23話
「騒がないで、マルス……!」
底冷えた声音が場に響く。それはまるでこの世全ての憎しみを込めたような声だった。
「なんだよ、ドロシー。またいつものやっかみか?」
「うるさいのよ、あんたはいつも……! 人は簡単に死ぬのよ! あっさりとね……あんたなんかにこの辛さが分か
るわけがない……!」
ドロシーの朱色の瞳は鬼蟲の瞳のように赤黒く鈍く淀んでいた。
憎しみを込めてマルスを睨みつけている。
「なんだと! ドロシー、お前、自分だけが不幸な人間だと思うなよ!」
「まー! まー! 喧嘩はダメだよ、喧嘩は!」
イヴ・テレサが割って入るも、ドロシーはまるで鬼の形相でマルスを睨み続ける。
「はーい、ストップ、ストップ! おいおい、お前ら同期の仲間達だろ? なんでそんなに仲が悪いんだよ? の
っけからこんなんじゃ、先が思いやられるぞ……」
ジル・ランドットは呆れたように言った。
無理もないだろう。ドロシーはプライドの塊のような女だ。そのくせに寂しがり屋で実は愛情が最も深い人間だっ
たりするのだ。
親しかった人間が全員いなくなった今の状況はドロシーにとって最も辛い時期だろう。
そんな最悪の状況でドロシーが平静でいられる訳がない。
だがそんな事ジル・ランドットも重々承知のはず。
それはこの状況のメル・ドロシーでも特別扱いはしないという決意の表れなのだろう。
「まぁ、顔合わせも済んだ事だし、そろそろ出発しないか? 教官。日が暮れてしまうよ」
俺はジル・ランドットに提案した。ここでたむろっていても埒があかない。
イヴ・テレサ、いや鬼愛羅もこの場の人間を注意深く観察しているはず。
イヴ・テレサと過ごす時間が長ければ長いほど、鬼愛羅ならば俺の違和感に気付く。
ならばなんとしてでも一刻も早く死海の森に行った方がいい。
俺の発言に皆の目が大きく見開かれた。
「お? ああ、そうだな! それじゃ、出発するから気合いれろよ、新米達! あと、そこの二人、喧嘩はするな
よ!」
ジル・ランドットはマルスとドロシーに注意を促す。二人は渋々といった風情でそっぽを向いた。
俺達は様々な思惑をそれぞれの胸に秘めたまま、死海の森へと向かった。
それから俺達はトゥーンランドと死海の森を唯一繋ぐ正門、死海の門を潜り、死海の森へと入った。
この死海の門を通ったのはあの聖地巡礼に向かった時以来だ。
あの時は俺とゾフィーしか生きて帰ってくる事が出来なかったが、今回は何人が帰って来られるだろうか。
イヴ・テレサの皮を被った鬼愛羅を倒して俺達が帰還するか、俺達全てを吸収・融合した鬼愛羅が何事もなかった
ように帰ってくるか……。
俺の思考を中断するようにジル・ランドットが告げる。
「ここが死海の森だ。この森の中では今までの常識は一切通用しないと思え。いつ鬼蟲が現れてもおかしくはな
い」
ジル・ランドットの言葉に緊張が走った。
冷たい風が俺達を通り過ぎる。木はさわざわと揺れ、俺達を囲むように群生する植物達がまるで意思を持っている
かのように俺達を見つめている。
その風にそよぐ姿はまるで俺達を嘲笑っているかのように見えた。
「……っ!」
ここで俺は微かな異変に気付いた。
……死海の森の様子がおかしい……? 俺は隈なく辺りを見渡した。
この辺りはトゥーンランドにまだ近く、生息している鬼蟲も強力な部類は少ないはずなのだが、不吉な風を感じ
る……この独特の匂いは死の匂いだ。
それを証明するように、先ほどから鳥や虫の一匹も見ていない。
強力な鬼蟲の縄張りに近づけば近づくほど、周りの動植物は少なくなっていく。
これは強力な捕食者が現れた事によって一時的な食物連鎖が崩れるからだ。
いる……俺達のすぐ側に今か今かと機を伺っている圧倒的な捕食者が……。
この異変にすぐに気付けたのも5年間、毎日死海の森で過ごしたお陰だろう。
死海の森で生き残るには優れた危機察知能力を身につけなければならない。
如何に優れた力を持っていたとしても、連戦に次ぐ連戦ではいずれは消耗し、強力な鬼蟲に敗れる。
「待て! 何か嫌な予感がする……。これは……?」
ジル・ランドットが静止の声を掛けた。流石は最精鋭と名高い騎士。
すぐにこの場の異変に気付いたようだ。
ジル・ランドットは木の根元に生えていた葉を一枚千切って手に取る。
「どうしたんだよ……? 教官……?」
マルスは背にかけていた刀に手を掛けながら緊張気味に尋ねた。
ドロシーとテレサも緊張に顔を強張らせた。