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始まりは図書館での攻防戦






虫かごの中で羽を休める蝶が、暗い室内で柔らかい光を放つ。

この蝶はトウコウケイという名の夜光虫で、暗闇の中でも強く光るという特殊な鱗粉を持っている。

そのため、炎を使えない場所で明かりとして昔から重宝されていた。

ラナ・クロードは虫かごの明かりを頼りに、真っ暗な室内で慎重に足を進める。彼女の周りに広がるのは、数え切れない程の無数の本の森だ。

人がギリギリすれ違えるほどの幅しか無い通路の両脇に並べられた本棚は、天井を支える柱のように高く、どこの棚も隙間が無いほどにぎっしりと分厚い本で埋め尽くされている。

ラナは迷路のような本の森を迷うこと無く進み、目的の棚にたどり着くと足を止めた。

彼女の目的地は、どこまでも続きそうだと錯覚してしまう本棚の森にぽっかりと開けた大きな机だ。虫かごを机の脇のスタンドに引っかけると、柔らかい明かりが机の上の道具を照らし出した。

ガラスペンにインク瓶。半透明の液体が入ったケースに大きさが様々な筆。そして、中央に鎮座しているのは、どの本よりも立派な装飾を施された分厚い本だ。凹凸が付けられた革の背表紙には魔石が埋め込まれていて、一見しただけで普通の本では無いと判断がつく。

ラナは愛でるように背表紙を手の平で優しく撫でると、ほぅっと熱いため息を零した。


「あぁ……これが本物の『リブリア植物日記』。まさかこの手で触れる日が来るなんて思ってもみなかった……」


ラナの声は喜びに溢れていた。その理由は、薬草学を学ぶ者からしたら誰しも理解できるだろう。それだけではない。この本がどれだけの価値を持っているのかは、多くの人が知っている。

薬草学の祖であるリブリアが、幼少期から最期の時まで書き続けた植物日記には、この世のありとあらゆる草花が詳細に描写されている。

そこれそ道の端の雑草や、市場で売られる野菜から、魔物の巣窟の死の谷にしか生えない花や、見た人を惑わせ種床にしてしまう食人植物まで……

どうやって観察したのか未だに解明できないレベルの希少な情報がこの一冊に詰め込まれていて、その価値は両手で抱えられる金貨ではとうてい及ばない。

噂では大国の国家予算と等しいとかなんとか。

正確な価値は分からないが、大変希少な物に変わりは無い。ただ言えるのは、ラナが馬車馬のように生涯をかけて働いたとしても手に入れられない品だという事だ。

それが今、彼女の目の前にある。夢のような本を前にして、暫し見惚れてしまうのは仕方の無いことだろう。


たっぷり数分をかけてリブリア植物日記を眺めたラナは、鞄に入れて持ち込んだ手袋をはめると、大きく息を吸ってゆっくりとゆっくりと体中の酸素をはき出した。そして、「よし!」と自分を奮い立たせるように声を上げ、本に両手を伸ばした。

慎重に背表紙を持ち上げてページを開く。


(良い匂いがする。古い紙の匂い。古い糊の匂い。古いインクの匂い。それと……植物の匂いだ)


噂でリブリア植物日記の植物に塗られた色彩は、その本物の植物を煎じて作っていると聞いていた。

もしかしてこの匂いはその噂を肯定するものなのかもしれない。


(まぁ、私には真意を確かめる事は出来ないんだけどね。わっ!種子が貼り付けてある。土に蒔けば芽が出るのかな?)


もしそうだとしたら、薬師たちにしたら喉から手が出るほど欲しい代物だろう。

なにせ、種子の入手が不可能とされているはずの植物のページにまで、その種子が付けられているからだ。

一体どうやってリブリアはこの種子を手に入れたのか……想像すればするほど胸が躍る。

種子を土に蒔きたい好奇心がないと言えば嘘になる。だが、プロの修復士が私欲のために希少な本を、例え一部でも破損させることなどあってはならない事だ。

これは薬師の宝だけでなく、人類の宝だ。だからこそ後世にまできちんとした形で残してあげたい。

ラナは時間をかけて丁寧に劣化で脆くなった箇所や虫食いなどの腐食の箇所を確認すると、指先で眼鏡を顔にグイッと押しつけ、筆に手を伸ばした。


ラナの仕事は古書の修復だ。ラナの働く国立ロゼティア図書館は、大国ロゼティアが誇る大大大大図書館で、世界屈指の蔵書量を誇っている、本好きには堪らない場所だ。

地上5階、地下5階建て。図書館としては最大級だろう。

膨大な敷地に建つこの場所は、1階のみ市民の利用が許されているが、他の階は全て立ち入り制限がかかっている。地上はそれなりに高価だが入手が可能な本が集められていて、地下は階層が下がるほど入手が出来ない希少な本の保管庫となっている。

現在ラナがいるのは地下3階のフロアだ。

下働きから実務を積み、試験に試験を重ね、16歳の誕生日に念願叶ってようやく地下3階への入出が許可された。

あの時の喜びは今でも昨日の事のように思い出せる。だが、まだ3階。最下層の本を修復が許される修復士になるためには、まだまだ道半ばだ。


(それにしても、リベリア植物日記を修復出来るなんて思ってもみなかった。私みたいな新参者には早過ぎると言っても過言じゃない書物なのに……)


そんな疑問が頭に浮かぶが、本の稀少度の分別は修復士の仕事ではないので、ラナの認識と専門家の判断が違っていたのだと疑問に蓋をする。

本の価値というものは人によって千差万別だ。このリベリア植物日記も、植物学を学ぶ者からしたら国宝級の品物であり、薬師にとっては最高の参考書であり、歴史的にも大変貴重な価値があるが、文字を読めない者からしたらただの汚い紙切れの集合体で、かまどの火種くらいの価値にまで成り下がるだろう。

