17話
「……ここは……どこだ……?」
気付けば俺は真っ暗闇の中にいた。幸い、優秀な眼のおかげでこんな暗闇でもしっかりと辺りを暗視ゴーグルのように見通す事が出来る。
ここは……洞窟か? そういえば……確か俺は崖から落ちて……。
「っ! ゾフィーはどこだ!?」
完全に意識が覚醒し、メル・ナルクとの経緯の全てを思い出す。俺は慌てて辺りを見渡した。
「ゾフィーッ!」
俺は地面に横たわるゾフィーに慌てて駆け寄る。
「呼吸はしてる! 脈もある! けど出血がひどい……! 顔色も悪い……!」
状況は最悪だ。持ち物はレイピア以外には何も無く、こんな場所では応急処置すらままならない。
せめてこの傷口だけでも防がなければ……。
俺は辺りを見渡す。ここが谷底だというのなら、アレがいるかもしれない。
焦る気持ちを無理矢理押さえ込んで、俺は上半身の服を引き千切り、火打石で火をつけ、燃やした。
服が一瞬の内に燃え上がり、明るい炎が洞窟の闇夜を照らす。
ーーその瞬間、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、と微かな音が近づいて来るのが分かった。
「来たかっ! やはりここにいたかっ!」
不気味な音を立てて高速で接近してきたのは、瞳を赤黒く輝かせた鬼蟲、体調5mを誇る巨大ダンゴムシ型の鬼蟲だった。
やった! 狙い通りだ! こいつを待っていたんだ!
俺は素早くレイピアを懐から取り出そうとするが……。
「……っ!」
み……右肩が動かないっ! そうか、ゾフィーをかばって落下した衝撃で肩を負傷したのか!
右肩を見ると赤黒く変色しており、何倍にも腫れ上がっている。痛みは感じない……どうやら痛覚すら通り越した領域にいってしまっているらしい。
俺は素早くレイピアを左手に持ち替え、巨大ダンゴムシ型の鬼蟲を油断なく見据えた。
ダンゴムシ型の鬼蟲は燃え上がる炎目掛けて突進していた。
こいつは温度が高い標的を襲うという特性を持つ鬼蟲だ。主に洞窟に生息しており、恒温動物を捕食している。
炎が消えた今、この巨大ダンゴムシ型の鬼蟲が次に狙うのはもちろん……!
「俺だよなっ!」
ガキンッ!
硬質な音が洞窟中に響いた。
突進してきた鬼蟲の赤黒い瞳と対メル・ナルク用のレイピアがぶつかり合って均衡を保つ。
「くそっ……やっぱり硬いなっ!」
このダンゴムシ型の鬼蟲の特徴は何と言ってもその硬さだ。おそらく外殻の硬度は全生物でもトップクラスだろう。
弱点であるはずの赤い瞳に攻撃しているというのに、全くビクともしていない。
それはそうだろう。このレイピアはこのダンゴムシ型の鬼蟲の瞳から作られているのだから。
全生物で最も硬い物質なら流石にメル・ナルクを殺しきれるだろうと踏んでいたが、それは甘い考えだった。
結果は片目を潰すだけに終わったのだから。
ギリッ、と保っていた均衡が崩れ始める。
「くっ……右肩を負傷したせいで押されているのか! それにしてもこのパワー!」
巨大ダンゴムシ型の鬼蟲は赤黒い瞳を輝かせて俺を見ていた。その瞳はまさに捕食者の目!
俺の肉がそんなに食いたいか……!
このダンゴムシ型の鬼蟲の動きはそれほど速くはないが、その分圧倒的なパワーを誇っている。
このままでは鬼蟲に力で押し切られてしまう……が、俺は知っている。この鬼蟲の弱点を!
「時間停止っ!」
俺の瞳が黄金に輝き出し、ワシャ、ワシャ、ワシャと無数に蠢いていたダンゴムシ型の鬼蟲の足が一本、一本動きを
止める。
完全にピタリと鬼蟲は動きを止め、レイピアから伝わる力が無くなる。
メル・ナルク戦に続けて再び俺は時を止めた。
俺が時を止めていられる時間はおよそ5秒。1分間も時間を止めていられるメル・ナルクがどれほど圧倒的な力を持
っているのか、これで容易に分かるだろう。
俺は鬼蟲の横に回り込み、足の付け根にある外殻の端に左手をかけ、力の限り思いっきり持ち上げた。
負傷したせいで左手しか使えないが、それでも渾身の力を込めて5mを誇る巨体を持ち上げる。
「ぬぅぅぉぉぉぉおお!」
ズシンッッ!
