25話
「くっ……!」
そしてタランチュラ型の鬼蟲は大太刀ごとジル・ランドットを引っ張り、ジリジリと手繰り寄せていく。
その時、ジル・ランドットの体から蒸気が一斉に吹き出す。
これは…出るか! ジル一族秘蔵の力が!
俺は少し期待を込めてジル・ランドットを見守ろうとしたその瞬間、
「おらぁっ!」
鬼蟲とジル・ランドットを結ぶ糸を引きちぎらんとばかりに刀を振り下ろしながら、突然現れたのはベル・マルス
だった。
振り下ろしたマルスの刀はやすやすと白銀色の糸を断ち切った。
だがよくベル・マルスを見ると、腕はまるで爬虫類のような腕に変化しており、異様に盛り上がった筋肉がより異
質さを醸し出していた。
ベル・マルスは鬼の形相で鬼蟲を睨みつけると異様な爬虫類のような腕をさらに膨張させて真っ直ぐ鬼蟲へと突進
する。
鬼蟲も愚直に突っ込んで来るマルスに対して糸を射出し、ベル・マルスを雁字搦めにして動きを止めた……が!
「うぉぉぉぉおおおお!」
雄叫びをあげたマルスは一歩一歩、ゆっくりだが確実に前進し、鬼蟲の糸を引きちぎっている。
……! なんというパワーだ。これがメル一族と対をなす一族の力か……!
鬼蟲の糸を引きちぎるマルスは普段とは比べものにならないほど、その風貌を変化させていた。
爬虫類のような尻尾が生えて、口からはまるで恐竜のような牙を露出し、背中からは1対の立派な翼が生えてい
た。
そう、ベル・マルスはトゥーンランドでも極めて珍しい種族、龍人と呼ばれる種族なのだ。
この世界でも龍は存在し、長く生き、力をつけた龍は龍人と呼ばれる種族に進化する。
龍は長く生きれば生きるほどに力を増し、知恵をつける。
ベル一族はその龍人の末裔で極たまに龍人のような姿を持つベル一族が誕生するのだ。
それがベル・マルスだ。
流石は主人公。その血統は凄まじく、ベル・マルスの祖先はトゥーンランドを建国した初代国王で龍から龍人に進
化した唯一の存在だ。
ベル・マルスは初代トゥーンランド王に先祖返りした極めて高い潜在能力を持っている。
鬼愛羅が目をつけるのも仕方がないだろう。おそらくメル一族の次に狙っているのがマルスだ。
マルスは龍人形態のまま刀を大きく振り上げて、白銀色の糸を糸くずのように引きちぎりながら鬼蟲を切り裂い
た!
「ギィィィイイ!」
鬼蟲は金切声のような叫びを上げながら大きく距離をとった。
タランチュラ型の鬼蟲の頭部に亀裂が入り、紫色の体液が漏れ出している。
そして赤黒い瞳をより一層鈍く輝かせた瞬間、タランチュラ型の鬼蟲は8本の足を蠢かせて背を向けて走り出し
た。
「なにぃっ! 逃げるだと! 待ちやがれ!」
マルスはなおも鬼の形相のまま鬼蟲を睨みつけて追おうとするが、鬼蟲が残していった糸が邪魔をして身動きが取
れていない。
「マルスっ! 追うな!」
ジル・ランドットがマルスに静止の声をかける。
……おかしい。まさか鬼蟲が逃げるとは。奴らは人間を見ると構わず襲い、地の果てまでしつこく追ってくる。
鬼蟲に恐れという感情などなく、例え手足がもげてもその勢いが失うことはない。
そんな鬼蟲が背を向けて撤退するだと……?
まさか……鬼愛羅の仕業なのか……? いったい何を企んでいる?
マルスは人が変わったように顔を憎悪に歪ませ、龍人形態のまま鬼蟲を追おうとしている。
マルスは鬼蟲に両親を殺された強い恨みがあり、鬼蟲を見ると性格が豹変してしまうのだ。
「マルス! これは罠だ! 落ち着け!」
俺は力強くマルスの肩をたたく。ここでマルスを追わせる訳にはいかない。
「キヲラ……。ああ、すまねぇ。ちょっと取り乱しちまった……」
龍人形態が解かれ、次第にマルスの姿が元の人間に戻る。
相変わらず凄い変化だ。このマルスの形態変化を見るのはこれで二度目。
初めて見た時は本当に驚いたものだ。
龍人という種族は人間の何もかもを超越している。
圧倒的なパワー。超人的な耐久力。さらに飛翔までをも可能としている。
鬼蟲が完全に姿を消した後、俺は感心しながらマルスを見ていると……。
「……セト……」
ジル・ランドットが木に括り付けて残された男の遺体に悲痛な声を上げた。
「みんな、よく目に焼き付けろ。この男は鬼伐隊の隊員で元部下だった者だ。実力は申し分なく、精鋭と呼ばれて
いた。だが例え実力があっても命を落とすのがこの死海の森なんだ」
その声音は悲痛に彩られ、ありありと悔しさが滲んでいた。
そう、それほどまでにさっきのタランチュラ型の鬼蟲は強いのだ。
いくら龍人形態のマルスの一撃といえど、新米騎士の一撃でおめおめと引き下がるような生易しい存在ではないは
ずなのだ。
「俺達が今生きているのはただ運が良かっただけだ。それを肝に銘じろ」
ジル・ランドットが言った後、木に括り付けられていた男を下ろし、そのまま地面に埋めて埋葬した。
ジル・ランドットは手際良く作業を終わらせる。このような事は慣れているのだろう。
いったい今まで何人の者達の死をその目で見てきたのだろうか。
ジル・ランドットの瞳はまるで海のように深い青色をしていた。