと、気持ち悪くなったり、逆に気持ちよくなったりするらしい。

これは魔力を持たない人間にとって一生分からない感覚だろう。何でも相性やレベルの違いにより起こる、拒絶や同調なのだそうだ。

ラナは魔力を持っていないため、どれだけ深く干渉されても影響を受けることは無い。

リッドはラナの中に魔力の欠片すら見つけられないことを確認すると、腑に落ちない表情のまま元の場所へと戻り、長い足を組んで座り込む。

自由になった手を急ぎ引き戻したラナは、リッドが触れて少しだけ冷たくなった手を胸の前でギュッと握った。


「魔力が無いのは間違いない。問題は、魔力を持たない人間があれだけの爆発を起こせるという事だ」

「チビが言うには、音にはそれぞれ形があるらしいぞ」

「それが分からない。そもそも音は見えないし、形として存在しない。それなのに「形」があるとはどういう事だ?」

「おいチビ。説明」

「は、はい!えっと……本に書いてあった…だけでは駄目ですよね?」

「だろうな」

「えーっと……音の形は目には見えませんが、限定的な条件下の中で破壊力を持つことがあると書いてありました。とある工房の技師が魔道具の制作をしていた時に、響いた音が傍のガラス瓶を割ったんだそうです。それで音が何らかの影響を与えたのでは無いかと推測したと……」


ラナの頭の中に工房の記録書が浮かぶ。

きちんとした本ではなく、長期保管を目的とした防腐材を染みこませた紙を不器用な人間が紐を通して無理矢理本状にした実験ノートだ。

図面や魔方陣と供に書き込まれた説明文の85ページ目に、音による魔道具構成があり、そこに開発の経緯と、調べられた音の性質が詳しく記載されていた。


「音を操る魔法に攻撃力は無いとされていました。その認識は今現在も変わりません。ですが、音は私たちの想像以上のエネルギーを持っている。それが研究の結果でした」

「話を聞くだけだと信じられないな」

「つまり、君の言う「現象」は、知識さえあれば誰でも利用が出来るという事で間違いはないか?」

「間違いありません」


リッドとヒートは続く言葉がすぐには見つからなかったようで、視線を合わせて黙り込む。

ラナは気配で2人の様子を伺い、空気を読んで同じように口を閉ざす。

長閑な昼下がりの沈黙。その静寂を最初に破ったのは、暢気な鳥の囀りだった。


「……ラナと言ったな。その工房の本はどこで読んだ?」

「図書館の地下1階です」

「地下?地下は限られた人間しか出入りが許されていないはずだが」

「ちゃんと許可があります。私、古書の修復師の資格があります」

「それなら問題はないな。問題があるとすれば、その本が地下1階にあるという事だ」

「地下はもっと深いってことか?」

「ああ。図書館の地下は1階から5階までの階層で区分けされていて、内容と希少さで保管場所を変えている」

「地下5階ね。それで避難が完了したはずのあの場にチビが残っていたわけか。お前、どこに居たんだ?」

「地下3階です。やっぱり私、逃げ遅れてたんですね」


どおりで図書館の人間が他に居なかった訳だとラナは納得した。

あの時、地下3階まで降りられる許可を持っているのは、ラナだけしかいなかった。加えて希少な本の修復作業を行っていたため、集中力はマックスになり、周りの音など一切聞こえていなかった。何度扉を叩かれようが、声をかけられようが、ラナは気が付かなかっただろう。

最悪な場面を想像する。ラナが土ドラゴンの襲撃に気がつかぬまま作業を続け、リッドがヒートを止めないまま最大限の火力で攻撃を行っていた場合だ。

ラナは本と供に蒸し焼きか丸焦げになっていただろう。

いくつかの不運と、いくつかの幸運が重なり、ラナは生き延びていたのだ。


(本と供に死ねるなら本望かもしれない。いや駄目だ。貴重な本を道連れにするなんて罰当たり過ぎる)


ラナがそんな事を考えている横で、リッドは頭が痛むのか額に手を当てて顔をしかめる。

ヒートの心配の声に、リッドは軽く手を上げて返事を返した。


「今一度、本の保管場所の検討を行う必要がありそうだ」

「また抱え込む仕事が増えたな」

「誰かがやらなければならないことだ。仕方が無い」

「優等生は言うことが違うな。俺は事務仕事をしたくないがために偉くなったようなものだぞ」

「そう言っていられるのも今の内だからな。後、今回の報告書だけはお前に書いて貰いたい。例の「現象」とやらをそのまま上層部へ提出など出来ないからな」

「分かってる。幸いにも目撃者は俺の部下達しかいない。上手く誤魔化しておくから安心しろ」


リッドはヒートの事を全面的に信用しているようで、彼の発言に不安そうな顔をすることは無い。

ラナの分析では、ヒートはそれなりに頭の切れる人物となっている。

強い魔力。土ドラゴンにも臆することなく挑める度胸。混乱な状況下での的確な指示。攻撃方法を即座に切り替える柔軟さ。咄嗟の判断を行える勘の良さ。部下からの信頼。加えてそれなりの家柄。どれが欠けても騎士団の団長まで上り詰めることは出来ないからだ。