今までにいくつもの貴重な本が消失してしまっていることを想像すると、価値を認めてくれる場所にたどり着いたこの本はとても幸運だ。


筆で丁寧に汚れを払っていく。

古い紙は脆いため、取り扱いには細心の注意が必要だ。

全神経を本へ注ぎ込み、腐食や浸食、カビや劣化などの症状に適した修復を行っていく。

集中していると周りが見えなくなるのはラナの悪い癖だ。周りの音も聞こえなくなり、無音の中でトウコウケイの灯りが照らす場所だけがラナの世界になる。

蝶の羽音さえも聞こえてしまいそうな静寂だけが支配する空間は、時間さえもその動きを止めてしまいそうな気さえするほどだ。

一体どれくらいの時間をそこで過ごしていたのか、ラナにも分からなかった。ただ、まだ集中力の3割ほどしか使っておらず、修復作業は続けられたはずだった。

それが出来なくなったのは、上から埃がパラパラと降ってきたからだ。

上の階で重たい物でも落としたのか……ラナは紙面に落ちた軽い埃を息を吹き飛ばして、重たい物は筆で掃き出す。

最初はそうやって対処をしていたのだが、埃は間隔を開けてパラパラと本の上に降り注いでくる。

払っても払っても同じ事の繰り返しだ。しかも段々と埃が落ちる間隔が徐々に早まって来たため、ラナは不機嫌に唇を噛みしめながら紙面から顔を上げた。

集中を邪魔され苛立ち混じりに天井を睨み付ける。

トウコウケイの光がぼんやりと照らす天井は、睨み付けた当初は静かであったが、数秒経つとドンッ!という音と供にミシミシと揺れ、長年天井に貼り付いていた埃が机の上だけで無く、フロア全体に降り注いだ。


「な、何?」


ラナは慌てて本を閉じる。

図書館の地下は希少な本を保護するため、頑丈な地層と分厚い壁に守られている。階を分ける仕切りも、粘度の高い溶岩を分厚く重ね合わせているため、ちょっとやそっとの振動でここまで揺れることは無いのだ。

上で何かが起きている。

そう悟ったラナは、急いでリベリア植物日記を机の引き出しの中へとしまい鍵をかけると、虫かごを持って階段へと急いだ。

音が響く度に床が揺れ、上から埃の雨が降り注ぐ。

ラナはローブについたフードを被り、上から振ってくる埃から頭を庇った。

よろけながら階段を上りきったラナは、緊張した面持ちで地下2階への扉を開く。

何が起きているのか分からないため扉の隙間からソッと様子を伺うが、建物全体を揺らすような原因はどこにも見当たらない。

上ではないなら地下だろうか?一瞬地震を想像したラナだったが、再び襲ってきた振動により、予想が外れたことを悟る。


(さっきより揺れが強い。何かが起きているのは下じゃなくて上だ)


足が竦んでしまいそうな大きな揺れにバランスを崩して、慌てて傍の本棚に縋り付く。

踏ん張りがきかなかったのは床全体を覆う砂と埃のせいで滑りやすくなっているからだ。

トウコウケイの光のせいで埃が白く照らされ、先ほど地下3階へ降りるために通った時とは全く違う部屋のように見えてしまう。

ラナは虫かごを掲げ、事態が見えない不安に周囲を忙しなく見回し、震える唇を開いた。


「誰か!誰かいないませんか!」


地下2階は通路の所々にトウコウケイの虫かごが掛けられているため、室内の様子がなんとか見渡せる。

だが、どれだけ目を凝らしても、人影1つ見当たらない。

ラナはいつもとは違う非常な雰囲気に震えそうになる手をギュッと握ると、扉にしっかりと施錠をしてから室内へと足を踏み入れた。

この建物の地下は造りが少し変わっていて、フロアを通り抜けなければ次の階段へ行けないようになっている。つまり、ラナが次の階へ行くためには、この部屋の反対側までたどり着かなければならないのだ。

地下3階よりも少しだけ地上に近いせいか、さっきよりも音も揺れも酷くなっている。

天井の揺れからして、何か尋常ではない力が床や建物にかかっているのだろう。今にも倒れてしまいそうな本棚の間を急いですり抜け、地下1階への階段を駆け上がる。

ようやくたどり着いた先でラナに目に飛び込んできたのは、今にもそこが抜けてしまいそうな程に歪んだ天井と、揺れに耐えきれなかった本棚が倒れ、無数の本が散らばり、落ちた虫かごから逃れたトウコウケイが光りながら室内を逃げ惑う、そんな衝撃の光景だった。


(一体上で何が起きてるの!?)


得体の知れない恐怖に心臓が縮まり痛みを訴える。ラナは震える指先を胸の前できつく握りしめた。

緊張のせいで浅い呼吸を繰り返す。そういうしている間にも、弛んだ天井がミシミシと聞いたことのない音を立て膨張を続けていた。

このままでは天井がもちそうにない。

地下1階の天井は強度の限界を超えかけているようで、ラナの見ている先で頑丈なはずの天井に深い亀裂が走った。

ヒッと肩を跳ね上げる。


(何がなんだか分からないけど、このままじゃ生き埋めになる!)


恐怖で怖じ気づく足を叱咤して地上へ出る階段へと駆けだした。

崩れた本棚が行く手を塞ぎ、散乱した本を避けようとすると、砂埃に足を取られる。

身体能力のレベルの低さは自覚しているが、こういう危機的状況の時ぐらい俊敏に動ける能力が欲しいと切に思う。

臨場感は最悪だ。今にもぶち破られそうな天井の下をくぐり抜け、何が起きているのかの答えを求めて地上へと飛び出す。

ようやく差し込んできた太陽の光の中でラナが目にしたのは、悪夢だとした考えられないほど信じられない光景だった。


床に散乱した割れたガラス。無残に崩れた壁。焦げ臭い匂い。怒号と悲鳴。重たすぎて動かせないはずの本棚さえなぎ倒され、数え切れないほどの本が散らばってしまっている。

その光景を作り出した原因は、1匹の巨大な魔物だった。

図書館は天窓から光を取り入れらるよう5階まで吹き抜けになっている。

その外光が差し込む光の中で、魔物は太い尻尾を振り回し、図書館を支える柱をたたき割ると、苛立ったように金属音のようなうなり声を上げる。

張り詰めた空気がビリビリと震え、衝撃で体が壁に叩き付けられた。

痛みに顔を歪めるが、蹲っていられる場合では無い。


「ど、どうして土ドラゴンが図書館にいるの!?」


ラナは我が目を疑った。

その薄い青色の瞳に映るのは、堅い鱗で覆われた四足歩行の巨大なトカゲの形をしたドラゴンだったのだ。


(土ドラゴンの生息地域は山岳中枢部の洞穴の中。それなのにどうして王都に?)


何度か瞬きを繰り返してみるものの、土ドラゴンは幻のようには消えてはくれない。

土ドラゴンは有鱗目オオトカゲ科ドラゴン属だ。本に記載された生態によると、どう猛だけど臆病で、滅多に人の前に現れないはずなのだ。

しかも土ドラゴンは寒冷地の生き物であり、温暖なこの国は彼らの生息域とはまるで被らない。


(熱いのが苦手な土ドラゴンが、どうして生息域から遠いこの国の、この図書館の中で暴れてるわけ!!?)


