26話
それから1週間を死海の森で過ごした。
あれから一度もトゥーンランドに帰る事なく死海の森でサバイバルを行っていた。
俺達鬼伐隊の主な仕事はトゥーンランドに侵入しようとする鬼蟲を事前に討伐する事だ。
鬼蟲が発生する兆候やポイントを事前に察知し、未然に危機を食い止める。
その為には当然、鬼蟲を討伐する為の力が必要だ。だがいくら棋聖院で実力は高いとはいっても実践は未経験の新
米だ。
当然、いきなり鬼蟲に勝てるはずもない。
だから今俺達が鬼蟲を倒す為に最も必要な事は互いに力を合わせる事なのだが……。
「……もういや……!」
「……そう言うな、ドロシー。これも仕事の内だぜ」
「……うるさい、マルス! あんたに私の何が分かるって言うのよ……!」
「なんだと!」
ドロシーの様子が日に日におかしくなっていった。
初日で鬼蟲と鉢合わせした時が引き金だったのかもしれない。実の父親が同族を皆殺しにした事で限界に近かった
精神がこのサバイバル生活で一気に爆発しかかっている。
白く美しかった白銀の髪もくすんでおり、今は見る影もない。
目の下には隈が出来、一目で正常ではないと分かる。
ジル・ランドットも初めから一番ドロシーを心配していたが、これまでは様子見に徹していた。
「ドロシー、俺はこの死海の森で沢山の人の死を見てきた。この環境に耐えきれずに発狂した奴もな。だからあえ
て言う。お前はもう鬼伐隊を抜けた方がいい。お前には無理だ」
ジル・ランドットはドロシーの瞳を見つめて真剣に言った。
確かにこれ程心を乱した者がこの死海の森で生き残れるとは思えない。
これからの事も考えるとドロシーはここでリタイアした方が懸命だろう。
はっきりと真実を告げる事も場合によっては必要だ。
「……っ! いやっ! それだけは絶対にいやっ! 私は強くならないと……! 一族の為に強くならないといけないの
っ! だからこの隊を抜けるのだけはいやっ!」
ジル・ランドットが告げた瞬間のドロシーの取り乱し様は凄まじかった。
髪を振り乱し、鬼の形相でジル・ランドットを睨みつけている。
「……ドロシー。今のお前は正常とは言い難い。本当はお前も分かっているんだろう?」
「……いやっ、いやっ、いやっ、いやっ、いやっ! それだけは本当にいやだっ! それだけはっ……!」
「…………」
俺達の間に重苦しい沈黙が訪れる。
ようやく口を開いたのはイヴ・テレサだった。
「私からもお願い、教官。ドロシーもこう言ってるし、もう少しだけ様子を見てあげる事は出来ないかな?」
「お、俺からも頼むよ! ドロシーがいなかったら張り合いもないしよ! 俺達も全力でフォローするからさ! な
ぁ?」
俺は正直驚いた。イヴ・テレサの言葉は理解出来るとしても、マルスがドロシーを庇うとは……。
この二人はライバル関係でいつもいがみ合っていると思っていたが……どうやらそれだけではないようだ。
だが、これから待ち受ける試練を思うと、どう考えてもリタイアした方がいい。
「……分かった。お前達の仲間を思う気持ちに免じてドロシーを隊に残そう。ただし、もし次、泣き言を言ったら
即刻強制送還させるからな?」
「……はい」
ドロシーはほっとしたように返事をする。
ジル・ランドットは納得していないようだが、チームワークを向上させる良い機会と受け取ったようだ。
それが吉と出るか凶と出るか……。
だがはっきり言って俺は別にドロシーの事はどうでもいいと考えている。
俺はこの女の本性を知っているからだ。この女は傲慢で自分の思い通りにならないと暴力に走る最低の女だ。
俺は今まで何度ドロシーに殴られた事だろう。今までの所業を思えば、簡単に許せるはずがない。
それにドロシーの親はあのメル・ナルクだ。
俺がこれほどまでに苦労しているのはメル・ナルクのせいなのだ。
だから俺は何も口出しをしなかった。
幼稚な復讐心に囚われていると自覚しながらも俺は見て見ぬふりをした。
「だがここでドロシーを脱退させようとしたのには理由がある。これから俺達が行く場所は何が起きてもおかしく
ない危険な場所だからだ」
ジル・ランドットは真剣な声音で言った。
「どういう事だ!?」
マルスが顔色を変える。
「実はトゥーンランドを出る前に上から指令が下ったんだ。それは死海の森で新たに発見された遺跡の調査だ。最
近になって見つかった遺跡なんだが、調査に出た者が悉く行方不明になってな。その遺跡調査の依頼が俺達に回っ
てきたんだ」
……来た! これこそが鬼愛羅が仕掛けた罠だ。この場所で俺達は鬼愛羅の襲撃を受ける事になる。いよいよ決戦の
始まりだ。
「な、なんだって! そんなヤバい場所にまだ新米の俺達が行くのか!?」
「俺も反対したんだがな……この任務は上からの至上命令なんだ。この遺跡は鬼蟲の秘密を暴く可能性を秘めてい
るらしくて上は躍起になっているんだ。だからこれは強制ではない。ここで引き返しても構わない。覚悟があるや
つだけを連れて行く」
重苦しい沈黙が再び訪れた。そう、この遺跡は死と絶望に塗れた悪魔の城だ。
足を踏み入れた者は生きて帰る事が出来るか分からない。
だが俺はとっくに覚悟が出来ている。打てるだけの手も打った。だから迷いは一切なかった。
「教官、俺は行く。覚悟は出来ている」
俺の言葉に一同は目を見開いて驚愕していた。
「キヲラ……! お前、分かってるのか! 誰も生きて帰って来てねぇんだぞ! 何かあるに決まってるぜ!」
「分かってるよ、そんな事は。でも俺には使命がある。だから行かないといけないんだ」
「キヲラ……お前……本当に変わったな……よし、決めた! 俺も行くぜ! 友達を残して帰れるかってんだ!」
「マルス……」
マルスは意気揚々と叫ぶ。やはりこの男は気持ちのいい奴だ。だけど今回ばかりは俺も素直に賛成できない。
「二人が行くならもちろん私だって行くよ! いつも一緒だったしね! ここまで来て帰れないよ!」
「テレサ!」
いや、あなただけは来ないで下さいと心の中で毒づく。
そうだ、こいつさえいなかったら平和な遺跡探検になるのだ。
「……私も……行く! 絶対に強さを手に入れてやる……!」
ドロシーは顔を上げて答えた。その瞳には確かな輝きがあった。
ドロシーもドロシーなりの決意があるのだろう。
俺もドロシーの強くなりたいという純粋な想いには素直に賛同する。
「お前達……ようやく一つになって来たな! 俺は嬉しいぞ! だがこれから赴く遺跡は何が起こるか分からない場所
だ! 決して警戒を怠るな!」
ジル・ランドットは力強くみんなに呼びかけた。
……警戒を怠る筈がない……。
これから俺達を待っているのは鬼愛羅という名の悪魔が仕掛けた数々の罠だ。
トゥーンランド上層部にも鬼愛羅の息のかかった者がたくさんいる。
この任務も鬼愛羅が仕掛けた事なのだ。
俺は一人、決戦への覚悟を固めた。