ヒートはソファーに行儀悪く座り、自分の背後でしゃがみ込んでいるラナの頭を見下ろし、リッドへと目を向けた。


「んで?このチビはどうするんだ?」

「正直に言って悩んでいる。魔力持ちであれば行わなければならない対処が色々とあったが……」

「普通の人間として釈放するか?」

「いや、ある程度の監視は必要だろう」

「野放しには出来ない存在って事か」


ヒートはそう言うと、再びラナへと顔を向ける。

彼らの発言に驚いたのはラナだ。

不穏な空気を隠そうともしない2人に、ラナは胃がギュッと収縮するのを感じた。


「あ、あの!私は普通の人間ですし、監視とかそういう物騒なものを付ける必要は無いと思います」

「お前自身は人間でも、お前の知識は人間じゃないって事だろ。諦めろチビ」

「私の知識は本を読めば誰でも得られるものです!地下1階の入室許可は比較的とりやすいから、監視をつけるのであれば、その全員が必要になるってことになりますよ!それに、図書館には記憶魔法を使う魔力持ちが多く居ます。その方達の方が危険です。絶対に危険です!!」


ラナは力強く同僚を巻き込む発言をする。

ヒートに仲間を売るなと軽い苦言を言われるが、ラナにとって同僚は仲間ではない。むしろ色々な経緯があり、適度に距離を置きたい相手でしかない。

庇わなければならない理由がないので庇わない。それだけだ。


「確かに記憶魔法を使えば、蔵書の本の内容を記録して持ち出すことが可能だな」

「ですよね!そう考えれば私の危険性なんてこれっぽっちも無いと思いませんか?内容を全部覚えるなんて出来ませんし、ただの人畜無害な人間です」

「魔力持ちは魔書を使い、図書館の中で得た知識を外使えないように誓約を受けている。彼らの知識が外部に漏れることは無い。逆に、誓約で縛れない普通の人間のほうが危ないとも言える」

「……」

「ただ、君が危険分子だと決めつけたりはしない。重要項目を預かる立場として安全なのかを判断するために、しばらくの隔離と監視が必要なだけだ」


リッドは淡々とそう説明した。

抑揚が抑えられた冷静な発言だからこそ、ここからの説得は難しいとラナは思い知らされざる得なかった。

魔力を込めた書面で行われる誓約は、魔力を持つ者としか交わせない代物で、城内で働く者のほとんどがその誓約書にサインをしている。

これはかなり拘束力の強い魔法で、書面に書かれた事項は破ることが不可能と言い切れてしまうほどだ。

誓約を破るには書面を破るか死ぬしか無い。

城内には多くの極秘で溢れている。だから強力な拘束力で外部に秘密を漏らさないようにするため、誓約書は必須なのだ。

しかし、誓約書には1つ大きな欠点がある。それは魔力を持たない人間を拘束できない点だ。

誓約は署名した者の魔力を取り込んで完成するため、ラナのような普通の人間がサインをしたところで意味は無く、簡単に裏切ることが可能なのだ。

だから魔力を持たない者は城内での仕事に就くことはほとんどない。長い歴史の中でも噂レベルにしか存在しないとされている。

それは城内に限らず、重要事項に関わる場所もほとんど同じだ。魔力持ちではないラナが禁書も扱える立場になれたのは、ひとえにクロード家の家柄のおかげだろう。勿論、勤勉さも能力も大切なのだが、どれだけラナが優秀であったとしても、クロード家の姓がなければ同じ立場にはなれなかった。


「何の企みもないのなら、監視されて困ることもないはずだ。違うか?」

「……違いませんけど…私、これからどうなるのでしょうか?」

「そうだな。数日間はこちらが用意した部屋で過ごして貰うことになるだろう。その間、仕事は出来ないだろうが、休ませた分の保証はつけるから安心して欲しい」

「仕事が出来ない?そんなの拷問じゃないですか!私から仕事を奪うんですか!」

「おー、リッド、お前以外の仕事中毒者がここにいたぞ」

「仕事は私の一部なんです!ご飯を食べるのと一緒で、仕事をしないで数日過ごすなんて……これ以上に恐ろしいことがあると思いますか!!死にますよ!!」


ラナは背凭れに隠れながら訴える。

土ドラゴンにより破損した大量の本が図書館で待っているのに、それを放置して数日間過ごすだなんて考えるだけでも恐ろしい。

本当は今すぐにでも作業に取りかかりたいのだ。

だが、ヒートから数日から数ヶ月の図書館の入室が禁止される旨を告げられ、ラナは愕然と項垂れる。

もう涙なしには居られない状況だ。


「建物の崩壊の心配もあるからな。調査が順調に進んで、修繕作業も滞りなく終われば、早ければ10日前後で立入禁止は解かれるだろうが、今じゃ無い。今入ろうとしやがったら職務妨害でぶっ飛ばすからな」