何度見ても土ドラゴンは土ドラゴンだ。本来そこにいるはずのないのに、どうしてか確実に存在している。

巨体から振り上げられた尻尾が床を叩くと、衝撃波が床を伝わり地震のように建物を揺らす。そのおかげで窓ガラスは全滅だ。まるで光の粒のように割れた結晶が床に飛び散り、土ドラゴンが暴れる度に舞い上がる。

美しい模様が描かれた床のタイルも無残に砕かれ、平和と平穏が当たり前だったはずの図書館は、一瞬のうちに戦場へと切り替わったかのようだった。

土ドラゴンが倒れて積み上がった本棚に前足をかけて体を持ち上げると、大口を開けて耳をつんざくほどの音量で咆哮を上げた。

咆哮は衝撃波を生み砕かれた壁を破壊する。

砕け落ちる壁の内部から突き出た配管が、音に反響するようにビリビリと揺れ、上階まで繋がる吹き抜けが災いして、ガラスや雨のように本が上から降り注いできた。

なんとも幻想的な光景だが、キレイなどと魅入っている場合では無い。


「そこの女!そこをどけ!」


衝撃波に吹き飛ばされて本と供に転がっていたラナは、土ドラゴンの破壊音に混じって聞こえる怒号の方角へと顔を向けた。

そこには何人もの武装した騎士達がいて、土ドラゴンに対して攻撃を行っている。

彼らがいつからここで応戦しているかは分からないが、一般市民の姿が見当たらないことから考えると、避難誘導が終わる程前から居たのだろう。ラナは完全に逃げ遅れだ。

騎士たちは自分よりも巨体な相手に勇敢に立ち向かい、剣と弓、槍が土ドラゴンを襲う。しかし、土ドラゴンは有鱗目の中でも最高ランクの鱗の堅さを誇っているため、そんな攻撃では倒せないどころか、土ドラゴンを怒らせて余計に凶暴化させるだけだ。


「おい女!聞いているのか!」

「は、はい!聞こえます!」

「そこをどけ!お前がそこにいたら魔法が使えない!」

「え!魔法を使えるんですか!?」

「使うから言っているんだ!!どけ!土ドラゴンと心中するつもりか!!」


喧噪の中のため大声で会話をする。ラナに向かって怒鳴り声を上げているのは、赤色の髪が印象的な長身の男だ。

どうやら男の魔法範囲の中にラナが入ってしまっているらしい。

慌てて逃げようとするが動けない。ローブの上に崩れた瓦礫が重りのように乗ってしまっていた。


(うそ!やだやだ!)


ローブを引っ張り瓦礫から引き出そうとする。しかし、かなりの大きさのためびくともしない。


(いやだ!土ドラゴンと心中なんてしたくない!)


そう思うが、焦りは余計に行動を阻む。

「早くしろ!」と言われても、抜けない物は抜けないんだ!!

冷静では無いため脱ぎ捨ててしまおうなどとは考えつかず、必死にローブを引っ張り続ける。そうこうしている間にも土ドラゴンはうなり声をあげ、図書館を破壊していく。

亀裂がいくつも走った壁が衝撃に耐えきれず崩れ始めた。ラナの頭上で……だ。

自分にかかる影のおかげで瓦礫の落下を察したラナだったが、動けないから逃げられるはずもなく、呆気にとられたまま落ちてくる瓦礫を見上げることしか出来ない。

これはもう駄目だ。

頭のどこかでそう考えながらも、体は自分を守るように反射的に蹲る。


(神様!)


ラナはそう願いながら衝撃に備えてギュッと目を瞑った。

すると頭の上に衝撃が走り、瓦礫が後方へと吹き飛ばされる。

大きな音とカラカラと落ちてくる小さな欠片雨を浴びながら恐る恐る瞑った目を開くと、赤髪の男がこちらに向かい手の平を向けていた。その手の平から流れ出る黒煙に、彼が魔法を使った事が分かった。


(すごい!初めて攻撃魔法を見た!……いや、見てないか。見てはいないけど、体感した!)


この世界に魔法使いは多く居るが、攻撃に使えるまで魔法を昇華出来る者は少ない。

立ちこめる焦げ臭い匂いからして彼は炎使いだ。数ある魔法の属性の中で最も攻撃力が強いとされている、男子の憧れの火属性。


(さすが王国騎士団の人だ!すごい!すごい!!……じゃないっ!!やめて)


土ドラゴンが咆哮を上げた。

防御力の高い土ドラゴンが唯一苦手とする攻撃。それが「火」だ。

その火の温度がすぐ傍を通った事で土ドラゴンがパニックを起こし、赤髪の男に向かい飛びかかる。

男はそうなることが分かっていたようで、剣を引き抜き、鋭い爪を刀身ではじいた。


「女!そこをどけ!」

「出来ない!貴方はここがどこだか分かってるの!?図書室は火気厳禁よ!!」

「は!?そんなこと言ってる場合か!!コイツが見えないのか!」

「見えてるに決まってるでしょ!!火を使わないで!!土ドラゴンを倒すほどの火魔法を使ったら、ここにある本が全滅する!!」

「緊急事態なんだ!本の犠牲は仕方が無いだろ」

「1冊で国家予算と同じ価値のある本が何千冊とあるのよ!!それを灰にしてみなさい。大問題になるんだからね!!」

「ならどうしろと言うんだ!!」


赤髪の男が声を荒げる。

土ドラゴンを倒すのは炎が最も適正で、効果的な攻撃方法なのは正しい。

しかし、ここで大きな火魔法を使い、万が一にも地下に火種が燃え移ろうものなら、貯蔵された本を全て失い事になりかねない。

それは絶対に防がなければならない事態だ。


「団長!ご指示を!」

「…っ、炎魔法は使えない!このまま持久戦に持ち込んで、弱った所でトドメを刺す」

「土ドラゴン相手に持久戦なんて聞いたことがありません」

「つべこべ言わずに武器を構えろ!!」

「は、はい!」


赤髪の男に叱咤され、騎士達がそれぞれの武器を構える。

土ドラゴンは先ほどの攻撃のせいで、完全に男に狙いを定めているようだ。鋭い目で赤髪を捉えると、太い前足で何度も襲いかかる。

大柄な割に動きは俊敏で、しかも体重があるせいで攻撃のひとつひとつが重い。これは持久戦では人間の方が分が悪い。

赤髪は自分に向かい振り上げられた鋭い爪を刀身で受け止めた。攻撃の威力はすさまじく、防御するのが精一杯だろう。

他の騎士達が彼を庇おうと応戦するが、興奮した土ドラゴンが獲物を変えることは無い。

尻尾で周りの騎士達を叩き付け、ついでに床を壊す。幾度もの攻撃で耐えきれなくなった床が、ついに崩れたのだ。

蟻地獄に落ちた蟻のように本や瓦礫が穴に向かって吸い込まれる。ラナのローブの上の瓦礫も崩壊の地鳴りのおかげで滑り出し、スポッと下から引き抜けた。

自由を取り戻したラナはローブを引き抜いた勢いで床に転がりながら、周囲に視線を巡らせる。


(何か……何か方法があるはずだ。考えろ、考えろ私)


