蒼穹
青い春を書きました
「私たち別れよう」
そう切り出されてなお、俺はひどく落ち着いていた。空っぽの快晴が俺たちを見下ろしていた。
俺は今夏休みの学校にいる。期末考査で真っ赤な点数を取ってしまったが故に炎天下の中、学校に登校させられているのだ。誰が悪いのかと言われれば100%俺が悪いのだが、こんな日に外を歩かせる学校側もどうかしている。もっとあるじゃん?追加の課題とかさ。どうにかして補習の不必要性について先生たちを納得させられないかと適当なことを考えながら時間を浪費し、なんとか補習をやりきった俺は、僅かに残ったエネルギーを振り絞り、本気を出した太陽のテリトリーを犯す覚悟を決めようとする。
昇降口へと向かうため階段を降り、1階の渡り廊下を歩いているとき、ふと灼熱のグラウンドに目をやると、サッカー部が部活を行っていた。なんでも、来週あたりに大会があるらしく、そのために夏休みの朝から練習をしているんだという。万年帰宅部の俺は聞いただけで目が眩みそうになるが、部活動とはそんなに魅力的なものだろうか。なんでわざわざ自分から、しかも放課後に汗をかかねばならんのだ。解せぬ。そうは言いつつも俺の足は、自然とグラウンドへと向かっていた。覚悟はまだ決まっていなかった。
スポーツを観ることは好きだ。己の技術を練磨してきた人たちによる本気のぶつかり合いには、心揺さぶられるものがある。それは一種の羨望でもある。勘違いしてもらっては困るが、俺自身が運動をしないというだけで、別に運動やスポーツマンを何から何まで否定しているわけでは無いのだ。
そんなこんなでグラウンドへと辿り着いた俺はカバンからハンディファンを取り出し、風量を『強』にする。校舎の影になっているところがあったので、そこからサッカー部を眺める。試合は白熱していた。ゴールに近づくにつれて攻守が激しく入り乱れ、ボールのベクトルが常に変化する。ドリブル、パス、全てが刹那の判断で行われる。そんな中、キャプテンらしき男が颯爽とボールを奪取、敵チームの最終防衛ラインをくぐり抜け、そのままスマートにシュートを決めた。さすが陽キャの代名詞。GG。羨望を含めた拍手を心の中から送っていた時、俺はこちらに近づいてくる人影に気づいた。
「何してるの」
「見りゃ分かんだろ。サッカー観戦だよ」
「いや、それは分かるけど...」
「さっき点決めた奴かっこよかったな あれが部長か?」
「...」
「無視すんなし」
「...話があるからちょっと来て」
「え...おいちょっと」
強引に校舎裏へと連れていかれ、何事かと思考を巡らせる。観覧禁止だったりしたのか? 俺が来週の大会で当たるチームのスパイだとも限らないしな。ここで口封じをされるのか...と心の中で軽口を言っていると、グラウンドからは見えない区画に来たあたりでその人物は立ち止まり、振り返る。その目はいつになく真剣で、俺の心を見透かそうとしているようだった。そして意を決したのか、口を開く。
「私たち別れよう」
雲一つない晴天から除外された2人の間に沈黙が木霊する。心臓が一定のリズムで静かに脈打っているのを感じる。
俺の目の前にいる人物は先程観戦していたサッカー部のマネージャーであり、俺のクラスの同級生であり、’’俺の彼女’’である。まぁたった今別れを切り出されたわけだが。
風が桜を運び始めた春の日。クラス替えを経て俺は彼女と隣の席となった。英語の時間にペア活動として話したことがきっかけで、友人になった彼女は、チェスナットブラウンのミディアムロング、グレーを基調としたブレザー、真紅のリボン、チェックのスカート、うちの学校の制服をこれでもかと着こなしていた。彼女は可愛かった。
’’そんなある日俺は彼女に告白された’’
青天の霹靂だった。気の合う友人であると同時に高嶺の花だと思っていた彼女に告白された俺は冷静な判断が出来ないまま、二つ返事で承諾してしまった。彼女との日々はそれなりに楽しかった。映画館やカラオケ、水族館にも行った。女子と2人で遊びに行ったことなどこれまでの生涯でなかったのでぎこちない会話もあったが、彼女の笑顔を見るとそんなことはどうでもよく感じた。
今現在の彼女はジャージ一式に身を包み、いかにもマネージャーという格好をしている。似合わない服がないのか、それも様になっている。
「私たち、合わなかったんだよ」
そう言いながら、彼女は泣きそうな顔だった。
「短い間だったけど...楽しかったよ」
必死に笑顔を作るが、声は震えていた。
俺は何も言えなかった。どうしてそんな顔をするのか。泣くのは、多分俺だろ。
「なんで...」
俺は絞り出した声で問う。
「私は君が好きなの」
「...え」
意味が分からなかった。なら何故別れる必要がある。
「でも...’’君はそうじゃなかった’’」
........
...そうか
「私は...君を...縛る枷には...なりたくない」
彼女は、優しすぎる。
彼女は俺のことが好きだった。どういう理由で好きになったのかは...聞いたことがなかったから分からないが。だからこそ、’’無関心な俺を見て見ぬふりできなかった’’
俺は何も感じてなかったんだ。
ただ世間一般の常識を引用していただけ。
彼女との出会い、告白、日々、そして別れさえも。
今もひどく冷静な俺が客観的に俺自身を見下している。
昔から俺はそういう奴だった。のらりくらりとしていて、つかみどころのない奴だと。本心が無いのかと、そう言われてきた。軽口をよく口にするのも、そんな自分を個性にするためだ。彼女の言う通り、俺たちは合わなかったのだ。だから、これでいい。自分の中で結論を出し、さよならを言おうとして、、、
、、、、、
、、、何か言わなきゃならないことがあるだろ俺
今までありがとうとか、学校で気まずくなっちゃうなとか...いやそんなことじゃない。もっと大事なことが。
「それじゃあ...ね」
彼女は俺の横を通り過ぎ、グラウンドに戻ろうとする。
俺は彼女を追うように振り返る。彼女の背中が果てしなく遠くなっていくように感じる。
伝えなきゃいけないことがある。
今ここで伝えなければ一生後悔する。
伝えなきゃいけないことがある。
伝えてどうなるのかは分からない。
伝えなきゃいけないことがある。
彼女の覚悟を踏みねじることになるだろう。
伝えなきゃいけないことがある。
いつの日か、心が激しく高鳴った 君の表情がフラッシュバックする。
伝えなきゃいけないことがある。
ありったけ大きな声で、嘘偽りない顔で、飾らない言葉で。
伝えなきゃいけないことがある。
あの時の純粋な気持ちを、今。
「「「俺は、君の笑った顔が好きだ!」」」
ーーーそんなことが言えたらよかった。
動かない足、垂れ下がった腕、声は出なかった。
気がつくと、彼女は既に太陽の下へと出ていた。
覚悟は、まだ決まっていない。
遠くからゲームセットのホイッスルが響く。
受け取り手のいない郵便は滑稽にも浮遊する。
.........................。
空はひどく快晴だった。
空っぽの空に小さな雲が浮かんでいる。
白く輝くそれはあまりに場違いで。
ある夏の日の出来事だった。