「骨の3本くらいなら覚悟の上です」

「そういう意味で言っていない。察しろ」

「隊長さんこそ私の本へ対する愛情を察してください。私から本を引き離すというのは、隊長さんが剣を手放すとの同じ事なんですよ」

「そうか、わかった。これでいいのか?」

「そういう意味じゃないんですー!」


ラナの訴えに、ヒートは動じることなく腰の剣を外してテーブルに置いてしまった。

ヒートは自分の仕事に埃を持っているし、剣も大事にしているが、剣に対する優先順位はそこまで高くは無いのだ。

所詮、消耗品だと理解しているからなのかもしれない。

ラナが読んだ本には「騎士は剣が命」だと書いてあり、そう理解していたラナは、まさかの事態に当てが外れたと頭を抱える。


「どちらにしろ、君をこのまま見過ごすわけには行かない。君の知識は脅威になる。それは理解出来るね?」

「悪用はしません」

「君に他意はなくても、君の知識を利用したいと思う者は多いだろう。それくらい、あの爆発は威力が大きすぎた。今回は目撃者が騎士団しか居なかったのが不幸中の幸いでしかない」

「でも……」

「それに、君には知識を実際に現実に結びつける力がある。怖いのはそこだ。大の大人でも逃げ出すあの状況下で、記憶の中から最適な方法を見つけ出すことはそう易々と出来ることじゃない」

「……」

「クロード家の令嬢として不遇な扱いをする事は無い。君の大好きな仕事に戻るためには、我々の信頼を得るのが1番の近道だ」


リッドの説得に、ラナは渋々と頷いた。

リッドからはラナの姿が見えないため、ヒートが小さい身振りでリッドにラナの了承を伝える。


「あの……せめて持ってきたこの本だけ修復しても良いですか?この本は禁書ではないので、制限を受けないはずですから」


ラナは抱えたままの本を背もたれから上へ出す。

本を受け取ったヒートは、そのままリッドへと渡した。背表紙と中身の数ページをパラパラとめくったリッドは、世の中に多く出回っている詩集だと確認すると、いいだろうと返事をする。


「道具は後から届けさせる。不便もかけるだろうが、暫くの辛抱だと思って我慢して欲しい」

「分かりました。あの……」

「なんだ?」

「監視のための部屋を用意するということは、私は寮に帰れないのでしょうか?」

「身の回りの貴重品や日常品を取りに戻ることはできるが、基本的にこちらが用意した部屋にいて貰うことになる。何か希望があれば出来るだけ対処しよう」

「でしたら出来れば窓の無い暗い部屋をお願いします。図書館の地下室のような場所が良いです。トウコウケイの灯りも必要です。食事を食べに行くのが苦手なので、扉の前に置いてくださると助かります。後、人の多いところは駄目なので、ひたすら部屋に籠もらせてください」

「お前、結構図々しいな」

「善処しよう」


リッドの承諾で話はまとまった。

これからラナは暫くの間、リッドの監視下に置かれることになる。

ラナは図書館の惨劇を思い出して静かに唇を噛んだ。本棚に潰された本を早く助けてあげたい気持ちでいっぱいだったからだ。

ヒートに部下の方に本を丁寧に扱ってほしいとお願いをして頭を下げる。

快く頷いてくれたヒートにラナが感謝の気持ちを抱いていると、「聞きたいことがある」とリッドが口を開いた。


「なんでしょう?」

「今回の爆発と同じ「現象」とやらを、もう1度再現してもらうことは可能だろうか?」

「土ドラゴンと図書館のパイプを同じように揃えていただけたら可能です」

「全く同じ物がない場合、威力が半減になっても構わなければ、代用品の活用は出来るのだろうか?」

「無理だと思います」

「詳しい理由は?」

「音の形と見た目の形は同じではないからです。見た目の形が似ていたとしても、使っている素材や厚みの差などで音の形は変わってしまう。同じ形を見つけるのはとても難しいし、限定的になってしまいます。そのせいで音を使った魔道具の開発も断念されたと書いてありました」