使えそうなものはないかと辺りを見回していると、土ドラゴンがまたうなり声をあげた。

頭に響く音が不快で、耳に手を押し当てる。

土ドラゴンの攻撃は巨体から繰り出される物理攻撃と、この咆哮だ。一説によると、土ドラゴンはこの唸り声を使い、堅い山肌に巣穴を作るのでは無いかとされている。

声帯を揺らすことで生み出される音がエネルギーを持つと、岩をも砕く威力を持つ。

頭に響く音に顔を歪めたラナの目に、瓦礫から突き出たパイプが飛び込んできた。吹き抜けから落ちぬよう設置された手摺りの残骸だ。そのパイプが地鳴りが原因ではなさそうな揺れを帯びている。

起き上がったラナはその現象を確かめるために、瓦礫に向かって駆け出した。


「何をしてる!逃げろ!」


赤髪では無い騎士からそんな言葉が飛ぶが、ラナの足は止まらなかった。

もしラナの想像通りの事が起きているのなら、持久戦に持ち込まなくても、火魔法が使えなくても勝算が生まれる。

土ドラゴンが赤髪をターゲットに絞ってくれたおかげで、ある程度動いても狙われる心配は無い。

倒れた本棚を飛び越えながら壁際までたどり着いたラナは、瓦礫から生えるそのパイプに触れ、土ドラゴンが咆哮を上げるのを待つ。

心の中で鳴け!と命令し、土ドラゴンを睨み付ける。ラナの命令が聞こえたのか、ただ単に偶然なのか、土ドラゴンが小さくだが唸った。すると、触れたパイプが共鳴するように細かく左右に揺れたため、ラナは口元に笑みを浮かべると、パイプを瓦礫から引っこ抜き始めた。しかし、突然ローブのフードを掴かまれ、強い力で引っ張られる。

キュッと首が絞まり息苦しさに顔を歪めたラナが振り返ると、そこには顔に怒りを浮かべた赤髪が立っていた。


「いい加減にしろガキ!!こっちは命がけで戦っているんだ!これ以上勝手な行動をするなら巻き込まれても文句は言うなよ!」


その顔にははっきりとした怒りが浮かんでおり、いつ殴られかかってもおかしくはなさそうだった。

それもそうだろう。命がけで戦っている騎士の周りをチョロチョロとうろつくなど、邪魔してるも同然だからだ。

だが、ラナにはラナの言い分があった。

大の男から怒鳴られる恐怖と、土ドラゴンの攻撃に巻き込まれるかもしれない恐怖の中で、ラナは歯を食いしばり、赤髪を睨み付ける。


「命令する!今すぐにこの場を立ち去れ!!」

「出来ない!私は修復師として、ここの本を守る使命がある!」

「本など命より大事な物ではない!!」

「少なくとも私の命よりは価値がある!!逃げるなんて絶対に嫌!!離してっ!!」


服を掴む腕をラナは強引にふりほどいた。

赤髪の言うことはよく分かる。だが、命を賭ける物は人によって違うのだ。王に忠誠を誓う騎士もいれば、本がなければ死んでしまうラナは、本に忠誠を誓ったも同然だ。


(土ドラゴンは土属性でありながら炎に弱い理由は解明されていない。だけど確かなことは、土ドラゴンは無敵では無い。炎以外でも傷も負うし、死にもする。そして……)


騎士の1人が土ドラゴンの尻尾に槍を突き立てる。どうにかして赤髪から気をそらし、少しでも体力を温存させようとしているようだ。

だが、土ドラゴンはどう猛で、一度狙いを付けた獲物はどこまでも追っていくという習性をもっている。そのため、周りがいくら攻撃をして気をそらしても、ヤツの狙いは赤髪だけだった。

赤髪は唸り声を上げ自分を睨み付ける土ドラゴンに、恐れもせずに真っ向から向き合った。

さすが王国騎士だ。肝が据わっている。

だが、相手はドラゴン属。弱点である火魔王を使えないせいで、体力はかなり消費してしまっている。

肩で荒く息をする赤髪の背中に、ラナは声を掛けた。


「取り込み中だ」

「聞いて。この銅色の長いパイプを地面に突き刺して欲しいの」

「そんなことしてる場合じゃないのは見て分かるだろう」

「絶対に抜けないように深く突き立てさせて。タイルが割れているから、それを利用するの」

「そんなことをして何になる」

「土ドラゴンを倒せる」

「……恐怖で頭でも狂ったか」

「その逆。怖すぎて頭が冴えまくってる」

「……勝算は?」


赤髪は後ろに立つラナを振り返らずにそれだけ訊ねた。ラナはからりと乾いた喉で小さく笑いながら、本に書いてあることが正しければ100%と答えた。

その自信に溢れた回答に、赤髪は一瞬だけラナを振り返り、改めて剣の柄を握りしめた。

そして、間合いを整えるように一呼吸すると、勢いよく地面を蹴り土ドラゴンに飛びかかる。鋭いはずの剣先をどれだけ振り回しても、分厚い鱗の下まで届かない。

だが、届かないと分かっていても彼らは戦わなければならない。土ドラゴンが図書館から市街に出ようものなら、多くの犠牲と多くの損害を出してしまうからだ。

だから騎士達は絶対にこの場で土ドラゴンを倒さなければならない。

騎士の誰かが頬に滲んだ血を腕で拭う。


「くそっ、鱗が分厚すぎて武器では歯が立たない」

「炎を使えれば一瞬なのに……」


思わず溢れた愚痴は、魔法を使えない事に対する苛立ちだろう。

ラナは土ドラゴンとの応戦を続ける赤髪の後ろ姿を睨んだ。彼の頭には様々な選択肢がよぎっているはずだ。

このままいつ終わるかもしれない持久戦を続ける案。魔法を使い、いっきに片を付ける案。それにおける本への影響で起きる問題。土ドラゴンが市街に出てしまうかもしれない可能性。どれを選んでも先の読めない未来に続くが、騎士団の隊長の立場であるあの男は、最善の選択を選ばなければならない。

