ヴェンドニア戦記 3
雪解け、春の到来を待ち俺とハンスはそれぞれ従者を1人ずつつけて男爵領へ向かった。
全員が騎馬(ルドルフとハンスは軍馬、従者は駄馬)ではあるが、旅荷も多く、休息日も十分にとっているため歩みは遅い。
往来のある道は乾いているが、街道脇の森には雪がまばらに残っており、風が吹くたびにバサリと落雪の音が響き渡る。
東に向かうにつれ冬の気配は色濃く残っているようだ。
「この辺りはまだ寒いな。昨晩の宿もカラス麦の粥だった。小麦はあまり育たないのかもしれない」
「王都から20と4日。まだ雪が残るところを見るに冷える土地なんだろうよ」
王国ーー東レグルム王国東方は未開の土地だ。
深い森には神の教えを知らぬ蛮族が潜み、時に文明の光を求めて人里を襲うという。
(話半分だとは聞いていたが、こいつは本当に出るかもしれんなあ)
俺は生まれも育ちも王都。
戦や所用で旅をしたこともあるが、それは王国から西や南、文明のある世界の話だ。
東レグルム王国は400年前に成立し、分裂を繰り返したレグルム王国の後継国家の1つである。
世界地図の東端に位置し、さらに東ともなればそこは『世界の外』だ。
その王国にあってバッヘルベル男爵領はさらに東端。先はまさに人の住まわぬ奈落の底なのである。
さすがに巨人や悪しき竜を信じるほど初ではない。
しかし、神の教えを阻み続けた山河や深い森には恐怖を感じる。
「……だが、ここから先は誰のものでもなかろう。拓けば見える全てがメーベルトのもの。村の1つにハンスの城と名づけてやろうか?」
「ははっ、蛮族の土地を前に皮算用とは我が兄は豪胆だ」
俺は内心の怖じ気を悟られぬように壮語を吐き、冗談を口にする。
ハンスは全く恐怖を感じないようだが、これは王都へ帰る者の余裕だろう。真剣味が感じられない。
「今日はホッホ伯爵の城館に向かう」
「おう、ロルフ・フォン・ペヒシュタイン・ホッホ伯爵だな。この辺りの旗頭だ。いざとなれば兄貴も臣従するかもしれないぜ」
ホッホ伯爵は東レグルム王国が辺境地域を支配した戦役で活躍し、この地に封じられ成立した伯爵家だ。その広大な土地を伯爵家が親族や腹心に分配した。
それゆえにこの地方の大半は王国の直参ではなく、ホッホ伯爵の傘下となる。
バッヘルベルの場合はホッホ伯爵家とは別に、地元の豪族が王国に仕えて爵位を下され成立したので直参の男爵領となったようだ。
だが、防衛戦争などで支えきれなくなれば、ハンスの言葉通り伯爵の家来になって守ってもらうことも十分にありえる。
君臣関係は契約なので、王と伯爵の両方に仕えても矛盾はない(両者が争った場合も、それを想定した契約を取り決めるのだ)。
ただ、仕えるべき君主が増えるとややこしいので、できれば勘弁願いたい。
「頼もう! 我らはルドルフ・フォン・メーベルト・バッヘルベル男爵と王に仕えし騎士ハンス・フォン・メーベルト。バッヘルベル領への旅の途中、当夜の宿をお借りしたい!」
俺がホッホ伯爵の城で呼び掛けると、石造りの城壁の窓から「待たれよ!」と声がかけられた。
高い石壁に深い堀、見張り櫓も備えた立派な城塞である。
小さな城下町も形成されており、いかにも有力者が治める城といった風情がある。
「大した威勢のようだ」
「ああ、顔繋ぎができたのは良かったんじゃないか?」
貴族が旅で宿を求るとき、基本的にはこうして地元の領主や地主を頼るものだ。
旅人は安全な宿と食を得て、家主は客人から噂話など情報を得ることができる。両者に利益があるのだ。
それに見ず知らずの宿屋は客に危害を加える泥棒宿も多いので避けるべきである。
「お待たせしました、どんぞこちらに」
「かたじけない、ご城主の慈悲と神に感謝を」
俺たちが下馬をして待つと門がひらき、たくましい騎士が俺たちをいざなった。
こうした領主に仕える騎士は世襲であることも、平民から叙任されることもあるため貴族とは言いがたい。
(ふむ、やりそうな騎士だな)
この騎士はブーツに立派な拍車をつけており、軽輩でないのがうかがえた。おそらくはひとかどの武人である。
年のころは俺と同じくらいだろうか。赤い髪を高い位置で縛った鷲鼻の強面である。
(従える兵士も強そうだ。よく鍛えてある)
城門を潜ると城壁の分厚さと城兵の精悍さに驚いた。
ペヒシュタイン城、さすがは東にあって異民族に対する最前線をささえた名城である。
騎士の先導で城の広場へ向かうと赤い髪の馬丁が「お預かりしますだ」と俺の手から手綱を受け取った。
辺境という土地柄か、人々に妙ななまりがあるようだ。
「あちらの井戸をお使いくだされ。従者は兵舎に案内いたしますだ」
「かたじけない。卿の名をお聞きしたいのだが」
たくましい騎士は「リシャルド・グルシュカ」と素っ気なく名乗り、従者を案内に向かった。
紋章官をしていた俺でも聞きなれない姓名だ。
「へえ、珍しい響きだな」
「ああ、改宗した異郷の騎士かもしれんよ」
俺とハンスは広場の井戸を借り顔や靴の旅塵を落とす。
宿を借りるマナーである。
「貴殿が新たなバッヘルベル男爵か! よくぞ我が城を訪れてくれた!」
しばし待つと恰幅のよい男に声をかけられた。
年のころは40才前後か。