「……まだあまり理解が追い付いていないのだが、人間に例えると、全く同じ声色の人間が揃えばあのような爆発が起きる……そう考えれば良いのだろうか?」

「えーっとですね……私は専門家ではないのでリッド様の求めているだろう回答は出来ません。あくまでも本で得た知識しか知らないのです」


リッドは顎に指を充てて何かを考える素振りをする。

ラナの持つ知識はあくまでも本の中に書いてあることだけだ。しかも彼女は記憶魔法を持っていない。だから全てを暗記しているわけもなく、知識として頭に蓄えたことのみしか答えられないのだ。

そして、ラナの凄いところは読んだ本の内容を「記録」としてではなく「知識」としている所だということにリッドは気が付いていた。


「オレは難しいことを考えるのは得意じゃないが、その魔道具の技術の存在のやばさだけは良く分かる。どこの国の誰の技術かは分かるのか?」

「日付が書いてあったので正確な年代を把握しています。今から200年ほど前、国境近くの山岳地帯にあったそうです。丁度大規模な地滑りが起こった時期と重なっているので、恐らくですが、滅んでしまっていると思います」

「そうか。安心していいのか、勿体ないといえばいいのか……」

「人類の損失であることは間違いなさそうだな」

「ノウハウだけはこのチビ助の頭に残されてるって事か」


額を指で小突かれる。

あまり力は入っていないが、武骨な指先が生み出す威力はそれなりに痛い。

ラナはムッと唇を結ぶと、ニタリと意地悪な笑みを浮かべるヒートの手をシッシッと追い払った。


「ですから悪用はしません。私はただの本の修復士です」

「過去の遺物だとしても、兵器の技術は金になるぞ」

「悪乗りしないでください。私にとって大切なのはお金より本です。図書館の本を全て修復して後世へ残すことが私の夢なんです」

「他国にも図書館はある。この国で手に入らない異国の本に興味は?」

「それは勿論あり……あ、ありませんよ!まだ地下3階の半分しか制覇していないんですから、地下5階を制覇するまでは何が起きようがこの国を離れません!!」

「おいリッド、このチビいつか裏切るぞ」

「どうやらラナ嬢が他国に興味を示さないようにするためには、新しい本を入手し続ける必要がありそうだ」

「とんだ金食い虫だな」

「そうだな。ある意味で究極の金食い虫だ」


希少な本は金がかかる。

ラナはあまりの言いぐさに反論しようとしたが、このまま誤解させておいた方が希少な本が増えるかもしれないと企んだため、自分の意思で口をつぐんだ。

ラナはチビだがそれなりに聡明で狡猾なのだ。


こうしてラナは暫くの間、リッドの監視下に置かれる事になった。

最初はどうなるかと心配だったが、蓋を開けてみれば実に快適な毎日を送っている。

それは全て、リッドの配慮のおかげだろう。

令嬢をこんな所に通すなんてあり得ないと言われながらも粘りに粘って勝ち取ったのは、リッドが管理する魔法省の地下の真っ暗な倉庫だ。

不要な道具がしまわれていただけの部屋は、今はラナの寝泊まり用の簡易ベッドの他に大きな作業用の机が置かれている以外に、目立った物は無い。

窓も無いため、室内は数センチ先も見えない闇になっている。

天井には灯り用の魔石が埋め込まれているため、魔力を持った人間が入れば勝手に灯りが着く仕様になっているのだが、魔力を持っていないラナは魔石を使うことが出来ず、トウコウケイの入った虫カゴが灯りの役割を担っている。

魔力を持たない人間も暮らしている街とは違い、城内の施設は全て、魔力を持っている事を前提に作られている。そのため、ラナにとっては少々生活しづらいのが本音だ。

だが、このじめっとした暗闇はラナの大のお気に入りだ。

分厚い壁は音を遮り、作業の邪魔をするものは何も無い。ラナは思う存分仕事に打ち込める場所を手にれたのだ。

修復する本も、持ち出し可能な物を定期的に運んで貰っているため、どれだけ仕事に打ち込んでも無くなることはない。


(あぁ……なんて快適な生活なんだろう……)


朝起きたら出勤の必要もなく仕事に取りかかれ、疲れたらすぐ隣のベッドで横になれる。

食べ物だって自分で用意する手間も無い。この場を天国と呼ばず、どこを天国と呼ぶのだ。

監視下に置かれているため、ラナが勝手な行動を起こさぬよう衛兵が待機しているのだが、彼らはとことん暇な時間を過ごしていた。

なにせラナは部屋から出てこないのだ。地下深くの倉庫を簡易部屋にしているため、出入り口以外に窓や勝手口などの出口はない。そのため、入口以外に気を張る必要もなく、日に3回やってくる食事を運ぶメイドにだけ気を配れば、後はほぼ何も起きないからだ。

