11:00am/第三研究室
「はろー、みつるくんは居ませんねっと!」
「お邪魔します」
「おー、相変わらずタイミングいいな」
千紘と春陽がノックもなしに素早い動作で秋也のいる第三研究室に入って来たのを見て、その慣れた様子に秋也は感心したように声を上げた。
「あれ、ちゅんたはいないの?」
部屋を見渡しその姿がないことに気付いた千紘が秋也に尋ねた。
ちゅんた、とは準太のことで、鳥のヒナのようなツンツンとした茶色の短髪と、まるで高校生のような童顔であることから千紘が命名した愛称だ。千紘のみが使っており、もちろん本人非公認である。
「あいつはちょうど今頼んでた仕事終わらせて、お前らを探しに出ていったとこだ」
「あらら、相変わらず間の悪い」
そう言って千紘はいつもの定位置である窓際の椅子に座った。
春陽も流石にほぼ毎日千紘に連れて来られるためこの部屋にはだいぶ慣れており、渚のいる第二医務室の時とは違い、自ら作業台横の椅子に腰掛けた。
「タイミングがいいって、七尾さんの話ですか?」
春陽が先程の言葉が気になり首を傾げてそう尋ねると、秋也は吹き出して違う違うと手を振った。
「準太の不運は日常で必然だ」
さも当たり前のように言う秋也に春陽は酷いとは思ったが、どうにも否定できなくて苦笑いを浮かべることしかできなかった。
春陽と準太の付き合いは僅か三ヶ月であるが、その短い間でも十分に伝わったのだから彼のそれは筋金入りなのだろう。
「まああいつはたぶん五十鈴さんのとこだろ」
「あ、俺らさっきまでそこにいたんだ。いっちゃんとひーちゃんも居たけど今は皆帰ったから二人っきりなんじゃないかな?」
「あー、じゃあ珍しく幸運だな」
準太が渚に気があるのは、本人は隠しているつもりのようだが渚以外にはバレバレだ。
「医務室に二人っきりってなんかエロいよね」
千紘がニヤニヤしながらそう言うと、それを聞いた春陽が顔を赤くした。
「何も起こらないし、何も進展しないに百万円」
秋也が千紘に提案すると、負け戦はしない主義なんで、とあっさりと却下され、春陽は今も頑張っているであろう準太に心の中でそっとエールを送った。
「そうじゃなくて、倉持さんだよ。あの人三十分くらい前にお前らのこと探しにここに来たぞ」
「まじで? やー、相変わらずはるちゃんの危機回避能力は大したものだね!」
危ない危ないと笑う千紘に、春陽は渋い顔をした。
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。僕は別に倉持さんに見つかっても困りません」
「そりゃそうだ。どうせやらかしたのはお前だろ、ヒロ」
「酷い! はるちゃんかもしれないでしょ?」
「そうかそうか。で? 今度は何をやったんだ?」
秋也が二人に尋ねると、よくぞ聞いてくれました、と千紘は昨日の話を嬉々として彼に語った。
「やっぱお前が悪いんじゃねーか」
呆れた視線を向ける秋也に、千紘はエヘッと所謂てへぺろのポーズをとった。
「そう言うのは可愛い女の子がやるから許されるのであって、大の男がやると逆に怒りを助長させるだけだから止めた方がいいと思うぞ」
「真顔での正論は胸にささるので止めてください」
二人の仲の良いやりとりを見て、春陽はクスクスと笑った。
「はるちゃん酷い」
千紘の不満そうな声に、春陽はまだ少し笑ったまま謝った。
「すいません、つい。お二人は幼なじみなんでしたよね?」
「そうそう、俺とシュウともう一人、三人でいつも一緒だったから、幼なじみっていうか兄弟みたいなもんかな?」
「そーそー。こいつが手のかかる弟」
「えー、シュウが弟でしょ?」
「いいや、あの時ヒロは俺らの弟にしようってアキと決めたからな」
「アキちゃんまで!」
そんな二人のやり取りを見て、春陽は耐えきれず再び笑ってしまった。
「アキさんって方がもう一人の幼なじみなんですね。その方もここにいるんですか?」
春陽としてはごく自然な流れで何気なく聞いたのだが、その瞬間千紘と秋也の顔が強ばった。
しかしそれはほんの一瞬で、春陽は気のせいだったのかとも思ったが、千紘が一言、ここにはいないよ、と言ったきりアキについては話さなかったので、春陽もそれ以上聞くことはなかった。
「そういえば、はるちゃんは対策課の瀬戸恭介って知ってる?」
千紘がぱっといつもの明るい雰囲気に戻った為、春陽はホッとして千紘に言われた瀬戸恭介について考えた。
「直接関わったことはないですけど、あの格好いい人ですよね?」
春陽が答えると、秋也は嫌そうな顔をし、千紘は思いっきり吹き出したため、春陽は何か間違ったことを言っただろうかと首を傾げた。
「きょーちゃんも俺らの幼なじみなんだ。」
「え、そうなんですか?」
「そんな平和なもんじゃねーだろ?」
楽しそうな千紘に対し、秋也は呆れ顔だ。
そんな二人の様子に、春陽は頭にはてなマークを浮かべている。
「まあ関わったことないならわかんねーだろうが、あいつはなんつーか……見てるとイラっとするような奴だ」
秋也が人を悪く言うのを初めて聞いた春陽は少し驚いた。
どう答えていいかわからず困って千紘を見ると、彼は面白そうに笑っている。
「心配しなくても険悪なわけじゃないよ。小さい頃のきょーちゃんはいいとこのお坊ちゃんでね、その上何でも簡単にこなしちゃうような子供だったんだ。けどいっつもつまらなさそうにしてたから、俺たちはそれが見ててなんか嫌だったの。だからどうにかして楽しませてあげないとって思ってね」
そう言ってにんまりと笑う千紘を見て、春陽は少し考えた。
二人の話から導き出された答えは一つだったが、あまりいい答えではなかったため何ともいえない顔になってしまったのは致し方ないだろう。
それに気づいた秋也が苦笑して説明した。
「まあたぶんお前の想像通りだよ。けど言い訳させてもらうと、別に苛めてるつもりはなかったからな? ほら、子供って純粋だからこそ残酷だろ? 俺たちとしてはあいつもイタズラにひっかかってみたら楽しいだろうって何故か本気で思ってたんだよ。まあ結局あいつが全然引っかからなかったもんだから、だんだん俺たちもムキになって最終的には引くくらい酷い規模までエスカレートしてさ。けど結局あいつは最後まで一度も俺たちのイタズラには引っかからなかったし、俺たちの気持ちも一ミリも伝わらなかったんだよな」
「引くくらい酷い規模って……」
「たぶん引っかかってたら笑えないことになってたよねー」
「いや、それは普通伝わらないでしょう」
けらけらと笑いながら話す千紘に春陽が引き気味にそう言うと、千紘と秋也は顔を見合わせた。
「俺らは楽しかったよねー」
「たぶんあいつも何だかんだ楽しんでたよな」
「え。瀬戸さんってマゾなんですか?」
春陽が本気でそう聞いてきたのが可笑しくて、千紘と秋也はしばらく笑いが止まらなかった。
「はー、藤咲、お前最高」
秋也に笑いながらそう言われても、春陽には何がなんだかわからない。
同じく千紘が笑いながら、本人に会ったらきっとはるちゃんにもわかるよ、とだけ教えてくれた。