7話
ドロシーはまるで鬼のように顔を歪ませて少年を見ている。
「何ってこの落ちこぼれに教育してやってんでしょうが……。邪魔すんじゃないわよ」
「これのどこが教育だ! 許可なしの私闘は校則違反だぞ!」
「うるさい! これはメル一族の問題よ! 部外者が口出しするな!」
「なら他所でやりやがれ! ここは棋聖院だ! お前らメル一族だけの場所じゃねぇ!」
するとドロシーはさらに顔を歪ませて、少年を睨む。
数秒後、ドロシーは俺に背を向けて去っていった。
慌てて取り巻き達もドロシーに追随していく。
最後に振り向きざまにドロシーは吐き捨てるように言った。
「ベル・マルス! 次はこのあたしが必ずあんたを倒して上に立ってやる! 覚悟しておきなさい!」
「望むところだ。いつでも挑戦を受けてやるぞ、ドロシー」
黒髪の少年は自信満々にそう言った。
ドロシー達が去った後、少年は心配そうに腰を下ろし、俺に手を差し伸べてきた。
「大丈夫か、キヲラ。また手酷くやられたな」
「ああ、助かったよ、マルス。ありがとう」
俺は少年の手を取り、立ち上がった。
この男臭い笑顔を浮かべる黒髪の少年の名はベル・マルス。
トゥーンランドではメル一族と並んで突出した力を持つベル一族の者だ。
マルスはその中でも最も優秀で、棋聖院では序列第1位の騎士だ。
力ある者が上に立つこの世界では、棋聖院でマルスに逆らえる者はいない。
メル一族ナンバーワンの実力を持つドロシーですら序列第2位であり、先ほどのようにマルスには逆らう事が出来ないのだ。
そしてなによりこのベル・マルスは言わずと知れた漫画、トゥーンランドの主人公だ。
全てはこのマルスを軸にして物語は進んで行く。
人柄は熱血で情に熱く、曲がった事が大嫌いというまさに主人公に相応しい人物だ。
精根が捻じ曲がった者が多いメル一族の中にいる俺に取ってこのベル・マルスという気持ちのいい男は本当に有難い存在だった。
「傷は大丈夫か……って、ほとんど傷はないな。本当に頑丈だな、キヲラは」
「そんな事ないって……いてて……くそ、ドロシーのやつ、思いっきり蹴りやがって……」
「……なぁ、キヲラ。なんであいつらにやり返さないんだ?」
俺はその言葉にドキリとする。
「いや、落ちこぼれの俺がドロシーに敵うわけないだろ……?」
「……俺はたまにキヲラはわざとやり返さないんじゃないかと思う時があるんだ。メル一族は力の無い者には厳しく当たるという事は知っているが、俺にはキヲラが力の無い者だとはどうしても思えないんだ」
「いやいや……俺の成績を知ってるだろ? メル一族のくせに下から数えた方が早いくらいだぞ……どうしてそう思うんだ……?」
「うーん……それは勘だな!」
「なんだよそれ!」
俺は、はははと乾いた声で笑った。流石は主人公……やはりこいつは侮れない……。
そう、俺はこの棋聖院でわざと実力を隠している。
本当ならば片手だけでドロシーを下せるだけの実力はあるのだ。
何故ならこの棋聖院にいる見習い騎士の中で鬼蟲を倒せる者など一人もいないのだから。
毎晩、毎晩、死海の森で死闘を繰り広げている俺に取ってこの棋聖院は足枷でしか無い。
では何故わざわざ棋聖院に通い、実力をわざと隠すという面倒臭い事をやっているのか、もちろんそれには理由がある。
それは5年後に控える大虐殺の際に生き残る可能性を高めるという事と、もう一つ超重大な理由があるのだ。
それは……。
「おーい、マルスにキヲラくーん! もうすぐ授業が始まるよー!」
そう、俺達を呼ぶ声がし、思考が中断される。
声の方へ顔を向けると一人の少女が駆け寄ってきた。
髪は艶のある黒髪で非常に愛くるしい顔立ちをした少女だ。
「おーう! テレサ! 今戻るぜ!」
マルスは少女に声を掛ける。
「どうしたのこんなところでって……またドロシーにやられたの!? 本当に懲りない奴らだね……って聞いてるの? キヲラくん?」
俺は目の前の少女に気を取られ、生返事をする。
「あ、ああ……大丈夫だよ。テレサ。そろそろ戻ろうか」
俺は動揺が伝わらないように努めて平常心で言う。
この少女の名はイヴ・テレサ。原作にも登場する重要人物だ。
名門イヴ一族の次期当主と目されている少女で、その実力は折り紙つきだが、俺はよく知っている。
この少女の重大な秘密を。
先ほど言った俺が実力を隠している理由の大半がこの少女に関係しているのだから。
実はこのイヴ・テレサという少女の体は既に死んでいる。
今、目の前にいるこの少女は本当のイヴ・テレサではない。
その正体はイヴ・テレサの皮を被った化け物、鬼蟲だ。
それも強大な力を持った、世界に一体のみの固有種、鬼愛羅と呼ばれる鬼蟲だ。
強い生物を無限に融合する無限合成獣・鬼愛羅はより強い生物を探し求め、ある一つの種族に目を付けた。
……それがメル一族だ。
原作ではテレサは生き残りの優秀なメル一族、俺の妹メル・ゾフィーとメル・ドロシーを執拗に狙っていた。
俺がこのまま実力を発揮してしまえば今の段階で身体を乗っ取られかねない。今、鬼愛羅と戦っても勝ち目は万に一つもないだろう。
それほど鬼愛羅はひたすらに強い。
目の前に立ってにこにこと笑っている少女はそういった存在なのだ。
その目の奥は虎視眈々と俺を見定めているのである。この器は奪うに足るものなのかを……。
だから俺はドロシー達にやり返す事が出来ないのだ。一度俺の実力が露呈してしまえば、このイヴ・テレサに乗っ取られてしまう。
俺は恐る恐るイヴ・テレサの瞳を見た。その瞳はまるで奈落の底まで引きずり込みそうなどこまでも深い闇の色をしていた。