最初は楽な仕事だと喜んでいたはずの衛兵もあまりの退屈さに苦痛すら覚え始める。

今日も朝から退屈な時間を過ごしてきた衛兵は、何度目かも分からない大きな欠伸をしかけたところで、階段を降りる足音を耳にし、慌てて身を正した。


「お疲れ様ですキルベルト様!」

「ご苦労。ラナ嬢は?」

「今日も外にはお出になられていません」

「そのようだな。昼食にまだ手が付けられていない」

「一応ノックはしたのですが、いつものように返事がなく……」

「大丈夫だ。分かっている」


キルベルトとはリッドのことだ。

リッドは敬礼をする衛兵に、気遣い無用とばかりに手で制すと、扉の前に置かれたワゴンから冷めてしまった昼食の皿を持ち上げた。

衛兵からの報告と、ここ数週間の様子からして、ラナが自分以上の仕事中毒者だとリッドは理解していた。

しかも質の悪いことに、彼女は趣味も息抜きも仕事のため、必要最低限の休息と栄養摂取以外は休むことなく作業に没頭してしまう。

先にラナの様子を見に行ったヒートから聞いた話によると、ラナが言うには体が求める睡眠と栄養をとっているから体調も気力も万全らしい。

こんな生活を続けていたら寿命が縮みそうな気がするが、ラナにとっては毎日が最高に楽しいのだそうだ。


リッドにとってラナはある意味で妖精だった。儚いという意味ではなく、とにかく不思議な存在という意味を込めている。

自分のことを光の化身と呼び逃げ惑うのが最大の理解不能ポイントだが、他にも数え切れないくらいの項目が、ラナを人間離れした妖精に例えさせるのだ。

リッドは躊躇いながら扉をノックする。すると、衛兵にノックはしても意味がないと伝えられた。

ヒートからも、物理的にラナの集中を止めなければ、何時間だろうと待つ羽目になると言われている。

ラナはああ見えてクロード家の令嬢だ。本来であれば彼女の了承なしに部屋の中に入るなど紳士としてあるまじき行為だ。

しかし、そうしなければ用件をいつまでも伝えられない。リッドも忙しい身であるため、ラナの集中力が途切れるまで待つことは出来なかった。

仕方ないと肩を落としたリッドは、もう一度強めにノックをして、それでも反応がないことを確認してから扉を開ける。

ラナの部屋は驚くほどに真っ暗で、罪人が罰として閉じ込められる懲罰房のようでもあった。


(よくこんな場所に閉じこもって平気だな……)


リッドは扉を開けておくように衛兵に指示を出すと、トウコウケイの灯りが浮かびださせるラナの姿に向かい足を踏み出した。

わざと足音を立てるが、こんな音ではラナの集中力を止められそうにない。

ならばと椅子の背後に立ってコホンと咳払いをしてみる。しかし、これも反応はない。

ヒートは机にどかっと座ってラナの視界に強引に入って集中を止めたらしいが、さすがに同じ事をするわけにはいかない。

リッドは少し考えて静かに手を伸ばし、トウコウケイの光を浴びる黒髪を指先で一房すくった。

色のせいで重たく見えるが、髪はサラサラとリッドの指から逃げていく。

感触が心地よくて、リッドはもう一度髪に手を伸ばした。すると、今まで微動にしなかったラナが勢いよく振り返り、リッドの姿を認めた瞬間、悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。

慌てて駆け込んできた衛兵が、何があったんですか!と声を上げる。リッドはそんな彼に落ち着くように言うと、魔力を集めた手の平を天井へと向ける。すると、ガラス玉に閉じ込められた魔石が光り、フードをしっかりと被って座り込むラナの姿を照らし出した。


「……ラナ嬢、落ち着け」

「ま、眩しくて目が!急に明るくなったせいで何も見えません!」

「あ、あのキルベルト様……クロード嬢は一体……」

「……彼女は闇属性だそうで、光が苦手なんだそうだ」

「や、闇属性ですか?つまり、クロード嬢は闇魔法をお使いに……」


悲鳴のタイミングからして、ラナが叫び声をあげた理由は明るくなったことが原因ではないと分かりきっていたリッドは、衛兵の驚いた様子を敢えて放置した。ラナの自称「生態闇属性」を説明するのが面倒くさかったからだ。

リッドは魔石に込めた魔力を調節して部屋を薄暗くする。

それでも自身の光オーラは消せなかったようで、ラナはフードを目深に被り、漏れた光が目に入らないように両手でしっかりと端を握っていた。

衛兵を下がらせたリッドは持ち込んだ昼食のトレーを机の端に置くと、小さくため息を零す。女性との付き合いは過去に色々あったが、どちらかといえば好意を抱かれる方である自覚はあった。だからこそ、まさかこんなに全身全霊で拒否されるとは夢にも考えたことはなかったのが本音である。


