8話
「お兄ちゃん……今日も行くの……?」
「ああ、ただの鍛錬だからそう心配するなって」
俺は心配そうに見つめてくる妹、ゾフィーに笑顔で告げる。
棋聖院が終わり、今日も死海の森での修行だと意気込んで外に出ようとした時、ゾフィーに呼び止められたのだ。
その思いつめたような表情が俺の足を鈍らせた。
俺は棋聖院が終わった後はいつも死海の森に行っていた。
時には家に帰らなかったり、傷を負って帰ってくる事も多い為か、ゾフィーに心配されるのだ。
だが、今は1分1秒がとにかく惜しい。
生き残るためにも力をつけなければならない。
「ほら、俺は弱いから人一倍頑張らないといけないからな。一族の面汚しにならない為にも」
「…………一族の事なんかどうでもいい。絶対に無理だけはしないでね……。お兄ちゃんがいなくなったら、私……」
「大丈夫だ、ゾフィー。俺は絶対に帰ってくる。だから美味しいものを作って待っていてくれ」
俺はなるべくゾフィーに心配をかけないように、優しく声を掛けた。
原作でのゾフィーはひどく情緒不安定だった。
一族滅亡の際に、たった一人の家族だった兄を目の前で失い、深いトラウマを抱え、性格がねじ曲がってしまったのだ。
原作のゾフィーは触れたものは全て切り裂かんばかりの陰険な雰囲気を纏った復讐の鬼になっていた。
今のゾフィーとはまるで別人だ。
だからこそゾフィーをあのような復讐鬼にしてはいけないと強く思う。
その為にはやはり力をつけねばならない。
「じゃ、行ってくる。ゾフィー」
「……行ってらっしゃい」
俺を心配そうに送り出すゾフィーを見てもう一度心に誓う。絶対にゾフィーだけはこの手で守ると。
「つぇぁっ!」
赤黒く目を輝かせた体長4m程のムカデ型の鬼蟲の突進を神速の見切りで躱し、振り向きざまに一刀両断の下に切り捨てる。
ムカデ型の鬼蟲は金切り声のような奇声を上げて真っ二つになった胴体を蠢かせる。
やがて数秒後に動きを止めた。
死海の森に入って早半年。最初はやっとの思いで倒していた鬼蟲も弱い部類なら苦戦する事なく倒せるようになっていた。
やはりこの体は優秀だ。
原作でもピカイチの潜在能力を持っていたメル・ゾフィーの兄の体はやはり伊達ではない。
実は俺達兄弟の先祖はメル一族の中でも特別な力を覚醒させていた。
その力はまさにメル一族の能力の原点ともいうべきもので、加速と五感が優れているという能力はおまけ程度に過ぎないのだ。
世界を変えるその圧倒的な力はメル一族達ですら恐れていた程だ。
俺達の住んでいる場所から考えても分かるように、俺達兄弟はメル一族から冷遇されている。
それは未だに先祖の力を恐れているからだ。
「一刻も早くあの力を手に入れなければならない。じゃなきゃ、これから生き残るのは不可能に近い……」
幸い、どのようにすれば力を覚醒出来るのか、覚醒条件等は既に原作知識から知っている。
俺は未知なる力に思いを馳せながら、辺りを見渡した。
するとギチ、ギチ、ギチギチ、ギチ、ギチギチギチ、と耳を覆いたくなるような音が辺り一面にこだまする。
そこには先ほど倒したムカデ型の鬼蟲が辺り一面に勢ぞろいして俺を見ていた。
俺は視線を下ろし、さっき倒した鬼蟲の死体に目を見やる。
真っ二つになっている死体の切り口から紫の不気味な靄が出ていた。
「うへぇ……気色悪……」
と思わず声が零れてしまう光景に気持ちを切り替えて集中する。
そう、俺はこれを待っていたのだ。
メル一族の力を覚醒させる為に必要な事はまず大量の鬼蟲を倒す事だ。
大量に経験値を積む事でレベルを上げるのだ。
さらに深く集中する事で得られる加速を限界まで引き延ばす。
そうする事でメル一族の血は覚醒する。
その為にはこのムカデ型の鬼蟲はもってこいの相手だ。
32対の脚が蠢き、突風のような速さで突進してくるので、加速の修行にもなるし、何よりこの鬼蟲が持つ特性、集合フェロモンは経験値稼ぎに丁度良い。
このムカデ型の鬼蟲の体液には集合フェロモンという特殊なフェロモンが分泌されており、空気中に触れると酸化し、紫色の靄になる。
この靄が同族の鬼蟲を呼び寄せるのだ。
この集合フェロモンは特に強力で1体のムカデを倒すと、数秒後に100体以上の同族が集まってくる。
100体を倒すとさらに大量のムカデが……というように鼠算式にムカデが増えていくのだ。
だからこのムカデ型の鬼蟲は決して倒してはならないというのがこの世界でのセオリーだ。
だが俺はこの世界の常識を覆す。
覚悟を決めてムカデ型の鬼蟲の群れへと飛び込んだ。