その選択肢の中にラナの提案はきちんと載せられているだろう。ただ、変な女の変な作戦としてなので、優先順位は高くないはずだ。

だからこそ、ラナは自分で動いた。パイプを固定する金具を蹴りつけ無理矢理外し、瓦礫に埋もれたパイプを持ち上げる。

後は持ち上げて亀裂に突き刺すだけ。

見た目よりは軽いが、女1人で持つにはキツい重さのパイプを根性で地面に突き刺そうとする。割れたタイルに深く走った亀裂がパイプをしっかりと支えてくれるはずだったが、作戦の全てが上手くいくとは限らず、中々深く刺さってはくれない。

両手でしっかりパイプを掴み、全体重を乗せる。

それでも刺さったのは僅か30センチほど。これでは全然強度が足りない。

どうにかしてもっと深くパイプを埋めないと……そうラナが考えはじめると、赤髪の男が叫んだ。


「グレン、レッド、数秒で良い、土ドラゴンを引きつけろ!マーシー、風で銅色のパイプを巻き上げて地面に突き刺せ!」

「了解!」

「分かりました!どれくらいのパイプを飛ばせば良いでしょうか!」

「女!何本だ!」

「あるだけ!」

「あるだけだマーシー。目に付く物全部、片っ端からぶっ飛ばせ!」

「はい!」


赤髪の指示に騎士達が素早く自分の持ち場へと動く。

赤髪は土ドラゴンの尻尾の攻撃を避けるように後方へ飛ぶと、壁を利用して飛び上がり、剣に体重を乗せて土ドラゴンの背中に突き立てた。全ウエイトを乗せたトドメにも使える致死性の高い攻撃だ。だが、土ドラゴンの鱗は想像以上に堅く、ダメージを与えるどころか剣の刀身が割れてしまった。

壊れた剣に赤髪は舌打ちし、休む間もなく攻撃の回避行動へと移る。

素早い移動はラナの目で追うのがやっとだ。

赤髪の指示を受けたグレンとレッドが土ドラゴンと赤髪の間に割り込むように移動し、氷の塊を宙に浮かべて土ドラゴンへと撃ち込んだが、鱗がそれを跳ね返す。

ならばと足元を凍り付かせようとするが、凍り付く前に土ドラゴンが氷を壊してしまうため、氷付けにすることさえ出来ない。だが、隙は作れた。

仲間が足止めをしている隙に後方へと下がった赤髪は、他の仲間から渡された回復ポーションを一気に煽ると、空瓶を床へと放り投げる。

そして、後援であるマーシーが詠唱で魔法を発動すると、転がった瓶を巻き込みながら、瓦礫と本、パイプが次々と風の渦に呑み込まれるように巻き上がり、吹き上げの天井ギリギリまで吹き飛ぶと、地面に向かって真っ逆さまに落とされた。

パイプは次々と地面に突き刺さり、ついでに瓦礫の塊が飛び石のように降り注ぐ。

沢山の欠片がラナを襲った。

パイプがざくざくと地面に突き刺さる様はまるで地獄のようだった。間違って串刺しになろうものなら、あっという間にあの世行きだろう。

砂埃の中で目を凝らす。すると、土ドラゴンのシルエットが砂の中に浮かんだ。

爆音と衝撃は土ドラゴンの神経を逆なでしたようだ。ただでさえご機嫌斜めな土ドラゴンは、怒りを放出するかのように大口を開けると、今までで最大の咆哮を上げる。

衝撃波がラナ達を襲った。

吹き飛ばされた瓦礫の欠片が肌を傷つける。

凶器と化した石や本棚の破片を浴びてもラナがかすり傷だけで澄んだのは、いつの間にか移動していた赤髪がラナを背に庇ったからだろう。

ありがとうとお礼を言うべきだが、今はお互いに言っている暇も聞いている余裕も無い。

騎士達は衝撃波を浴びながらも、土ドラゴンを囲む陣形を崩さない。そして、彼らは張り詰めた空気が異様な振動を帯びたことを察し、警戒するように殺気を強めた。

土ドラゴンも不穏な空気に気がついたようで、興奮したように声を上げる。

しかし、その行為は命取りだ。


「…なんだ、コレは…」


誰かの驚きの声が微かに聞こえる。彼らの目に映るのは、崩れた建物と、興奮して鳴き続ける土ドラゴン。そして、まるで自らの意思を持ったかのように左右に激しく振動する、地面に突き刺さった無数のパイプだった。

振動は土ドラゴンに反応するかのようにその激しさを増し、耳を塞がなければ耐えられない音を発する。

何かが起きているのは可視で分かるが、何が起きているかを理解するのは難しいだろう。

だが、騎士達は頭ではなく肌で感じ取った。これはヤバいと。


「結界を張れ!」


赤髪が叫んだ。

その号令を合図に、騎士の何人かが両手を前に出しながら詠唱を行う。

作り出された結界は、パイプごと土ドラゴンを囲うように張り巡らされたが、それでも音は防ぎきれない。


「魔力が尽きるまで結界を作り続けろ!!」


赤髪の視線は土ドラゴンから離れない。

騎士達は何枚もの結界を地層のように重ねて作り上げ、そして……その時を迎えた。

限界まで膨らんだ音が、パンパンに膨らんだ風船のように破裂したのだ。

風船などと例えたが、破裂の衝撃は凄まじく、爆発と表現しても間違いでは無いだろう。

衝撃の直撃に結界が割れる。重ねた結界が内側から破壊されていく様は、なんとも不思議で美しい。

ガラスや氷が割れるときとも違う。割れた箇所から薄い光がホロホロと崩れるのだ。

ただ、結界の内部が土ドラゴンの血と内蔵でグロテスクなことになっているため、美しさに見惚れるのは難しい。

騎士達が必死に作り上げる結界が、破壊の速度に追いつかない。その顔に焦りの色を浮かべると、結界を補助するために氷魔法が発動された。分厚い氷で結界を包み、なんとか衝撃を封じ込めようとする。

騎士達の危険を顧みない勇敢な行動は、見事に成果を上げ、衝撃波を相打ちで防いだ。

最後の氷がはじけ飛び、カラカラと音を立てながらタイルの上へと降り注ぐ。ついでに土ドラゴンの血と肉塊と蔵物も降り注ぎ、足元へと散乱する。

見事な勝利だ。

赤髪が結界を張らさせなかったら建物が半壊していたかもしれない。ここまでの力量が生まれると予想していなかったラナは、赤髪の機転に心の底から感謝した。


(それにしても、どうして土ドラゴンがこんな所に現れたんだろう……)