(光の化身というよりも化け物扱いのような気がしてならないんだがな……)


光の化身を想像するとなれば、多くの人がありがたがるはずの存在になるはずだ。しかしラナの態度はどう見てもありがたがっているように見えない。

自分に対する態度は気に入らないが、ラナはクロード家の令嬢であり、現在は客人でもあるため、リッドはラナから距離をとり、平静を取り繕った。


「ご機嫌はいかがですかラナ嬢」

「と、とっても良いです。良くしてくださってありがとうございます」

「このような場所でお礼を言われるのは釈然としないのが本音です。本来であればどこかの屋敷を借りてでも快適な生活を保障しなければならないのですからね」

「あの、敬語は使わなくて大丈夫です。この前と同じように喋ってください」

「あれはヒート騎士団長の馴れ馴れしい空気に飲まれたせいであり、お詫びをしなければと思っていた所です」

「しなくて大丈夫です!私はクロード家の生まれですが、家との関わりは希薄です。どうぞクロード嬢ではなく、ただのラナとして接してください」

「……分かりました。では、失礼して」


リッドは小さく会釈をして無礼を詫びると、畏まった口調を止めた。

彼は机の上に残されたままの本を見下ろし、ラナが修復を行っただろう場所を探した。

本は常に劣化していく。

紙そのものの強度や、人の手垢。太陽の日差しや湿気。虫や糊の変色など様々な原因があり、放っておけば内容と供に消滅してしまうのだ。

多くの本には保護魔法がかけられている。だが、魔法は時間とともに消滅していく性質があり、永遠にその力を留めてくれる訳ではない。そして修繕魔法にも制約がある。その中の最も大きな難点は、「無くなってしまった箇所を補えない」というものだろう。

例えば破れたページの修復だ。密閉された部屋の中であれば、どれだけ本を細かく破いても一瞬で元通りに直すことが出来る。だが、弱い風が入り込み、小さな破片をいくつか持って行ってしまえば、その場所は二度と直すことが出来なくなってしまう。燃やされたり、虫に食われりしても同じだ。

修復士は魔法では治せない箇所を、文字通り修復する職業であり、過去の歴史や貴重な資料を後世に残すためには、魔法ではない人の手がどうしても必要なのだ。


ラナの身元調査の中間報告を読んだリッドは、ラナの修復技術の素晴らしさについて多くの図書館関係者が賞賛している事を知った。

実際に現物を目にすると、確かに出来が素晴らしく、継ぎ足された紙の僅かな色の違いぐらいしか修繕箇所を見分けられない。

腕の良い職人は変わり者が多いと聞くが、鍛冶屋だけでなく修復士も似たようなものだとリッドは思ったのだった。


「ラナ嬢はどうして修復師の資格を?」

「古い物の修復は魔法では出来ないからです。魔法の有無で優劣がつけれない仕事だからこそ、この仕事を選んだのかもしれません」

「納得出来る理由だな」

「あの、リッド様。今日はどのようなご用でいらしたんですか?あ!もしかして監視からの開放と、図書館への入室可能の報告でしょうか?」

「期待させてしまって申し訳ないが、ラナ嬢に見て貰いたい物があって持ってきただけだ」

「何でしょう?」


リッドが机の上に置いた書類の束を確認しようと、ラナは床に手を付いて這い上がると、フードの端を握ったまま怪しい動きで移動し、ちょっとだけ嫌そうに片手をフードから放して紙を受け取った。

無事に紙を手にしたラナは、リッドに背を向けるような形でしゃがみ込み、紙面へと視線を走らせる。


「俺の顔が苦手なら眼鏡を外せばいいのでは?」

「目が悪くて眼鏡をかけているわけではないんです。これは魔道具で、作業のためにつけているだけです」

「初めて聞くな。どんな機能があるんだ?」

「図書館では当たり前の魔道具ですよ。視力の保護が最大の目的ですが、手元の拡大とかも可能です」

「中々便利そうだ」

「事務作業をなさるならお勧めします。これをつけると目の疲れがすごく楽になるんです」


リッドがラナにアドバイスをするが、目が悪くて眼鏡をしている訳では無いため、外してもリッドのキラキラが見えることに変わりは無い。


「それに、私はリッド様の顔が苦手なわけではありません。その…えーっと、何というか、カースト頂点オーラがどうも駄目なんです」

「なんだそれは?」

「常に人気者と言いますか、いつも誰かが周りにいると言いますか、自然と人が集まってくる中心角と言いますか、そういうのです」

「よく分からんが、執務中の大半は1人だぞ」

「学生時代は常に周りに人が居ましたか?」

「学友とはそういうものだろう」

「それが違うんです。そこが闇属性と光属性の違いです」

「益々分からん。ヒートも俺と同じようなものだったと思うが……」


首を捻るリッドと会話を続けながらも、ラナの目は紙面から離れない。

渡されたのは図書館の本の照合表だ。リスト化されている一覧の横に、有無の判断チェックが書き込まれている。

つまりこれは、無くなっている本を調べた結果だ。

階数ごとに分けられたリストの一覧のチェックだけを流し読みすると、驚くべき事に紛失した本は無いという結果になっている。閲覧規制でタイトルが黒塗りされている箇所も多いが、それも全て無事のようだ。


