老騎士拾番勝負1
グスタフ・ベルノルト・アーレンスという老騎士は剣の名手だといわれている。
かつては主君の伯爵――当代からみて先々代だが、主君と共に戦場を駆け名をはせた。
だが世に戦が絶えて久しく、今や時おり若者に剣や騎士の心得を教えるのみの半隠居の身である。妻には若くして先立たれ、子供はいない。
彼の指導も穏やかなもので、剣を構える若者に「それは良くない」と声を荒げるでもなく伝えるのみだ。その手ぬるさから稽古を望む声も多くはない。
特にあなどられるわけでもないが、自然と世の中から取り残されるのは仕方のないことだろう。
日当たりの良い城の馬場で馬の調教を見守りながら、うとうとと居眠りをする……グスタフはそんな老騎士であった。
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「先生、聞きました?」
ある日のこと、グスタフは主語の欠けた言葉を自宅で耳にした。
声の主はラウラ・ハイメ、若い女性である。
独身たりとてグスタフも騎士、馬や武具の世話をする従者やハウスキーパーも必要である。当然、一人暮らしとはいかない。
このラウラはグスタフの元従者の一人娘だ。昨年、卒中で倒れた父の跡を継いで女だてらにグスタフの従者となった。年は誕生日を迎えれば17になる。
明るい赤茶色の髪が印象的な快活な娘で、世の女性を美人か不美人かに大別すれば十分に美人のうちに入るだろう。ただ、歯並びが少々いびつで八重歯が目立つ。これを愛嬌と見るか、瑕疵ととるかは難しいところだ。
グスタフも娘同様にかわいがっており、ラウラを縮めてララと呼んでいる。
常々、両親とともにグスタフも良い婿はいないものかと気にかけているのだが、本人にその気がないらしくまだまだ縁遠い。
「ララよ、まったく分からぬよ。何の話だね?」
「もうっ、先生は世間にうといから困るよ。話が通じなくてつまらないったら――」
ララは口をへの字に曲げてぷりぷりと不満を表明しているが、これは理不尽だろうとグスタフは思う。
ちなみにララは剣をグスタフからそれなり以上に学んでいるため『先生』と呼ぶ。主人に対して馴れ馴れしい態度ではあるが、そこは身内同然の気安さや甘えがあるようだ。
「王都でね、剣術の大会があるんだよ。うちの領地からも代表剣士を出すんだって」
「ははあ、剣の大会をね。バカなことをするもんだ。そもそも剣士が自流の秘技を披露するというのはだな――」
「そんなことはどうでもいいよ。私、見たい。王都に行ってみたいんだ」
「ふうん、王都へね。お前にはまだ早かろうが……まあ、見聞を広めるのも悪くはない」
ここでグスタフは少々思い違いをした。
ララの申し出を『代表剣士となって大会に出たい』といっているのだと勘違いをしたのだ。
無論、ララの腕前では王都の大会はおろか、伯爵領の代表になど、とてもなれるものではない。
だが、グスタフは『若いララは自らの腕を試したいのだろう』と思い込んだわけだ。
(まあ、世の中の広さを知るのは薬になるだろうさ。負けてベソをかいたら飴玉でも買ってやるとするか)
年ごろの娘に飴玉とは呆れた発想だが、グスタフからすればララは孫娘のようなものだ。いつまでもかわいい子供なのである。
「本当かいっ!? 王都へ行けるのかい!?」
「はは、首尾よく代表になれるかは分からんよ。だが、負けても稽古を続けることが大切さ」
「先生なら大丈夫だ! やった、さっそくお城へ届けなきゃ」
勇んで家を飛び出したララを見送り、グスタフは「いつまでも童めいたことだ」と諦めのため息をついた。
この時の少しの言葉の掛け違い、少しばかりの誤解が、齢60才をこえた老騎士が再び世にでるきっかけとなったとは、まだ誰も知る由はない。