うーんと唸りながら首を捻る。

疑問は尽きないが、土ドラゴンの姿はドラゴン図鑑に描かれた通りだった事に感動もした。足の爪は鍵状で黒色。ドラゴン属性にしては珍しく獲物を丸呑みするため牙以外の歯がほとんど生えていない。背骨の上のちょっとした尖りは、進化と供に退化した背びれの名残。好物は山羊で、鱗は鋼鉄よりも堅く、防具の材料として重宝される高級品だ。

ラナはこんな事態でなければ土ドラゴンの雄雌の見分け方を試してみたかったのにと心の中で愚痴をこぼす。

国内に生息していない生き物だからこそ、もう二度と出会うことはないだろう。

ラナはローブのフードを被ると、足元に転がる土ドラゴンの鱗を拾い上げる。とても軽く、空に透かすと色はなく半透明だ。この鱗が騎士達の全力の攻撃を防いでいたと思うと、なんとも凄い。


ラナが鱗を透かしながら感銘の声を上げている同じ場所で、騎士達は土ドラゴンの残骸を前に勝利の歓喜の声を上げる事は無かった。

彼らの顔に浮かぶのは、「何が起きた」という疑問だけだ。

剣も槍も効かず、魔法攻撃も大したダメージが与えられなかった土ドラゴンが、パイプを地面に突き刺しただけで木っ端微塵に吹き飛んだのだ。例え自分の目で見た光景であっても、すぐには受け入れられない事実だろう。

それは赤髪も同じだ。無言で土ドラゴンが居たはずの場所を眺めると、背に庇ったままのラナを振り返る。しかしそこにラナはおらず、赤髪は慌てて左右へと視線を彷徨わせる。彼が見つけたラナは、すでに鱗に興味を失い、散らかった本を拾い集めていたのだった。

赤髪はそんなラナの姿に難しい顔をしてこめかみを押さえる。そして、すぐに気を取り直して歩き出すと、本を抱えながらかがむラナのフードを引っ張った。


「わっ!」

「お前、一体なんの魔法を使ったんだ?」


赤髪の問いかけにラナは目を丸くする。

どうやら彼はラナが何かしらの魔法を使ったのだと勘違いしているようだ。

ラナはフードを捕まれたまま首を横に振る。赤髪はラナの反応に眉間に深い皺を寄せ、怖い顔を作った。


「禁忌の魔法でも使ったか。どこの血筋だ?なんの魔力をもっている。名前は?」

「ラナ・クロードです。私は魔力持ちではないので、魔法は使えません」

「馬鹿を言うな。魔法が使えないとしたらさっきのはなんだと言うんだ」

「共鳴振動という現象です。魔道具に使われる、威力増幅の原理を応用しました」

「現象?」

「音はそれぞれに形があって、違う音であっても同じ形をした物があるんです。形が同じ物を上手く使えば効率的に威力を上げられる。増幅を止めなければ耐久に限界がきて壊れる」

「……言っている意味が分からない」

「本には書いてありましたよ。コントロールが難しいので、開発は頓挫したようですが」


ラナは難しい顔のままの赤髪を見上げた。

そして、思い出したかのように頭を下げる。フードを持たれているために深く下げれなかったが、それは仕方ないだろう。


「さっきは庇ってくれてありがとうございました。えっと……」

「ヒートだ。ヒート・トラバグリア。魔法を使っていないというのは本当なのか?クロード家は魔力持ちの家系のはずだが……」

「魔力持ちの両親から魔力を持たない子供が生まれることも稀にある事です」

「それもそうだが……」


ヒートは徐にラナの顎に手を当てると、自分の魔力を流し込んだ。

魔力持ち同士であれば、触れた箇所に魔力を注ぐと、お互いの魔力が干渉するらしい。だが、ラナは魔力を持っていないため、強い魔力を注がれても何も感じることはない。

干渉が起きないことでラナが本当に魔力を持っていないと分かったヒートは、顎を持った手を離すと、そのままラナの頭にポンと置いた。

それはきっと、彼なりにラナを慰めたからだろう。

どこの国でもそうだが、魔力を持つ人間と持たない人間では、圧倒的に持っている人間の方が重宝される。強い魔力を持つ者はより貴重で、魔力が強ければ強いほど、より高い地位に就くことが出来るのだ。


そして、魔力は血で継承される。つまり、魔力を持つ者の子供は魔力を持って生まれ、魔力を持たない者の子供は魔力を持たないのが、稀に神様の悪戯のように逆の事態が起きることがある。

魔力を持たないはずの子供が魔力を持って生まれ、魔力をもつはずの子供が魔力を持たずに生まれる。

原因は分かっていないが、この現象を人は「神の悪戯」と呼んだ。

名字持つ上流階級は何かしらの魔力を持っているのが当たり前の世界で、ラナのような魔力を持たない人間は肩身が狭い暮らしを送る羽目になるのを、彼は知っているのだ。


(優しい……)


ヒートの手が触れた頭を手で触れながら、見た目に反して優しい男を見上げる。

ギャップ萌えがあるのなら、今のラナはまさにそれだろう。

ヒートは首の裏を掻きながらラナを見下ろすと、集まってきた騎士仲間たちに向き直った。


「怪我人は?」

「軽傷ばかりです」

「それは良かった」

「あの隊長。そちらの方はどのような魔法を使われたのですか?」

「こいつは魔力を持っていないらしい」

「そんな馬鹿な!」

「あの強力な爆発は魔力がなければ起こせませんよ」

「俺もそう思ったんだがな……」


大柄の男達に囲まれて、ラナは居心地が悪そうに唇を引き結ぶ。

彼らに悪意はないが、こんなに大勢に囲まれて注目を浴びる機会はそうない。ヒートはまだ納得いかないという顔をしていたが、ラナの魔力がないことは自分自身で調べ済みのため、無理矢理に納得させるように肩を小さく落とした。

そして、再びラナのフードを掴んで歩き出す。


「わ!な、何ですか?」

「怪我の手当をする」

「大丈夫ですよこれくらい。それより早く本を片付けさせてください」

「床の補修と建物の強度を確認するまでは誰であっても立ち入り禁止だ」

「えー!!そんなー……それなら、立ち入り禁止が決まるまで作業を……」

「今この瞬間をもって立ち入り禁止だ」

「それは横暴じゃ無いですか-!」

「王国騎士団の権限だ」


連れて行かれないように地面にかかとを立てて踏ん張るが、ラナの抵抗などヒートにとっては子猫の威嚇くらいにしか感じないのだろう。

面倒くさいとばかりに小脇に抱えられてしまう。ラナは拾ったままの本を落とさないように両手に抱えながら、荷物のように連れて行かれる羽目になったのだった。


「えーっと隊長さん。こんな傷くらい小回復ポーションで治ると思うんですよね。だから隊長さん自らわざわざ医務室に運んでくださらなくても大丈夫ですよ。あ、ありがとうございます。でもこれ中回復ポーションですよ。勿体なくないんですか?」