「本が盗まれていないのは嬉しいのですが、なんだか腑に落ちない気もします」

「俺もだ。てっきり大量の本が盗まれていると踏んでいた」

「このリストをチェックされたのは図書館の職員ですよね?」

「そうだ。彼らの記憶魔法を活用したから、確実な結果と言って良い」

「それは分かってます。先輩達の魔法を疑ってはいません」

「だが、納得はしていないと?」

「ん~……そうですね。わざわざあんなに大きな騒ぎを起こして何もないなんてことあるんでしょうか?騒ぎを起こすだけなら図書館じゃ無くても良かったと思うんですよね。それこそ市民が集まる広場を選んだ方が、騒ぎはもっと大きくなったはず」


そう。騒ぎを起こしたいだけなら、もっと相応しい場所があったはずなのだ。

土ドラゴンが人的に送り込まれたことが間違いないのなら、図書館に目的があったと考えるのが自然である。

謎を解明しようとする人たちが真っ先に考えるのが、地下に保管された禁書の存在だ。

国が隠すほどの内容が記された本を狙ったのであれば、あれだけ手の込んだ騒ぎを起こした経緯に説明が付く。


「……狙われたのは本では無かった……のでしょうか?」

「それを俺に聞いても分かる訳が無い」

「ですよねー……あ、あれ?リッド様はどうしてこのリストを私に渡したんですか?これって調査資料的に極秘に当たりませんか?」

「その通りだ」

「やっぱり!なんだかすごく嫌な予感がするんですけど、それは私の気のせいですよね?」


リッドは答えなかった。沈黙は肯定を物語る。

ラナが想像してしまった嫌な予感は、疑われているのが自分であるというもので、この場所への隔離が監視目的ではなく容疑者拘留である可能性だ。


「あの!私は無関係ですよ!証明は出来ませんが、本当の本当に私は犯人じゃないですから!」

「その可能性については限りなく低いと考えている。ラナ嬢が犯人であるのなら、混乱に乗じて避難したという体で逃げていただろうからな」

「よ、よかった。疑われていなくて安心しました……」

「疑いがゼロになった訳ではない」

「それでも重要参考人になっていないなら気が楽です。それで、どうして私にこのリストを?」

「今のところ、犯人に関しての手掛かりがどころか、痕跡の一つも見つかっていない状態だ。つまり、どんな手掛かりであっても喉から手が出るほど欲しい」

「このままでは迷宮入りしてしまうんですね」


リッドがラナの元に来た理由は、どんな些細なことであろうと事件に関する情報が欲しいからだ。

王都の管理する図書館が襲撃にあった事件は新聞の一面で大々的に報じられ、多くの関心が集まっている。国中だけでなく、他国にも漏れ伝わっているだろう。

だからこそ、このまま迷宮入りなどしたら国の沽券に関わってしまう。それだけではない。今回の事は王都の警備体制についても大きな課題を突きつけられた形となった。


「国の中央に魔物を送り込まれたなんて、国防の弱さを晒してしまったも同じだ。名誉を挽回するためにも、犯人の確保は必須だ」

「協力したいのは山々なのですが、あの時は本の修繕をしていて周りのことは全く見えていませんでした」

「普段と違う様子は?」

「んー……特には…そもそも私の居た場所に入れる人はほとんどいません。その中で作業をしていたので、何も気がつくことはなかったです」

「そうか……」

「お役に立てず申し訳ないです」

「もし何か思い出したことがあったら些細な事でも教えて欲しい。犯人が捕まれば、立入規制も解かれて図書館の修繕も早く終わるはずだ」


リッドはそう言うと、ラナに食事だけはちゃんと取るようにと言い残して部屋を後にした。

扉が閉じられると、リッドの魔力で点いていた灯りが消え、トウコウケイの淡い光がぼんやりと輝く。

ラナは手元に残された資料にもう一度目を落とした。

リストは各階ごとに担当者が選出され、責任を示すサインが書き込まれている。

魔法をどうやって使うのか、魔力を持たないラナには想像が出来ない。

叶うならば1度魔法をつかってみたい。だが、魔力を持たないラナにとって、その望みが叶うことなど永遠にないのだ。

図書館で働く同僚たちは魔法が使える。そして、その多くは記憶を司る魔法を保持し、希少な本を管理している。

どこに何が置いてあるのか、作者の名前、書籍の名前など、呪文一つで導き出せるのだ。

ラナからしたらなんとも羨ましい魔法だ。

このリストを作成した方法は、過去に記録した光景と現状を重ね合わせただけの単純なものらしい。1冊づつ調べたら数日間はかかる作業が、たったの数分で終わらせることが出来る。