おそらく100tはあるだろう鬼蟲を俺は片手でひっくり返す事に成功する。鬼蟲は地面を揺るがす轟音を響かせて、
腹を向けてひっくり返った。
静止していた時が再び動き出し、黄金だった俺の瞳が元の朱色に戻る。
ワシャ、ワシャ、ワシャ、ワシャ、ワシャ、ワシャ、ワシャ、ワシャ。
ダンゴムシ型の鬼蟲はひっくり返ったまま、いったい何が起こったのか理解出来ないのか、足をひたすら蠢かせるだ
けだ。
ーーこうなってしまえばもうこっちのものだ。
やはりこの黄金の瞳は強い。これは強すぎる力だ。それでもメル・ナルクには遠く及ばなかった。
それでもこうもあっさり敵を無力化してしまうと、そのあまりもの強さを再確認出来る。
だが今は一刻も早くゾフィーの治療をしなければ!
俺はひっくり返って何も出来ないダンゴムシ型の鬼蟲の腹に跳躍して、おもいっきり振り上げたレイピアを腹に突き
刺す。
「ギィィィイイィ! ギギギィ……!」
レイピアを突き刺した瞬間、腹から夥しい程の青い血が噴水のように湧きあがった。
この鬼蟲は外殻が硬い分、腹がとても柔らかく、ひっくり返ったら元に戻る事が出来ないという致命的な弱点がある
のだ。
まるで青空のように真っ青な血を夥しい程、体外に流した鬼蟲はとうとう力尽きたのか、動かなくなり、瞳から赤黒
い輝きを失った。
俺は鬼蟲の絶命を確認した瞬間、鬼蟲の青い血を両手で救い取り、素早くゾフィーの元へ持って行く。
「ゾフィー……」
横たわるゾフィーはさっきよりも顔色が悪かった。俺は急いで鬼蟲の青い血をメル・ナルクに刺された腹に塗りたく
る。
「ぅっ……」
傷口が痛むのか、ゾフィーは小さな呻き声を上げて顔を歪める。
その苦悶の表情に焦る気持ちが芽生えるが、今は考えない。
実はこの巨大ダンゴムシ型の鬼蟲は別名、万能の青薬と呼ばれており、治療薬を生成する鬼蟲としてトゥーンランド
では広く知られている。
この鬼蟲の青い血が様々な病気の特効薬になるからだ。
使用用途は実に様々で、難病の特効薬になったり、疫病の予防薬にも使用できる。
さらにそのまま傷口に塗れば、傷薬となり、空気に酸化して固まった青い血液は簡易的な皮膚としても利用可能とい
うまさしくこの世界の万能薬なのだ。
すぐさま俺はゾフィーの腹に青い血を塗ると、すぐに効果があった。
止めどなく流れていた出血がなくなり、青い血が固まって簡易的な皮膚の一部となっていた。
よかった……とりあえず応急処置は出来た……けど。
ゾフィーの顔色は依然として悪いままだ。
おそらくだが失った血液が多すぎるのだ。
くそっ……俺はここに落ちてどれだけ気を失っていたんだ……!
失った時間は取り戻せない。俺は意識を切り替えてゾフィーに青い血を飲ませた。
少しでもゾフィーの血液になってくれと祈りながらゾフィーの口に流し込む。
「ぅっ……」
苦いのか、ゾフィーは顔を歪ませていたが、少しずつ鬼蟲の青い血を飲み込む。
すると変化はすぐに起こった。
まるで土気色のように悪かった顔色に少し赤みが差してきたのだ。
やはりこの青い血液は強力だ。
だがまだまだ危険な状況は続いている。一刻も早くトゥーンランドに帰還し、医者に見せなければならない。果たし
て……それまでもってくれるだろうか……?
いや……考えるな……そんなことは……!
今はいち早くトゥーンランドに帰る方法だけを考えるんだ。
その為にまずすべき事は……!
俺は巨大ダンゴムシ型の鬼蟲の死骸に駆け寄り、青い血を掬い取って負傷した右肩に塗りたくった。
するとビリビリとした痛みが全身を駆け巡る。
ぐぅっ……! 痛覚が戻ったのか……相変わらず凄い効き目だ、この血液は……だけどめちゃくちゃ痛い……!
痛覚が戻った事を確認した瞬間、
シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、
シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ、シャカ。
と洞窟内に何かが大群で近づいてくる音が響き渡った。
確認するまでもない……! さっきの鬼蟲の大群がここに近づいてきている!
俺の上昇した体温に惹かれてやってきたというのか! この数は……まずい!
俺は高速で火打石で炎を作りだし、ダンゴムシ型の鬼蟲の死骸に放った。
くそっ! せっかくの万能薬が……! でも背に腹は変えられない!
俺は未だに目を覚まさないゾフィーを背負って、気味の悪い音とは逆の方向へ走って行った。
まずはこの暗い谷底から抜け出さなければならない。頼む……ゾフィー。街に戻るまで持ってくれ……お前がいなくな
ったら俺は……。
メル一族の恵まれた身体能力を活かして俺は光を目指して谷底を駆け抜けた。