12:00pm/第一演習室
「はっ……はぁ、はぁ……」
バスケットコート二面分ほどの広さの部屋に二人分の足音と一人分の荒い息遣いが絶え間なく響いている。
それは時折僅かな休憩を挟みながらかれこれ二時間近く続いていた。
「おらおら、足元ふらついてんぞ? そんなんじゃ殺されたって文句言えねーよなぁ?」
「横暴っ……!」
至極楽しそうな恭介に対し、若葉は必死に走りながら辛うじて言葉を返した。
恭介に半ば連れ去られる形でこの部屋に連れて来られてから、若葉は絶え間なく繰り出される恭介の攻撃をずっと躱し続けている。
一撃でも入れられたら終了と言われて、ならばすぐに終わるだろうと軽く考えていた若葉だったが、その考えは綿菓子よりも甘かったとすぐに思い知らされた。
何せ恭介は避けるだけかと思いきや全力で攻撃を仕掛けてくるため、若葉はそれを避けるのに精一杯で攻撃どころではない。
さらに体力も運動神経も恭介が圧倒的に上であり、若葉はすでに息も絶え絶えなのに対して恭介は二時間近くも動き回っているのが嘘のように息一つ乱れていない。
その上ご丁寧に若葉を挑発してくるという余裕っぷりだ。若葉は絶望した。
「父親が泣くぞ?」
一言。
その瞬間、若葉の目が鋭く光った。
「父さんを悪く言うなぁ!」
「おー、まだ動けるじゃねーか。ってか別に悪くは言ってねーよ」
上々の反応に恭介はご機嫌だ。
父子家庭で育ち、自他共に認めるファザコンである若葉には父親がキラーワードだ。
予想以上の若葉の蹴りが腹部を掠め恭介は一瞬ギクリとしたが、惜しくもそれは当たることはなかった。
そしてそれで最後の力を使い切ってしまったようで、若葉はその勢いそのまま床に倒れこんだ。
「もう無理……ギブ……」
ピクリとも動かずにそう呻く若葉を見た後、そこで漸く恭介は時計を確認した。
「大体二時間か。まあ持った方だな」
「瀬戸さんを基準にしないでください」
「アホか。俺だったら後五時間は余裕だ」
「人間捨ててますね、いたっ」
失礼なことを言う若葉の頭を恭介が軽く叩いた。
「それだけ口が動かせりゃ体も十分動くよな? じゃあ……」
再び動きだそうとする恭介に若葉は慌ててガバリと起き上がった。
「せ、瀬戸さん! 十二時です! お昼です! 食事は体作りの基本ですよね? ご飯行きましょ! ねっ?」
必死の説得に恭介が渋々ながら納得してくれたため、若葉はほっと胸を撫で下ろした。
しかし安心は出来ない。恭介は一旦休憩と言った。ということは、食後には再び地獄の訓練が待っているということだ。
若葉がこの後の予定をどううやむやにしようかと考えながら演習室から出ると、意外な人物に声をかけられた。
「トレーニングかい? 感心だねぇ」
「二階堂さん!」
若葉が二階堂と呼んだその男は二階堂慎弥といって、柔らかい茶色の髪に垂れ目の、いつもにこにこしているいかにも人畜無害そうな男だ。
しかしそんな人畜無害そうなその男こそこの組織のトップであり、創立者だという。ちなみに慎弥は年齢不詳で、誰も彼の年齢は知らない。見た目だけなら三十代にも見えるが、組織設立が十五年前であることから、実際はもっと上だろう。
慎弥は謎が多い。
年齢だけでなくその他彼に関するプライベートな情報は一切誰も知らない。
この組織の発足も、政府のお偉いさんが直々に慎弥に頼んで設立したなんていう噂もあるが、それも定かではない。
そのため慎弥のことをあまり信用出来ないという人間も組織内にはいるが、若葉は慎弥のことが嫌いではなかった。
若葉の後に続いて部屋から出てきた恭介も慎弥を見て目を丸くし、お疲れ様です、と言って頭を下げた。
若葉としては意外なことに、恭介も慎弥のことを信用しており、尊敬しているらしい。
「はい、お疲れ様です」
「二階堂さんがこんなとこにいるなんて珍しいですね」
「ちょっと近くに用事があってね。今から部屋に戻るとこだよ。瀬戸くんと三森さんは今からお昼かい?」
「はい!」
「……まだ大丈夫かな」
「え?」
若葉が元気よく返事をすると慎弥はそう呟いたが、その声は小さく若葉と恭介のの耳には届かなかった。
「もしよかったら、一緒にどうかな?」
「えっ!? いいんですか?」
「アホ!」
慎弥の提案に、若葉は目を輝かせて喜んだ。
何せ慎弥は組織のトップだ。その食事も若葉達が利用する庶民的な食堂にあるようなものではなく、近くの有名ホテルの料理長が作る高級料理を毎日自室まで届けてもらっているという噂だ。あくまでそれも噂だが。
「お前、ちょっとは遠慮というものを覚えろ」
「えー? だって二階堂さんから誘ってくれたんですよ! それにうちのお父さんも人の親切は素直に受けとるものだって言ってましたし」
目の前の会話を微笑ましそうに見つめながら慎弥がまあまあ、と口を開いた。
「一人で食べるより誰かと食べた方が食事は美味しいものだよ。だから一緒に食べてくれると嬉しいんだけど。瀬戸くんも、嫌じゃなければ」
「嫌なんてことはないです。けど、本当にいいんですか?」
「もちろん」
「……じゃあ、是非」
「やったぁ!」
一緒に食事をすることに決まった三人は、慎弥の案内で彼の部屋へと向かった。