(それにしても……何も盗られて無いっておかしいよね……)


リッドの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ラナは立ち上がり机に腰をかけた。

ラナは全ての蔵書を記録しているわけではないため、まだ見ぬタイトルがリストから欠けていたとしても気が付くことはない。

だが、先輩たちの魔法なら別だ。彼らとの人となりはともかく、記憶魔法に関しては疑いようのない実力を持っている。

ラナはリストを1枚捲り、リッドが残していった軽食を見つけると、香ばしく焼かれたナッツを1粒口へと運んだ。

カリッとした触感とわずかな塩気が口の中に広がる。

小さな欠片をもぐもぐとしっかりかみ砕いたラナは、ポットの中身をカップに移し、冷めた紅茶で喉を潤した。


(犯人の手がかりが掴めていない……それは何故だろう。優秀な騎士団の目を欺き、探索魔法でさえ痕跡を掴めない。そんなことがあるのだろうか?いくら土ドラゴンが暴れたとしても……)


そこまで考えたラナは、破壊行為の原因に自分が少し関わってしまっていることを思い出し、無言でカップの中身を煽った。

空になったカップを机に戻す。

ラナは空いた手で眼鏡をブリッジを指で顔に押し付けると、うーんと唸った。

頭の中に浮かぶのは今回の事件の謎解きだ。転移魔法は高度な技術が必要であり、土ドラゴンほどの巨体を運ぶには、国が抱えるレベルの魔力がなければ行うことが出来ないはずである。

遊びの範疇ではない。裏に何かしらの思惑が隠れているはずなのだが、手がかりの1つも見つからない。


(……転移魔法は確か……転移先に目印をつけなければならない……んだよね?出口に必ず誰かを送り込む必要がある。図書館の1階は民間人の出入りが自由だから、犯人の特定は難しい……)


もしこれが図書館ではなくお城だとしたら、戦記物に書かれた状況に似ている。

落城が難しい城の中にスパイを送り込み、内部から切り崩した話だ。

敵城に乗り込んだスパイが何年もの月日をかけて信頼を築き上げていく過程は手に汗握り、偽りであったとしても友情を育んだ仲間や、淡い恋心を抱いた相手を裏切るための葛藤は涙が滲み、最後の最後に国のためにと自らの命と引き換えに騎士団を城内へと転移させた場面には鳥肌が止まらなかった。

それはさておき、どんなに難しい謎解きでも、なにか1つ切欠が見つかれば突破口が見つかるはずだ。

ラナはペロッと唇を舐めた。


(狙いは本ではなかった?他に図書館に保管された重要な物は……う~ん、特に思い浮かばないな。私の考えつくようなことはリッド様たちも思いつくだろうし……あれ?)


リストを数枚捲ったラナは、とある項目に疑問を覚えて目を止めた。最初に見たときにスルーしてしまったのは、それがあるはずだと無意識に思い込んでいたからだ。

もしかしてと眉根を寄せたラナは、視線を右下に書かれたサインへと移す。

そこには本のリストをチェックした担当者の名前が書かれていて、副館長と支配人が責任者であることを示していた。

副館長はラナの仕事を認めてくれて、異例の若さで地下3階への立ち入りを許可してくださった人物でもある。対して支配人はあまり良いイメージはない。副館長がラナを押し上げようとしてくれるたびに、「まだ早い」だの「慎重に検討すべき」だの言って必ずストップをかけるのだ。

館長の名前がないのは、彼が記憶魔法を使えないからである。


(………もしかして…でも、この推理には大きな穴があるんだよね。だからリッド様も隊長さんや騎士さんたちも、最初からこの可能性を除外していた。だけどそれを逆手に取れば?どうなる?絶対的な不可能は可能にならない?)


ラナは悩んだ。悩んで悩んで悩んで……そして声を上げた。

これは悩んでいても分からないのだと。

ガラス色の瞳に好奇心という名の強い光が宿る。

手元のリストを握りしめたラナは、初めて自分の希望で、自分の意志で外の世界へと足を踏み出した。



そのことを――……ラナ本人も気が付いていなかった。










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