20話
「な……なんなんだこれは!? ゾフィーっ!」
俺は急いで駆け寄り、ゾフィーを助けるように青い炎に触れる……が。
「あ……熱く……ない!?」
ゾフィーと紅い鳥を包む青い炎は触れても全く熱を感じなかった。
青い炎は炎上を続け一際大きく燃え上がった瞬間ーー
炎が一瞬で消えた。
「ゾ、ゾフィーっ!」
炎が消え、姿が露わになったゾフィーに声をかけた。
「……お兄ちゃん……?」
ゾフィーはゆっくりと目を開き、口を開いた。
い……いったい何が起こったんだ……? いきなり赤い鳥が首を落としたと思ったら、青い炎が燃え上がり、ゾフィ
ーごと包み込んだ。
一瞬で炎が消えたと思ったら、ゾフィーが目覚めた。
「ゾフィーっ! 無事なのか! 具合はどうだ!」
するとゾフィーは何事もなかったかのようにむくりと起き上がり、ルビーのような美しい瞳をパチクリとさせる。
「……うそ……どこも痛くない…………治っちゃったみたい……」
「……本当か!? 良かった! 本当に良かった!」
ゾフィーは服を捲り、腹部を露出させた。鍛え上げられた腹筋と女性らしいくびれのある腹が露わになる。
「……ナルクにやられた傷もなくなってる……それにしてもゾフィー。すごい腹筋だな……。お兄ちゃん嬉しい
ぞ……」
「い、今はそんなことどうでもいいでしょ! それよりもいったい何がどうなってるの……?」
「俺にも全く分からない……。だがあの紅い鳥がどうやらゾフィーを助けてくれたみたいだ。あの鳥は何だったん
だ……?」
するとゾフィーはおもむろにポケットから何かを取り出し、俺に見せてきた。
それは手のひらサイズの紅い卵のようなものだった。
「これと何か関係があるのかな? 知らない間にポケットに入ってたの」
「こ……これは……」
俺は恐る恐るゾフィーから卵を受け取る。
紅い卵はほのかに温かく、本当に微かだがドクン、ドクンと鼓動していた。
「生きている……! 間違いない……この卵はあの紅い鳥の卵だ……!」
俺は確信した。この卵こそあの紅い鳥そのものなのだと。あの紅い鳥はその身を犠牲にしてゾフィーを回復させる
ことで卵にまで還元してしまったのだ。
こんな能力は聞いた事がない。極めて破格な力を持った鳥だ。
そんな存在がどうして俺達を助けてくれたのだろうか?
「この卵を大切に育てよう。この卵は俺達の命の恩人だ」
「うん。そうだね……でもお兄ちゃんも命をかけて私を助けてくれた。谷底に落ちた後も必死に私を助けてくれよ
うとした事……全部分かってるよ。本当にありがとう」
「ゾフィー……」
俺は今この瞬間になって初めてゾフィーを救う事が出来たと実感できた。この世界に来てから5年間、全く心休ま
る時などなかった。
だがこの瞬間を持ってようやく俺達はナルクの大虐殺を生き延びる事に成功したのだ。
長かった……と思うが、まだまだ始めの危機を乗り切った程度。
これからナルクの大虐殺以上の危機が何度も訪れるのだ。だが今この瞬間だけは、生き残った喜びを全身で感じた
い。だがその前に……。
「ゾフィー。俺はお前に言わなければならない事があるんだ。ゾフィーの……兄の事だ」
「…………」
ゾフィーは黙って俺の瞳をじっと見つめている。
「俺はこの世界の者じゃない。メル・ナルク王即位の日に気付いたら俺はメル・キヲラになっていた」
「……それって」
「そう……俺はゾフィーの本当の兄じゃないんだ。俺はこの世界の未来に起こる事のほぼ全てを知っている。もち
ろん今日の大虐殺の事も。だから俺は生き残る為に死海の森で毎日修行していたんだ。そのおかげで時を止める力
を持つ黄金の瞳も手に入れる事が出来た……」
「時を止める……」
「それがメル一族の到達点なんだ。メル・ナルクの黄金の瞳に対抗する為には同じ力が必要だった。俺の知る未来
ではゾフィーの本来の兄は今日……死ぬはずだったんだ」
「……やっぱり……そういう事だったんだね……」
ゾフィーは少し俺から視線を外してそう答えた。
「えっ……? 気付いていたのか?」
「……本当にやんわりとだけどね。だってお兄ちゃんと性格が全然違うんだもん。大の修行嫌いだったしね。だか
ら5年前はびっくりしちゃった」
「俺の事……軽蔑しているか……? 俺が……ゾフィーの兄を……」
「お兄ちゃん! 私はお兄ちゃんの事、軽蔑なんかしてないよ。するわけがない。あんなにいつも私の事を気遣っ
て、命がけで助けてくれて……。そんなお兄ちゃんの事……嫌いになるはずがないじゃん!」
ゾフィーは大粒の涙を瞳に溜めて吐き出すように言った。
ゾフィーの言葉が心に深く染み入る。今までずっと悩んでいた事がゆっくりと氷解していくような感覚に陥る。
「ゾフィー……」
「それに……お兄ちゃんは消えたわけじゃない。確かにお兄ちゃんはお兄ちゃんの中で生きてるよ。私には分か
る。だって……お兄ちゃん達は……本当の私のお兄ちゃんなんだもん」
「……っ!」
メル・キヲラが俺の中で生きている!? 分からない……。俺の中でもう一人の俺の存在など感じた事はない。だ
けどゾフィーが掛けてくれた言葉はなにより嬉しかった。
「ありがとう……ありがとう……ゾフィー……」
「ううん。……これからもよろしくね……お兄ちゃん!」
ゾフィーは見惚れるような笑みを浮かべて言った。
そこにはもう怯えるように俺を見ていた視線は微塵もない。
俺はゾフィーに全てを受け入れてもらえたのだ。これほど嬉しい事はない……。
あのメル・ナルクの大虐殺から生き延び、瀕死のゾフィーを生還させる事が出来た。
本当に、本当に……頑張ってよかった。これで胸を張って家へ帰れる。
だが……本当の危機はこれからだ。メル一族の生き残りをメル・ナルクはどうするのだろうか。それに次に待ち受
けている脅威、最強の鬼蟲、鬼愛羅。こいつをどうにかしなければならない。
だけど、今この瞬間だけは喜びを噛みしめよう。明日からはまた辛く激しい戦いが待っているのだから。
「帰ろうか。ゾフィー」
「うん!」
俺達はここが危険な死海の森だという事も忘れ、手をつないで歩いていった。
その手に紅い鳥の卵を大切に握りしめて。