老騎士拾番勝負2
(どうにも妙なことになったぞ)
伯爵の居城、その修練場でグスタフは困惑していた。
眼の前には年若き当代のクンツ伯ライマー2世、それと騎士ライナルト・ケンペ。彼もグスタフ同様に剣術大会の代表候補である。
他にも我こそはと名乗り出た剣士もいたが、このケンペが立候補したと聞きグスタフ以外は辞退をしたという。それほどの遣い手と目されていた。
男盛りの37才。鼻が脂でテカテカとした、見るからに精力的な大男だ。
「まさかアーレンスがな。どうした風の吹き回しだ?」
伯爵はいかにも興味ありげにグスタフに語りかける。
年少の折から見知ったグスタフが、こうした名利を求める気質ではないと伯爵も知っているのだ。彼にとってもグスタフの立候補は意外であったに違いない。
「いえ、さしたる理由はございません。領地は甥が継ぎましたし、当家にお仕えしてもさしたる働きもない老骨……退屈した老人の気まぐれにございます」
これはウソだ。
子のないグスタフが11年前にわずかばかりの領地を甥に譲ったのは本当だが、王都へ行く理由はララである。
(まさかに……俺が剣術の大会に行く話になっていたとは、うかつなまねをしてしまった)
あの後ですぐ、言葉の掛け違いに気づいたグスタフは王都へ行くことを取り消そうとした。
だが、孫娘同様のララから『王都を見せてくれるっていったじゃないか』『ウソをついたのか』と泣き真似ながらに訴えられてはグスタフも弱い。
『先生はウソつきだ!』
『何をいうか、ウソなどつかぬ』
『でも王都へ連れて行ってくれないんだろ?』
『連れて行くとも。俺も老いたりとて騎士、二言はない。ウソつきといわれては是非もない』
売り言葉に買い言葉というものだろうか、うまくあしらわれたグスタフは改めてララと約束をさせられてしまった。
騎士に二言はない――とは一種の理想像ではあるが、グスタフはララの前では立派な騎士でありたかったのだ。
別に剣術の大会に出場せずとも、暮らしぶりに余裕のあるグスタフならば物見遊山で向かうこともできたのだが……そこに気がつかぬのは仕方のないことだろう。
「つまらぬ謙遜はするな、アーレンスは我が家の守り神のようなものだ。祖父の命を何度も救ったと聞いておるぞ」
「戦場では相身互い、救い救われでございます」
先々代の伯爵は立派な騎士であった。若き日のグスタフは騎士としてのありようを彼から学び、身につけたのである。
10代、20代、戦場での日々はグスタフにとって過ぎ去りし青春の思い出でもあった。
「ふふ、そう言えるのがすごいのだがな。まあいい、要件は伝えたとおりだ。私は当家の代表としてアーレンスとケンプの2人を推挙しようと思ったのだが……」
伯爵がちらりと騎士ケンプへ目配せをする。
どうやらこのケンプは代表が2人ということに納得がいかず、グスタフと果し合いをしての決着を望んでいるらしい。
「アーレンス卿、一手ご指南をいただきたく」
「うん、久しいな。いいとも」
同じ主に仕える騎士である。互いに面識はあったが、剣を合わせるのは初めてのことだ。
修練場に剣士が2人。ことがここに至れば言葉はさほど必要ではない。
互いにサッと間合いをとり、剣を構え向き合った。無論のこと、力試しであるから真剣勝負ではない。木剣を用いるのが常識だ。
騎士ケンプは大上段に剣を構え、グスタフに一撃を加える機を窺っている。
これは相手を圧倒し、一刀両断する構えといってもよい。よほどの自信と覚悟があるのだろう。
定寸よりもやや短めの木剣を使うようだが、構えといい打ち込みの速さに賭けているのかもしれない。
ケンプの全身から『打つぞ、打つぞ』と剣気がほとばしっている。その気勢でグスタフに『小手先の防ぎを許さないぞ』と圧力を加えつづけているのだ。
(む、この若いの元気がある。よい気迫だ。十分に戦場でも働けるだろう)
グスタフはこれだけで騎士ケンプの手練のほどを見て取った。
大上段の構えは相手を侮るものではなく、騎士ケンプの厳しい修行と研鑽のたまものである。さすがに伯爵家を代表する剣士といえた。
一方のグスタフは身の前に剣を置く中段だ。
剣先をやや下げているが、てらいのない無難な構えといえる。静かに、だが相手につけいる隙を与えない構えだ。
これを見た騎士ケンプは『なるほど達人だ』と内心で冷や汗をかいた。
「エエェーイッ」
にらみ合うこと数分か、それとも数十分か、ついに騎士ケンプの剣が裂帛の気声と共に振り落とされた。
この剣はたしかにグスタフをとらえたと思われた。しかし、ケンプの剣は狙いをそれ、逆にピタリとグスタフの剣が眼前に突きつけられている。
「それは良くない」
グスタフが告げると騎士ケンプはガックリと膝をついた。眼の前で起きた事実を受け入れられないのか、わなわなと身を震わせている。
「一体なぜ……何が」
「剣を受けるのと、打ち返すのを同時に行うすべがある。これは『切り落とし』とよばれる秘剣だ」
「切り、落とし」
「相手の剣筋に、受けるでもなく躱すでもなく同じ軌道で斬り込むのだ。結果は見ての通りよ」
グスタフは事もなげに語るが、言うは易しである。
間合いを測り、タイミングを合わせ、同じ軌道で剣を振ればたしかに相手の剣を弾くことは可能だろう。
だが、遅くても早くても、間合いを測りそこねても成功しない――つまり、敵の刃が自らに届くことを意味するのだ。並の胆力では試すことすら叶わぬ神業といえよう。
この結果には側で見届けたはずの伯爵も目をむいて驚いていた。
「まいりました……しかし、いま一度、いま一度、ご指南いただけまいか」
「いいとも」
グスタフと騎士ケンプは再度向かい合った。構えは互いに中段、ケンプの顔色は緊張で固くなっているようだ。
そして再びグスタフは「それは良くない」と告げてピシリとケンプの小手を打った。