「良いから飲んでおけ」

「このままだと飲みにくいです」

「……」

「聞いてますか隊長さん。隊長さーん」


ヒートから渡された小瓶を思わず受け取ったラナは、書かれたラベルを見て目を丸くする。それは一般的に流通している小回復ポーションと違う中級ポーションだった。騎士団長の彼は、いつ何が起きても対処できるよう常に携帯をしていたのだろう。

結構な値段がするため、安易に受け取るのは躊躇われるのだが、返却は受け付けられそうにない。

小脇に抱えられたまま両手に本を抱えているラナは、瓶を受け取れはするものの、飲むには少々体勢がキツい。

しかしヒートはラナの話を聞かずにどこかへとズンズン進んでいく。足の長さの違いなのか、自分で歩くよりも幾分も速度が速い。

筋肉隆々ではないが、しっかりと筋肉が鍛えられた男の小脇から逃げることは難しそうだと判断したラナは、早々に逃亡と説得を諦め、大人しく景色を眺めはじめた。

だが、どう考えてもヒートの向かう先に馬が居る。

騎士達がここまで駆けつけるために使った馬は、先ほどの死闘など全くなかったかのように、のびのびとした様子で寛いでいて、その中の1匹がヒートの指笛に呼ばれて駆け寄ってきた。ヒートはすり寄ってきた馬の首を撫でると、その背の上にラナを放り投げた。

ローブを掴まれたので転がり落ちずに済んだが、乗せるなら乗せるでもっと丁寧に扱って貰いたいものだ。


「こんな時でも本を離さないんだな」

「当たり前じゃ無いですか。バカにしないでください」

「馬鹿にはしていない。関心しただけだ」


ヒートが馬に乗り、馬の背にしがみつくラナの脇に手を入れ座り直させる。

ラナは両手がふさがっているため、馬から落ちないように後ろのヒートの胸にしっかりめにもたれ掛かった。

途中でポーションの存在を思い出し、馬が走り出す前に急いで飲み干す。


「あの、私はどこに連れていかれるんですか?」

「さっきの現象とやらに興味を持ったヤツがいる。お前を連れて来いとの命令だ」

「それってテレパスですよね。精神関連の魔法はかなり高度なので、相手は偉い人なんでしょうね」

「察しが良くて助かる」

「私はこれからどうなるんですか?」

「悪いようにはならないだろう」

「悪い予感しかしないので、どうにか逃がしてもらませんか?」


ラナのお願いは当たり前のように受け入れられなかった。

溜息をこぼしたラナを乗せて馬が元気良く駆けだしていく。偉い人がどんな用件でラナを呼びつけたのかはわからないが、ヒートに名前を名乗った時点で逃げることなど不可能だ。

諦めの胸中で馬の背に揺られながらたどり着いたのは、図書館からそれほど遠くない城の敷地内だった。

勿論、ラナは城内に1歩たりとも入ったことは無い。

首が痛くなるほど見上げなければならない門をくぐり、衛兵さんの不審そうな目線を浴びながら城内を進む。

壁で区切られた城の中と外は、びっくりするくらい世界が変わった。

とにかくデカい。広い。美しい。

滅多に見られない光景に好奇心が刺激される。歓声を上げながら左右に首を巡らせたラナは、馬が止まるまでヒートの存在を完璧に忘れ去っていた。再びヒートの存在を思い出したのは、馬から下ろして貰った時だ。


「ありがとうございます。あ!小脇に抱えなくても大丈夫です。自分で歩けますし、逃げません」

「遅れるなよ」

「頑張ります」


また小脇に抱えられそうになったラナは、慌ててヒートから数歩距離を取る。

ヒートが簡単に諦めたのは、逃げないことを悟っているからだ。ラナがクロード家の一員なのは自己紹介で判明しているため、逃げても意味がないとも言う。


「ここはどこですか?」

「城だ」

「それは分かります。もっと細かい分類でお願いします」

「細かく分類した事がないから分からん」

「隊長さんが大雑把な性格なのだと理解しました。わわっ!」

「遅い」

「小脇に抱えるなら抱えるで、せめて一声かけてください!」


早足で後ろを追いかけていたラナだったが、ヒートにとっては鈍足だったようだ。

待っていられないとばかりに抱えられ、長い廊下をあっという間に通り過ぎていく。


(荷物扱いは不本意だけど、これはこれで楽かも……)


体力を一切使わなくて済むこの移動手段は、中々に快適だ。

不便な点があるとすれば、人目を集めてしまうことと、行き先が自由に決められない所だ。

自らの意思とは関係なくラナが到着した先は、衛兵が守る木製の扉の前だった。衛兵はヒートと顔見知りのようで、止められることなくノックをすると、返事と同時に扉を開ける。


「入るぞリッド。こいつだ」

「わざわざ悪いなヒート」

「そう思うなら戦闘中の意識に紛れ込んでくるな」

「悪いとは思ったが、あぁでもしなければ図書館の貴重な蔵書は灰と化していただろ?」


新しい人物の登場だ。

ラナは背中のローブを服ごと掴まれ、子猫のように前方に突き出される。

さすがに扱いが雑すぎないかとも思ったが、ヒートの顔に悪意は見えないため、素で良しとした行動なのだろう。

ラナは抱えた本を落とさないように抱きしめながら、視界を遮るフードを指で持ち上げる。

するとそこには木漏れ日で満たされた明るい部屋と、窓からの光を背に受け、まるで後光のように輝きを背負った光の化身が立っていた。

ラナはその光を目に入れると、ピシッと体を強張らせ、大事に抱えいた本を絨毯の上に落としながら体を捩ってヒートの手から逃れる。そして、たいそう慌てた様子でヒートの背中へと回り込んだ。

まるで魔物を前にした子猫だったと後にリッドが表現する俊敏さで、ラナはヒートの背中へと隠れると、落とした本の存在を思いだしたようで、しゃがんだ状態でヒートの足の間から本をかき集める。


