魔導書作家さん、冒険者になる
識字率の高いファンタジーを書いてみました
「――ダメですね」
「ダメですか?」
ここは王都の一角。
印刷業や出版社が建ち並ぶ『筆町通り』と呼ばれる区画の喫茶店だ。
そこで作家である俺は担当編集者と打ち合わせ中……なのだが旗色は極めて悪い。
「何度も言いますが、題材に問題があります。魔導書は読者が手に取らなければ始まりません。こんな地味な生活魔法オンリーでは――」
「しかし『専門的な教育を受けていなくても魔法を使えるように』が企画のコンセプトでしょう? より身近に、便利に、生活を向上させるために――」
作家……といっても小説や旅のガイドブックを書くわけではない。
俺の専門は『魔導書』だ。
専門なんて言うと大げさだが、いわゆる泡沫作家。レーベルとの力関係は極めて弱く、こうして年下の編集者にすら下手に出る必要がある。
「ウリが弱いんです。売れませんよ」
目の前の女性編集は「はあ」と小さくため息をつき、俺の原稿を無造作に机に放り出す。
的確に作家の心をえぐる言葉選びとしぐさ……この女はスラリとした美人だが真正のサディストに違いない。
「狙いは分かりますよ? 行使するプロセスを省略した生活魔法。普及すれば便利になると私も思います。せめてつかみを派手にできませんか?」
「いや、出力を上げれば制御のために術理のプロセスは複雑化し、魔力の燃費も――」
俺は説明を繰り返すが、編集者は聞く耳を持たない。
だが、この編集者がこうまで否定的なのは理由がある。
売れてないのだ、俺の本は。
俺の研究は魔法をより効率よく行使できるように単純化し、専門的な知識がなくても使いこなせるようにするためのもの、生活魔法と呼ばれるジャンルだ。
数十年前はそれなりに需要もあったのだが、ハッキリ言って今では見向きもされていない。
理由は魔導書の過剰供給だ。
ことの始まりは今よりおよそ50年昔、魔導革命と呼ばれる事件が起きた。
それまで感覚的なものにすぎなかった魔法の術理を1人の天才が解き明かし、体系立て、その理論を編纂して世に出したのだ。
それまで魔法の伝承といえば面授口伝が当然だった世界、魔法使いといえば師匠の弟子となり、何年も下働き同様の徒弟制度で修行をこなすのが当たり前だった世界に起きた革命だった。
読むだけで修行が不必要になるとまではいかないまでも、術理に対する専門知識を学び、ある程度のセンスがある者なら魔法使いとなれてしまう大事件である。
人々を魔法使いへと導く書物、すなわち『魔導書』の誕生だ。
これが話題にならぬはずもなく、魔導書は一気にブームとなった。
すぐに様々なジャンルが生まれ、魔導書出版社は雨後のタケノコのように生え育ち、今まで聖書や技術書などを刷っていただけの印刷業界は爆発的な成長をとげる。
しかし、ブームの加熱により作家やレーベルは増え続け、今では出版業界はすっかり供給過多のレッドオーシャンだ。
その中では厳しい淘汰が起き、地味で人気のない生活魔法ジャンルは廃れ、今では見向きもされない。
「売れっ子のフレ・イザード先生のように派手に5本の指から火球を飛ばしたり色々あるじゃないですか。まずは手に取ってもらえるように――」
「いや、それじゃ目指している方向性が真逆だし、複雑化しすぎて一般向けのモノにはなりませんよ」
反論する俺にだって彼女の理屈は分かる。
適当に流行りを狙った……いや、売れた本を真似して書けばジャンルとしての需要からそれなりに売れるかもしれない。
なんの研鑽もなく、何番煎じかも分からない劣化コピーのような魔導書をコンスタントに量産して売れっ子になる作家だっているのだ。
プライドを捨てて数を出せば運良くヒットがあるかもしれない……理屈はよく分かる。
だが、それをするだけの意気地が俺にはない。
作家のプライドと言えば聞こえがいいが、ようは十年以上も積み重ねた自分の研究を捨てる勇気がないのだ。
「じゃあ、どうするんですか? 研究の意義は認めます。しかし、このままではまた、同じ結果ですよ?」
この言葉に、俺は「うっ」と息を呑んだ。
俺は今まで3冊の魔導書を出した。
全て生活魔法の本だが、実売数は1割ほど。悲しくなるほど売れていない……誰も見向きもしていない返本の山。
編集者の言葉は俺の急所を的確に刺し貫いてくる。
「先生はいいでしょう。売上に関わりなく刷り部数で印税がでるのですから。でも、レーベルは赤字出版ばかり続けられませんよ。慈善事業ではありません」
年下の女性から頭ごなしの説教を受ける31才の俺は、はたして周囲からどのように見えているのだろうか。
しかし、結果として出ている事実は否定できようもない。
「売れなければ立場が危うくなるのは担当編集の私とレーベルなんです。売れないシリーズに見切りをつけて次に――」
この言い様にはさすがに少しカチンときた。
「ちょっと待ってくださいよ。企画に意義を見出したからこそ、生活魔法のシリーズを採用したんじゃないんですか? 売れないのは作家のせいだけなんですかね?」
俺にも反発心はある。
売り言葉に買い言葉、情けないとも思うが気がついたら口から言葉が出てしまった。
自分でもまずいとは思うが、こうなれば止まらない。
「こっちは書きたいことも我慢して……ずっと編集さんの指示に従って書いてきたんですよ? 編集者には責任がないんですか?」
一気に言葉を吐き出したあとに訪れた気まずい沈黙。
言い過ぎだ、と思った。
明らかに許されるラインを踏み越えてしまったのを感じる。
少し間が空き、編集者が「ふうーっ」と鼻から深く息を吐いた。
怒気はない。むしろ諦めたような雰囲気である。
「原稿はお返しします。次の企画で勝負してください」
編集者は手早く俺の原稿をまとめ、突き返してきた。
表情は完全な無である。
「期間は切りません。先生の納得のいくものを、存分に作ってください。原稿の形でお願いします」「ちょっと待ってください、それは――」
俺の言葉も終わらぬうち、編集者は2人分の伝票を手にガタリと椅子を鳴らして席を立った。
「先生、我々も競争なんです。改善がなければ次のために動かなければなりません。ご理解をお願いします」
編集者は手早く会計を済ませ、振り返ることもなく店から出ていく。
俺はその背中を半ば放心しながら見送った。
「は、切られた……マジか」
打ち合わせなし、締め切りもなし、完成原稿――持ち込みとなんら変わりがない。
それはつまり、作家とレーベルとしてのお付き合いを白紙にしましょうという戦力外通告だった。
(マジか……切られる時ってこんなもんか)
あまりにアッサリとした手切れ。
このままではデビューから4年――いや、学生時代からコツコツ続けてきた研究が無駄になってしまう。
それが――怖い。
俺の人生が無駄だったと思いしらされるのが怖いのだ。
(とりあえず、名刺をチェックして……連絡できそうなレーベルに当たりをつけて……つけて、持ち込み、か)
こうして俺、サンドロ・グロッシは職を失った。
さいきん書く元気がない、と思ってたらガチで病名がつく体調不良でした。
みなさんもお体を大事にしてください。