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閻魔堂夜話

ホラーの習作です。


三重県北勢地区に西光坊という寺がある。


いずこかの宗派に属するというわけではなく単立寺院だが、古くから信仰を集めており檀家は200軒にやや満たず。

本堂は七間四方の立派なもので、庫裏や書院と墓地を備えたごく一般的な地方のお寺である。

少し変わったところがあるとすれば、墓地に建立された古い閻魔堂と――





世の中はスマホが普及する少し前、平成の中ごろの話であろうか。


西光坊の住職、蓮行(れんぎょう)が本堂での夕事(ゆうじ、夕方のお参りのこと)を済ませて立ち上がると、背後から「若院(じゃくいん)さんはよいお声だねえ」と声がかけられた。女の声だ。


ちなみに若院とは年若い僧侶への敬称と考えてよい。


「お(かじ)さんか。若院はよせ、俺はもうじき32になる」

「あれ、褒めてあげたのにそのような憎まれ口を」


いかにも嬉しげにころころ(・・・・)と笑う女性――お梶というらしい。

美しいが、どこか存在感が薄く、水面に映る白い影のような印象の女だ。

見ようによっては少女にも……初老にも見え、外見からは年齢をまったくうかがい知ることはできない。


「いまどきお夕事に漢音で阿弥陀経を読むお寺さんは貴重ですよ、我々にはありがたいことじゃないですか」

「ふん、そんなものか」

「ええ、そんなもの……特に蓮行さんのは朗々としてお声がよい」

「まあいい、久しぶりに顔を見たのだ、茶でも淹れよう」

「あれ、悪いねえ」


口では「悪い」などと言うが、お梶には悪びれる様子というものがまるでない。


蓮行が番茶を淹れるころには、いつの間にかお梶の姿は書院(お寺の客間)に移っている。

そのことが不思議とも思わぬのか、蓮行はお梶の向かいにどかりと胡座をかき、湯呑み茶碗が2つ置かれた丸盆を差し出した。


「香典返しの番茶だがな、茶は茶だ」

「ほほ、蓮行さんは僧のわりには好みにうるさいこと」


2人は気安い関係らしい。

しばし茶を飲みながら意味のない会話を続け、不意に「ところで」と蓮行が話題を変えた。


「何が起きたのだ?」

「あれ、話の早いことで。出たんですよう。イツマデが」

「ふうん、イツマデね」


イツマデとは鳥の姿をし、人の顔を持つ妖怪とされる。

死体を弔わず放置すると現れ「イツマデ、イツマデ」と鳴き警告を発する。

気味は悪いが人を襲うわけでもなく、死者への供養を怠ることで起こる災厄を防ぐため、益妖と考えてよいだろう。古くから記録のある人と関わりの深い妖怪だ。


「行こう。どこだね?」

「あれ、今からですか?」

「そうだ。急ぎだからお梶さんが来たのだろう?」

「うれしいこと。だから蓮行さんは好きさ」


お梶はにっこりと嬉しげに笑い「I坂ダム」と蓮行に伝えた。





I坂ダム――三重県Y市に造られた工業用水供給用のダムである。

沿周部には散歩道やサイクリングロードが整備され、日がある時間はそれなりに賑わうが、夜間に心霊現象を体験したという噂の絶えない知る人ぞ知る心霊スポットだ。


ここに、蓮行の姿があった。

日はとうに暮れ、他に人影はまったくない。

静かなダムの湖面に月が映え、明かりに乏しい暗闇の中で不気味に浮かび上がっている。


(ふむ、あれがお梶の言っていた山桜か)


散歩道に設置されたベンチ、その脇に半ば枯れたような色の山桜があった。

ただ、ベンチがある東家(あずまや)にはビッシリとカラスのような鳥が群がり「イツマデ……」と鳴いている。

カラスらは人の目をしており、通常のものでないと見て取れた。


(これはかなりまずいこと(・・・・・)になってるな。お梶さんが急ぐわけだ)


山桜は広く根を張り、蓮行一人で根元を掘り返すことは現実的ではない。

つまり、それほど長い時間放置されていたというわけだ。


蓮行は片膝をつき、じっと山桜の根元を観察する。

なにも見て取れるわけではないが「女か、むごいな」とつぶやき、顔をしかめた。常人には見えぬ「なにか」を知覚したらしい。


蓮行は立ち上がり、山桜に向かい持鈴を鳴らす。リン、と夜のダムに澄んだ音が響いた。


「一切は空であり、無常である。この場に留まるな」


蓮行は片手拝みのまま般若心経を唱え、最後にパチリパチリと三度指を弾く。

すると山桜はバキリと雷が落ちたように縦に裂け、根元になにやら白いものが現れた。

見る者が見れば、それが人骨であることは明白である。


「ゆるせ、日が昇れば見つけてもらえるだろう。警察でもない俺ができるのはここまでさ」


蓮行はそれだけを言い残し、踵を返す。

背後から「イツマデ……」と鳴き声が聞こえたが、蓮行が振り向くことはなかった。


その後、新聞の地方欄に人骨が見つかった記事が載るが、犯人逮捕にはつながらなかったようだ。ムリもない。

なにせ、人が白骨になるには長い時間がかかる。その長い時間が証拠というものを消し去ってしまったのだろう。

善悪の話ではなく、時の流れとはこうしたものだ。





7日後、蓮行が本堂で夕事を済ませると、ひたりひたりと人の気配がした。

女だ――髪や服は血と泥でボロボロに乱れ、折れ曲がった首がいかにも異様である。


「俺が戒名をつけ、懇ろに弔おう。成仏するわけにはいかんか」


蓮行が声を掛けるが、女は無言である。

そこに蓮行は女の迷いを見た。


「今さら祟っても苦しいのはお前さんだ。やめておけ、さらに苦しむつもりか」


女はじっと蓮行と視線を合わせ、にたりと笑うと、そのままこつ然と姿を消した。

蓮行はそれを見て「ふう」とため息をつく。


これ以降のことは、蓮行には分からぬことである。

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