中背だが肩幅や腹回りが大きく、脂でテカテカと光る鼻にふっさりとしたアゴヒゲはいかにもエネルギーに満ちている。
おそらくはホッホ伯爵だろう。
「私は曾祖父より襲爵しましたルドルフ・フォン・メーベルト・バッヘルベル。こちらは弟、メーベルト当主ハンス・フォン・メーベルト。伯爵閣下にはお初お目にかかります」
「おお、いずれも頼もしき武者ぶりよ。老男爵にこのような美々しき族子らがおられたか。このロルフ・フォン・ペヒシュタイン・ホッホ、貴殿らを歓迎するぞ!」
互いに名乗ると、伯爵が両手を大きく広げ、俺と抱き合った。
この中では伯爵が格上ではあるが、気を使ってもらったのだろう。偉ぶらず気さくな人柄のようだ。
「今日は新たな友人を迎えた喜ばしい日だ。野バトと鯉を料理させよう。このあたりは鯉の養殖をするのだよ」
「そうですか! 恥ずかしながら土地のことは何も知りません。是非ともお聞かせください」
伯爵に促され、広間にて家族を紹介された。
大きなヘラジカのトロフィーとタペストリーが飾られ、床には藁が敷き詰めてある。少しばかり古くささーー良く言えば伝統を感じる広間だ。
伯爵の家族は奥方と娘が2人、それに長女に婿がいるらしい。長女と婿は伯爵の名代として王都に滞在中のようだ。
次女はまだ13才、俺かハンスのどちらかに嫁がせたいと伯爵にからかわれて赤面するようなあどけない少女である。
「バッヘルベル男爵は結婚などはお考えかな?」
「いずれ……領主として落ち着いてからと思っていますが、もう少し後でしょうか」
俺は27才、独身主義と言われても仕方がない年齢になってしまった。
以前には俺にも婚約者がいたようだが、1度も会わずして流行り病で亡くなってしまったそうだ。
幼くして子供が亡くなることはよくあることだが、俺が結婚しないことで『婚約者を亡くしながらも貞節の教えを守っている』『ゆかしき心意気』などと褒められるのだからついつい放置し、今に至る。
今回もこの話をしたら奥方と令嬢は大変感銘を受けたようだ。この話は女性ウケがいい。
しかし、領主ともなれば妻を迎え、家を維持するのは義務。
俺も相手を探さねばならない。
「そうですな、やはり男爵は近くの領主から娶るのが良いでしょう。いざとなると援軍は必要ですからな」
「なるほど、やはり異教徒の侵入はありますか」
俺と伯爵はつい、政治や領地の話ばかりに熱中してしまう。
奥方と令嬢が退屈しなかったのは如才ないハンスの話術と機転ゆえである。
伯爵のもてなしはすばらしく、大きな鯉をラードで揚げたもの、野バトのパイ、蜂蜜酒など当地風の料理の数々に俺とハンスは舌鼓を打った。
こうした食事ひとつにしてもホッホ伯爵の威勢のほどがうかがえる。
「実に愉快だ。この新たな友誼と男爵の前途を祝って何か贈りたい。遠慮をせず必要なものを言ってくれ」
この伯爵の言葉を受け、俺は少し考えた。
(援助の申し出か……金や食料が一般的なのだろうが、援軍の約束もありえるか。下手なことは言えんな)
領地を見ていない現状で何を望むのか、これは俺の統治方針を試しているのだろう。
新任男爵を援助することで恩を売り、シンパを増やして自らの声望を高める効果もある。
この伯爵のふるまいは地方の大貴族として実に正しい。
「……人でしょうか。領地を守るのも、土地を耕すのも人です」
「なるほど道理だ。ならばうってつけの者がいる。リュギア族の者らが我が領に身を寄せている。ああ、リュギア族というのはだなーー」
伯爵によると、どうやらひとまとめに東方蛮族と呼ばれる異教徒どもも一枚岩ではないらしい。
色々あって追い出された一族が伯爵の食客をしているようだ。
「なるほど。上手く使えば介入することもできる、と?」
「ははっ、男爵は野心家だな! 明日の出立までにはリュギア族とも引き合わせよう」
この夜はこれで終わった。
俺とハンスは客間に通され、寝藁が良く干されたベッドで横になる。
まさに下にも置かない待遇といってよいだろう。
「どう見た、ハンス?」
「まあ……隣の領主と仲良くできるのはいいことさ。ただ、露骨に取り込もうとするのは気に食わんね」
ハンスは少しーーいや、かなり不快げだが、伯爵の前ではニコニコとしていたのだから大したものだ。
俺よりよほど宮廷遊泳は得意そうである。
「大に取り込まれるのも悪くはないが……雨よけに寄る大樹は選ばんとな。なぜ目下に気を使ってまで仲間を増やそうとする?」
「そりゃ、近々大きな戦でもあるか、もしくは……」
ハンスはそこで言葉を切った。
盗み聞きされては困るからだ。
「くくっ、野心家は大勢いるものだな」
「俺のような正義と忠誠の騎士からすればたまらんね。近くの領主から嫁をとれと勧めたのもそれだろうな」
ハンスが指摘するように近隣の領主とはホッホ伯爵に仕える者ばかりである。
つまり『いざと言うときに備えて近場の領主から娶れ』とは、傘下に入れば守ってやると匂わせたのだろう。
(お隣さんとは仲良く、か……)
考えすぎるのは良くない。
俺は思考を止め、目を閉じた。
目を閉じると、旅の疲れからかすぐに眠りに落ちるのを感じた。
とりあえずここまでにしときます。
こういうのが求められてるのかしら、という下心で書いてうまく行かなくなった気がします。