炎の剣エルシッド 2
さて、本編に入る前に少しだけロドリゴ・デ・ビバールの前半生について触れておきたい。
彼の出自はほとんど知られておらず、生年すら不明だ。
その名が示すように、故郷はブルゴス地方のビバール村とされる。
前述の通り1063年に戦場で活動を始めたことから推測するに1040年代、特に1043~1047年の間に生まれたらしい。
彼の家系図は少々怪しいものの、父はサンチョ王子の父フェルナンド1世に仕えた軍人ディエゴ・デ・ビバールで間違いないだろう。
爵位などはないが土地をもつ立派な貴族だ。
ロドリゴの父ディエゴは特にナバラでの戦いで活躍したとされる。
その縁でロドリゴは、フェルナンド1世の長男であるサンチョ王子に小姓として仕えることになった。
この時代のロドリゴの生活に関しては想像するより他はない。
だが、サンチョ王子の元では有望な若者たちが将来の家臣団として優れた教育を受けていた。
ロドリゴもその一員として切磋琢磨していたのは間違いないだろう。
乗馬から始まり、武技を鍛え、文字に親しみ、法律を学んだ。
そして、ロドリゴが一人前の騎士になる日には、主君であるサンチョ王子から剣帯を授けられたという。
つまり、ロドリゴにとってサンチョ王子は主君であり、幼馴染みであり、学友であった。
やや年上の王子に兄同然の――もしくはそれ以上の親しみを感じていたのは間違いないだろう。
そして、その自慢の家臣たちを引き連れ大勝利を飾ったサンチョ王子は得意絶頂といった様子を隠さなかったに違いない。
◆
「やったなロドリゴ!見ろよ、アラゴンの王旗を奪ったヤツがいるぞ!」
初陣の緊張から解放され、放心していたロドリゴに声を掛けてきたのは同僚のマルティン・アントリーネスという騎士だった。
ヒゲが薄く、茶色いクセッ毛がなんとも幼い印象だが、ロドリゴと同年の成人である。
「ああ……マルティン。俺には神の加護があったみたいだ」
「すごい戦いだったな!俺も2人やっつけたが、オマエにゃ敵わんよ!何人倒したんだ!?」
マルティンの言葉にロドリゴは改めて自分の剣を確認した。
父から譲られた名剣であったが、ノコギリのように刃こぼれしている。
もはや使い物にはならないだろう。
「9……いや、槍でも倒したから11人だな」
この言葉にマルティンは「11だと!?」と素っ頓狂な声をあげた。
完全武装した騎士など、やすやすと倒せるものではない。
まして、槍試合のように一騎討ちではないのだ。
マルティンが声を上げるのは無理もない。
11人と聞いた周囲の騎士も「ウオッ」と歓声をあげた。
「なあに、ロドリゴなら11人が11倍でもやっつけるさ」
「あれだけの戦いだ、手傷はないのか」
同僚たちは口々にロドリゴを讃え、互いの無事を喜び合う。
驚いたことに、あれほどの激戦をくぐり抜けたサンチョ王子の親衛隊には死者は1人もいなかった。
「皆のもの、勝鬨だ!!勝利の声を上げろ!!」
仲間たちの輪を見守っていたサンチョ王子が勝利を宣言し、親衛隊が「カスティーリャ王国万歳!!サンチョ殿下万歳!!」と唱和した。
その波は徐々に伝染し、遂にはカスティーリャ軍のみならず、サラゴサの城壁からも大歓声があがる。
「カスティーリャ王国万歳!!サンチョ殿下万歳!!」
ロドリゴも声の限りに叫び、周囲と一体となったような……戦とは違う高揚感に包まれた。
「サラゴサに入城する!隊列を整えよ!」
大歓声の中でも不思議と通る声で王子が命じた。
サラゴサは高く堅牢な石造りの城壁を備えている。
イスラム教徒が持ち込んだ優れた建築法だ。
城内には避難していた民衆がひしめき合っており、サンチョ王子の勇姿に歓喜を爆発させた。
「ウワアアァァ!!カスティーリャ王国万歳!!サラゴサ王国万歳!!」
サラゴサの城兵も加わり、さらに歓声が増す。
ロドリゴは肌がビリビリと震えるような圧を感じた。
王子はその歓声に軽く手を振りながら応え、悠然と馬を進める。
磨き抜かれた兜は陽光を弾き、目にも鮮やかな青いマントは風をはらみ大きくひるがえった。
サンチョ王子は23才、まさに匂い立つような武者振りだ。
ロドリゴも仲間と共に王子の後ろを固めながら進む。
すると、宮殿の入り口辺りで見慣れぬ衣装の一団が出迎えてくれた。
「カスティーリャおよびレオンの支配者にして偉大なる王フェルナンド1世の長子サンチョ。我が父の命により参上した」
王子が下馬し、名乗りを上げると迎え入れた集団が頭を下げた。
「偉大なるカスティーリャ王の慈悲と勇士の奮闘に感謝いたします」
王子の言葉に応じた壮年の異教徒がいる。立派な身なりだ。
これがサラゴサの王ムクタディルかとロドリゴは納得した。
(なるほど、異教徒とはいえ王には威風があるものか)
褐色の肌に黒いヒゲ。
鼻が油でテカテカと輝いており、いかにも精力的な印象がある。
サラゴサ王はサンチョ王子の手に口づけし、その足元へひざまづいた。
救われた感激を隠そうともせず王子を応対する姿は善良そのものだ。
若きロドリゴに政治は分からない。
だが、この男はイスラム教徒でありながらカスティーリャ王国に従属し、年貢を払うことで国を守らせている。
(そして頭を下げるだけで敵を追い払ったわけか)
その事実だけでロドリゴは得体の知れない不気味なものを感じた。
目の前にいるのは油断のならない異教の君主なのだ。
「明日には帰還する。今日は休め」
サンチョ王子は補佐役の老臣のみ引き連れて宮殿に向かうようだ。
その時、ふと足を止め振り返った。
「ロドリゴ、真っ先に駆けたな。見事な勇気だ」
王子はニッコリと笑い、ロドリゴを讃えた。
王子は美男ではないが、背が高く威厳があり、笑えば顔にシワがより、なんともいえない愛嬌がある。
わざわざ他国の王の前での称賛である。
これには周囲も驚き、ロドリゴは大いに面目を施した。
(この王子は大きくなるぞ。必死で働けば俺の運も拓けるはずだ)
ロドリゴとて、若者らしい野心はある。
父が名君と名高いフェルナンド1世に仕え家運を高めたように、自分もサンチョ王子のために働き栄達したいと考えていた。
こんな感じですが、どんどん説明みたいなのが増えてしまいます。
とりあえずここまでにします。