「……知り合いかリッド?」

「いや、知らない」

「でも明らかにお前から逃げたぞ。心当たりは?」

「無い」

「本当か?」

「いくら疑われようが無いものは無い」


ヒートの疑いの目に、リッドは力強く断言する。潔いほどの即断だ。

彼はリッドの困惑ぶりから、本当に心当たりがないのだろうと察したが、それにしてはラナの態度がおかしい。

ヒートは視線だけでもう一度リッドに心当たりを訊ね、リッドは肩を竦める仕草で否定をした。


「……おいチビ、どうしたんだ?」


ヒートは自分の背中の裏で本を抱えて蹲り震えるラナを振り返り、その怯えように様々な原因を考えた。

過去に何かしらのトラウマを抱えていたとしたら、悪いことをしてしまったと、彼には珍しく申し訳なさそうに表情を歪める。

魔力持ちでないラナが魔力持ちの一族の中で悲惨な扱いを受けていた可能性もあるからだ。

中には殴る蹴るではない暴力を受けていたこともありえる。その相手の背格好がリッドに似ていたとしたら、ラナの怯えようにも納得がいった。

だからこそ、ヒートは震えるラナを見下ろすと、頭を掻きながら幾分か穏やかな声色を心がけるように口を開ける。

ラナはフードの上から頭をポンと撫でられると、ビクッと大きく肩を跳ね上げた。

そしてヒートのズボンを本を持っていない方の手で握りしめると、涙混じりの声でこう言った。


「光属性は駄目なんです!!」

「は?」

「本当に光り属性は駄目なんです!私、根っからの闇属性なので!!」


ラナは間違いなく必死だった。必死に訴えていた。

光から自身を守るようにフードを深く被り、盾のように本を抱え、助けを求めてヒートにすがりつく姿は、演技などでは無い。

だが、ヒートとリッドは「ん?」という顔をしてお互いの顔を見合わせる。


「……チビ、お前…魔力持ちじゃ無いだろ?」

「持ってません。魔法属性ではなく、生態属性です-!!」

「は?何だそれ」

「光の中に居るのが苦手なんです!光に満ちた人も苦手なんです!!私を暗闇に戻してくださいーー!!」


後半は絶叫にも近かった。

ヒートは無視できないほどの力でズボンを握りしめるラナをたっぷり数秒見下ろしてから、前に立つリッドに目を向ける。

リッドもリッドでラナの主張の意味を理解しかねているらしく、腕を組みながら首を傾げていた。


「生態属性って何だ?」

「俺に聞くな」

「お前、光属性なのか?」

「違うことはお前もよく知ってるだろ」

「確かに……」


気持ち悪いくらい互いに見つめ合い、それから2人の天井は揃って天へと向けられる。

意味不明だからこそ、思わず天を仰いだとも言う。

ヒートは闇に返してぇー!と意味不明な主張を繰り返すラナをベリッと引きはがすと、自分の目線に合うように首根っこを掴んで持ち上げた。

縋るものがなくなったラナは、本を目隠しのようにして、ヒートの裏にチラチラと見えてしまうリッドを視界から消す。

ヒートはきちんとラナと目線があうように邪魔な本を手の平で押し下げ、ラナの視界を強制的に広げたのだった。


「眩しいっ!溶けます!」

「お前はアンデットか」

「似たようなものです!光属性に当たり続けると最終的に溶けます!」

「リッドが光属性で駄目だとしたら、俺は何だ?お前、俺のことは平気だろ」

「隊長さんは熊属性だから平気なんです!キラキラした人が駄目なんです!キラキラに網膜が焼かれるんです!」

「……熊…」


涙目のラナに熊呼ばわりされたヒートにリッドが吹き出した。

手で口元を押さえて笑みを殺そうとしたが、隠しきれなかったのだ。リッドはすぐに取り繕うように澄ました顔をしたが、ヒートの額に青筋が浮かぶ。

ヒートは真顔でラナの本を奪い取ると、両手の開いたラナを再びリッドに向かって突き出したのだった。


「ぎゃーー!!溶ける-!!」

「浄化されろ」


手足をバタバタと動かしても、しっかりと首根っこを掴まれているため逃げれない。

目の前のキラキラする光の化身を前にしたラナが出来ることは、顔を隠すためにフードを両手で引っ張り下げる事だけだった。


「……この子、大丈夫なのか?」

「まだ短時間しか付き合いがないが、大丈夫では無い奴だ」

「俺のどこが光属性なんだ」

「さぁーな。そのいけ好かない整った顔のせいだろ。無駄にキラキラしてると令嬢達の間で噂されてたぞ。中身はとんでもない腹黒なのに笑えるな」


嫌みったらしさ満開のヒートの嘲笑に、リッドは生まれつきの顔なのだから仕方ないとサラリと言ってのける。

リッドの整った顔を飾るのは、太陽に透ける金色の髪に白い肌。色素の薄い茶色の瞳だ。

薄い体毛が日の光を反射するため、キラキラと光って見え無いことも無い。

騎士団で毎日のように鍛えられているヒートとは違うが、リッドも剣術を学んでいるため、スラリとはしているが、男らしく線はしっかりしている。

対して闇属性を自称するラナは、小柄で色白だが髪は黒い。顔はどんなだったかと、ふと思ったヒートは、ラナを地面へと降ろすと、逃げようとする彼女のフードを引っ張ったまま、ガシッと片手で細い顎を掴んで顔を上げさせた。

手加減はしているはずだが、基準となる力加減がヒートとラナでは違うため、ラナは首をグギッと音を鳴りそうな程に伸ばし、踵を浮かせる。


「クロード家特有の青目だな」

「い、一応、クロード家の人間ですから」

「覚えとけチビ。青目は「まるで清らかな泉のような美しさ」と言って口説かれる。恒例だからな。そういう男は止めとけ」

「き、をつけます」

「まぁ、お前のは泉というよりガラス玉だな。青と言うには色が薄い」


無骨な手に顎を掴まれているため、つま先立ちのラナはのぞき込んでくるヒートの顔を間近から見なければならなかった。

こんなにマジマジと瞳をのぞき込まれたことはないが、ヒートの視線には興味の二文字だけが浮かんで、それ以外に他意は感じられないため、不快には感じない。

ラナは大人しく瞳をのぞき込まれていたが、「お前も見るか?」と肩を掴まれグルッとリッドの方向へと体を向けられると話は別だ。

ぎゃっ!!と潰されたような叫び声を上げたラナは、フードの端を掴んでリッドから顔を隠す。


「光属性は無理なんですぅ……」

「だそうだ、リッド」

「分かった。話が進まないからもうそのままで良い。とにかく図書館での「現象」とやらの正体を知りたい」


リッドは対面で話し合うことを諦めたようで、額を手で抑えて呆れた顔をした。

ヒートが手の力を緩めると、ラナは鈍足には似合わない俊敏さでヒートの後ろへと回り込む。どれだけ生態光属性やらが苦手なんだよと苦虫を噛み潰したような顔をしたヒートだったが、ラナがそんな状況でもしっかりと本だけは離さない事に気がつき、その根性さに小さく笑ったのだった。







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